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ハルナシの仕入れ帳  作者: 真水 地恵
第一章 『不幸の代償』

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序幕

プロローグです。

 

 人の想いは永く残る。

 家族への愛情。恋人への憎悪。友への友情。他者への恐怖。それが善いモノだろうと悪いモノだろう関係なく。

 想いを産み出したその人そのものが此の世から消えて無くなっても、産まれた想いだけは永く残ってしまう。残された想いは時に他者へと害を及ぼす。たとえその想いが向けられていた当人でなくとも関係なく、見境なく、時には場所も時間も飛び越えて人を害する。

 そういったモノを人は()()と呼んだ。


 しかし、大抵のモノは永い時間に耐えられず少しずつ薄れ消えていく。そうして忘れ去られ、無害になる。

 大体が十年もしない内に霧散し消えていく。だが、時たまに想いが道具や土地、建物などに宿ることがある。物に宿った想いは通常よりもより永く此の世に残る。残ってしまう。

 それらは時に幸福を、時に不幸を人にもたらす。

 それらを人は()()と呼ぶ。


 ◎


 湿り気を帯びた初夏の夜気が、築四十年の木造アパート「月見荘」の廊下に淀んでいた。

 街灯の届かない二階の角部屋。その扉の前で、夏秋冬 陽子(はるなし ようこ)は、安物のサンダルでリノリウムの床を無造作に鳴らしながら立っていた。


「……で、これか。今回の現場は」


 陽子は懐から電子タバコを取り出し、一口だけ吸う。紫煙が暗がりに溶け、古い木材の腐敗臭と、微かな消毒液の匂いをかき消した。

 隣で震えているのは、特殊清掃員の男だ。彼は防護服を脱ぎ捨て、顔を青ざめさせて陽子を見上げている。


「夏秋冬さん、本当にお願いしますよ……。遺体は搬出した、清掃も終わった。なのに、昨日から作業に入ったスタッフがみんな『出られない』って泣き喚いて逃げ出して……。壁からは音がするわ、勝手に荷物は動き回るわで、解体業者も寄り付かないんです」


 特殊清掃員の男もそれらの被害にあったのか、事情を説明する内に思い出すのか、話すたびに身体を震わせている。


「いいよ。仕事だ。中に入ってる遺品、全部まとめて買い叩いていいなら、清掃代の端数分くらいは『精算』してやる」

「もちろん! 全部持ってってください。とにかく、この部屋を『静か』にしてくれればそれでいいですから……っ!」


 陽子は鼻を鳴らし、男から受け取った鍵を鍵穴に差し込んだ。

 カチリ、という乾いた音が夜の静寂に響く。

 彼女は躊躇なくドアノブを回し、暗い部屋の奥へと足を踏み入れた。


 部屋の空気は、外よりも数度は低かった。

 懐中電灯を点けると、光の輪の中に、孤独死した老人が遺した生活の残骸が浮かび上がる。一部だけ真新しい畳、黄ばんだ壁紙、そして部屋の隅に積み上げられた古本と雑誌の山。

 陽子が三歩入ったところで、背後で「ガチャン!」と暴力的な音が響いた。

 鉄の扉が、誰に押されることもなく猛烈な勢いで閉まり、鍵が内側から勝手にかかる。

 普通ならここで悲鳴を上げるところだが、陽子は振り返りもせず、電子タバコを吹かした。


「……挨拶がわりにしては、品がねぇな」


 暗闇の中から、異様な音が響き始めた。

 ドンドン、ドンドン、ドンドン。

 壁の向こうから、誰かが拳で、あるいは頭を叩きつけているような鈍い音が、四方の壁から一斉に湧き上がってくる。古いラジカセが、コンセントも繋がっていないのに突如として起動した。


『……ね……て……いたい……しにたく……な……』


 砂嵐の混じったノイズが、老婆のような声を吐き出す。

 積み上げられた古本が崩れ、まるで生き物のように床を這い回り、陽子の足首に絡みつこうとした。


「うるせぇよ」


 陽子は低く呟くと、肩から下げていた黒いボストンバッグを床に置いた。

 彼女の三白眼には、恐怖の色など微塵もない。あるのは、面倒な仕事を片付ける前の、事務的な気怠さだけだ。

 陽子はバッグの中から、「錆び付いた一本の釘」のようなものを取り出した。


在庫ガラクタが騒ぐな。お前らはもう、この世の帳簿からは消えてんだよ」


 陽子は、足首に絡みつこうとした古本を無造作に踏みつける。

 不思議なことに、陽子が触れた瞬間、古本を動かしていた「力」が、まるで高熱の鉄に触れた氷のように一瞬で霧散した。

 彼女の肉体は、あらゆる怪異を拒絶する「絶対的な絶縁体」である。

 彼女は壁に近づくと、音が最も激しい箇所に錆び付いた釘を突き立て、親指の腹でぐいと押し込んだ。

 ――ギィ、アアアァァァッ!!

 部屋全体が震えるような、悲鳴にも似た軋み音が響く。

 次の瞬間、壁を叩く音がピタリと止まった。

 陽子はさらに、バッグから「真っ黒に墨汁を塗られたような鈴」を取り出し、部屋の中央で一振りした。

 ヂリン、と。

 濁った音が部屋に波紋のように広がると、狂ったようにノイズを吐き出していたラジカセが爆ぜるように沈黙し、這い回っていた古本がただの紙屑へと戻った。


「よし、査定開始だ」


 陽子は懐中電灯で部屋を照らし直し、古ぼけた箪笥や、壁に掛かった古い振り子時計を吟味し始める。

 彼女にとって、怪異はただ「退治」するものではない。価値のある「物」を回収するための、邪魔なノイズを排除するだけのことだ。


 三十分後。

 陽子は内側から固く閉ざされていたはずのドアを、まるで立て付けの悪い襖を開けるかのように、軽い力でこじ開けた。

 外で待っていた清掃員が、腰を抜かしたまま這い寄ってくる。


「あ、あの……夏秋冬さん……? 音が、消えた……」

「中のゴミは全部まとめて引き取る。トラックを回すから、鍵は預かっとくぞ。……ああ、そうだ」


 陽子は清掃員を振り返り、事務的な声で付け加えた。


「ラジカセと古本は、もう使い物にならねぇ。あれはそっちで産廃として捨てとけ。……残りの箪笥と時計は、うちの店で『精算』してやるよ」

「は、はい! 助かりました……本当に……!」


 陽子は男の感謝を背中で受け流し、階段を下りていった。

 夜明け前の街は静かだ。

 彼女の手元には、新しく手に入れた「在庫」のリストが並んでいる。


 怪異はいつだって、この世の帳尻を合わせられない未練から生まれる。

 それを買い叩き、別の価値へと変えていくのが、「リユースショップ ハルナシ」の仕事だ。


「さて、次は……ああ、決算書作らんといけねぇか。……はぁ、だるっ」

 陽子は、駐車場に停めた古い軽トラに乗り込んだ。

 彼女の日常は、常に不条理を「仕入れる」ことから始まる。


「税務署の予約取れっかなぁ」



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