第30話:人間の余白(あそび)
数日間の有給休暇(という名の風邪の療養)を経て、完全に体調を回復させた私は、スッキリとした頭と体で仕事に復帰した。
マルグリットさんの温かいスープと、リナさん、フィナさんの頼もしい成長。心身ともにフル充電された私は、「さあ、どんな仕事でもどんと来い!」と限界事務員としてのモチベーションを最高潮に高めていた。
――しかし。復帰してから数日、どうにも様子がおかしい。
「……見事なまでに、閑古鳥が鳴いていますね」
「うーん。いつもなら、ギ何かしらの依頼が来るはずなんですけど……」
「剣のお手入れも終わっちゃったし、暇だねぇ」
事務所のデスクに座る私の前で、フィナさんが薬草をすり鉢でゴリゴリとすり潰し、リナさんがピカピカに磨かれた長剣の刀身に自分の顔を映して遊んでいる。
そう、依頼が極端に減っているのだ。
理由に心当たりはあった。
私が休んでいる間に、王都の中央通りに新しく『ゴーレム商会』なる魔導具店がオープンしたのだ。
最新の魔導具と、人型の量産型ゴーレムを貸し出し、あらゆる雑用を「圧倒的なスピード」かつ「定額」でこなすという。
まさに、前世の「機械的で無駄のない大企業」の異世界版である。爆速の口コミと契約を勝ち取っているようだ。
(ついに、このファンタジー世界にも完全自動化の波が……いや、魔法の力だからそもそも。か??とはいえこれも時代の流れ。私の出番も、ここまでということでしょうか)
私は窓の外を眺めながら、安堵半分、少しの寂しさ半分で温かい紅茶をすすった。
バンッ!!
「アオイちゃん!! 助けてくれ、俺のパンが……パンが死んじまう!!」
突然ドアが吹き飛びそうな勢いで開き、粉まみれのエプロンを着た大柄な男性が泣き叫びながら転がり込んできた。
宿屋の隣でベーカリーを営む、町で一番美味しいパンを焼く職人のボルクさんだった。
彼の手には、石炭のように真っ黒に焦げた丸パンと、逆に中心がベチャベチャの生焼けになったパンが握りしめられている。
「ボルクさん、落ち着いてください。その焦げた物体は、まさかあなたのパンですか?」
「ああ! 今朝焼いたパン、全部これだよ! 売り物にならねえ!」
ボルクさんは頭を抱えてしゃがみ込んだ。
「実は数日前、あの新しいゴーレム商会と契約したんだ。薪割りから窯の温度管理まで、全部自動でやってくれるって言うからさ。最初は楽でよかったんだが……どうにも味が落ちてな。そして今日は、何度焼いてもこんなパンしか焼けねえんだ!」
事情は分かった。私はリナさんとフィナさんを引き連れ、すぐにボルクさんのパン屋へと向かった。
*
パン屋の厨房に足を踏み入れると、いつもならイースト菌の発酵する甘い香りと、小麦の焼ける香ばしい匂いが漂っているはずの空間に、鼻を突く焦げ臭さが充満していた。
厨房の奥では、胸に青い魔石を埋め込まれた真新しい人型ゴーレムが無機質な動きで機械的に薪を窯へ放り込んでいる。
「ゴーレムの魔力回路を確認します」
私はゴーレムに近づき、胸の魔石から伸びる魔力線の流れ(プログラム)を視覚化した。
「……ふむ。規定の時間が来れば薪をくべ、魔石の熱量を一定に保つ。非常に美しく、無駄のないプログラムです。前世で言えば、完璧な全自動システムですね」
「でもアオイちゃん、現にパンは丸焦げだぞ!?」
ボルクさんの悲鳴に、私は冷静に状況を分析した。
「ボルクさん、このゴーレムのプログラム自体は完璧に作動しています。ただ、今日は昨日よりも急激に気温が下がり、空気も乾燥していますね。パン生地の水分量や発酵具合が変わっているのに、ゴーレムは『マニュアル通り』の同じ温度、同じ時間で焼き上げようとしている。だから焦げたり生焼けになったりするんです」
「な、なるほど……」
「私が今ここで、手作業でプログラムの魔力線をいじるのは得策ではありません。ゴーレム商会に連絡して、『気温と湿度の変動』という変数をプログラムに追加発注してもらい、より高度な自動化を目指した方が長期的には――」
私が最も合理的で無駄のない『ビジネス的最適解』を提案しようとした、その瞬間だった。
――ビシィッ!!
私の中に備わったスキル『反復拒否』が起動した。
「……えっ!あっ、ダメなのね」
私はピタリと言葉を止め、体の力を完全に抜いた。
そして、両腕を直角にカクカクと曲げ、表情筋から一切の感情を消し去る。
瞬きもせず、虚空を見つめたまま「ギギ……ガガ……」と口から機械音のような息を漏らし、その場でロボットのように不自然な歩行を始めた。
それは、心を持たない『ブリキのからくり人形』のポーズだった。
(……ああ、なるほど。理解しました)
私は完全に死んだ魚のような無表情を保ちながら、内心でひっそりとツッコミを入れた。
(人間の感覚を完全に無視して、すべての判断を機械的な計算式に丸投げしようとする。それを推し進めれば、いずれ職人であるボルクさん自身が、このからくり人形のように心を無くしたただの『歯車』になってしまうという警告ですね。
……それにしても、感情を完全に死滅させたこのシュールなポーズ、周りから見たらただのヤバい人です。ボルクさんが本気で引いてますし、リナさんとフィナさんが本物のゴーレムを見るような怯えた目で私を観察しています。恥ずかしいというより、いたたまれません……)
スキルの拘束がフッと解け、私は大きく咳払いをした。
「……コホン。人間の心が失われた、完全自動化の末路を体現してみました。さて、解決しましょう」
「ア、アオイさん……今度からその実演はやらなくても大丈夫ですよ……?」
フィナさんが引きつった笑顔でフォローしてくれた。優しい。
「ボルクさん。パン作りにおいて、重い薪割りや粉の計量といった単純作業は、疲れを知らないゴーレムの得意分野です。でも、『今日の粉の水分量』や『発酵の匂い』、『窯の中のわずかな熱の違い』を感じ取れるのは、あなたの長年の『感覚』だけです」
私は、ゴーレムの胸の魔石に手を伸ばした。
「自動化を全否定する必要はありません。大切なのは、人間が関わるべき『余白』を残すことです」
私は工具袋からドライバーを取り出し、生活魔法の応用で魔力回路の一部をバイパスさせた。
「窯の温度調整の最終判断だけは、ゴーレムではなく、ボルクさんが手動で切り替えられるように『魔力の弁』を取り付けました。いわば、セミオートマチックへのUI改修です。……さあ、生地を捏ねてください」
*
ボルクさんが、新しいパン生地を捏ねる。その間の重い薪割りや、窯の基礎温度までの加熱はゴーレムが黙々とこなしていく。
そして、いよいよ最後の焼き上げの工程。
ボルクさんは窯の前に立ち、目を閉じて熱気を肌で感じ、イーストの香りを深く吸い込んだ。
「……今日は乾燥してる。もう少し、表面に火を入れなきゃダメだ。――今だ!」
ボルクさんが、私が取り付けた魔力弁を押し込んだ。
ゴーレムが薪を追加し、窯の中の炎がブワッと一気に燃え上がる。
ボルクさんの額に汗が光る。
機械には絶対に計算できない、長年の経験と感覚が炎と対話している瞬間だった。
「焼けたぞ!!」
ボルクさんが窯から引き出したのは、ふっくらと膨らみ、見事な黄金色に焼き上がったパンだった。
香ばしい小麦の匂いが厨房いっぱいに広がり、パチパチとパンが呼吸するような小さな音が聞こえる。
「アオイちゃん、リナちゃん、フィナちゃん! 食ってみてくれ!」
焼きたてのパンをちぎって手渡される。
一口かじると、外側はパリッと心地よい音を立て、中はもっちりとした熱々の生地が口の中で溶けていった。
小麦の自然な甘みが、じんわりと広がる。
「美味しい! 外はカリカリなのに、中はすごくふわふわです!」
フィナさんが満面の笑みを浮かべる。
「やっぱりボルクのおじさんのパンは最高だね! いくらでも食べられそう!」
リナさんも大喜びでパンを頬張っている。
私も、その手作りの温かさと圧倒的な美味しさに、思わずふわりと微笑んだ。
「これだよ、この味だ……!」
ボルクさんが、自分の焼いたパンを抱きしめて涙ぐんでいる。
「自動化は素晴らしい技術です」
私は、パンの欠片を味わいながら言った。
「でも、すべての工程をマニュアル化してしまうと、人間の『感覚』という一番のスパイスが入り込む余白がなくなってしまいます。無駄を省くことだけが正解ではありません。単純作業は機械に任せ、大事な決断と感覚は人間が担う。そのバランスが大切なんですね」
*
王都の依頼状況は、落ち着くべきところに落ち着いていた。
大量生産や単純労働は、ゴーレム商会へ。
そして、細かな調整や「人間の感覚」が必要なオーダーメイドの仕事は、私たち「なんでも屋」へ。
見事な棲み分けが成立し、事務所には再び私たちの手作業を求める町の人々からの依頼書が積み上がり始めていた。
「アオイさーん、今日のおやつはボルクさんのところの甘いミルクパンですよ!」
「やったー! お茶淹れるね!」
平和な午後。
インクの匂いと、パンの甘い香りが混ざり合う事務所。
無駄という名の潤滑油が、この世界を豊かに回している。
温かい紅茶を飲みながら私は限界事務員としての最適解を手放したこの異世界生活を、心から愛おしく思っていた。
31話からは新章になります。5月11日投稿開始となります。




