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魔女のバインダー  作者: 水色蛍
限界事務員、なんだかんだ2年目突入編
63/63

第63話:新年のあいさつ

『星迎え休日』が明け、今日から新しい一年の仕事始めである。

 アリフィ商会の事務所では、いつものようにストーブがパチパチと温かい音を立て、フィナさんの淹れてくれた熱いハーブティーの香りが室内に満ちていた。


 二日酔いの頭痛も黒歴史のダメージも(なんとか)乗り越え、私はいつもの『限界事務員スタイル』――襟元の詰まった白いブラウスと濃紺のロングスカートという鉄仮面を被り、シャキッと背筋を伸ばしてデスクに向かっていた。


「皆さん、おはようございます。今年も一年、完璧な分業で定時退社をキメていきましょう!」

「おーっ!」

「はいっ、頑張ります!」


 リナさんとフィナさんが元気よく応えてくれた、まさにその時だった。


 カランカランッ! とドアベルが鳴り、一人の男性が転がり込んできた。


 王国軍の若手騎士、オスカー・レイヴァンさんだ。星迎えの祭りの日、私が泥酔して至近距離で「えらいですね〜」とからかい、見事にフリーズさせてしまった純情な青年である。


「ア、アオイ殿ッ! おはようございます! その……お休みの日は、大変可愛らしいお姿で――じゃなくて! 緊急事態です! 助けてください!」


 顔を真っ赤にしながら叫ぶオスカーさんに、私はすんッと表情を消して応じた。

 だがその内心は今にも木っ端みじんに砕けるほどにバクバクしている。


「休日のことは一切記憶にございません。……それより、騎士団で何かトラブルですか?」


「は、はい! 今、騎士団の詰め所も、冒険者ギルドも、王都中の役所という役所の受付が、大渋滞でパンク状態なんです!」


「パンク? まさか、魔物の大群でも押し寄せてきたんですか!?」


 リナさんが長剣に手をかけるが、オスカーさんは首を横に振った。


「いえ、違うんです。今日が仕事始めの日だから……王都中の商人や貴族、町内会の役員たちが、こぞって『新年のご挨拶』にやって来ているんです!」


 オスカーさんの言葉に、私の限界事務員センサーがピクリと反応した。

 王都には古くから「仕事始めの日は、取引先やすべての顔役のところへ直接足を運んで、今年一年の縁を祈願する(挨拶回り)」という風習があるらしい。


「受付は『おめでとうございます』『こちらこそ今年もよろしく』というやり取りだけで完全に埋め尽くされ、魔物討伐の報告や、本来の緊急業務が全く進まない状態なんです! ラインハルト団長も、次から次へとやって来る商会の会長たちの相手で、執務室から一歩も出られず……!」


(出ましたね。前世でもよくあった、目的のない『とりあえずの挨拶回り』によるリソースの圧迫! この忙しい仕事始めの日に、最もやってはいけない時間泥棒の風習です!)


「わかりました。すぐに行きましょう」


 *


 私たちはオスカーさんに案内され、冒険者ギルドへと向かった。

 ギルドの巨大な扉を開けた瞬間、熱気と人々の喧騒が押し寄せてきた。


「やあやあ、ギルドマスター! 今年もご贔屓に!」

「ああ、〇〇商会の会長さん! わざわざご足労いただき……」


 受付カウンターには、分厚いコートを着込んだ商人や顔役たちが何十人も長蛇の列を作っている。その奥では、本来の依頼の報告に来た血まみれの冒険者たちが「早くしてくれ! こっちは怪我人がいるんだぞ!」と怒鳴り、受付嬢のセラフィさんが悲鳴を上げながら謝り倒していた。


 完全なる導線の崩壊である。


「ひどい有様ですね……」

「アオイ、これどうするの? 力ずくで追い返すわけにもいかないし……」


 リナさんが困ったように呟く。


 私の頭の中で、前世の合理的なビジネスロジックが弾き出された。


(挨拶回りの目的は『今年もよろしくという意思表示』だけです。ならば、わざわざ全員が直接足を運んで時間を潰す必要はありません!)


「簡単です。こんな非効率な風習は今日限りで廃止しましょう! ギルドや騎士団に『挨拶お断り』の張り紙を出し、代わりに遠話の魔導具を使った『魔法通信(一斉BCCメール)』で、王都中に定型文の挨拶を一斉送信して済ませるのです!」


 あるいは、と私は足元のギルさんに視線を向けた。

「ギルさん、お駄賃を出しますから、このギルドに挨拶に来る予定だった人たちのところへ、ギルさんが手紙を配達して回ってもらえませんか?」


「……ん? まあ、面倒なら俺がひとっ走り配達してやってもいいが……」


 ギルさんが渋い声で立ち上がりかけた、その瞬間だった。


 ――ピクリ。

 私の右腕が不自然に跳ね、スキル『反復拒否』が発動した。


(あっ!? なぜここで!?)


 私の意思に反して、体が勝手にカクカクとした不自然な動きを始めた。

 両腕を直角に曲げ、まるで前世の『冷酷なロボット』のようなポーズで固定され、「ピガガ……感情ハ不要デス……効率化コソ絶対……」と無機質な声を出そうとし始めたのだ。


(いやあああっ! 何この昭和のロボットみたいなダサいポーズ!? 恥ずかしい!)


「アオイさん!? 急にカクカクしてどうしたんですか? 関節でも外れましたか!?」


 心配するフィナさんに「だ、大丈夫です……!」と強がりながら、私は急速に頭を回転させた。


(なぜ失敗ルート? そうか……挨拶回りを『ただの無駄な時間』と切り捨てて、通信や配達(合理化)で済ませようとしたからだ!)


 異世界の人々にとって、お正月の挨拶はただの業務連絡ではない。顔を合わせ、言葉を交わすことで「今年も助け合おう」という縁を確認する、大切な『感情の余白』なのだ。それを一方的に「非効率だからやめろ」とロボットのように切り捨ててしまえば、ギルドと街の人々との信頼関係にヒビが入ってしまう。


「……失礼しました。今の案はナシです。彼らの『挨拶をしたい』という気持ちを無碍にしてはいけません」


 私は大きく深呼吸をした。


(対面での挨拶の温かさを残しつつ、受付の滞滞を解消するシステム……。そうだ、前世の『年賀状』や、結婚式の『芳名帳メッセージボード』の仕組みはどうでしょう?)


「皆さん。ギルドの壁に、大きな『新年のご挨拶ボード』を作りましょう。そして、挨拶に来た人たちには受付に並ばせず、用意したカードに自分の名前と新年の抱負メッセージを書いてもらい、そのボードに貼ってもらうんです。それを受付の人が後から読めば、直接話さなくても『誰が来て、どんな言葉を残してくれたか』がしっかり伝わります!」


 私がそう提案すると、リナさんとフィナさんが顔を見合わせ、パッと目を輝かせた。


「アオイ、それすごくいい! だったら、ただの紙じゃなくて、もっとお祭りらしくしようよ!」


 リナさんが弾んだ声で言う。


「ギルドの壁に『大きな木』を描いて、挨拶に来た人たちに『光る葉っぱの形をした魔石』を貼ってもらうのはどう? 挨拶の数だけ、ギルドの木がキラキラ光って綺麗になるよ!」


「あっ、それなら!」


 フィナさんもポンッと手を叩いた。


「私、魔石の粉とルミナ草を混ぜて、文字が書ける『光るタグ』を作れます! 昨日の夜、新しい薬瓶の試作で作ったのと同じやつです! それに名前を書いて貼ってもらえば、きっと素敵な芳名帳になりますよ!」


 私は二人のアイデアに、雷に打たれたような衝撃を受けた。


(な、なんという完璧な昇華……!! 私の無味乾燥な『芳名帳』というシステムを、この世界の魔法と文化に寄り添った『美しくて楽しい参加型のアート』へと見事に発展させた!!)


「素晴らしいです、お二人とも! それでいきましょう!」


 *


 私たちはすぐに行動を開始した。

 ギルドの広い壁にリナさんが素早く大きな木の幹を描き、フィナさんが調合した『光る葉っぱのタグ』を大量に用意する。


「皆さーん! 受付に並ぶ必要はありません! こちらの『ご挨拶の木』に、皆さんの名前と新年の言葉を書いて貼ってください! ギルドマスターは後ほど、すべてに必ず目を通します!」


 私が大きな声で案内すると、長蛇の列を作っていた商人や顔役たちは「おおっ?」と物珍しそうに集まってきた。


「ほう、光る葉っぱに名前を? こりゃあ面白い!」

「ワシは一番上の方に貼ってやるぞ! 今年も大儲けだ!」


 人々は楽しそうにタグにメッセージを書き、次々と壁の木に貼っていく。

 挨拶を「済ませる」だけでなく、「自分の葉っぱを貼る」という体験が加わったことで、彼らの顔にはイライラではなく笑顔が浮かんでいた。


 滞留していた列は瞬く間に解消され、ものの数十分でギルドの壁には王都中の人々の「今年もよろしく」という温かい想いが込められた、黄金に輝く美しい大樹が完成した。


「すごい……! 受付が、嘘みたいにスムーズに動き出しました!」


 受付嬢のセラフィさんが、涙ぐみながら私に拝むように手を合わせた。


「アオイ殿……アリフィ商会の皆様。本当に、ありがとうございます!」


 オスカーさんも、輝くご挨拶の木を見上げながら深く頭を下げた。「これで、騎士団の詰め所も救われます!」


「ふふっ。これも全て、リナさんとフィナさんの素晴らしいアイデアのおかげですよ」


 私が誇らしく振り返ると、二人は「えへへ」と照れくさそうに笑った。

 前世の冷たい合理化だけでは、この温かい光景は生まれなかった。


 異世界の魔法と、彼女たちの思いやりが組み合わさることで、システムは単なる「効率」を超え、人の心を繋ぐ美しい「余白」へと変わるのだ。


 壁でキラキラと輝く新年の大樹を見上げながら、私は改めて、この愛すべき仲間たちと共に歩む新しい一年の始まりに、胸を張って定時退社をキメるのだった。

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