イノシシ女、卒業。(お泊り合宿編その12)
「雪、雪」
揺り動かされて目を開くと、二重の黒い目とすっと通った鼻が目に飛び込んできた。
「ふぇ?あれ?朝?」
「寝ぼけてるのは可愛いんだけどな、湾内が目を覚ましたって増井がさっき来たよ」
「ん……しょうこ……え……私もしかしてずっと冬馬にもたれて寝てたの?!」
言われて起き上がってやっと気づく。どう見ても寝始めた時から動いた形跡がない。
「ごごごめん!適当なところに寝かせておいてくれるもんだと思ってて……!重かったでしょ?」
「いや?ずっと寝顔見られたし楽しかったよ」
「楽しかった?!」
寝顔を見て微笑ましいとかそういうのならまだしも(リア充爆発しろという抗議は受け付ける)楽しいってどういうこと?!もしや寝てる間に百面相をしてしまったのか?それともよだれを垂らしたりしていたのか?!
いつもだったらチェッカーになってくれる未羽はおそらくまだ寝ているから誰にも聞けない。
内心でぐるぐる考えて、それからよだれの跡がないか、恐る恐る冬馬の服を点検している私を見て横で笑っている気配がする。目を盗もうにもこの距離じゃ無理なんですよ。
「湾内のとこ、行かなくていいの?」
「そうだ!それどころではなかった!」
立ち上がり、ドアに向かいかけて冬馬が立ち上がっていないことに気づく。
「冬馬は行かないの?」
「ちょっとな?先行ってて」
「どうしたの?」
「――足が痺れてるから」
全面的に私のせいでした!
「そんなに申し訳なさそうな顔しなくていいよ。すぐ行く」
「ごめんなさい、待ってるよ」
私が項垂れたからだろうか、冬馬は笑って首を横に振り「あれだけ心配してたんだ。俺のことはいいから早く行きな?」とドアを示す。
冬馬を残していいか迷ったものの、祥子のことはどうしても気になる。行けと言ってくれているのだから行った方がいい、のかな。
私は「本当にごめんね?」ともう一度謝り、先に部屋を出た。
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寝て乾燥した目を擦り、広いお家の中で遭難しないよう、来た道を思い出しながら2階分降りる。人の気配の多さでその部屋はすぐに分かった。
「ゆきぴょん!目が覚めたですか?」
「あ、ご存知で……」
「しゅんぴょんが教えてくれたのです!とうまきゅんと寝てるから邪魔しないであげて、と!」
「白猫ちゃんも大胆だなぁ!ボクが覗きに行こうとしたんだけどね?夏樹に止められちゃって。惜しいことしたなぁ!みんながいるのにいちゃついている非道徳的な二人にプライバシーはないのにね!」
「いやありますよね!?それに、違いますよ!?ご想像されているかもしれない卑猥な光景は全く広がっておりませんよ!?」
「太陽くん、最初本気で勘違いして走って行こうとしたんだよ〜?」
「俊くんっ!一体なんて言ったの!?」
「ごめん雪さん!僕、慌てててちょっと言葉遣いを間違えちゃったんだ!」
周りから寄せられる生暖かい視線に耐えられなくなり、俊くんに詰め寄ろうとしたところで、東堂先輩に肩を掴まれて止められた。
「相田、安心しろ。みんな分かってる。春彦や桜井のとこだったら分からんが、お前らのところだったら本当にただお前が寝てるだけだろうとみんな起こさないようにしていただけだ」
「酷いな〜夏樹ー。むしろ無防備な可愛い彼女と一緒にいて何もしない方が罪ってもんグエェッ!」
「先輩っ!場をわきまえて発言していただけませんかねっ?!」
太陽が無言で近寄って桜井先輩の首を絞め始めた。それをはやしたてる泉子先輩と、「死なない程度までなら許可する」と頷く美玲先輩。
いつもの背景に気を取り直した俊くんが訊いてくる。
「雪さん、冬馬くんはどうしたの?」
「足が痺れたから先に行っててって。私、ずっとよりかかって寝てたみたいだから……」
「あーそっかぁ、冬馬くん、雪ちゃん抱っこしてたんだもんね~」
「増井先輩、それ本当ですか?あいつそろそろ一回殴る………!」
「抱きしめてた?白猫ちゃん、ずっとかい?」
「はい……申し訳ないことしちゃいました。あとで平謝りだわ。今頃痛いだろうなぁ……」
それなりの時間寝てたようだから、その間ずっと正座と同じように圧迫されていたのだとすれば、今頃痺れの限界が来ているはず。ごめんね、冬馬!
私が無事を祈っていると、ようやく太陽に解放された桜井先輩が「うーん?痺れただけ?寝ている彼女を抱っこしてて?」と首を捻り、それからぽん、と手を打ち鳴らした。
「白猫ちゃん、ハニーちゃん、今後のためによく聞いて?それは足が痺れたんじゃなくて――」
「尊、それ以上発言する前に私があなたの口を塞いであげますよ?」
「え、春彦がボクにキス?ハニーちゃんが悲しむよ?それにボクには愛佳という最愛の彼女がいるからね!申し訳ないけど春彦の愛は受け取れないのさ!」
「なにか勘違いしているようですが。法医解剖用の針と糸で永久に、ですよ?」
そう言ってこれまたいつものように桜井先輩を会長が追い掛け回し始めた。
「今桜井先輩何かアウトなこと言ったかな……?」
「そ、それよりねーちゃん、イノシシ女の様子見ねーの?」
「そうだよそれ!祥子!」
駆け寄ると、葉月に抱きつかれて照れ笑いをする祥子がベッドで上半身を起こしていた。手には、あの大活躍のクママスコットが握られており、私を見て祥子はそれを大事そうに抱え直す。
「よかった、無事で」
「ありがとうございます、師匠。師匠とこの子のおかげで助かりました」
「本当に、横田先輩とそのお兄様にお礼を何度申し上げても足りませんわ!」
「あの人たちどうなったんです?新聞部の元顧問とかそういう話は聞いたんですけど」
「あいつらは警察に逮捕された。ここに警察がおおっぴらに出入りすると問題があるからあとで湾内は事情聴取があるらしい」
三枝くんの言葉に祥子がそっか…と呟いている。例えゲームに誘導されたのだとしても、そんなことは誰にも分からない。彼らのしたことは犯罪だ。
「そういえば、祥子探すときあんなに必死の形相だったのに、太陽は意外と普通だね」
「なっ!?何言ってんだよ!ねーちゃん!!」
「そんなことないですよ、雪先輩。太陽は葉月と同じくずっとこの部屋で待機してましたし、湾内が半覚醒した時にすぐに椅子から立ち上がって一番ほっとした顔で息ついてから先輩たち呼びに行ったんですから」
「あらぁ〜」
「ちょっ、ふざけんな弥生!ねーちゃん、なんだよその顔っ!!」
私と弥生くんのやり取りを聞いていた祥子がえ、と驚いたように太陽の方を見てそれから嬉しそうにみるみる頰を染める。それを見て、俊くんやこめちゃんだけでなく先輩たちも祥子の気持ちにピンときたようだ。
みんなに見られた太陽は祥子の側に行き、少し染まった頬のまま目を怒らせた。
「か、勘違いすんじゃねーぞ、イノシシ女!あの時一番近かったのは俺なのに助けられなかったから……」
「分かってるよ。それでもいいの。ありがとう、相田くん」
素直に笑みを浮かべる祥子を見て、太陽がふいと顔を逸らした。そして、目を逸らしたままぼそりと言い捨てる。
「……悪かった」
「え?」
「昨日のことだよ!お前の、そのっ、だから、お前を……見ちまってっ、それから暴言吐いたこと、謝る!」
いつにない歯切れの悪さで叩き付けるように謝る太陽の顔は真っ赤だ。
それに対し、祥子は「昨日?」と首を傾げ、それからぽん、と手を打った。
「あぁあれか」
「あぁあれか、じゃねーよ!なんだよそれ!悩んだ俺が馬鹿みたいだろ!」
「その後の方が色々あったから、忘れてた。あたしこそ、殴ってごめん。あれでチャラだよ」
「……そーゆーもんじゃねーんだろ?」
「え?」
真面目に聞き返す祥子に対し、「なんで分かんねーんだよ鈍感女が……!」と漏らしながら酸欠寸前の金魚のようにはくはくと浅い呼吸を繰り返す太陽。そしてこの後の展開に胸膨らますギャラリー。
「暴言については殴られたのでチャラだとしても。……その。事故だとしても嫌だったんだろ……あんなに泣くくらい」
「え、何が?」
らしくなく俯いたまま耳を真っ赤にしてぼそぼそと話す弟の姿を見せられる姉のやきもきを誰かなんとかしてください!
ぼやかしすぎる太陽が悪いのだが、ここまで言っても祥子は何が何やらと言った様子。なんだろう、このじれじれ!
「あああああっ、耐えられませんわっ!」
同じく見る見かねた葉月が飛び出していき、祥子に何かを耳打ちしたことで、祥子の頬はみるみる赤くなった。
「あ、いや、あの、あれはあの」
太陽が、自分が泣いた理由を「裸を見られたせいだ」と思っているらしいことにようやく気づいたようだ。
二人の間に沈黙が落ち、代わりに心臓がどきどきと鼓動を打つ音が聞こえそう。
ちなみに、こういう時に雰囲気をぶち壊しにしそうな桜井先輩は三枝くん、弥生くんに羽交い絞めにされ、泉子先輩に口にガムテープを貼られていた。さすがの連携だ。
そうしてしばらく続いた沈黙を破ったのは、この場の主役だった。
太陽が決意を固めて顔を上げ、正面から祥子を見て目を合わせる。
はっと息をのみ、頬を染める祥子に、太陽が言った。
「しょーがねーから。詫び代わりに見てやるよ」
ギャラリー全員が左斜め上に飛んで行った発言に目を点にする。
「え?!?!何を!?」
「勉強。中間まであと一週間ねーからな。俺がついて監督してやる」
……勉強?
「………なんだ、見るって中間か……」
「なに拍子抜けみたいなアホ面晒してんだよ。他に何があるってんだ」
「いやその私の裸見たことを謝ったあとに、代わりに見るとかいうから、てっきり――」
「ばっ、バカ、何さらっと言ってんだよ!お前には恥じらいってもんはねーのかよありえねぇ!」
「そ、そういう誤解を招く言い方をする相田くんが悪いんでしょ!?そんなバカバカ言わなくていいじゃんー!!」
「バカなのは間違いねぇだろ!それともあの惨状で中間乗り切る自信でもあんのか!?」
「……中間?ちゅ、中間!!勉強!!!ああああー!!どうしよう!!覚えてたこと吹っ飛んだ気がするっ!!」
「うっせーな!だから見てやるっつってんだろ?!」
途端にいつもの調子になった二人を見守っていた先輩方がため息をつき、美玲先輩がすす、と寄ってくる。
「雪くん、相田くんはもしかして――」
「激ニブです。私以上に深刻です」
弥生くんも私の隣でため息をついている。その非常に重いため息を吐かせたのが我が弟だと思うと申し訳なくて涙が出る。
「ゆきぴょんが気持ちに気づくまで一年でしたが、たいよーきゅんはいつになるのですかね?」
そんなに時間かかってたらゲーム終わっちゃうよ!
二人はそんな会話の最中もぎゃあすかやりあっている。
だから私たちは忘れていたのだ――――太陽がああ見えて天然たらし王子の素質を有していることを。
「時間ねーんだから、早く回復して警察行け!」
「もう回復した!!ほら、立てるし!!――あれ、あわわわっ」
まだ薬の影響が抜けきっているわけではないのに、どうだっと言わんばかりに思いっきり立ち上がろうとした祥子は見事にふらつく。
「本当にあっぶねーな、お前!」
それを抱きとめるようにして太陽が支えたもんだから祥子の顔が真っ赤になってあわあわしているのがこっちからは見える。
もちろん、一番気づくべき太陽には見えていない。
「だからイノシシ女だって言ってんだよ馬鹿!」
「――そ、それ嫌だっ!私も他の子みたいに丁寧に扱ってくれればいいのに!」
太陽が他の女の子を丁寧に扱っている?それはありえないはず。
「丁寧なはずないと思うんだけど……」
「太陽、クラスの女子はさん付けに丁寧語ですから。湾内は誤解しているんだと思います」
私の疑問に弥生くんが補足説明を入れてくれる。なるほど、丁寧語か。
しかし、それは太陽が女子を呼び捨てる程度にも近いと思っていないからだ。
「はぁ?別に丁寧になんかしてねーよ」
「でもイノシシ女はないですわよっ、相田くん!」
「迷惑女もうるせーよなー。呼び方なんかどーでもいいだろ?」
「よくないですわ!」
ここぞとばかりに葉月が太陽に噛み付くものだから、太陽も面倒になったらしい。
「分かったよ、イノシシ女はやめてやる」
「ほ、ほんと?」
見上げた祥子に、しばらく考えた後、太陽は言った。
「わんこ、でいいだろ」
「わんこ?」
「湾内祥子、だろ。お前の名前。縮めてわんこ。きゃんきゃん鳴くし、合ってんじゃねーの?」
太陽は、いいこと思いついた、というようににやっと笑っているが、祥子は何も言い返さない。
「なんだよ、きゃんきゃん噛みつかねーの?」
祥子を覗き込んだ太陽は、祥子が、「な、名前、名前……!」と手で顔を隠しているのに気づいてぎょっとしたように後ろに下がった。
手で隠していても分かるくらい耳も赤い祥子にようやく気づいたみたいだ。
「な、な、な。なんでそんなになってんだよお前……そんなに嫌かよ……!」
「……相田、お前こーゆーことにかけては天才的に鈍いな。脳細胞のその辺りが欠けて生まれたとしか思えない」
「はぁ?五月、お前何言ってんの?」
「相田くん、祥子は嫌なのではないですわ!」
「じゃ、じゃあ、なんでそんなに泣きそうになってんだよ……!」
「な、泣きそうになんてなってないよぅ……!」
「涙声じゃねーか!!わっけわかんねーよ、この、ばかわんこ!」
ああ、太陽。お姉ちゃんはあんたの未来が心配です。
※これにてお泊り合宿編はおしまいです。お付き合いいただき、ありがとうございました!
※本日5月31日中に、活動報告に雪がいなくなった後の冬馬のショート裏話を載せておきますので、ご興味がある方はどうぞ。




