宿題はきちんと片付ける派。
「あれ、江里菜?なんでこんなところに?」
「洋子こそ。」
「土浦くんが来るんじゃなかったっけ?」
「え、土浦くんに呼ばれたのは私でしょ?」
「中野さんも西島さんも何言ってるの。二人がうざゆきに直接話つけるって言うから集まったんでしょ?」
「はぁ?なんで今うざゆきの話が?」
「だってラインが…!」
三人の女子生徒が混乱する声を聞き届けてから、私は教室に入る。
がらっという教室のドアを開ける音に三人が一斉にこっちを見た。
「相田雪…?!」
「どうしてここに!?」
「…もしかして…あなたが図ったの?」
「正解。ちゃんとみなさんとお話したかったから土浦くんの名前をお借りしちゃったの。」
私は、ドアから歩み寄りながら、にっこりと三人に笑いかける。
「でもラインから連絡来たのに!!」
「まさか、あんた盗んだわけ?」
「人聞きの悪いことを言わないで。あなたたちがそれぞれ友達に貸したのを又借りしただけだよ?」
ちょっといじらせてはもらったけど。
心の中で付け加えたことを裏付けるように、それぞれ覚えがあるんだろう三人がはっとしたようにケータイを見て叫んでいる。
「通知…オフになってる…!」
「うちのは既読ついてるし…?!」
「あんた、私たちに一体何の用?」
うんうん、なんともいい展開だね。
私の書いたストーリー通りに運ぶ言葉に内心ほくそ笑む。
「何の用かはきっとみなさんが一番よく知ってるんじゃない?中野江里菜さん、西島洋子さん、下川いくみさん。」
「名前っ?!」
「どうして知ってるの?」
「落ち着きなよ、クラス違っても同じ学年なんだから知ってておかしくないでしょ?」
下川さんが一番落ち着いているのも予想通りだ。
てことは、彼女を落とせるかどうかが今回の鍵かな。
だったらまずは外野には黙っててもらおう。
「中野江里菜さん。2―D、バレー部所属。成績は前回中間360位。苦手科目は数学1。」
「は?!」
「派手な服装は実の姉のものを流用。学校届け出なくM駅のカフェでバイト中。バレー部2年の土浦卓人に片想い中。土浦くんの片想い相手である1年後輩に嫉妬して練習中に左手首骨折という大怪我をさせた過去あり。」
「!」
「西島洋子さん。2―E、バレー部所属。前回中間574位。苦手科目は英語と現代文。あまりに成績がまずいので補習、留年ギリギリのところを国語科教師の榎本と関係を持つことで逃れている。同じくバレー部の土浦卓人に片想い中。土浦くんは人気者だねー。手の届きやすそうなイケメンだもんね。」
「!」
「それから下川いくみさん。2―D、テニス部所属。成績は84位。美人で快活ということでクラスでも人気のあるまとめキャラ。けれど実は二人のその弱みを知ってて、私への嫌がらせをやめようとした時にバラされたくなければ続けろ、と脅して迫るなどして嫌がらせの続行を強要。何人かの男子を陥落させて貢物をさせたり、支配下に置いてる、らしいね。すごいなぁ。」
落書きされた黒板を丁寧に消しながら、三人のプライバシーを暗唱して笑顔で見やると、下川さん以外の二人はすっかり萎縮して震えていた。
あとの二人は脅されてこういうことをやっていたわけだし、こんなもので十分かな、という気がする。
私が何をやっているか、もうお分かりだろうか。
そう、先学期会長に言われた、私への嫌がらせの振り払い作業中だ。
スマートに、かつ自力で振り払う。それが今回の私の目標。
進路の件は昨日冬馬にこっぴどく怒られてしまったけれど、あれは冬馬が主体の問題だったからだよね、と勝手に理由をつけて、今回のことは話していない。
懲りずによくやるとか言わないでね。
これこそ私の問題なのだ。冬馬にばれないように、さっくりとかつ完全に封じなければ。
さてそんな意識の元、二人を黙らせ、残りは彼女だ。
「…そ、そんな根も葉もないこと…言わないで?ひどいわ…。」
「根も葉もないと思うならそう思えばいいよ。あなたがやってきたことを一から全部挙げようか?私が自分にやられていることを何もせず放置していたとでも?相手を知らないとでも思っていた?」
私の言葉にフローリングを見ていた下川さんは次の瞬間顔を上げた。
その顔には涙が流れている。
「…ご、ごめんなさい、相田さん。私間違ってたわ。こんなやり方よくないって思ってたけど、どうしても。私も…やれって言われてて。」
「うん、誰に?」
「私の弱み、握ってる人。」
「ほうほう、それは大変だー。一体どんな?」
「…それ言ったら隠してる意味ないじゃない…!」
涙を見せたのに軽いノリで返されたことが気に食わないのか、不快気に眉を潜められた。
あっという間に本性出てるぞ小悪党ちゃん。
うーん。意外と往生際の悪くなるタイプだったか、彼女は。
会長の言った通りもっと早くに手を打っとかないといけなかったよなぁ。
「まぁまぁ、そんなに気を短くしないで。私の知る限りあなたは幹部だったと思うんだよね。『防衛部隊』のさ。」
「!な、何それ…。」
まだとぼけるか。よし、とっておきのこれを出してあげよう。
ぽん、と一枚の写真を放れば、相手が固まる。
「それは防衛部隊とかいう組織の週に1度ある集まりだよね。結構笑顔でしゃべってるねー。ほら、お菓子まで用意してるし、楽しそう。無理矢理居合わせられたって感じはしないね?…他にも証拠あるんだけど、とりあえず今は話を続けさせてくれる?」
相手が黙ったのを見て続ける。
「その部隊さ、リーダーっていないんだね。中心になって動いている人たちに上下関係はあるけど、個々が私を嫌だと思う人の集まりで、それぞれ好きに動けって方針なんでしょ?下手にリーダー作るよりトカゲの尻尾切りになりやすい。最初に考えた人、その点は賢いよね。一番力のある人たちを『幹部』なんて名付けて中二病なことしちゃうくらい、みんなプライド高くて自分に自信のある人たちで、上に指示されるのなんか大嫌いだからこの形態の方がうまく行くよね。」
目は合わせずに、手はただひたすら丁寧に黒板消しを動かす。
ゴミを消していくように。ゆっくり、丁寧に、力を適度に籠めて。
滑るように動く黒板消しの後ろには、緑色の領地が顔を出す。
「リーダーがいない組織のデメリットは、意思統制できないことなんだよ。構成員それぞれに利害関係があるからさ?自分の害を優先して考えて動いちゃう。結束力が弱いってわけ。だからある重要な一部が瓦解すると全部崩れちゃうんだよ?だから私だったらもっとうまくやるかなー。あ、話ずれたね、ごめん。というわけで、あなたを脅すような上の存在もいないって知ってるよ。」
黒板のほぼ全部が地の緑色を明らかにした。
うし!雑巾がけしたかのように綺麗になった!
私がようやく振り返ると、目の合った下川さんがとうとう仮面を剥がして冷笑を浮かべた。
「…おバカね、相田雪。窮鼠猫を噛むのよ?ここには追い詰められた二人がいるわけだから何もされないとでも思った?私に心酔してる男子だって呼べるわけよ?…あんたなんか、上林くんに見向きもされないくらいめちゃくちゃにされればいいんだわ。」
そう言って得意気に彼女は笑顔を浮かべた。
あら残念。これ、30分アニメの王道、悪役の登場ってやつじゃないですか。
中途半端に悪賢くて、でも結局はヒーローにやられちゃう可哀想な役どころだ。
「じゃあやってみれば?」
「ちっ、言ったわね?やんなよ、あんたたちさ!そうしないと今から証拠の画像つきメール全校生徒に送るよ?!」
「い、いやっ!!それだけはやめてっ!!」
ケータイを構えて宣言する下川さんに、泣き出した子分二人がこちらを見て、
「あ、あんたのせいよ…!」
と言いながら鞄を振り上げてくるので、仕方なしに両手に持っていた黒板消しをパンパンたたき合わせる。
舞い上がった白い粉は、風に乗って流れて二人が咳き込んで膝を折った。
私?冷房の風上に立っているから余裕のよっちゃんだ。
「で?下川さんは?送れた?」
ごほっと咳き込んだ下川さんがケータイを見て顔に焦りを浮かべる。
彼女のケータイにはきっと「圏外」の文字が躍っているはずだ。
「これ、あんたが…?」
「さぁ?でもたった一人で三人と対峙するのに何も用意してないと思ってた?」
「卑怯…っ!」
「卑怯?体育着に針を忍ばせたり、何度も教科書をびしょびしょにして、破いたり、落書きしたり、靴を隠したり壊したりするのとどっちが卑怯なの?何も物理的な被害受けてないよね?今のであなたたちは何か害は被った?」
「…咳き込んでる…。」
そういう細かいことは気にしない!
「鞄で二人から同時に殴られそうになるのとどっちがいいかって話だよね。」
「こんなことしてっ…ただで済むとも…?」
「えーっとさ。気づいてない?あなたが彼女たちのやったことを全校生徒にばらまく準備があるのと同じように、私の方もそういう手段が取れるってこと。…まぁ、送る先は警察だけどね。」
「!なっ、それは…!」
「そうそう、ご想像の通り、被害届ってやつですよ。証拠も一緒に送るつもり。」
「そっ、そこまでする必要ないじゃん!こんなのちょっとした…!」
「ちょっとした?あなたがやったことは、少なくとも私に対する行為は傷害罪、器物損壊罪、それからその二人に対する脅迫罪は成立すること。つまり立派な刑事事件だよね。これがどういうことか分かる?」
ようやく事の重大さが分かって震える彼女に歩み寄り、はっきりと言った。
もう二度と、しないように。
「あなたがやったことは立派な犯罪なの。あなたは未成年だから少年法に守られるだろうけど、一旦は捕まって警察の御厄介になるのは間違いない。保護観察とかつけられてしばらく大人の監視の元に置かれるんじゃない?そうしたらさ、犯罪者っていう目で周りから見られるんだよ?あなたが今周りから受けているちっさい称賛なんてどこからももらえなくなって、逆に軽蔑の目で見られるんだよ?ご両親も泣くだろうね。それだけじゃない。これからの大学進学、将来の就職、結婚、あなたの経歴にこれら全てが付きまとうんだよ?」
「…!」
そう、私が取るのは正攻法だ。
会長みたいに裏から狙撃なんてことはしないし、いつか私への嫌がらせの余波を受けた未羽がやったとんでもなくえげつないこともしない。あれ以来、未羽にちょっかいかける人いなくなったもんな…。容赦ないもんなーあの子。
私は、彼女が自分がやったことの重みを分かってくれれば十分だ。
「分かったら二度と」
「…あんたは恵まれすぎてるのよ!」
震える声の彼女がキッと私を下から睨みつけた。
「容姿も!能力も!スタイルも!周りにいる男の子たちも!ずるい…ずるいわ!それだけ欲しいもの手に入れてるんだから、これくらい我慢しなさいよ!」
「なんで?私にそんな義理があるの?」
「なっ!?今言ったじゃない!」
はぁ、分かってないんだなぁ。
「じゃああなたはもし、自分が必死でダイエットして痩せたら、痩せたわね!?って逆恨みされて周りに苛められてそれを甘受できる?」
「で、できるわけないじゃない!」
「それと同じ。私がこれまで何も努力していないと思ってた?勉強だって、運動だってなんだって。」
ごめんなさい容姿だけはゲーム仕様です。
悔しそうに黙り込んだ彼女の前に立って静かに続ける。
「私、自分が目立つことは知ってたよ。その分だけ逆恨みも買いやすい。だから何においても誰にも負けないくらいやってやろうと思った。誰にも文句を言われない頂点を目指そうって思ってた。だからこれまで日々自律の生活を送ってたよ。中学の時も彼氏なんかできなかった。恋なんてしてる暇なかったんだよ?」
恋をするという発想がなくなってしまうくらい、中学の私は夢に向けて一身に努力していた。
「そんな私が彼、もしくは彼らに守られないと何もできないと思った?今もそう思う?」
下を向いて小さく唇を噛む彼女を見て、フィニッシュに入る。
「今日は終わらせに来たの。こういう不毛な行為を。これさ、あなたの組織の人に渡してよ。」
何?と言うように、私が渡した封筒をぼんやりと見てくるのでご説明を。
「そのくだらない会のメンバー一覧と、それぞれの持ってる秘密の概要。これ以上何かしてくるようだったら全力で反撃するって宣戦布告だと思ってくれていいよ。確かにちょっと危ない人とのお付き合いがある子もいるって知ってるけど、私には一日中私のことを盗聴しているストーカーがいるんだよね、実は。プライバシーなんか全然なくて、家の事情も全て知られている。けれどその犯人は、私のことが大好きだから、私に直接的な手を出してきたりはしないし、何かあったらすぐに警察とか呼ぶと思うよ。」
客観的に聞いたら気持ちの悪い肥ったおっさんストーカーを許容しているように聞こえるのか、彼女の顔がざっと蒼ざめた。
それが親友だってことまで言ったら卒倒しそうだなー。
「八つ当たりでやってる人もいるし、冬馬が好きな人もいるし、秋斗たちのこともあった。でも、ここからはどんな理由でももう許さない。不当な行為にはしかるべき手段を取らせてもらう。」
さて、そろそろおまけに入ろうかな。
「去年の4月28日。」
「!」
下川さんが今度こそ本気で泣いた顔を上げた。
「あなたが、冬馬を好きになった日だよね。きっかけは、通りがかりの冬馬がガラの悪い男子に絡まれたあなたを助けてくれたことで」
「言わないでよ!あんたの口で私の思い出を言わないで!大事な…!」
きっと今度は怒りでこちらを見て来る。
あぁやっぱり。
「下川さんはさ、本気で冬馬が好きな人なんだよね?大事な思い出なんだもんね。そんな彼が私と付き合っているのが気に食わないの?それとも私が去年彼と秋斗の間でふらふらしていたのに腹が立っているの?」
「り、両方よ!」
「どうしてさぁ、そんなに綺麗に純粋に好きだったのにこんな愚かなことしちゃったのかなー…。こんなこと、冬馬が見てあなたを好きになると思う?」
「!」
「もっと正々堂々、私と勝負すればよかったのに。」
「なっ。」
「それをしなかったのは、私に勝てる自信がなかったからでしょ?それでこんなことするなんて自分を貶める行為だよ。はっきり言って、今のあなたなんか私の小指で一ひねり。」
「…言ってくれるわね…。」
「事実だし。また腕相撲できるくらいのレベルになったら来なよ。勉強でも運動でも、容姿でもいい。何を使ってもいいけど、正面から私にぶつかって。あ、もちろん彼はあげないよ。私、全力で叩き潰すから。」
にっと笑ってへたり込んでいる彼女に手を差し伸べる。
どんなに怒っても余裕を崩さない私のせいか、ただただ一方的に用意していた武器のせいか。
彼女の顔からは戦意が失せていて、気力が萎えてしまったようだった。
その時だった。
からりと、教室のドアが開き、数人の女子生徒が入口で立っていた。緑のリボン…三年生がぽかん、としてこちらを見ている。
「…もしや援軍ですか?私の調査ではそれはないはずなんですが。」
私の真面目な発言に向こうは、ぷっと吹き出したかと思うと大笑いした。
「あっはははは!違う違う!逆!私たちは冬馬くんのファンクラブなのよ。冬馬くんがあなたの周りのことについて大分苛立っているようだから、癪だけどあなたを助けようかなって来てみたんだけど。」
「いらなかったみたいねー。」
「いやー久しぶりになかなか面白いもの見せてもらったわ。楽しかったわよ!」
にっこりと笑ってぽん、と肩を叩かれ、もしや真打登場か!?と身構えた私は、はぁ、と気の抜けた返事しかできない。
「ねぇどうしてあなたは今までそれをしなかったの?」
「それとは?」
「報復よ。今までは一人じゃ何もできないからだと思っていたんだけど、その様子だったらできるんでしょ? 」
「あー…単に面倒だったんですよ。」
時間もお金も有限ですからね。あとはまぁ哀れみもあった。説明するのが面倒だからしないけど。
私の色々端折った返事に彼女たちはまだ笑っていた。
「いやぁ好きだわー。ああいうの!なんていうの?決めていた攻撃を的確にビシッと!完膚なきまでに叩きのめすって感じ?」
「いいよね!勧善懲悪ものっぽかったー!」
「あ、忘れるとこだったわ。彼女たちをこっちに引き渡してもらっていい?」
「なんでです?」
「その子さ、冬王子ファンクラブの会員なんだよね。私たちの規律では、彼に迷惑をかけない、苛めの手段は取らないっていうのが一番大事なとこなの。それを破った場合には制裁。それが私たちのルール。あなたに庇う理由もないし、これは私たちの問題よ。あなたにそれに介入する理由はないでしょう?」
「違法行為はしない、んですよね?」
「当たり前でしょ。そんなことしたら冬馬くんに切られちゃうわ。」
笑っていた様子を消してはっきりと言われたので、そっと彼女たちから離れる。
だってこれは私が乱しちゃいけない秩序だもの。別に下川さんたちに同情の余地はないし。物損は結構痛かったんだから。
ぶるぶる震えて抵抗の出来なくなっていた下川さんたちが連れられた後に私と先輩方の何人かが残ったので、尋ねてみる。
「…あのー先輩方は冬馬の恋人である私のことはお嫌いなのでは?」
「ええ。冬馬くんの彼女なんて大嫌い。」
即答かよ!
「冬馬くんの好きな食べ物、とか、趣味、とかと同じレベルで我慢していたわ。自分が嫌いな食べ物でも憧れている人が好きだったら仕方ないなって見られるでしょう?」
なるほど、私は小豆だったわけですね。
「じゃ、嫌われてるってことで退散しますね。」
「ふふっ。冬馬くんの彼女は大嫌いだけど、相田雪って個人は嫌いじゃないわ。嫌いじゃなくなった、って言った方がいいかしら。」
去り際に、冬馬のファンクラブの代表さんと思しき先輩は笑って言ってきた。
「どうしても困ったら私たちに連絡しなさい。」
「助けてあげるわよ。」
それに対して私もにっこりと笑顔で返した。
「ご心配には及びません。ご覧の通り、なんとかしたくなったら自分でできますから。」
「そ。じゃあこれ以降は。」
「お互いに不干渉で行きましょう。」
いたずらを成功させた者同士みたいなそんな顔をしてからその場を去る。
会長、こんなとこでどうでしょうか。
私はそんなことを思って颯爽と教室を出た。




