第六章 生きている
審問は引き伸ばせなかった。彼女が覚えていないのか、覚えていないフリをしていたのか、わからずじまいだ。雰囲気で根拠もなく判断するならば、彼女は覚えていない。
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XX32年十二月
夜中まで降っていた雪がやんで、昼の市場の隅にはまだきれいな白い山がいくつかあった。
低い位置から声がした。
「あの……。薪があります。これを買ってください」
小さかった。ウサギ獣人の、おそらく子供で女の子。その娘は薪を抱えて立っていた。乱雑にまとめた髪と擦り切れた服。目が落ち着きなく動いていた。逃げ道を探しているような目だった。
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座銀飯店のある帆嵐峰は観光地を包む住宅街で、下に小さな港。それと災害前に比べれば規模は劣るが東に繁華街が二つ、西に一つ。卸売市場が繁華街に溶け込んで東西に一つずつある。
その市場にイアンはいた。
XX27年の大裂蝕災が縹島を含む崖縁区に刻んだ傷は妙な形をしていた。他の被災地が均一に傷ついているのとは違う。空間分断と虹蝕霧浸食の被害平均が五だとするなら、ここはゼロと十の場所がモザイク状に入り組んだ。――傷と無傷が隣り合って、どちらが本当の顔かもわからない期間があった。
超巨大裂蝕界は、七大ドームを残して消えた。
崖縁区の住民が口にする疑問がある。星晶鉱脈が空間分断とニジギリを抑えているなら、なぜ七大ドームの一つが、その鉱脈を包むようにして今もそこにあるのか。
地下全てに鉱脈が走っているという仮説もあるが、実証には至っていない。
ともあれ、縹島の中央近くに陣取っていた他社は羅湾裂蝕ドームの中で空間分断とニジギリ侵食にやられて立ち行かなくなっていた。
復旧と復興の混乱の中で、アンテロス鉱業はCRESTの後ろ盾を背に資本と技術力を武器に、残る競合他社を次々と追い出した。災害の三か月後に就職したイアンは、その陣頭指揮を担った。――つまり、恨まれ役だ。
追い出された側には地元の個人経営者もいた。ツルハシ一本で生計を立ててきた採掘者たちだ。その上、仕事を求めて多くの被災者が帆嵐峰に流れてきた。
CRESTの方針のもとアンテロス鉱業は採掘員を正規雇用で迎え入れようとしたが、多くは非正規雇用を選んだ。どちらも選ばず盗掘屋になった者もいる。
大裂蝕災から五年。自治区になって四年。盗掘屋の存在は、もはや無視できない規模になっていた。
XX30年、レオンが事故死と処理された年。そこから真相を追うのに完全に行き詰まって、イアンは腐っていた。もっと権限を手にしなければ真相は掴めない――そう割り切った頃から、いつのまにか上を睨んで下をせせら笑う男になっていた。
シーセック、CREST保安機構は盗掘屋の追い込みを情報精度優先で執行する方針に切り替えたらしい。盗掘屋を生んだ過程でアンテロス鉱業は恨まれている。イアンに言わせれば逆恨みだ。イアンの悪名はすっかり広まったが、顔を知っている者はまだ少ない。
生産技術製造本部長に昇進したばかりのイアンは、自分で情報を集めてみたくなった。大樹の木陰に収まれば楽なものを、それができない連中だ。損得勘定で割り切ることさえできない――そんなバカ共の顔を拝んでやるか。名乗らないかぎり聞き込みに不都合はない。
最近気に入りだした白のスーツはさすがに無理だが、敢えて少し周囲から浮くダブルのスーツを着た。上にはモッズコートを選んだ。CRESTに、アンテロス鉱業に、追い出された採掘業者の人間のように振る舞って市場へ聞き込みに行った。ウソはつかない。そう勝手に誤解してくれればいい。
土産物や中古品を並べている店を抜けて中央に向かうと、方々から料理のいい香りが漂ってくる。途中で子供のころに持っていた物と同じ物を見てしまった。気にしない。
「ああ、知り合いがやってるよ。無断採掘。ロープウェイ? 採掘員用搭乗券は偽装パスだ」「あんたのとこはいくらで買ってくれるんだい?」「アンテロス鉱業よりいい値段なら御の字だ」
「後日連絡いたします。仮名でも結構ですのでお名前と連絡先を」
生鮮品市場は早朝が一番賑わうが、昼は昼で一般客が多い。そんな彼らの腹を満たすためのテーブルがあちこちにある。テーブルに近い焚火の周りで数人の男たちと集まって、イアンは話を聞いていた。
そこへ、子供のウサギ獣人の声が割り込んできた。
男たちが顔を見合わせた。イアンも振り返った。
小柄な獣人は年齢がわかりにくい。同情を買うために子供のフリをする者もいる。
落ち着きのない目がイアンをちらりと見た。警戒と期待が半分ずつ混ざったような目だった。
隣の男が低い声で言う。ついてないな、という顔だった。
「……あー、嬢ちゃん。悪いが、その取引に応じたら嬢ちゃんはまた来るようになる。わかるかい? それが面倒なんだ」
「こっちは大事なお話をしてるんだ。他所あたんな」
「いっそ、このダンナに任せちまえば」
「適当なこと言うな! すいません、すぐ追っ払いますんで」
謝られた。イアンは静かに言った。
「いえ、構いませんよ。必要な情報は得られました。お暇ついでにお引き受けします」
「お嬢さん、その薪はここの焚火にもらいます。あっちで蒸したての包子が売っています。それを買いに行きましょう。お金でなければ困りますか?」
旧文明から今の時代まで根絶えない、物乞い集団。孤児を囲って乞食をさせ、集めた金は反社会的勢力の資金源になる。自治区である以上、反社の摘発と子供の保護は治安局には期待できない。CREST保安機構が人員を増やそうとしているのはわかるが、現実は追いついていない。
そういうことを考えて、どうにかするのがCRESTから任命された崖縁区最高責任者の仕事だ――彼の話によれば、やりたいことの大半はCRESTの承認が下りないらしいが。損なポストだ。しかしそこか、その上までいければ、レオンに何が起きたのかわかるだろう。
目の前の問題だけなら解決は簡単だ。金や保管の効くものを乞食に渡さない。
「お金じゃなくてもいい。食べ物をください!」
「良かった」
男たちに薪を渡して、湯気が濛々と立つ店先で包子を袋いっぱいに詰めてもらう。ウサギ獣人の子供は目を輝かせて、包子と店員の手つきを交互に見ていた。
袋は、子供にとって抱きかかえるサイズになった。ずっしりした袋を渡そうとして、イアンは手を止める。
「―― 今一緒にひとつ食べませんか?」
この子供はきっと腹をすかせている。食べ物をくださいと言った声は、はっきりとしていた。バカを笑いに来たはずが、いつのまにか乞食娘に心を砕いている。
「交換が終わったら早く帰らないと、パパがおこ……困るの」
有無も言わさず一つ取り出して、その三葉の口に突っ込んでやろうか。そうしなければ、この娘はこれを食べられないかもしれない。しかし怖がられるのも癪だ。
「そうですか。ではなるべく早く済ませるのでもう一つ買い物につきあってください。すみません」
歩きながら、イアンは自分がなぜ歩き出したのかを考えた。すぐにわかった。
市場に並んでいた、中古のウサギのぬいぐるみ。くすんでいたが、値段も捨て値のようなものだ。恩着せがましくもならない。
「昔に失くしたぬいぐるみにそっくりで……私が欲しかったのですが。買って持って帰るのも気恥ずかしくて。これは好きですか?」
子供の目が輝いた。それから曇った。耳の先が倒れる。
「でも、薪もうない……」
「包子と合わせて薪代ですよ」
売り手からぬいぐるみを受け取った子供が、両手で抱えた。抱き寄せて、頬ずりして、笑顔になった。
レオンに見せられた愛娘の写真が、脳裏をよぎる。それから、ずっと前に出会った子供のことも。
「私は全てを救えません。でも私はあなたのパパより優しい人を紹介できます。そこまで一緒に行きませんか?」
膝をついて目線を合わせたが、子供はそれを反らすようにうつむいた。ぬいぐるみを抱えたまま服のすそを掴んで、しばらくこわばっている。
「……あまり良くありませんが、私の家でも……」
「早く……食べ物をください」
包子の袋を渡した。子供は包子とぬいぐるみを抱えて一目散に駆け出した。
「お気をつけて」
かける言葉を間違えた。だから、その背中は市場の雑踏に消えた。
イアンは立ち上がった。思い出させてくれてありがとうございます、かわいいウサギさん。――その言葉は、どこにも届かなかった。
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XX38年十一月
彼女が生きていた。
絶対に見間違えない。あの環境から生き延びて、しかもCREST官職に就いている。イアンは宗教を持たないが、思いつく限りの神に感謝した。自分も微力ながら動いたが、微力にすぎない。
六年前、その時の彼女の歳は十五か十六か、それとももっとか。猛勉強をして頭角を現して、立派な人生を歩んできたのだろう。
応接室のソファに座ったまま、イアンは体を丸めて力の限り拳を握っていた。
明日、またあの娘が来る。立ち上がって襟元を正した。応接室を出ると、黒のロングスカートをいつも着こなしている五十代秘書のオブライエンが、耳打ちしてくる。
「本社が動きました」
外圧による保護は、弾正官様のあの様子だと期待できそうにない。ならば今やれることは、隙を見せないことと保険づくりだ。
何食わぬ顔で通りかかった社員――厳つい顎と太い眉のピエールを呼び止める。
「待ってください、良い物があるんですよ。気に入ると思います。」
イアンはピエールのポケットに記録媒体を入れた。ピエールは嫌そうな顔をした。
「明日は子犬作戦でいきます」
これみよがしに大きな声で、朗らかにイアンは言った。
いつもどおりというわけだ。




