マズルカ
ジュディスが講堂に入場するとモーゼを前にした大海のように人垣が割れた。開かれた道の先、正面に立つカイルが進み出てその右手を取ると、楽師達が音を奏で始める。
前奏を聴いて一曲目はマズルカか、とジュディスは思った。
「ひょっとして、君がマズルカを選んだ?」
「………好きでしょ?」
カイルが小さく笑って言った。
「うん!1番好きだ。ありがとう、カイル!」
軽快な三拍子に合わせて踊るマズルカは、ワルツのようにパートナーと密着する事も少ない。どちらかと言うと器用な技を絡めて相手との間合いを測る、そして一対一と言うよりも全体で美しい幾何学模様を描きながら踊る、一曲目には相応しい、そして気楽な踊りだった。
自分のワルツにはどうにもこうにも優美さがない、と憂いていたジュディスにはうってつけである。
「いいか?一年のマズルカは基本だけで十分だ」
セイディ先輩の言葉が蘇った。意外にも騎士科には必修ではないダンスを履修する生徒も多かった。
「うちは、俺しか子供がいないからさあ」と先輩が恨めしそうに言っていた。
「気楽な三男坊とかだったら、騎士として気ままに生きて行けたんだろうけどね。ダンスも踊れない男に嫁入りしてくれる女性はいないからなあ………」
そうため息をつきながらも、それはもう体育会的にジュディスにダンスを仕込んだ。文字通り手取り足取り。その結果がデニPとのファーストダンスである。セイディの気持ちも分からないではない。
さて、マズルカは、まず身体能力が優劣を決める。パートナーとの絡みも少ない。この学院での一年生の基本ステップは、三拍子に合わせて右足でスリーステップ、左足でスリーステップ、つま先立ちになって左右に開いた踵を打ち合わせる。楽しいし軽快だし、けれどそこには情的な思いがない、それがマズルカステップである。お互いに最初のステップを踏むと、今度は腕を組んで繰り返す。また、腕を組み替えて繰り返す。
スローモードに入ると舞台の中心にジュディスとカイルが進み、見事な点対象のステップを披露する。周囲の全員は同じステップを踏みながら三拍子の後半二拍手を顔の横で右、左と叩く。顔は打つ手と反対側に向け、全員が綺麗にシンクロしていた。
やがて腕を組んだジュディスとカイルを先頭にステップを踏みながらフロアの中心から縦列に並び、そして全員で円を描く。1番最初の基本のステップに戻りながら楽曲がエンディングを迎えて盛り上がる。後夜祭の一曲目としては大成功だろう。
「ふふ、楽しいね、こういうのは」
「それは重畳」
カイルも、まるで剣を打ち合わせているかのように楽しそうだった。そして、一曲目が終わる。
「ねえ、中庭。……………行ってあげて」
カイルがジュディスの耳に囁いた。
中庭が何なのか、何故行ってあげなければいけないのか、ジュディスの胸の内には一瞬疑念が湧いたけれども、カイルが無駄な事を言う筈がない。そう思って頭を巡らした。
セシリアは、友人達とペストリーの並ぶテーブルの前で何やら思案していた。
「セシリア!」
ブルーベリーにしようか、いやシナモンレーズンも捨てがたい、と懊悩していたセシリアは、突然自分の名を呼ばれて驚いた。
「え?どなた?」
声はジュディスでも確証はない。大体ーこの場で何故そんな切羽詰まった声を上げるのだろうか。
「セシリア!私は事情があって抜ける。申し訳ないけれど、この後のカイルのパートナーを頼む!」
ペストリーの前のポテト料理が喉元に戻った。
「え!?え、べっ、別に構いませんけれど。ジュディスが頼む事ならば………」
言葉に詰まって手近にあった炭酸水を煽り、セシリアはまた盛大に咳き込んだ。ジュディスはセシリアの背中を優しく叩き、やがて落ち着いた頃を見計らって器用に装身具を外した。
「カイル」
ん?とカイルが目を見開いた。
「これは、相応しい相手に。セシリアに返す」
カイルがふっと笑った。
「欲のないお嬢さんだ。でも、気持ちは受け取るよ」
その言葉を聞いてジュディスは中庭に走った。
薄暗い中庭、ベンチの上にアレクサンダーが座っていた。背もたれに背を預け、頭を上げてぼんやりと中空を見つめている。そして、両腕は背中と同じく背もたれの向こう側にだらしなく垂れていた。
………アレク………?
ジュディスは初めて見るアレクサンダーのだらしない姿に驚愕していた。勿論、ジュディス以外の「王子部屋」の面々は、アレクサンダーがとことんだらしなく机の上に潰れ大福のような頬を乗せて「ああ、今日もジュディは素敵だ…」などと呟いている日常は当然だった。けれど、ジュディスにとって姿勢を崩したアレクサンダーを見るのは初めてだったのである。
ああ、でもこういうアレクも好きだな………
と、自然に思ってしまったジュディスは自分を戒めた。いやだから、好きと言うのはそれは「人間的に」好き、と言う事であって、決して異性間の「好き」ではない、と頭の中はぐるぐるし始める。けれどジュディスも騎士の端くれ。考えても仕方がない事に意識を飛ばしたら隙が出来る。そもそも、カイルは何故中庭に「行ってあげて」と言ったのだろうか、先ずはそこからだ。
「…………ジュディ?」
アレクサンダーがジュディスを見つめた。
「………どうして、ここに?」
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