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第七章 スリル中毒


 XX38年十一月。


「おお、愛らしき姿の我が救い主よ。告発者たる我が身をどうか救いたまえ」


 監査二日目。弾正官の瑤にイアンは散々尻尾を振った。

 

 その翌日早朝、大株主のトライピース重工業から個人通話がイアンの元に届いた。相手は役員だった。


「君の悩みの種だった黒函。防衛軍が乗り出してくる。グラハが繋がりを隠さなくなった。気を付けろ」


「ご親切にありがとうございます」とイアンは答えた。

「いただいた通話で誠に恐れ入りますが、ベルスニッケル規律局についてお伺いしたく」


「ひとつだけなら言える。CREST監査部門が来たと思えばいい。あとは傘下企業に答えられることはないよ」


 通話が切れた。

 シーセック崖縁区本部に連絡すると、力不足で申し訳ないと謝られた。スカンダは黒函について劫災主教団から何も聞かされていなかった、との付け加えまで聞いて、イアンは受話器を置いた。


 黒函の大規模捜索にどう人手を確保するか――それがイアンとシーセックの共通課題だった。

 シーセックは四年前の反乱軍蜂起の後、保有火力を一般警備業者の水準に抑えるよう、中立司法院から指導を受けている。CRESTは折れるしかなかった。

 だから軍が引き受けるというなら、受け入れたほうが早い。崖縁区自治権を侵すと文句を言う必要はあるが、それはCREST上層部に任せればいい。


 イアンの予想どおり、出社後すぐにカサンドラ『大佐』がノーアポで配下を連れてやって来た。応接室で迎えようとしたイアンをよそに、彼女たちは執務室に直行した。


 カサンドラが告知文書を読み上げた。ノヴァソフィア防衛軍がCRESTの要請に基き崖縁区に軍事展開を開始すること。目的は黒函の捜索および回収。一時駐屯地は望海道路ロープウェイ駅横広場、これを占領すること。作戦完遂まで崖縁区最高責任者イアン・ブラックは必ず軍に協力すること。発、防衛軍デルメル州司令部。


「全面的に協力します。カサンドラ大佐、質問をよろしいですか」


「答えられる範囲でしたら」


 派兵要請をしたのは弊社のグラハですね――と問う必要はない。本社から何も知らされていないかわいそうな子分だと思われるだけだ。


「帆嵐峰への軍事展開を後押しするよう、軍に働きかけたのは貴方ですか」


「人聞きの悪い。質問は以上ですか」


「ええ、ありがとうございました」


 退室するカサンドラの背を眺めながら、イアンは引っかかるものを感じた。

 ガブリエルたちと廃倉庫で会ったときは、感情を隠す目をしていた。今は違う。先日から何度かそれと同じ目で見られた記憶が蘇る。

 値踏みするような目だ。それも、安い値札をつける前提で――見下した目。


 侮ってくれるならこれほどありがたいものはない。

 感情を隠す必要がなくなった人間は、何かをやる準備が整った人間だ。

 その思考を途中で断つように、本社にいるCEOグラハから通話が来た。


「どうだ、調子は?」


「ありがとうございます。防衛軍を動かせるとは、グラハ様の度量と人脈に感激しています。黒函の存在は目の上のたんこぶでしたが、おかげさまで肩の荷が下りた気分です」


「CREST上層部に睨まれたら、お前が軍を呼んだことにする」


「ご冗談を」


「明日はそっちに行く。トマソン少将が現地にお見えになるそうだ」


「少将閣下が前線に、ですか」


 通話しながらイアンは考えた。CRESTは企業連合だ。一枚岩ではない。トライピースもグラハも軍と仲良しだ。梯子を外されるとすれば自分だろう。――今、働いている力学を見通せなければまずい。


 違う。

 見通したくてたまらないのだ。


 大再編と言えば聞こえはいいが、グラハはスカンダ逮捕後、スカンダ派を派手に粛清した。使わなければもったいない人材も何人かいた。


「グラハ様がお越しになるのは、崖縁区の元スカンダ派の一掃が目的では」


「よくわかってるじゃないか。首を洗って待ってろ」


 通話は終わった。


 スカンダ逮捕が報じられるまでに、グラハに付く時間は十分あった。

 何度判断を間違えても、今、自分はここにいる。ギリギリで間違えなかった自分をもう少し試したい。


 イアンの口角が上がっていた。

 執務室に入って来た瑤が、訝しむような顔でそれを見た。

 相変わらず隙のないハーフオールバックの黒髪と白いスーツ姿だ。しかし、鋭いはずのハシバミ色の瞳はその底を山なりにして、理由もなく笑っている。


---


 突然の軍事展開を事前に周知しなかったことを、イアンは崖縁区住民から非難された。その一方で、黒函の危険性は以前から周知していたため、防衛軍は歓迎ムードで迎えられた。


 翌日。

 グラハは午前中にアンテロス鉱業崖縁区社屋に到着した。グラハ派の幹部に出迎えを任せたイアンは、お気に入りの白スーツに身を包んで執務室でのんびり過ごしていた。


「どういうことだ、イアン」


「ようこそ、グラハ様。こちらへおいでくださるのは独立安全検証委員会の食事会以来ですね。お待ちしておりました」


 ノックもなしに執務室へ入ってきたグラハに、言い終わりかけてようやく席を立って迎えるイアン。SP三人組とオブライエンが眉をひそめた。


 イアンは崖縁区のグハラ派以外の幹部たちに今日は休暇を与え、出社させていなかった。グラハはそれをおかんむりだった。絶望する顔を見たかった、哀願されたかった――そんな話が出た。手続きさえ踏めばメールひとつで済む話に、ずいぶん感情を載せたがるものだとイアンはあきれた。


 お茶を一杯、二人で飲んでから、グラハに連れられる形でイアンは防衛軍一時駐屯地のトマソン少将を訪ねた。表敬訪問にあたるのだろうか、とイアンはふと思った。

 グラハとトマソン少将はどう見ても懇意だった。


 ここまでではっきりした。雇われCEOのグラハには、崖縁区最高責任者を独断で飛ばせる人事権はない。

 しかしイアンは、軍への協力の名目で様々な権限の一時移譲に合意させられた。


---


 帆嵐峰に避難警報が出たのは、座銀飯店でアンテロス鉱業幹部食事会が終わったあとだった。複数の廃屋から多量の黒函を発見と発表された。


 イアンは座銀飯店の屋上でSP三人組に囲まれながら、集まった情報を整理していた。


 ハンドリンクに表示された避難手順を確認する。ロープウェイで望海道路駅まで上がり、軍の車両で山道を通って避難拠点へ。

 軍が設計した経路だった。


 横に何か来た気配がした。瑤だった。耳を立て丸い尻尾を揺らしながら、柵から眼下の街並みを眺めている。


 イアンのハンドリンクに番号が表示された。『3』。

 アンテロス鉱業の避難誘導アプリが、今は防衛軍の避難警報と連動している。

 青井たちは二〇六、二〇七、二〇八。

 瑤の持つハンドリンクの画面には『避難番号発行中です。自主避難経路は港へのルートのみになります。ご協力ください』とある。


「お三方、避難誘導を混乱させないため順番に従ってください」


 三人が神妙な顔でうなずいた。眼下でグラハが座銀飯店から出てくるのが見える。


「瑤様は……観光客扱いですね」


「みんな避難ってことはグラハの滞在先を捜索するチャンスだね。ヤオは避難しないよ。キミの調査も終わったし、次の調べものしないとね」


 想像はしていたが、イアンは自宅に不在の間、規律局に家探しされていた可能性に顔をしかめた。それは置いて次の考えに移る。

 小柄なウサギ獣人だ。いくら身軽とはいえ、虹蝕獣――通称「ニジギリ獣」がそこら辺を暴れるかもしれないのに呑気なプランだった。それとも防衛軍の裏事情を何か知っているのか。


「私はSPを剥がされました。瑤様は告発者に何かあってもいいんですか」


「甘えないの。告発者の保護はヤオのお仕事じゃないし。あと避難順番守ってって言ったのキミでしょ」


「瑤様ならロープウェイにこっそり乗れることかと」


「そこまでする義理はないよぉだ。まあ、告発者にもしもがあったら、上にあげる報告書がもっと面白いことになるかもね」


「いいですねその発想。嫌いじゃない」


 それからイアンは続けた。


「では、こういうのはどうです? 軍が山道周辺の黒函の所在を確認して、軍が山道を使う避難計画を立てた」


「んー、言いたいことはまとめて言ったほうがいいよ」


 瑤は屋根の縁に向かって歩き始めていた。


「ヤオのお仕事はスピード第一。じゃあね」


 屋根から屋根へ、軽々と跳んで消えた。


「やれやれ、保身もままならない」


「イアンさん、心配があるなら俺たち……」


 青井が恐る恐る口を開いた。三人組の尻尾は下向きに力なく揺れている。


「いえ、お先に失礼します。三人ともどうかご無事で」


 ロープウェイ乗車口へ向かう帆嵐峰住民の流れの中で、イアンは数歩前を歩く背中を見た。グラハ。その腹心が一人、隣に並んでいる。

 乗車口の手前で、幼い子を連れた夫婦がグハラに懇願していた。子供一人だけでも先に乗せてほしいと。グラハは立ち止まらなかった。


「子供一人くらい……頼むよ! なあ!!」


 夫の声と住民の視線が背中に刺さったが、イアンも立ち止まらなかった。そのまま乗車口をくぐった 。


---


 ロープウェイの籠の中は静かだった。

 乗員上限よりはるかに少ない三人だけが乗り込んでいた。イアンとグラハ、それからグラハの腹心。籠は発車していた。


「避難物資を積んだ体でゆったり三人乗り」


 イアンが口を開いた。


「グラハ様と貴方の太鼓持ちと私だけ。次のロープウェイで残りの幹部全員」


 窓の外、帆嵐峰と海が遠ざかっていく。羅湾裂蝕ドームの大きさが際立つ。座席の背後の窓から外の景色を眺めたイアンはグラハに向き直った。


「トマソン少将とグラハ様が懇意なおかげで、この避難順番というわけですね」


「そうだとも」


 グラハは鷹揚に答えた。それから少し間を置いて、イアンを見た。


「……ん、どうした。そのツラ、俺に何か言いたそうだな 」


「グラハ様、大切なお話が」


 声は平坦だった。


「ロープウェイから降りたら軍の車には乗らないでください」


「……何故だ」


「それは『よく舗装された地獄への道』だからですよ」


 グラハの目が細くなった。


「続けろ」


「佐官である立場を偽って、軍属の研究家として独立安全検証委員会に参加したカサンドラ大佐」


 イアンは淡々と続けた。


「聞けば、帆嵐峰に軍事展開する理由探しに来たことを隠すため、偽りの立場だったそうで」


 イアンは指を立てる。一つ。


「そのカサンドラ大佐が山道周辺の安全性を確認し」


 二つ。


「そして、カサンドラ大佐が山道を使う避難計画を立てた」


 イアンは三本目の指を立てた。


「これで三つ……手段や意思を感じませんか」


 籠が揺れた。


「グラハ様、貴方は証拠不十分で不問になった軍高官への贈賄の疑いが過去ありましたよね」


 間を置かず続けた。


「大裂蝕災の混乱の中、貴方は自分の資産を守るために軍高官を動かした。命令で動員された軍人たちは壊滅した。しかし生き残りがいる。そんなストーリーがカサンドラ大佐にあるとすれば」


 イアンはカサンドラの目を思い出す。

 ――あの目、間違いない。


「はっきり言います、グラハ様。貴方は殺される。私もついでにね」


「馬鹿馬鹿しい!」


 グラハが声を上げた。


「カサンドラ大佐はトマソン少将のおぼえめでたい配下だぞ! 軍が来てくれたおかげで劫災主教団の残党狩りも視野に入った! それに俺は潔白だ! 無礼な奴め!」


「私はついでで死にたくないし殺されたくない!」


 イアンの声も上がった。


「私は車に乗りませんからね! 貴方もそうしてください! すぐ後から来る幹部という名の貴方の腹心たちにもそうさせてください!」

「貴方が粛清なんて馬鹿げたことをしてくれたおかげで我々は現在深刻な人材不足です! 貴方みたいなのでも死なれると困るんです!」


 しばらく沈黙が続いた。グラハの腹心は驚いたのか、すっかり縮こまっている。

 籠は上へ上へと進んでいく。


「……へえ」


 グハラの声が変わった。


「ところで我が社に、噂の規律局が来たらしいじゃないか。潔白な俺も歓迎したいんだが。お前が告発で呼んだんだろ。何を企てている、イアン」

「お前、俺に消えてほしいんだろ。お前から恨みを買った覚えならたくさんあるよ。それについさっきの、軍の作戦遂行都合って理由で、お前が持つ責任者権限を徹底的に剥奪してやったことも――恨みのリストに加えるか?」


 グラハは少し考えてから続けた。


「だいたい……お前の想像が当たってるとして、本気で死にたくないなら、これに乗り込まずさっきのガキに譲れば……」


 言いかけて、止まった。

 何かが引っかかった。あの子供に乗車の順番を譲らなかった、イアン・ブラック。


「いやお前、そんな……」


 驚きだけがそこにあった。敬意でも賞賛でもなく、ただの驚き。

 グラハは次の言葉を探すが絶句したままだ。


「買いかぶらないでください」


 イアンはあっさり言った。


「望海道路駅の軍滞在拠点が一番安全ですから!あとはトイレとごねるだけです! 軍の車両には避難者を乗せずに一度、山道の安全確認をしてもらいましょう。ね!」

「さあ、ご一緒に。ト・イ・レ!」


「お前の話に真面目に取り合っただけ馬鹿だったわ」


---


 望海道路駅の防衛軍一時駐屯地。

 アンテロス鉱業幹部以上のメンバーが軍の車に乗り込んでいく。グラハがイアンを振り返った。


「お前がここに長居するようなら追い出していいと伝えておいた。命があるのはどっちか楽しみだな」


「すべて私の杞憂であれと祈っておきますよ」


 防衛軍のコヨーテが近づいてきた。丸い体を揺らしながら、トイレの方向を示した。

 軍の避難車両は出発した。イアンはその背を見送った。


---


 一方、瑤は走っていた。


 しまった、と独りごちた。イアンはおそらく、確証のないことを外部の人間に言わないタイプだ。自分がここに居ながら、監査対象会社の上層部が半壊するような事態になれば、さすがに少し気まずい。イアンに発信機を持たせておいて良かった。


「イアン・ブラック! いる!?」


 軍のテントの隅で、イアンが座ってしょぼくれていた。


「瑤様あ。山道に黒函内のニジギリ獣が現れたらしく、大半の軍人は対応のため出ていきましたが、そこに至る前に私はここを叩き出されそうになり、それはもう必死で抵抗してぇ……」


 瑤は笑った。


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