偉大なるは父の背中。(対冬馬祖父編その6)
若干R15な話題ですが、不快にはならない程度、かな。該当部分はほのぼの会話です。
「…あ。雪。俺、一つだけ怒っていることがある。」
「え。何?言わなかったこと?言ったら冬馬が絶対医者にならないって言い始めると思ったから…」
「違う。それはさっき聞いたしそうだろうと思うからいいよ。そうじゃなくて…」
冬馬は一度言葉を切り、その言葉を口に出すことさえ戸惑う、という素振りを見せた。
「…気持ちが離れる、とか。何で言うの。俺は別れるつもりは…」
「そっか、それもちゃんとは話してなかったね。」
「?どういうこと?」
「私さ、前世で『絶対別れない』って言ってくれた人に浮気されちゃったの。だからね、絶対って言葉を私は信じられないし、言いたくない。」
そう言うと、冬馬は逆にむすっとして私の目をじっと見た。
「それ。不愉快。」
「え?」
「前世で恋愛で嫌な思いをしたって前に言ってたことって今の話なんだろ?それがあるから現世でも恋愛について信用できないっていうのは、俺とそいつを一緒にしてることじゃないか。…そんなやつと一緒にされることが気に食わない。」
「う~…。だってそれは…。どうしても…。」
「そいつのせいで雪は去年全然心を開いてくれなかったわけだ。この世界にいたら生まれてきたことを後悔させてやりたいよ。」
冬馬!言っていることが会長並に怖いよ!
ぎり、と悔し気に手を膝の上で握りしめ、俯いていたかと思うと、突然決意を固めたかのようにこっちに向き直った。
「もうこの機会だ、一緒に訊く。…雪、これから俺が何でも質問できる権利を行使する。」
「何でも質問できる権利?」
「忘れた?夏休みの部活の合宿後の公園でさ。」
「…あああ、あれか!」
私が幼稚園児以下であることが証明された時のあれか!
よく覚えてたな冬馬。そんなところで抜群の記憶力を発揮しなくてもいいのに。
「これから訊くことに正直に答えること!拒否権はなし!」
「は、はい。」
妙に気合を込めている冬馬が怖いようで、子供っぽくて可愛いようで、複雑な気持ちだ。
「前世で付き合ったのはその浮気最低男だけ?」
「う。うん。もう一人は付き合うまでいかなかったし。」
「ちっ。事実上雪が好きになったの二人ってことか。…じゃその付き合った方で限定して訊く。キスした?」
「しっしてるっ。」
「さっき俺がしたみたいなキスも?」
「う、うん…。」
「その先は?分からないってことはないだろ?大学生だったなら。」
「…えーと、はい。分かります。えーとその。」
言葉に出しづらく、ただ首を縦に振る。
「…最後まで?」
更に答えにくい。だが拒否権はない。
うぉう!なんちゅう羞恥プレイ!
「雪。答えて。」
「………っはい、はいあります!!」
「やっぱりか。くっそ。…むかつく。訊きたかったから訊いたのに、すっげー嫌な気分。」
なんだこれ。浮気しているわけでもないのに、浮気を責められている気分だ!
彼にしてはやさぐれた口調で吐き捨てるように呟き、片膝をたててベッドに座り直し、暫く黙っていた冬馬が、ふてくされたようにベッドを見たまま訊いてきた。
「前世の記憶ってどんな感じであるの?自分としてあるの?混ざっちゃうの?」
「うーん、今の自分とは違う…相田雪じゃないってことは分かるけど、でも自分であるってことは分かる感じ。現世とは違うって分かっているけど、その知識とか経験はある、っていう感じかなぁ。」
「ふーん、じゃあそいつとしたキスとか、そういうことも『雪』として覚えているわけじゃないってこと?」
「そ、そうだよ!今の私は相田雪だもん!……自分の前世の名前はどうしても思い出せないんだけど、自分がそういう経験をしたことは覚えているって感じかなぁ。」
「でも感覚とか、思い出せるんだろ?その時感じた感情とか、触覚とか。」
「うーん…。思い出そうとしたことないけど…ちょっと待って。思い出せるのかなぁ?うーんうーん。」
前世で触れられたり、キスされたり、その更に先をした感覚。
「…待った。いい。思い出さないで。今の雪がそいつにキスされているような気がして虫唾が走る。こう、胃の中に無理矢理異物を入れられた感じだ。」
「あ、感覚としては思い出せないけど、その時感じた感情は思い出せる!」
「雪、俺の話聞いてないだろ!?」
「遅かったんだもん。」
「……ちなみにその感情って?」
「え、言うの?」
「権利行使中。」
「くっ。……最初は、そりゃあ付き合って初めの頃は幸せだったと思うし、そういうことしても嬉しいとか思ってたよ。でも。」
「別れる前はそりゃあ気分良くないだろうな。」
「うん、あと…。」
「ん?」
「その、キス…の先。最後までのことなんですが…あの、あんまりいい思い出ないっぽい。…その、相手が求めるから応じるけど、望んでやっていたわけじゃないというか嫌々だったという…んっ。」
冬馬が口を塞いできた。
さっきみたいなディープなものじゃなくて、優しい、触れ合わせるだけのいつものキスだ。
「……不愉快。すごく不愉快。くっそ、雪がそういうことに過剰に嫌悪感を持ってるのってそいつのせいな気がする。うわぁ、聞けば聞くほど腹立って仕方ないわ。」
「あ、えと。今してくれたキスとか、絶対冬馬の方が好き。」
やさぐれていた冬馬がきょとん、とこっちを見た。
「ああああその、比べようとかじゃないんだけどねっ!!あのでも、絶対優しくて、その、もっとしてほしくなる気がするから…その…」
「………雪、俺、一回、下行ってきていい?」
「あ、うん、全然。どうぞ!」
いきなりの発言に今度は私がきょとん、としていると、立ち上がった冬馬が頬を染めたまま言った。
「俺、今のままだと雪を襲いかねない。ちょっと冷却してくる。」
こっちが熱くて爆発しそうだわ!!
それから階下で沙織さんの手料理をいただいた。私の意思で進路を決めたということを伝えても沙織さんの顔は強張っていたけど、冬馬が明るく話していたのを見て少し信じてもらえたらしい。最後はいつもみたいにふんわりとした笑顔を浮かべていた。
「お夕飯ありがとうございました、すごく美味しかったです。」
「また召し上がりにいらして?」
「雪、俺も乗るから待って。」
私服に着替えた冬馬と一緒に来てくれたハイヤーに乗り、うちまで行く。
「本当にいいの?俺はいなくて。」
「一人で平気。むしろついてくれてたら冬馬のせいで進路を選ばざるをえなくなったような雰囲気になるから。」
「そっか。…じゃあ明日また学校で。」
玄関前で冬馬と別れた。
「ただいまー。」
「お帰り。遅かったわね。」
「うん、お父さん帰ってる?」
「ええ、書斎にいるわ。どうしたの?」
「進路のことで話があって。いい?」
「分かったわ。お父さーん。雪が進路のことで話があるって。」
私服に着替えて部屋に戻るとお父さんも居間のテーブルについていた。
私は両親の前に座る。
「お父さん、お母さん、進路のことで話があって。」
「雪は国立文系に行くんだろう?」
「…そのことですが、医系に。医学部に行こうと思います。」
二人が驚きで言葉を失っている間にすぐに続ける。
「国立の医学部に行くつもりだけど、私がどこまで出来るかは分かりません。ただ、浪人はしません。一発で受かってみせます。…それでその学費については心配する必要なくて…その…」
「上林くんかい?」
「え?」
「上林くんの影響かい?正確には上林医院のせいかい?」
「お父さん?」
「うちの会社への上林医院からの受託が今年度に入って大幅に増えた。そして最近では東京の大学病院にも買ってもらえるようになった。上林くんのお祖父さんが教授を勤める大学病院だ。…それは、雪が彼と付き合ったからだね?で、私の仕事を理由に何か言われたかい?」
お父さんは私を真剣な目で見てくる。
お母さんはと言えば呆然とした顔だ。
「確かに、言われたよ。」
私が肯定すると、なぜか廊下の方でドン、と重い荷物が落ちる音がした。太陽が部活の練習から帰ってきたとこでちょうど悪いとこだけ聞いてしまったらしい。
「…先輩の家どこ?」
「太陽。違うの、聞いて。」
「違くねーだろ!!あいつ、ねーちゃんを守るとか何とか言っといて、その当主やら何やらにやり込められてんじゃねーかよ!!」
断片しか聞いてないのにおおよその想像をつけられてしまっているこの子は本当に賢い。
「太陽、座りなさい。」
「父さん!!」
「いいから。雪の話を聞かないか。」
太陽は唇を噛んだまま私の隣に座った。
「確かに今日、上林家のご当主とそういう話をしてきたよ。でもそれのせいじゃない。私、自分の意思で自分の進路を決めたの。昔、秋斗が大怪我した時があったでしょ?あの時に決めてたの。嘘だと思うなら中学の卒業アルバムの将来の夢ってとこを見て?」
「そりゃねーちゃんが高校入っていきなり文系にするって言ってびっくりしたの覚えているからそれが嘘じゃねーことくらい分かるよ!けどさ、違うじゃんか!上林医院限定とかおかしいだろ!?」
「そりゃ、就職先まで見つけられたのはビックリだけど、でも冬馬のせいでもないし、お父さんの仕事のせいでもない。きっかけにしか過ぎない。高校で国立文系に早くから決めてたのは学費の問題もあったし…だから、その。お金のことがなければ医者だって当然進路として考えられたわけで…。」
お父さんは私の話を聞いて、それから「そうか」と呟いた。
「お父さん、なんで冬馬のお祖父さんのことを…?」
「取引先のことくらいは把握しているさ。それにな。…父さんの昇進が決まったんだ。東京本社で統括部長をすることになった。」
「お父さん…!そんな話聞いてないわ!東京って…!」
お母さんも初耳だったのか仰天している。
「本当に今さっきのことだ。内々の連絡が来た。ここのところ、父さん指名の仕事が多く来ていたから、売り上げも上がったし、営業部での成績は良かった。だから昇進もあるかもしれないとは思っていたが。この時期に、そしてこれだけの昇進となれば、原因は一つだろう。」
それなりに中堅どころの製薬会社の部長職なら私を医学部にやれる程度の収入は入るし、ローンも組める。学費は私が借りると交渉したのにあえてこういうことをしたっていうのは、あれか。質にとったことへの誠意か。真意は読めないが、いずれにせよ、あのご当主はあの後お父さんの会社に連絡を取ったに違いない。
それもこの早さで、ということは予め何かアクションを起こすおつもりだったということ、実現できてしまうということは、それだけあの方の社会的な権限は強いということで。
だから余計にあの脅しは「脅し」じゃなかったんだろう、と今更ながら身震いする。
「…そんなの…ねーちゃんが身売りしたようなもんじゃねーかよ…!」
「太陽!」
「逆もありうるわけだろ!!今後ねーちゃんが先輩と別れたりしたら、父さんの仕事はなくなったりする可能性があんだろ?!…ねーちゃんをあの一家から出さないための人質じゃねーか…俺ら家族は…。」
「違うよ、太陽。今後あのご当主はうちには決して介入してこない。」
「なんでそんなこと言えんだよ!?」
「そういう約束をしてきたから。私が例え彼と別れても、私が医師となり上林家のために働くのであれば、もう介入しないと。」
お父さんの声はここまでのところ、落ち着いてる。
けれど、お父さんから見たら太陽が言うように家族や自分の仕事を質にして娘を取られた、と受け取られかねない。
お父さんがこれをどう思うのかは分からないけれど、いい気分じゃないことくらいは想像がつく。
「…雪。」
「はい。」
お父さんは私の目をきちんと見て尋ねてきた。
「お前は彼と付き合うときにこういうことを予想していたのかい?」
「全然。アホの子みたいに何にも考えてなかったよ。冬馬を好きになった気持ちに打算は全くなかったけど、結果的にうちにはプラスだよ。太陽もいろんな将来を臨めるしね。そう思って?お父さんたちが人質に取られたんじゃない、私が利用してやったんだって思ってよ。そうじゃないと、冬馬も自分を責めるし、私…自分の意思を否定されてる気分になる…。」
私の尻すぼみの言葉にお父さんは、「雪、顔を上げなさい」と言った。
「進路のことは分かった。励みなさい。」
「…うん!」
「父さん!」
「太陽も。このことはもう蒸し返すな。上林くんにも言うな。いいな。」
「けどよ!!」
「いいな?」
「………分かったよ。」
こういう時のお父さんは大黒柱としてしっかりと家族をまとめてくれる。
ありがとう、お父さん。
「母さん、早速だが明後日から東京だ。準備の方を頼む。ここから通うのは厳しい。単身赴任になるだろうからしばらくはホテルで過ごす。それまでに住むところを探しておくよ。」
「分かりました。手伝うわ。…雪?」
「…うん?なぁにお母さん。」
「あなたの選択をお母さんも応援するから。余計なことは考えないでね。」
「ありがとう、お母さん。」
席から立ちあがった私に、お母さんがいつも通りの笑顔を見せてくれた。
これにて対冬馬祖父編はおしまいです。読んでいただきありがとうございました!




