第2話 抜かれた鍵
*
雨は次第に強くなり、水たまりが出来始めていた。
跳ねる水玉の向こうで、周囲の色が抜け落ちていく。
「色が落ちているぞ。封印空間に入った。すぐ近くにいる」
蒼真が低く告げた。
ヨシの反応を頼りに現場へ向かうと、そこでは蛇のような異形が待ち構えていた。細長い舌を上下に揺らしながら鎌首を上げ、三人を見下ろしている。
「居たっ! 異形発見っ!」
先に目撃した蒼真が声を上げる。環とヨシも、遅れて足を止めた。
「見つけたな……」
「それじゃ、行きますかー」
ヨシは折り曲げた人差し指で下唇をなぞり、両手を広げて高音域の声を紡いだ。
その声に応えて、白銀の長杖が姿を現す。環は刀を、蒼真は弓矢を出現させた。
三人は声で作られた武器を握りしめ、同時に駆け出す。
大蛇の異形が大口を開け、巨体を資材の影から滑り出させた。地面を叩く重い音と、鱗の擦れる不快な音が同時に響く。空気そのものが、その重さで一段沈んだ気がした。
「そこだ!」
ヨシが地を蹴り、長杖を旋回させる。空気を切り裂く鋭い音と共に、杖の先が異形の鱗を綺麗に弾き飛ばした。
その隙を縫うように、環が鋭く踏み込む。ミッドで編まれた刀身は淡い緋色を纏い、流麗な軌跡を描いて太い胴を幾重にも切り裂いた。
血の代わりに、黒い霧が吹き上がる。錆びと腐葉土を混ぜたようなむせ返る臭いが、雨の匂いを塗り潰した。
「させるか!」
大蛇が尾を振って反撃しようとした瞬間、蒼真の矢が立て続けに三本、首の付け根に深々と突き刺さる。
バリトンの唸りのような衝撃波が矢を介して広がり、大蛇の動きを完全に止めた。
「終わりだよ!」
ヨシの長杖が力強く地面を叩く。白銀の光が放射状に走り、大蛇を貫いた。
断末魔を上げた巨体は、光の粒子となって消え去る。
思っていたより、あっさりと片付いた。
「よっしゃ、終わりっ!」
環が刀を仕舞いながら伸びをする。乾いた笑い声には、興奮の残りが混じっていた。
「今回は、楽な方だったな」
蒼真もバリトンで作った矢を仕舞いながら、淡々と溢す。だがその声は、何かを感じ取ったように途中で止まった。
「……いや、静かすぎる」
蒼真は、雨に打たれる大蛇の跡へ視線だけを向けていた。
倒した筈なのに、雨音が遠い。抜け落ちた周囲の色も、戻る気配が無い。
環が首を傾げる。
「そうかぁ? いつも通りじゃね? 空間はまだ戻ってないけど、すぐ直るんじゃないの?」
蒼真は答えなかった。
ヨシも周囲をもう一度見渡す。喉の奥に、まだ僅かな違和感が残っていた。振動が完全には消えていない、耳鳴りにも似た感覚。音が止んだはずなのに、鼓膜の奥だけがいつまでも痺れているような気配。
「うん。まだ何かいる気がする」
ヨシの言葉に、環が目を瞬かせる。
「え、よっさんまで? まぁ……よっさんの探知、外れた事ないもんな。もう少し見て回る?」
三人は資材置き場の奥へと足を進めた。
雨はまだ降り続いている。足元の水たまりを踏むたび、ぐしゃりという音だけが、やけにはっきりと耳に残った。
「……なんだ」
先に進んでいた蒼真の足が止まる。
これまでにないほど、喉の鳴りが激しくなった。全身の産毛が一斉に逆立つ。
蒼真は二人に確認しようと振り返った。
「なぁ、何か――」
「蒼真、後ろ!」
蒼真が振り向こうとした瞬間、ヨシが叫んだ。
蒼真の影から人影が現れ、背後から顔を鷲掴みにする。
男の手が喉元へ伸び、ずるり、と。
喉から、銀色の鍵が抜かれた。
雨音の中で、それはあっけないほど静かな一瞬だった。
音がしなかった。悲鳴も、鍵が抜かれた音すらも。
そのあっけなさが、かえって時間の感覚を狂わせる。目の前の光景は、あまりにも静かで、簡単だった。
「あ……」
蒼真の声が掠れる。目が虚ろになってゆく。
「そうま……蒼真――!」
ヨシの絶叫が雨を切り裂いた。
けれど、その瞬間にはもう終わっていた。
蒼真の身体は崩れ落ちる間もなく光の粒子となり、立ち尽くすヨシの身体を、風になってすり抜けていく。
速すぎて、涙も追いつかなかった。
頬を何かが伝う感触はあるのに、それが涙なのか雨なのか、判別する余裕すらなかった。




