イベントは忘れたころにやってくる。(お泊り合宿編その5)
翌朝は土曜日。
学校がない日だから、急いで準備をする必要がないのんびりした朝になるはず…だったのだが、空気はとても重い。
朝食の席では目を腫らした祥子と葉月がだんまりで食パンを齧っており、太陽も謝るタイミングが掴めないのかチラチラ祥子の方を見ているものの黙ったままだ。
「…すみません、こんなことになりまして。」
昨日から繰り返しお母さんに謝る三枝くんが一番不憫に思えてくる。
「いいのよ、私は。葉月ちゃんもちょっと不注意だっただけだもの。太陽も祥子ちゃんもお互い意地っ張りになっちゃってるのも分かるしね。子供の喧嘩なのに、理由がちょっと子供から抜けちゃってるのが本人たちには難しいところなのかしらね。」
そう言ってお母さんが困ったように苦笑した。
私たちが玄関で見送る段になり、お母さんは、「こんなことになっちゃったけど、久しぶりに賑やかで私は楽しかったわ。また良ければ遊びに来てね。」と言ってパートに出る準備のために先に室内に戻った。
「母の言う通りで、また来たくなったら遠慮しないで来ていいから。葉月、あんまり気にしすぎないようにね。」
「おおおお姉様ぁ!」
「はいはい。申し訳ないと思うならちゃんとテストで点取ること。」
「はい!必ずいい結果を出しますっ!」
祥子の方は気まずそうに太陽を見るが、小さなプライドと葛藤しているせいで顔を顰めている太陽の様子に怖気づいたらしく、
「相田くん、昨日は殴ってごめん!また今度!」
と太陽の目を見ずにお辞儀して言い捨てるや否やダッシュした。
「あ、おい!イノシシ女!待てよ!」
太陽の声も聞かずに走っていく祥子を太陽が少し追いかけようとする。
行け!行け!太陽!そこだ!
ここで一気に距離が縮まるかもしれない!
という私のわくわくは、虚しくそこで打ち砕かれた。
道路の角のところでキキーッと急ブレーキをかけて止まった薄汚れたバンのドアがいきなり開き、目の前に止まった車に驚いて止まった祥子を中から出てきた人が引っ掴むとそのまま車に押し込もうとする。
「え、ちょ!何っ?!」
祥子は最初焦ったようにしていたが、ハッとした顔をして鞄を抱きしめて、追っていた太陽の方に手を伸ばす。
「おい!お前ら何なんだよ!!」
太陽が本気で全力で走り出す、が。
「あ、相田くん、助け…ムグッ!」
口を何か布で覆われた彼女はくたっと力を失い、そのまま抵抗することも出来ずに、あっという間に車の中に引き込まれてそのまま車は走り去った。
目の前で突如として起こった誘拐事件に固まった私たちの中で一番早く現実に帰ったのは太陽だった。走って追いかけるがそれでもそんなものが追いつくわけもなく車はあっという間に見えなくなる。
「危ない!お前らしくないぞ太陽!」
弥生くんが飛び出した太陽を止めたが、太陽の方は、「らしくない?」と片眉を上げた。
「俺はバンのナンバーを確認して覚えただけ。あとあのバンの行く方向も。あの道は高速方向に直通じゃない。回り道する理由もねーし高速に乗るつもりはないって考えるのが妥当だ。そう遠くには行ってないはず…。」
太陽の頭は既に目まぐるしく回転しているらしい。その場でショックで固まるのではなく、動き始められるのは昔の経験値が高いからだろう。
これは祥子が言っていた9月の「誘拐イベント」が補正されて起こっているものだと気づいた私は、すぐに電話をかけ始める。冬馬はみんなの前でイベントなどと発言できなくても直ぐに気付いてくれて即戦力に連絡してくれるだろうし、四季先生は生徒の危機には普段からは信じられない正義のヒーローっぷりを発揮してくれるから、警察への連絡などはしてくれるだろうから。
自分で警察に連絡しないのは、子供の訴えを警察が軽んじることが多いからだ。大人が言うのと子供が言うのとでは警察に対する影響力は全く違う。
そして一刻を争うこの場面で、対処の遅さは命取りになる。
「太陽、ナンバーを四季先生と会長にメールしておいて。」
「了解。あの道ならあっちの街道に…。俺はあれを追う。」
「太陽待って。」
「なんで!」
「あれを追うのは移動手段に差がありすぎて難しい。それよりあれの行き着く先を考えた方が早いと思う。」
「行き着く先?」
「誘拐は大抵目的があってするものだから。祥子は一般家庭でしょ?誘拐の理由はお金じゃないはず。なら恋愛か、怨恨の筋が高い。これは怨恨だと思う。恋愛で誘拐される可能性もなくはないけど、ストーカーに困っているって言ってなかったし、日ごろ嫌がらせも受けていたみたいだから。」
「怨恨による誘拐」だということがイベントで決まっていることをもっともらしい理由をつけて誤魔化したが、いつもだったら根拠が甘い、と言ってきそうな太陽は何も言わずに考え始めた。
「怨恨…というと誰が考えられるか…。」
「俺はどうすればいいですか?」
太陽が考え込む隣で、おそらく「イベント」だと気づいた三枝くんがしばらくしてからようやく訊いてきた。
「五月、なんでそんなに冷静に…」
「先輩たちが冷静だから逆に落ち着いた。」
「相田くんは人外ですわ…。」
私たち姉弟が話す間にも、「祥子、祥子」と慌てふためく葉月はまだ無理だが、弥生くんは三枝くんの発言のおかげで現実に帰ってきたようだ。
「そんなことないよ。弥生くん。」
「はい?」
「太陽を見ててくれる。あの子はまだ持ってるけど、途中から暴走するかも。」
「暴走、ですか?」
「昔からなの。不安なこととかあると返って酷く理性的であろうとする傾向があって。で、それだけに集中して他のこと見えなくなるから。それに途中でいきなり切れる可能性があるの。時限爆弾みたいになってると思う。」
私はこれがイベントだと知っているから冷静だが、太陽は違う。あの子もまだ15歳だし、今は焦っている。現にさっきも「怨恨」による誘拐であることについて、疑問を呈してこなかった。理性的な判断がどこまで保つかは分からない。
「分かりました。雪先輩は?」
「私は既にやるべきことを決めてるから大丈夫。あ、かかってきた。」
さっき、冬馬と先生以外よりも先に連絡したのは未羽だ。
『雪?事情は把握してないけど、誘拐イベントなのね?』
「そう。学校外で起こった。あの子、気付いてクマを握ってたから、もしかしたら反応があるかも。」
『わかったわ、検索する。』
みんなにイベントやら何やら知られるわけにはいかないから言葉足らずになっているが未羽も的確に理解してくれた。
クマ、とは葉月が夏祭でくれたクマだ。実はあれにはGPSを仕込んである。イベントの過激化のせいでいつ祥子や私に問題が起こるか分からないからだ。祥子もそれを思い出したからイベントと分かった時に鞄を握りしめていたのだと思う。しかしあれは作動に条件を満たす必要があるし、そもそも鞄を捨てられたらお終いだ。
「怨恨…親への怨恨か、もしくはあいつ個人…。三枝。お前が一番知ってるだろ?心当たりは?」
珍しく太陽が葉月をきちんと呼んで正面から尋ねる。
「し、祥子、祥子が…なんで祥子が…。」
「…落ち着け、葉月。今は湾内を助ける方が先だ。お前が唯一の手がかりかもしれないんだ。頑張れるか?」
三枝くんの言葉に葉月がようやく目の焦点を戻す。
「えっと、あの子いつも結構嫌がらせ…いじめみたいなことされてて…先輩とか同学年とか…個人的恨みって多いかも…。」
「くそっ、僕たちじゃ絞り込めないか?」
「そんなことないよ。生徒会の先輩方にも二年にも連絡した。雉が個人情報を見てるみたい。葉月、祥子に嫌がらせしてた人たちの顔分かる?」
「少しならわかりますわ。」
「なら今すぐ学校に行って?写真付きで絞れるのは葉月だけだから。」
「三枝、その中でも車を動かせるくらいのやつを選べ。」
「えっと?」
「葉月、恐らく、お家がそれなりに裕福で金で人を動かせる人か、工場とかでバンを持ってて家族経営やってる人か、それから車を運転できるような年上の友達を連れてそうな人とかって意味だよ。僕も手伝う。」
論理が飛び過ぎていた太陽の言葉を弥生くんが補充する。
「…相田先輩。これ。」
そっと三枝くんが話しかけてきたので、それにも周りに聞こえないように返す。
「うん、イベント。でも色々ズレてる。本来は学校内で起こる小規模なもので、車なんて出てこないはずなんだ。アレでは校内生徒の犯行だって聞いたけど、違うかもしれない。だから念入りにお願い。」
「…分かりました。」
「ねーちゃんは?」
「未羽のところに向かう。あの子がちょっとしたツールを持ってるから。みんなは先に学校に行って。」
「はい。」
※ 10月14日中に三枝兄の小話後篇を活動報告に載せる予定です。よろしければどうぞ。
※ 近日中の活動報告に記載予定(まだ書く時間がなくて書いてません…すみません)ですが、この話で一旦更新を停止します。こんな中途半端なところで申し訳ありません。もう執筆してある分はあるので、エタるわけではないのですが、もろもろの事情によります。復帰時期などについては活動報告をご覧いただけるとありがたいです。




