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電力少年  作者: 冴木 昴
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6/10

初イベント・・・その実態は?

 *


 ゴールデンウィークのせいか、朝の通勤時間帯だというのに、電車はガラすきだった。

「休日出勤なんて、冗談じゃないよな。しかも、他係の手伝いって、何なんだよ」

 篠原ミコトは電車に揺られながら、ぶつくさと小声で文句を言った。

 五月五日、こどもの日。ただ、新入社員だから というだけの理由で営業課のイベントに駆り出される事となったのだが……。

「新しく出来たショッピングモールで、多くの企業が参加して産業フェスタと言うイベントがある。営業課主催でうちも参加するのだが、人手が足りないそうだ。そこで、勉強も兼ねて、料金課からは篠原くんに出てもらう事にしたから」

「ええ?」

 坂井課長から、寝耳に水のような話を聞いたのは、連休直前の夕方である。

 ミコトの実家は北海道だ。なぜか関東の会社、帝都電力に入社し、母親の姉である伯母の家に居候しているが、ゴールデンウィークには里帰りをして、高校時代の同級生と遊ぶ計画を立てていたのに。用意していた航空チケットもパアだ。日にちがもう少し前半か後半にズレていれば何とかなったのに、何もど真ん中に出勤を当てなくても……とブツブツ言うが、虚しいばかりだ。

 ミコトはショッピングモールのある駅で降り、改札口を出た。眩しい日差しに目がくらんで、思わず両手で顔を覆った。

 海沿いに新しくオープンしたショッピングモールは、有名ブランドのアウトレットとして、オープン前から話題にのぼっていた。アウトレットと言っても、キズモノや難あり商品だけを扱っているわけではなく、型落ち商品などがほとんどの為、有名ブランドの品が格安で買えるとあって、若い女性客が遠方から詰め掛ける、今、Y市でいちばんオシャレなスポットだった。また、近くに水族館をメインにしたアミューズメントパーク・アクアパラダイスもある。連休のど真ん中、眩しいまでの晴天に恵まれた本日の人出は、物凄い数になる事が予想された。

 朝八時、十時オープンのショッピングモールはまだお客の姿は無い。いったい今日は何を手伝えばいいのだろう?

 指定された集合場所、ショッピングモールの中央広場に向かってぶらぶら歩いて行くと、そこだけ賑やかな人の声がしていた。

 ほぼ円形の広場には、それぞれ企業のマーク入りテントが十以上も張られ、慌ただしく準備が進められていた。

「スゴイな。一部上場の企業ばかりが出てるのか」

 お馴染みのビールメーカー、お菓子の製造会社、自動車会社、そしてライバルの帝都ガスも、もちろん居る。自分の会社のマークを探してウロウロしていると、女性の声で名前を呼ばれた。

「篠原くう~ん」

 甘ったれた呼び方で呼ばれ、キッと振り返ると、同期入社の上条ありさが手を振っていた。彼女は「帝都電力」とでかい白抜き文字の書かれた朱色のはっぴを着ていた。

「遅いわよ。こっち来て手伝ってよ~ん」

 テントの中では、営業課の社員が総出でイベントの準備に当たっていた。皆、上条ありさと同じ朱色のはっぴを着ている。

「なんだか文化祭みたいで、ちょっと面白そうかも」

 ミコトは営業課で一番偉い営業課長を見つけると、走っていって挨拶をした。

「おはようございます。今日はよろしくお願いします」

 ミコトの顔を見て、営業課長はにこやかな笑みを浮かべて言った。

「いやぁ、他係の大事な新人をお借りしちゃって、本当に申し訳なかったねぇ」

「いいえ。うちの坂井課長から、勉強の為に参加して来いと言い含められていますので、何でも言いつけてください」

 ミコトがニッコリすると、営業課長は一瞬「へ?」という顔をした後、「あ……じゃあ、とにかく頼むよ」と言ってミコトの肩を勢いよく叩いた。そして、飯田と同じくらいの年齢の男性社員を呼ぶとミコトに紹介した。

「こちらは入社三年目の伊藤くんだ。今日は彼の指示にしたがって手伝ってくれ」

 お願いします、と言ってミコトは伊藤を正面から見た。飯田ほどではないが、なかなか整った顔をしている好青年といった印象だ。伊藤は愛想の良い笑顔を浮かべて、ミコトを手招きして言った。

「今日は、お客様にIHクッキングヒーターを体感していただくのが目的だ。キミ、IHって知ってるよね?」

「あ……まあ、パンフレットは見た事ありますけど、実物や性能についてはサッパリ……」

 伊藤は少々呆れたような目をしたが、何も言わなかった。

 ミコトは自分の勉強不足を呪った。

「IHクッキングヒーターは、電気を熱源とする調理器具だ。でもその最大の特徴は、ヒーター自体が熱を持たないという事だ」

 伊藤は嫌がらず、実物を目の前にして丁寧に説明してくれる。IHとは、電磁誘導加熱、つまり炎を使わずに、なべそのものを発熱させる熱源のことだ。磁力発生用コイルから発生した磁力線が、金属製のなべを通るとき、なべ底にうず電流が生じ、なべそのものを発熱させる。なべ周囲の排熱が少なく、熱効率が極めて高いのが魅力なのだそうだ。

「以前は使用できる鍋が限定されていて、しかも鍋自体が高価だったせいもあって、なかなか買い換えるにも手を出しにくかったんだけど、最近では幅広い種類の鍋に対応出来る機種が開発されているから、結構人気が出てきているんだよ」そう言って、伊藤はぐらぐらと沸騰したヤカンを脇に寄せると、ヤカンの載っていたプレート部分に素手で触った。

「い、伊藤さん。熱くないんですか?」

ミコトがギョッとして言うと、手を掴まれて同じ箇所を触らされた。

「熱くない!」

「コレがIHの安全性。ヤカン自体を温めるからヒーターは手で触れても大丈夫なんだ。ヤカンはもちろん熱いから触っちゃダメだよ。タイマーも付いているから、これなら消し忘れて火事になる事も無い。お年寄りにも安全なわけだ」

「へえー、何て便利なんだ!」

 ミコトが素直に感心しているのを見て、伊藤は苦笑した。

「本当は社員であるキミが、お客様に今のように説明できないといけないんだけどなあ」

「あ……」ミコトは真っ赤になって俯いた。

 入社してから一ヶ月が経ち、飯田に付いて自分の仕事をするのが精一杯で、会社全体の仕事をまったく把握できていないことを思い知らされた気がした。

「これってやっぱり社員常識の範囲だったりするよな。もっと色々勉強しないと……」

 大事な連休をつぶされた時、「勉強になるから」と坂井課長が言った事は、まんざら嘘でもないなと思った。

「伊藤さぁ~ん、こっち来て唐揚げの粉付けてぇ。私、どうしたらいいかわからな~い」

 伊藤とミコトが振り返ると、あたり一面を真っ白に煙らせて、上条ありさが半ベソをかいていた。カップヤキソバが作れない不思議系お嬢さまは、唐揚げも作った事が無いらしかった。伊藤は額に手を当てて、フウとひとつため息を付くと、ミコトに言った。

「彼女も頑張っているんだけどね。いかにせん、一般常識が欠如していて……」

 ははは…とミコトは乾いた笑いを漏らした。

社員常識が無くても、一般常識が無いよりまだマシかもしれない。ミコトは気を取り直して、伊藤と共にお嬢さま救出に向かった。


 十時近くになると、一般の買い物客が大勢姿を見せ始めた。上条ありさによれば、アウトレットでは、ゴールデンウィーク特別セールを開催中だそうで、ブランド品が驚くほどの安値で買えるらしい。目的の商品をゲットする為に、開店前から並ぶのは常識なのだそうだ。そんな常識より、他のことを覚えろと言いたい。

 唐揚げとポテトを揚げながら、ミコトは心の中で悪態をつく。結局お嬢さまは、ネイルが剥がれるからと言って、粉付けを放棄し、油がはねて怖いからという理由で、揚げ物からも手をひいてしまった。押し付けられた形のミコトは、汗だくになりながら、IHクッキングヒーターで懸命に調理実習をしているのだった。

「しかし、優れものだよな、コレ。油の温度が一定に保てるから、たくさん調理しても焦げないし、火加減を気にする事も無い」ミコトが一人しみじみIHの便利さに感動していると、近くを通りかかった親子が寄ってきた。

「へえ、これって電気なんだ」

ミコトはドキリとしたが、笑顔で子供にポテトの入った紙コップを渡して言った。

「そうなんですよ、火を使わなくてもこの通り揚げ物もできて、その上お手入れがラクラクなんです。五徳の掃除って大変でしょ。でも、コレはセラミックだからサッと一拭きするだけなんですよ」

 ミコトは緊張しながらも、早速先ほど伊藤から聞いたことをそのまましゃべった。

 ふーんと感心しながらも、パンフレットでヒーターの値段を確認した主婦の足は、徐々にテントから遠ざかっていこうとする。すると伊藤が来て、子供にヨーヨー釣りのこよりを渡して引き寄せると、ミコトに説明したのと同じようにIHの宣伝をし始めた。上条ありさが子供をヨーヨーつりに案内し、お客さんは完全に足止め状態になった。何気ないけど、よくできたチームワークだと思った。

 ミコトは営業課の仕事ぶりに感心した。

 言っちゃあ悪いが、たいして魅力的ではない商品に興味を持たせるためには、色々な事をして、お客の関心を引かなければならない。 ふと周りを見渡せば、どこの企業のテントでも、ミニスカートの綺麗なおねえさんがサンプルを配ったり、アニメーションを流したり、子供に風船を配ったりしている。

「なんだか営業課って楽しいな」ミコトは上条ありさがうらやましくなった。指導員の伊藤は優しくて親切だし、まわりの社員たちも皆気さくで人当たりが良い人ばかりだ。自分の部署と比べるのは間違っているが、新人の待遇だけを見ても、天と地ほどの差がある。なにしろ自分の指導員はあの飯田だし、ミコトは未だに料金課のお荷物扱いなのだった。

「篠原くん 悪いね、揚げ物一人でやらせちゃって」

 伊藤が手に缶ジュースを持って現れた。手渡された飲み物を受け取ると、ミコトはつい本音をつぶやいてしまう。

「上条さんがうらやましいです。営業課は楽しそうだし、それに指導員の伊藤さんは親切だし……オレなんか」

 伊藤がチラリとミコトを見て言った。

「そんなこと、本気で思っていたとしても、軽々しく口にするもんじゃないぜ」

え? とミコトは伊藤を振り返った。

「皆が皆、自分のやりたい種類の仕事をしているわけじゃないんだから」

 テント前に新たなお客さんが現れ、伊藤はそちらのほうへ行ってしまった。ミコトは伊藤の背中をじっと見た。楽しそうにしてるけれど、伊藤もやっぱり仕事や職場に対して、何か不満があるのだろうか?

「篠原くん、ちょっと」

 ボケッとしていたミコトは、別の営業課の男性社員に呼ばれた。男性社員は、営業課長の次に偉い営業課の副長だった。ミコトがそばに寄っていくと、大きな紙袋を渡された。

 首をかしげる彼に、営業の副長は言った。

「じゃあ、そろそろ手伝いをしてもらおうか」

「え?」今までだって、揚げ物したりして、ちゃんと手伝っているじゃないか。

 手渡された紙袋をのぞき込んで、ミコトの頭上にさらに?マークが飛ぶ。

「こ、これは?」

 ミコトはほわほわした布地を紙袋から引っ張り出して訊ねた。副長が言った。

「これは我が社のイメージキャラクター・デン(ぼう)じゃないか。キミ、まさか知らないのか?」

「いえ……知ってますけど」

 デン坊は帝都電力のコマーシャルにも使われているキャラクターだ。コンセントをイメージしているらしい二本の角のある帽子をかぶっており、間の抜けたピカチュウのようなモンスターだ。色は白とピンクで、いわゆる『ゆるキャラ』として、子供たちにはけっこう人気があるらしい。

「で?」ミコトが副長に問いかけるような眼差しを向けると、彼は簡潔に言った。

「早くデン坊になってよ」

「ええー!」まさに、聞いてないよ! だった。

 あそこの管理事務所で着替えて来い、と有無を言わせず尻をたたかれ、ミコトは情けない表情で、アーケード二階の端っこにある事務所に向かった。

 十時を回って、アウトレットにはおしゃれなおねえさんたちが大勢繰り出してきている。揃いの赤いはっぴもちょっと恥ずかしいな、と思っていたが、このクソ暑いさなかにデン坊の着ぐるみとは……。

 デン坊の中は予想以上に暑かった。そして、頭にかぶるかぶりものは、おそろしくかび臭い。一瞬かぶっただけで吐き気がして、ミコトはすぐにかぶりものを脱いでしまった。

「連休のど真ん中に駆り出され、メインの仕事はこれかよ……」

 みんながミコトに優しくしてくれた訳が、今ようやく分かった気がした。

 事務所の前でいつまでもぐずぐずしていると、上条ありさが呼びに来た。ミコトは仕方なく吐き気のするかぶりものをかぶると、彼女に付いて元のテント前に戻った。


 デン坊は、子供のアイドルどころか、子供のおもちゃだった。

「おい、何とか言えよ~」

 太った小学生が、がしがしとデン坊を後ろから蹴った。

「省エネビーム、どこから出すんだよ」

 ビームなんか出るわけ無いとわかっていながら訊いてくるガキどもは、かなりムカツク。

 しかし、一番腹が立ったのは、かぶりものを脱がそうとする奴らだった。好きでかぶってるわけじゃない! と何度も喉元まで出かかる言葉を飲み込む。デン坊はしゃべってはいけないのだ。

親はどこにいるんだ! 親は!

 ミコトは必死にデン坊の頭を押さえて、小学生の襲撃から身を守っていた。


 地獄のような時間も折り返し地点に入り、ミコトに休憩の許可が出た。

「篠原くん、ご苦労様。今日は暑いから、熱射病にならないように、たくさん水分とって、午後も頼むよ」営業課長のねぎらいの言葉も、暑さと疲労でボケッとしているミコトの耳にはほとんど入らない。ミコトは上条ありさから渡された弁当を手に、デン坊の着ぐるみのままふらふらと日陰を探してショッピングモールのアーケードに向かって歩いて行った。

 ポピーやパンジーの咲き乱れる花壇に腰掛けてかぶりものを取ろうとした時、ミコトの目の前のショップから見慣れた男性が出てきた。

 あ! 飯田さん!

 声をかけようとして、ハッと思い留まった。

 彼の後から、モデルのように可愛い女性が出てきた。美男美女のカップルは、デート中らしく、にこやかに談笑しながら隣のバッグの店に入って行った。

 ミコトは飯田の彼女をよく見ようと、バッグ店のウィンドウを覗き込んだ。

 カワイイ彼女は、飯田の腕に腕をからめて、白いバッグを指差している。飯田が見たことも無いような優しげな顔で、彼女の言う事に対してウンウンとしきりに頷いている。

「なーんか飯田さん、いつもの無愛想な顔は、どこにいったのやら。あーあ、トロケそうな顔しちゃって、こっちが恥ずかしいや」

 どうやら飯田は彼女にバッグをプレゼントしてやるつもりらしい。彼女が選んだバッグを受け取ると、財布を出しながらレジへ向かった。

 ミコトは目立つデン坊の衣装を着ている事を思い出し、二人に見つからないうちにそっとウィンドウを離れた。

 世間は楽しい休日のさなかだというのに、何だかやりきれない思いだった。営業課のみんなも休日に仕事をしているが、妙な着ぐるみを着て子供の襲撃にあっている自分とは、何かが違うと思わずにはいられない。仲睦まじい飯田と彼女のデート風景を目撃したせいもあり、今の自分がとてつもなく惨めに感じた。

 好きでやってるわけじゃない!

 そう思ったとき、先程の伊藤の言葉が鮮明に甦ってきた。

 ―――皆が皆、自分のやりたい種類の仕事をしているわけじゃないんだから

 ミコトはふう……と一つため息をつくと、帝都電力のテントへ戻って行った。


「篠原くん、もうすぐデン坊と子供のじゃんけん大会があるから、準備しておいてね」

 まだ弁当もほとんど手をつけていないというのに、伊藤がミコトの背後でささやいて、広場の中央付近へ押しやった。ミコトは慌ててかぶりものをかぶると、広場で手招きをする上条ありさの元へふらふら歩いて行った。

「やばい……メガネが曇る」

 晴天に恵まれたこどもの日の気温は、昼時の今がピークで三十度を超えている と、ショッピングモールの電光掲示板が伝えていた。

 まるでサウナのようなデン坊の着ぐるみの中で、ミコトはぼんやりする視界のまま、『デン坊とじゃんけん大会』のイベントに突入した。

 子供たち一人ひとりとじゃんけんをして、デン坊に勝った子供は賞品として、暗いところでも光るデン坊オリジナルバッジがもらえる。

 あんなバッジ、いらねえよ!

 ミコトはじゃんけんをしながら、誰にも言えない不平不満を心の中で爆発させていた。

 なんでこんなに子供がいるのだろう。日本は今、少子化の時代じゃないのか?

 ぼやける視界で子供の列を眺めては、げっそりする。遥か後方まで、列は続いていた。

「おい、おまえグウ出せよな」

 目の前の子供が言った。

 ムスッとしながら子供の顔を良く見ると、さっき一回じゃんけんをした事のある子供だった。

 おいおい、一人一回じゃねえのかよっ!

 ミコトは首をめぐらせて司会担当の上条ありさを探した。しかし、彼女の姿はどこにも見当たらない。他の営業課の面々を探すと、皆忙しそうに接客をしていた。

「ああ……ここでオレが子供を足止めしている間に親をつかまえているわけか……」

 ミコトはデン坊のかぶりものの中でため息をつき、時間無制限のじゃんけん大会を再開した。

 賞品のバッジが底をつき、新たな賞品がゴム風船一個になった途端に、子供はいなくなった。やはり魅力がないものは、たとえタダでもいらないのだろう。

「ああ……なんか、頭がくらくらする……」

 やめて良いという指示は出されていなかったが、子供が居なくなったので、もうおしまいにしようと勝手に決めて、ミコトはアーケード内にある日陰のベンチに寝転んだ。

 こうして寝転んでしまえば、ベンチの背もたれとその後ろにある花壇のおかげで中央広場の上司たちから、サボっている所を見られる事も無さそうだった。

 かぶりものを外すと、爽やかな五月の風が吹きすぎてゆき、汗で湿ったミコトのネコッ毛をかすかに揺らした。

「なんか疲れたな。昨夜ゲームやりすぎたか?」

ミコトはいい気持ちになり、デン坊のかぶりものを枕にして目を閉じた。


 誰かに激しく揺さぶられて、ミコトはハッと目を開けた。ガバッと勢い良く身を起こし、辺りを見回す。

 ベンチの背もたれの向こうには夕闇が広がり、賑わっていたはずの中央広場はがらんとしていた。

「あれ? イベント会場は……?」

 ぼんやりした頭でつぶやくと、聞きなれた声が呆れたように言った。

「とっくに終わってるみたいだぜ」

「うげっ! い、飯田さん?」

 ミコトはキョロキョロと辺りを見回した。

 イベント会場がすっかり片付けられているばかりか、帝都電力の社員は一人も居なくなっている。

 ミコトは再びボーッと飯田の顔を見上げた。

「おまえ、置いてきぼりにされてるぞ」

「ええー!」

 デン坊の衣装のまま放心しているミコトを見て、飯田は苦笑して言った。

「まったく、だっせーヤツ」

「うっ……」

 信じられなかった。あんなに一生懸命頑張っていたのに、誰もミコトが居なくなった事に気付かないで帰ってしまうとは。

「ヒドイ……。誰もオレの事、探してもくれないなんて」

 ミコトはのろのろと立ち上がった。イベントの終わってしまった夕暮れ時、オシャレなショッピングモールには家族連れの姿は無く、カップルばかりが通り過ぎてゆく。着ぐるみ姿のミコトは恥ずかしいというより、哀れを誘った。

 飯田は腕組みをしてミコトの様子を黙って見ている。彼の周囲にはカワイイ彼女の姿は無かった。

「飯田さん、なんで?」

 彼女とデートじゃなかったの? その言葉を飲み込んで、飯田を見上げたミコトに、彼は慈悲深い眼差しで言った。

「おまえ、その格好が好きなの?」

「あ……」

 着替えて来い、と背中を押され、ミコトは慌てて二階の管理事務所に向かった。

 着替えを済ませて事務所を出ると、飯田がヤンキー座りでタバコをふかしていた。ミコトは驚いて飯田を見詰めた。

「待っててくれたんですか?」

 まさか彼が待っててくれるとは思ってもいなかった。さらに彼は驚くような言葉を口にした。

「メシ食いに行くんだけど、一人じゃつまんねぇから、つきあえよ」

 その場で固まっているミコトの足元に「早く来い」とタバコを投げ捨てると、飯田は返事も聞かずにすたすたと階段を降り、ショッピングモールを横切って行ってしまった。

 いいのだろうか?

 ひとり、イベント会場に取り残され、世間の冷たさに打ちひしがれていたミコトは、たったこれだけの事で不覚にも目頭が熱くなってしまった。

 メガネを外し、汗を拭うフリをして涙を拭いた時、飯田が振り向いた。

「おい、来ねえのか?」

 飯田に呼ばれて、ミコトはじわりと胸の奥が温かくなった。


「飯田さん、飯田さん……オレ……うっく…」

 声を詰まらせるミコトに、ハァ……と飯田はため息をついた。今やミコトの大きな目は、拾われた仔犬のように潤んでいる。飯田はその様子に顔をしかめた。嫌な予感がする。案の定、捨て犬のような後輩は、転げそうになりながら走ってきて、飯田の背中にしがみついた。

「おい、やめろよ、それ……」

 飯田はぼそりと背中のミコトにつぶやいた。

 かわいい女の子ならともかく、いくら可愛くても野郎にショッピングモールで抱きつかれるのは勘弁してもらいたい。

 でも……。

 どういう訳だか、自分はこの後輩が心配でたまらないのだ。

 昼間もバッグ屋のウィンドウを覗く挙動不審なデン坊に気付いていた。

 連れの女性と食事を済ませた後も、しばらく彼女の買い物につきあいながら、子供の襲撃にあう『ゆるキャラ』の情けない姿を目で追っていた。けれど、買い忘れた物があり、ショッピングモールに戻ってきたのは、本当に偶然だった。

 まさか、取り残されてあんなところで熟睡しているとは。

 鼻をすするミコトに、道でもらった消費者金融のポケットティッシュを渡し、飯田はフッと微笑んだ。


 ミコトは素直に渡されたティッシュで鼻をかんだ。同情されて優しくされているという事は良くわかっていた。いつもだったら、大きなお世話だ! と突っぱねる所だが、今日は本当に心身ともに疲弊しきっていた。

「飯田さん……ありがとう」

 いつになく素直なミコトに、一瞬ドキリとして、飯田はぶっきらぼうに言った。

「んじゃ、軽く飲めるところにでも行くか」

 ミコトはコクンと頷くと、飯田の後に付いて歩き出した。


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