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二度目の冬の訪れ ①

 これ以上は、引き延ばせなかった。

 秋に、水琴庵の茶事に招かれ、私のためにご用意くださった帛紗(ふくさ)入れへの、お礼である。秋にいただいたというのに、もう冬になってしまう。


 いつもと変わらず、 智翠(ともあき)さんは、餡子を届けに、週に一度ベッカライウグイスへやって来る。

 そのたびに、私は軽い罪悪感を覚えたが、何も考えていないわけではなかった。

 今まで、何度もお礼の品を見にデパートを回ったし、調べてもみた。しかしこの期に及んでもまだ、何も思いつかないのだ。

 相応(ふさわ)しいもの、とは難しいものである。

 ただ、ご家族で愉しんでもらえたらそれでよかったのであるが、なまじお菓子屋さんを営まれているだけに、その部類は考えられなかった。もう名産品などにしようかと思ったが、ご厚意にはご厚意でお返ししたかった。

 そうして考え続けた結果が、現在のこの有様である。


 千春さん、六代目、七代目の智翠さんが、三人で和みの時を過ごす。

 ほっとする時間に、できるならば喜んでいただけるもの。

 私がどう頭を絞っても、出てくるものは、なんと「お茶」しかなかった。


 和菓子とともに、茶の湯の道も究められるご家族への贈り物にお茶は、どうなのだろう、と絞り出した後の頭を抱える。

 時間はどんどん過ぎるばかり。

 銘茶しかない。私は、そう自分に言い聞かせた。

 やっと決意して立ち上がると、ベッカライウグイスの定休日、私は、市内で有名なお茶屋さんへと向かったのだった。



 曇天の下、白い息を吐きながら、私は市電の小さな駅に降り立った。

 初雪はまだなものの、辺りは()てついて見えた。空気の密度は濃いはずなのに、その冷たさに喘ぐように息をした。顔中が、白い靄に取り囲まれる。

 マフラーに頬を埋め、道路を渡る。葉の落ちた街路樹の通りから、人のまばらなアーケード街へと入っていく。

 

 アーケードの中は動く風が遮られ、古くから営まれている商店は、しめやかに商いを続けている様子だった。

 続く先に、見えはしないが、目的のお茶屋さんがあるのが分かった。


 なんていい香りなんだろう。

 焙煎されたお茶の匂いが馥郁と漂ってきて、その場に引き寄せられるように私はお店の前へ辿り着いた。その一帯は、むせかえるような春の葉の香りを閉じ込めていた。


 硝子の引き戸には、屋号が書かれ、その縁が奥からの明かりで鈍く光っていた。

 老舗のお茶屋さんらしく、控えめにはためく暖簾をくぐると、湿った土間とお茶の匂いが混じって胸に届き、しんと心が落ち着いた。


 「いらっしゃいませ」

 奥から、年配の女性の声が聞こえた。

 「お邪魔します」


 店内に、お客さんは私一人だった。

 昔ながらのしつらえの中に、釜から立ち上る湯気がが立ちこめていた。

 私が、お茶を眺めていると、よく働く手をした女性が、その釜から柄杓でお湯を汲み、一杯の煎茶を淹れてくれた。


 「どうぞ」

 「ありがとうございます」


 両手で受け取ったお茶は、澄んだ緑色で、それはリスさんと智翠さんの色のように思えた。


 青々と、千切られたばかりの葉のように、いい香りだった。

 上澄みに、そっと息を吹き、口に含む。

 普段コーヒーばかり飲んでいる私に、その露は、笹が川に流れていくように、清冽な一服をもたらした。

 

 私は、ほぅ、と思わず吐息を漏らした。

 

 「綺麗な色ですね」

 「秋摘みの菊川茶になります」

 翡翠を陽に透かしたような色合いに、深い渋みが残る。けれど秋とは思えないほど爽やかな、若葉のような香りがした。


 「こちらも、どうぞ」

 店員さんは、別の湯飲みを渡してくれた。

 先ほどのものとは、色も違う。

 甘く清々しい味わいの、薄緑のお茶だった。

 きっと、千春さんたちは、どちらも喜んでくださるだろう。

 私は、いただいたお茶の他に、もうひと品、その女性に教えてもらいながら、お茶を選んだ。


 贈り物用に詰め合わせてもらっている間、私はぷらぷらと店内を歩いた。

 常滑(とこなめ)の急須を見つけ、おばあちゃんが、「お茶は常滑で淹れるとなぜかおいしいねぇ」と言って、皺の陰影を刻んだ笑顔で味わっていたことを思い出す。いつも私にも淹れてくれた、その指を思い出す。

 棚には、急須ばかりではなく、色々な茶道具が趣味よく並べられていた。が、それらは私の生活には縁のないものばかりだった。

 私は、もう一度常滑の急須に目を移し、そのしっとりとした泥のような手触りにそっと触れた。


 「あの、もう一つ、自宅用にいいですか」

 私がお願いすると、女性は、別の紙袋にそれを入れてくれた。


 私は、品物を受け取ると、寄り道をせず、真っ直ぐにリスさんのいる家へと帰った。おばあちゃんに、お茶を淹れてあげようと思い、そうしてお供えの後に、リスさんと一緒に日本茶を味わったのだった。




 私は、覚悟を決めて、智翠さんが餡子を届けに来る日を待った。ほどなく、それはやってきた。



 カランコロン

 「こんにちは!」

 重たい番重を手にした智翠さんが、これまた重たいベッカライウグイスの扉を押して半身を覗かせた。

 「こんにちは、ありがとうございます」

 「もう、雪が降りそうですね。工場へ回ります!」

 智翠さんは、ひらりと体を(かわ)すと、すぐに扉の向こうへ消えた。


 

 工場から、仕事をしていたリスさんと智翠さんが話す声が聞こえてきた。

 「リス、初売りなんだけど、餡子、準備しとく?」

 リスさんが、憮然と手元から顔を上げるのが見えた。

 「それは……今年はとっても助かったけど……来年は大丈夫!だって、馬じゃないもの。羊だもの。大丈夫よね、来春さん!」

 リスさんと目が合って、私はショーケースの奥から三歩と離れていない工場の硝子戸を開けた。


 「ね、来春さん?」

 私の何かが、どこかいつもと違っていたのだろう、リスさんが尋ねる口調になった。

 「はい、……大丈夫だと思います!」

 

 去年も、十分に準備をして、ベッカライウグイスは新年から大盛況だった。今年も準備は万端に整えられるはずである。今、私が気になるのは、選んだお茶を喜んでいただけるかどうかだった。

 私は、決心して智翠さんに声を掛けた。


 「あの、智翠さん」

 「なに?」

 智翠さんが、番重を調理台の隅に置き、腰で支えてからこちらを見た。


 私は、そそくさと、工場の奥に配置されているロッカーの陰から、紙袋を持って来た。中から、淡い色合いの風呂敷包みを出して開く。


 「あの、この前は、千春さんや智翠さんや、六代目のお父さまにもだと思うんですけれど、素敵な帛紗(ふくさ)入れをご用意してくださって、ありがとうございました」

 智翠さんが動いたので、体で支えていた番重がぐらっと傾いた。

 「あ」

 リスさんが慌てて手を伸ばし、それを押さえた。

 智翠さんは、私の手元に目をやった。

 「あ、ええと、僕に、ですか?」


 善良な鳩のように驚く智翠さんに言いづらかったが、言わなければいけなかった。

 「あの、皆さんで召し上がっていただけると、嬉しいです」

 智翠さんは、豆を飲み込んだような顔をした。

 「あ、あぁ……」

 リスさんが、番重を手にしたまま、なんとも言えないような表情で、ふいに私を振り返った。

 「来春さん、そういえば、ツルウメモドキは?」

 「え」

 智翠さんが、リスさんの言葉をそのまま唱えた。

 「ツルウメモドキ?」

 似た表情をした二人に凝視され、私は困った。なぜ、リスさんが知っているのだろう。


 私は、垂れた風呂敷の上に乗ったお品物を、おずおずと智翠さんに差し出した。 

 「あの、私お礼の気持ちを伝えたくて、何がいいかずっと考えていたんですけれど……お恥ずかしながら、お茶なんです。もう、それしか思いつかなくて」


 思いがけなく、勢いよく智翠さんの両手が伸びた。

 「うわ、なんのお茶ですか?いいんですか?俺、全部いただいちゃおうかな」

 智翠さんは、目をきらきらさせて風呂敷包みを受け取ってくれた。

 「ありがとうございます」

 丁寧に、切りそろえられた髪の頭を下げる姿は、立派な七代目である。

 「うち、普段から抹茶ばっかり飲んでるわけじゃないですからね!もちろん、日本茶党なんですけど」

 おどけたようにそう言ってくれるので、私は肩の荷が降りた。

 「そう言ってもらえて、ありがたいです。皆さんによろしくお伝えください」

 そこへリスさんが、先ほどの話を繰り返した。

 「来春さん、私、この前用事があって来春さんのところへ行ったときに見ちゃったんだけど……ツルウメモドキ……」

 リスさん、それは見なかったことにして欲しいです、という言葉を、私は飲み込んだ。

 「……水琴庵(みなことあん)のお茶室用にかと、ぴったりだったから」

 智翠さんが、黙ってこちらを見た。

 

 私は、二人にじとっと見られ、いたたまれない気持ちで頭を下げた。

 「あの……素人なもので、上手に出来なかったんです。見逃してください……」

 


 「見に行こう!」

 「うん!」

 智翠さんが、番重を調理台の奥へ押しやり、リスさんが工場から出ようとした。

 「待ってください!」

 私は、声を上げて止めた。

 二人が私を返り見た。

 「…………持って、来ます……」


 

 私は、リスさんの家の自室へ戻ると、セロファンでラッピングまでしてある(しだ)れた形の飾りを手にした。

 オレンジ色の小さなリボンを止めたそれは、もうお渡ししないつもりでいたのに……。



 工場の戸を開けると、二人はもうそこにはいなかった。

 お店に回るしかない。

 私は、両手にツルウメモドキの飾りを持ったまま、ベッカライウグイスの重たい扉を肩で押した。


 カランコロン

 まるでお客さんが来たときのように、私は呼び鈴を鳴らしながらお店へ入った。


 ああ。お客さんからは、普段、リスさんと私はこう見えているのか……。


 ショーケースの奥には、リスさんと智翠さんが二人、ちんまりとスツールに並んで腰掛け、私を待っていた。

 二人の目は、期待に輝き、口元は弧を描いてほころんでいた。


 私は、セロファンの包みを、ショーケース越しに智翠さんへ差し出した。

 「素敵にはできなかったんですけれど、もしよかったら……」

 「素敵ですよ!!」

 「素敵!!」


 二人は、手放しで喜んだ。

 「すごいな、来春さん!これ、床の間の横か(にじ)り口の横かにぴったりだ!」

 「ほんと!雰囲気が水琴庵にぴったり!」

 「なんともいえないなぁ、この感じ」

 「色合いもね、すごく馴染むと思うわ」

 「雨に当たったらたいへんだから、やっぱり床の間かな。あぁ、お水屋にも欲しいな……」

 リスさんが、クスクス笑いながら言った。

 「智翠、お水屋担当が多いものね」

 優しい二人は、私の心づくしの品を、褒めちぎってくれたのだった。

 私は、なぜかおばあちゃんを思い出して、じわりと内側から温かくなった心を隠し、俯くしかなかった。

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