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新年の約束 ② 〈ベッカライウグイスⅡ・最終回〉

 工場の調理台の上は、クッキーの山だった。

 リスさんと私は、急ピッチで初売りのクッキーをシーリングしていた。


 来年の初売りには、ベッカライウグイスエコバッグをお付けするので、アイシングクッキーは、羊とのし袋の2種類を用意し、お客さんに好きな方を選んでいただくことにしていた。


 楕円形の羊の顔は、ほっぺたもピンク色で、つぶらな瞳も可愛い。もこもこした白い毛並みには、溶けるような陰影もつけた。リスさんからこの羊を任された私は、自分で言うのも何だが、頑張ったと思う。

 のし袋は、オレンジ色で、梅の模様を下に散らし、紅色の細いリボン結びを、リスさんが手早く描いていった。右上には、ひらがなで〈のし〉と入り、〈ありがとう〉の文字を真ん中に描いた。新年の明るい雰囲気と込められたお年賀の気持ちが、きっとお客さんに伝わるだろう。

 


 加えて、古賀さんが第一号で持つことになったウグイス色のエコバッグは、出色の出来だと思う。

 深い黄緑色は、ベッカライウグイスの壁の色と同じだったし、白い線で描かれた文字のレタリングも、リスさんがいつも作ってお店に出しているパンの絵も、さくらさんの筆によるものだった。まるで、フランスのアールデコが花開いかにお洒落な雰囲気である。

 私たちは、素敵な宣伝効果バッチリの仕上がりに、さくらさんへの感謝が止らなかった。

 さくらさんは、「当然よ」と言いつつ嬉しそうで、歳末のベッカライウグイスは、新年を心待ちにして忙しさを埋め合わせた。



 お店の中も、もうすっかりお正月の賑わいに変わった。


 焼き菓子のコーナーには、紅白のテーブルクロスが掛けられ、羽子板の羽根が、箱から零れたように置かれている。

 リスさんは、さらにお年賀にお配りする、羊とのし袋のクッキーを飾った。

 カウンターの上には、席の前に、一つずつ金屏風や奴凧、鏡餅などの和紙細工が配置された。


 あとは、三十日に、鏡餅やしめ縄飾りをするだけである。


 


 年末のパン屋さんは、大掃除やお正月を迎える準備で忙しい人々が、手軽に済ませられる食事を求めて、いつもより混み合う。

 リスさんは、それを見込んで、パンを多めに準備していた。

 二人とも、目の回るほどの忙しさだが、それも三十日までの辛抱である。


  

 カランコロン

 「こんにちはー」

 「こんにちは」


 パン置き場からショーケースへ、粗熱の取れたパンを移し替えていた私は、慌てて腰を上げた。

 智翠(ともあき)さんが、番重を抱え、勢いよくベッカライウグイスの扉を押してやって来たのだった。


 「今年最終の、餡子です!」

 「ありがとうございます」

 「おおっ。ベッカライウグイスもお正月仕様に変わったね!」

 「はい。水琴庵(みなことあん)さんはどうですか?」

 老舗の水琴庵は、どんな設(しつら)えになっているのだろうか。

 そういえば、智翠さんが、クリスマスはないけれど暮れからはたいへんだと言っていた。

 「うちはね…………餡子まみれですよ…………」


 リスさんが、工場から顔を出した。

 「かき入れ時だもんね」

 お正月に和菓子をいただいたり、帰省やお年始のお土産にお持たせする人は多い。水琴庵は、上生の他に、美しい生砂糖(きざと)を飾った吹き寄せや素朴などら焼きなども作っていた。 


 リスさんの言葉に、智翠さんが、真剣な顔を悩ましげに引き締めた。

 なかなかできない表情だと思った。


 「それがさ……年末年始だけじゃなくて、初釜に母さんの師匠の師匠っていう御重鎮が京都からやってくるんだよ、さらにお弟子さんを連れてさ。偉い人がやって来るっていうのを聞きつけて、テレビの取材も入ることになって、もうしっちゃかめっちゃか状態……」

 水琴庵は、この土地で一番古い茶室を有しており、水琴窟の存在も相まって海外に紹介されてもいる。

 「あらー」

 リスさんは、同情した。

 「手が足りなかったら、定休日に、お手伝いに行くわよ?」

 「うん。ありがと。来春さんも?」

 なぜか私もセットになっているようだった。けれど日頃から、千春さんをはじめ水琴庵の方々にはよくしていただいているので、私も二つ返事で引き受けた。

 「はい。邪魔にならないように、洗い物とかならできますよ」

 「来春さんが邪魔なんてことないですよ!」

 リスさんが吹き出したように笑ったところへ、お店の扉が開いた。


 

 カランコロン

 「わ!すみません!」

 古賀さんが顔を出し、重たい扉が智翠さんの背中にぶつかった。

 智翠さんが、番重を抱えて前によろけた。

 「大丈夫ですか?!」

 智翠さんが、後ろを振り返った。

 「大丈夫です」

 古賀さんは慌てて智翠さんの様子を確かめたが、とりあえず外からの冷たい空気を防がねばと、そそくさとお店に入り込み、急いで扉を閉めた。 


 久しぶりの、二人の出会いである。

 

 智翠さんは、リスさんが古賀さんの演奏会へ行った事実をまだ知らない。


 古賀さんはしきりに頭を下げたり、智翠さんの背中を覗いたりした。

 「申し訳ありませんでした。……智翠さん、久しぶりですね」

 「いえ、俺も、扉のすぐ前にいたから」

 そこで智翠さんは、何の気なしに聞いてしまったのだ。

 「そういえば、古賀さん。ポスター見ましたよ。演奏会、どうでしたか?」

 と、古賀さんは思わずリスさんの方を見たので、つられるように智翠さんもリスさんを見た。


 二人と目が合ったリスさんは、慌てた。

 「ほら、智翠、忙しいんでしょ?餡子、早くしないと!」


 「餡子早くしないと、って……」

 智翠さんは、その胡乱(うろん)げな正体にまだ気づかないようで、生来の明るさの方が勝った。


 「そうだ。古賀さん、来年も初詣、行きませんか?」


 意趣返しなのだろうか。

 昨年の今頃、智翠さんは、リスさんを初詣に誘う初動を、古賀さんに奪われ泣いた。それもそうだろう。長年、リスさんを初詣に連れ出す役を担ってきたのに、突然現れた古賀さんにさっと掠われたのである。今年こそは、と古賀さんより先に、あえて声を掛けたのかも知れなかった。

 けれど、なぜそれがリスさんではなく、古賀さんなのだろう。

 だが、そんな智翠さんの不思議な思惑は、生き生きとした眼差しからは推し測れなかった。

 

 古賀さんは、快活に即答した。

 「いいですね。楽しみだなぁ。よかったら、迎えに来ますよ」

 そう言って、ショーケースの向こうにいるリスさんを見た。

 

 番重を支えている智翠さんの腕が、一瞬にして硬直したのに私は気がついてしまった。

 智翠さんが、リスさんを強く見る。

 リスさんは、緩やかに頷き返した。


 智翠さんは、逃げるようにリスさんから私へ視線を移した。

 「もちろん、来春さんも行きますよね?」

 どこか弱々しく尋ねられているのに、まるで決定事項のようである。

 みんなの視線が、私に向けられた。

 「私は、……」


 どうしよう。

 この三人とともに、どうしたらいいというのだろう。

 「……家でゆっくりしてようかな……」

 と思わず本音を口にしたが、すぐに却下された。

 「行きますよ!僕、今年と同じく迎えに来ますから」

 智翠さんが、断言した。私は、古賀さんを見た。

 「え、さっき、古賀さんが……」

 智翠さんは、自信たっぷりに向き直った。

 「古賀さん、大丈夫です。僕、毎年リスを迎えに来てるので!」


 古賀さんが、笑って言った。

 「じゃあ、僕も乗せてもらえると、ありがたいです」

 智翠さんは、引くに引けなくなり、尻すぼみに答えた。

 「ええ、もちろんですよ」

 古賀さんの笑顔が、すべてを吸収してしまったかに、初詣の約束は落着した。


 だがそこで、智翠さんは、何か重要なことを思い出したという真剣な面持ちで、古賀さんを振り返った。

 「古賀さんって、リスの連絡先とか、知ってるんですか?」

 それは、密かに私も気になるところである。私も古賀さんを見つめた。


 古賀さんは、特に気に留めた様子もなく、おおらかに答えた。

 「ええ。知ってますよ?」

 智翠さんは、番重を持ったままカウンターへ向かうと、それを半分置いて不安定なところは自分の躰で支えた。

 「古賀さん」

 智翠さんは、ポケットから自分の携帯電話を出して操作する。

 「僕にも、古賀さんの連絡先を教えておいてください。何かあった時のために」

 何か……、何があるのだろう……甚だ疑問である。

 だが、智翠さんは真剣そのもので、古賀さんは無理に合わせるふうでもなく気軽な雰囲気で了承した。

 「ええ。構いませんよ」

 古賀さんがポケットから携帯電話を取り出す間に、智翠さんは嫌疑を確認するかのように矢継ぎ早に質問を繰り出した。

 「リス、いつ古賀さんに教えたんですか?リスなんて、よっぽど重要な用事がないと連絡つきませんよ?古賀さんに連絡きますか?」


 「あははっ」

 古賀さんは声を出して笑いながら、智翠さんが気を悪くしない程度に、面白そうに聞いている。

 「連絡、来ませんよね。教えてもらったのは、たまたま、夏に僕が……えっと、ここの庭に不法侵入しまして……その時にちょっとごちそうになって」

 

 智翠さんは、きりりとした眉を上げた。

 「は?不法侵入?何やってるんですか、古賀さん?!早く、連絡先、教えてください!」

 「あ、ええ」

 二人のやりとりが終わったかと思うと、古賀さんに対するのと同じ勢いで、智翠さんは私を振り返った。

 「来春さんも。連絡先教えてもらってもいいですか?!」


 私まで、尋問対象に入ってしまったようである。

 「私もですか?」

 「来春さんの連絡先も重要じゃないですか。初詣は、混んでますから」

 「はぁ」

 智翠さんにはお世話になっているので、たかが連絡先くらいで目くじらを立てるわけにはいかなかった。

 リスさんは、そんな私たち三人を楽しそうに見ていた。



 我々三人の通信網を構築し終わると、智翠さんは、気を取り直して確認した。

 「リス、お正月のパン、ほんとに餡子いいの?」

 「ええ、大丈夫よ、ね、来春さん!」

 「はい。あ、昨日、完成品が出来たのが工場にあるので、見ていってください」

 「分かりました!じゃ、古賀さん、元旦の10時に、ベッカライウグイスの駐車場でお願いします」 

 「はい。こちらこそ、お願いします」

 「リス、来年はちゃーんと化粧ぐらいしてきて。もうこれは、約束だから!」

 智翠さんは、リスさんに言うと、さっと番重を抱えて工場へ向かった。

 「もう!智翠!」

 リスさんは、扉がゆっくりと閉る向こうへ、怒って言った。

 智翠さんは、硝子窓の向こうで、からかうようにリスさんを横目にしながら道路脇へ消えた。




 届けられた餡子は、いつものように、三種類。

 白とウグイス、そしてこしあんである。

 リスさんと私は、三日間に渡ってあんパンを作り、お店に出した。食パンも、いつもより多い本数を焼いたがすべて売れてしまい、残ったパンもないので、リスさんは朝食にパスタを入れたスープを出してくれた。


 雪は降ったり、降らなかったりだが、春まで溶けることがないのでベッカライウグイスの庭は深く埋もれてしまった。

 大きな嵌め殺しの窓からは、光りの粒子を筆で撫でたかに、控えめに煌めく雪の光景が広がり、私たちを愉しませた。それは、これから訪れる新しい年に、小さな希望が鏤められる、和やかな予感に満ちていた。

  

 

 みっちゃんは、もう大掃除が終わったのかそれともしないのか、開店間際から、いつものように、のんびりとカウンターの左端でコーヒーを飲んでいる。

 常連さんたちとの、年の瀬の挨拶が重なっていく。

 私は、時折、思い出し笑いをしながら、リスさんと忙しく立ち働いた。

 「来春さん、何笑ってるんですか?」

 「去年、今頃金柑を買い集めてたなーって。それから、リスさんが作った、馬パンのこととか」

 「もう、来春さん!」

 リスさんが、まるで智翠さんに言うのと同じ口調だったので、私はまた笑ってしまった。


 カランコロン

 「こんにちは」

 さくらさんが先にやって来て、次に示し合わせたように弘子さんと樹森さんが一緒に訪れた。


 「あれ、古賀くんは?いると思ったのに」

 さくらさんは、カウンターの右端へ目をやると、リスさんに尋ねた。

 リスさんは、にっこりして言った。

 「今年、最終の演奏会みたいですよ」

 「ふうん」

 さくらさんの羽虫が飛んだかのような返事に、ショーケースを囲んでみんなが笑った。


 「今年も、ありがとうございました」

 「こちらこそ、ありがとうございました」

 「じゃあ、また、来年ね」

 「リスちゃんと来春さんに、また初詣で会ったりしてね」

 「ふふふ」

  

 みっちゃんも席を立った。

 幼なじみ三人組と従兄弟一名が、今年の最後のお客さんだった。


 

 リスさんと私は、お店を閉める仕上げを始めた。

 

 この一年、小猿さんのメンテナンスを受けたとはいえ、稼働し続けだった工場のオーブンも、感謝の気持ちで磨き上げた。小猿さんが言っていた、裏まで、手が届く範囲で拭き上げたが、リスさんはさらにその奥まで、すっぽりと入って溜まった油分を拭き取った。

 リスさんが、外の看板を下ろしてくる。

 いつも、餡子や発酵途中の生地が入れられている冷蔵庫も、来年使う材料を除いては、ほぼ空っぽである。

 ミキサーは、動かない。

 夜通し生地を守る発酵機も、お休み。

 リスさんと私は、年が明けた三日の夕方まで、工場へ入ることはない。


 晦日の夜、ベッカライウグイスは、扉にはしめ縄と、テーブルには鏡餅を飾られ、新年を迎える準備をすべて終えた。


 「今年も、一年、ありがとうございました」

 リスさんは、お店と工場の灯りを落とし、戸締まりを済ませた。




 今年は、去年までとは違う歳末だった。

 私たちは、翌日にはおせち料理の準備を始めた。


 今年のお正月、私たちは、みずほさんが大晦日に届けてくれた、小さなお重いっぱいに詰められた、おせち料理をいただいた。

 みずほさんが、ひと品ひと品心を込めて作ってくれたものだった。

 それは別の何かと比べる余地もないくらいに、美味しく、温かなものだった。


 元旦の朝、玄関に置かれたそのお重を、リスさんと一緒に、滑るようにしてリビングに持ち込んだ時、なぜか私は、その幸せがまた繰り返されると思っていた。

 けれど、今年、みずほさんはいない。

 私たちは、去年、みずほさんが届けてくれた重箱を借りてきて、みっちゃんのおせち料理を詰めている。

 リスさんと私は、交代でキッチンに立ち、一つ一つ料理を仕上げていった。家のコンロは、火が消える暇(いとま)もなかった。

 合間に、気がついたところを掃除したり磨いたり休憩したりして、あっという間に大晦日は暮れていった。


 早い夕暮れに、圧雪がすっかり凍りついた上を踏みしめながら、リスさんと私は、お重をみっちゃんへ届けた。

 みっちゃんの家の玄関は、みずほさんがいた頃と変わらない匂いがした。

 みっちゃんは、すっかり着慣れた部屋着で出てくると、おせちをとても喜んでくれ、お正月には遊びにおいで、と笑った。

 みっちゃんは、失ったものを埋め合わせることはできたのだろうか。それは、よく合ったピースなのだろうか。

 私は、帰り道、そのピースの形を想像して一人寂しくなった。



 早朝からの仕事をするリスさんと私にとって、大晦日の夜は長い。

 いつもは10時には就寝してしまうのが、この日ばかりは、そこからまだ夜が続くのだ。

 年取りのお料理を二人でいただき、それぞれの浴室でお風呂に浸かり部屋着に着替えた私たちは、再びリビングに集う。

 新しい年の足音は、もう、そこまで迫ってきている。


 ふと、気づくと、リスさんは耳に小さなリングを付けていた。イヤホンである。

 「リスさん、それ……」

 私が尋ねると、リスさんは、恥ずかしそうに笑った。

 「……私、……あまり音楽を聴いたことがなくて、知らなくて、それで」

 

 「ふふふ。選択授業、美術でした?」

 「いいえ、書写。来春さんは?」

 「私は、美術でした」


 不意に、リスさんが、カーテンの方を見た。

 「あ、除夜の鐘が聞こえますね」

 「リスさん、よく聞こえますね」

 「これ、いいんですよ?」


 変化は小さいが、実はあちこちに、たくさんあるのかも知れない。


 「出てみますか」

 「あったかくして」

 

 私たちは、部屋着の上にコートを着込み、マフラーをぐるぐる巻きにして、外へ出た。

 

 空気が、澄み渡って冷たい。

 露わになっている頬がぴりぴりと痛んだ。


 「来春さん、私、去年ここで来春さんが言っていたポケットが、いっぱいになった気がします」

 リスさんが、幸せそうに私を見上げた。

 「もう、いっぱいですか?」

 「ふふふ。ほんとを言うと、もうちょっと、いえ、けっこう空きがあるかな」

 「あら、それは、まだまだいいことがありますね」

 「…………来春さん、私分かったんです。ポケットは、一人ではいっぱいにできないって。まだ空きがあるのも、私の分じゃないんじゃないかって、思うんです」

 私は、寒いふりをしてリスさんの肩にくっついた。

 「いいんですよ。リスさんの幸せでいっぱいにして」

 リスさんの巻き毛が冷たい。

 「私は……」

 白い息が、遠くでつかれた鐘の音に混じって消える。

 リスさんは、待っていても、その先を口にしなかった。


 「……寒い!来春さん、入りましょう!」

 その代わりに、私の腕を掴んで、家の中へ引っ張り込んだ。

 


 間もなくのことだった。

 予期せぬ、人生の撓んだ時間に、突如としてできた渦が私たちを呑み込んだのは。



 ピンポーン

 ピンポーン

 ピンポーン

 ドンドンドン


 何事かと私たちは飛び上がった。

 顔を見合わせて、すぐにインターホンに駆け寄った。

 通話ボタンを押すと、画面が映し出された。

 「…………みっちゃん?」

 そこに映っていたのは、暗い中で色を抜いた眼光だけがはっきりと揺動するみっちゃんの姿だった。


 ドンドンドン


 みっちゃんが、玄関のドアを叩いている。

 かつて、こんなことはなかった。


 ピンポーン

 ピンポーン


 「はい!はい!みっちゃん!」

 リスさんと私は、玄関に飛んで行った。

 

 鍵を開け、ドアを開くと、みっちゃんが棒立ちになっていた。

 コートも着ていない。

 ポーチの灯りだけが、暗闇を払拭していた。


 「みっちゃん、どうしたの……」

 「とにかく、入って」

 私たちは、みっちゃんを招き入れた。


 いつも飄々として冷静なみっちゃんが、我を失っている。

 「な、なにか、連絡は……」

 「え?……連絡って……」


 黒ずんだ土色の顔が、引き攣った皺を刻んでいる。

 体ががくがくと震えるのを、自分ではどうすることもできないように見えた。

 みっちゃんは、喘(あえ)いた。

 私の躰のどこかが、聞いたことのない音を鳴らした。

 「みっちゃん……まさか、みずほさんに何か……」

 みっちゃんは、あやふやなかぶりを振った。

 狭い息が漏れた。


 リスさんは、みっちゃんを上がり框(かまち)へ引っ張り上げようとした。

 「みっちゃん、ね、入って」

 私が先にリビングへ向かおうとするのを、みっちゃんに呼び止められた。

 

 「来春さんっ、…………り、リスさん、君たち、ニュースは……ニュースっ」

 リスさんの腕を握りしめ、嗄(しわが)れた声が、畳みかけた。


 私たちは顔を見合わせた。

 リスさんの表情が、みるみる何かに慄きだした。

 私たちは、みっちゃんを玄関に置いて、リビングへ駆け込んだ。

 テレビのリモコンが見つからない。

 リスさんが、直接スイッチを入れた。

 「あ、あった」

 リモコンを持つ私の手が、いうことをきかない。


 なにか……。

 よくないこと……。

 私は、こわばる指で、チャンネルを変えていった。


 リビングのドアが開いた。


 誰も、何も、言わない。


 アナウンサーだけが、同じことを繰り返す。


 「……国の登録有形文化財、水琴庵から、午後十時すぎ出火がありました……現在、火は燃え広がっており、行方不明者一名を捜索中です。近隣住民の方は、煙を吸い込まないよう、外出は控えてください。繰り返します……」


 何度も、何度も。 


 大晦日の夜。

 水琴庵が、燃えていた――。  

ベッカライウグイスⅡ、お読みくださり、ありがとうございました!!

心からお礼申し上げます<(_ _)>

ベッカライウグイスⅡは、みっちゃんが一人ぼっち、床屋さんの安井さんの失踪、

水琴庵の火事と行方不明者、

とたいへんな危機に見舞われ、終了しました。

えっ、おかしな終わり方!

と思われる方もいらっしゃるかと思います。

一年の区切り、ということで、大晦日の出来事で終わった次第です。

少しお休みをしまして、

ベッカライウグイスⅢでは、やっと来春さんにライトが当たります。

今まで一人称ながら、主人公という様子の見られなかった来春さん。

そんな彼女の人生が、どんな景色になるのか、楽しみに読んでいただけると

とってもとっても嬉しいです!

感想などもいただけましたら、ますます嬉しいです!

ベッカライウグイスⅢの開始予定はまだ立っていませんが、

どうか、また読者の皆様に気づいていただけたら……と

心から願っています。

ありがとうございます!!!

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ベッカライウグイス 第一部では、ほのぼのとしたパン屋さんの光景が中心でしたが、IIとなってからは予想外の展開が多く、特に「願わくは、夏の世の夢」の辺りからはパラレルワールドに入り込んでしまったかのよう…
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