伍話 目には目を、耳には耳を
部屋が切り替わったと思った瞬間、眼前にはテニスコートが広がっていた。
エンドラインの向こうには巨大ジャック・オー・ランタンがいくつも吊る下がっており、月明かりとともにコート全体を温かな光で照らしている。
ネットの向こうには曲芸のようにラケットを回しながら、『冥界猫と迷回病』が僕たちを空色の猫目で睨みつけている。観客席には学校不適合者の彼ら彼女らの観客席が用意されているようで、これから始まる試合を眺めているようだ。
特別少女『地名美南』は髪をゴムでまとめながら、『冥界猫と迷回病』に訊く。
「賭けを何にするか決めてないけど、初めてよかったのー?」
「ゲンキたちゲンキの記憶。ボクはお前のいった希望という言葉を訂正することを求める、その賭けしかないにゃ。それで文句はないにゃ?」
姿勢を猫のように低くしながらも僕たちを睨め上げる『冥界猫と迷回病』。
『冥界猫と迷回病』の怒りが具現化したように、中空から現れた鎖にがちりと拘束される僕と美南。
「僕はそれでいいけどな。美南もそれでいいか?」
「もっちろん!」
『賭博遊戯』による賭けは成立したようで鎖が消える。
これでゲームができるという合図ともとれるわけだが、僕はとてもそうだとは思えない。
「勝負はダブルスだといってた気がするけど、どうするんだ? 観客を選手にするわけじゃないんだろ?」
観客は選手ではない。ということは助っ人がいるはずと僕は思っていたが、『冥界猫と迷回病』は不敵な笑みを八重歯とともに浮かべた。
「当然にゃ。ボクには阿吽の呼吸で動けるペアがいるにゃ」
そのまま少女は猫が手招きするようなポーズを取り、舌をべっと出す。
「――『地獄の番猫』」
揺らめく三尾が一つ一つ、に散らばっていく。地獄で揺らめく炎のように、蜃気楼のように、『冥界猫と迷回病』がゆらりゆらりと幻想のように透き通る。
否、錯覚などではなく本当に増えていた。
三尾が一尾になったものの、『冥界猫と迷回病』は一人から三人へと増える特別を行使した。少女たちはにやりと笑みを浮かべた。
「ボクは審判にゃ」
「ボクと――」
「ボクが相手だにゃ」
それぞれ別の意思なのか、『冥界猫と迷回病』の声が同時に聞こえる。
「それならダブルスは可能だな……!」
僕はこの現象を何も知らない。事前に情報を集めたはずだったが、『冥界猫と迷回病』には僕の知らない特別があった。
思わず、僕の虚の心が実物の心臓になるような新鮮さがあった。
代表するように一人の『冥界猫と迷回病』が僕たちに向かって話す。
「さてゲンキたち。表か裏か。どちらにするか決めるにゃ」
真剣な眼差しはまさしくゲームを本気でやるという、少女の覚悟の現れが容易に見て取れる。
「表よ」
美南が答えると、『冥界猫と迷回病』はラケットを高速に回転させて、パシンとネットに当たる。
ラケットを持ち上げて、僕たちに八重歯を煌めかせる。
「残念、裏にゃ。ボクたちがサーブにゃ」
そして、各々が配置につく。
僕はレシーブ――サーブを打つ少女のボールを初めに打ち返すポジションだ。
「1セットマッチ、『冥界猫と迷回病』サーブ!」
審判の『冥界猫と迷回病』が掛け声をすると同時に、サーブをする『冥界猫と迷回病』がボールを天高く上げた。
「な!?」
テニス経験のある僕が、思わず声に出して驚嘆するほどの高すぎるトス。ボールは学校の屋上に位置する高さだ。
続いて、地面が揺れた。
「にゃっは!」
地面が揺れた原因は、空色の猫目を持つ少女の跳躍力によって発生した震動だった。
少女はボールの高さに追いつき、グググと身体を異常な柔軟力でしならせ力を溜めて、その力をコートに解き放った。
ドスン! とテニスとしてあるまじき音が上がり次の瞬間には着地したボールが天高く跳ね上がった。
後ろを見ると、天高く上がったボールがそこにはあった。
「どんなサーブだよ……!」
あまりの状況に反応できなかった。しかもありえないことに、サーブを異常な高さから放ったことで、一瞬でラケットに届かない高さまでボールが跳躍していた。
たとえ反応ができたとしても物理的に取れない。
「ボクのサーブを取れなきゃ何も始まらないのに、ゲンキは反応もできにゃい。将棋よりも簡単に勝てそうだにゃ」
猫目の少女は笑い、そのまま猫目に怒気を孕ませた表情で、隣の特別少女を睨んだ。
「希望を与えるなんて、二度といわせにゃいようにするにゃ」
「何度でもいうわ。私は貴方に希望を与える。次のサーブ、楽しみにしててね、にゃん!」
猫のコスプレをしていた美南は猫のポーズをしながら笑う。かわいいな。
美南のその笑いに思わず『冥界猫と迷回病』は舌打ちする。
「いってろにゃ」
足音も立てない軽いステップで移動してサーブ位置へたどりつき、少女は美南のレシーブ位置を見て、呆然とした。
「…………その位置でボクのサーブを受ける気にゃ?」
「そうよ!」
少女の純然たる嘘偽りのない肯定に、さすがの僕も冷や汗をかいている。
普通、サーブを打ち返しやすい位置はエンドラインという場所よりも後ろだ。だけど特別少女『地名美南』はサーブの着地点であるサービスライン上でラケットを構えている。その場所ではラケットをボールに当てるまでの時間が極端に短くなるため、ボールを返すことは難しい。
しかしながら理には適っている。天高くボールが上がる前に打つのであれば、その位置でしか『冥界猫と迷回病』のボールは打ち返せない。特別少女『地名美南』はそんな高難度な技でボールを返そうとしているのだ。
「たしかにさっきのボクのサーブを打ち返すならその位置は最適解かもしれにゃい」
『冥界猫と迷回病』くるりと踵を返してエンドラインよりも遠くに走り出す。
「えっ?」
少女の行動があまりにも不可解で思わず声が漏れる。
『冥界猫と迷回病』はコートから百メートル離れてラケットを置き、さらに百メートルほどボールを持ったまま軽やかに走る。
吊る下がっている巨大なジャック・オー・ランタンの下まで移動し、半回転して僕たちのほうに顔を見せたが、あまりにも遠い。豆粒のような大きさだ。
「ボクの本気、受け止めてみろにゃ!!」
『冥界猫と迷回病』はボール投げの要領で力強く遠くに、天高くボールを投げる。
そして力強く大地を蹴り上げ、地面がめり込む強さで加速し、テニスコートに向かって走り出す。
疾風迅雷。ありえない勢いで加速していく。ラケットを取っても、その勢いは衰えないどころかさらに加速している。
そのまま少女はあり得ない跳躍力で天高く、飛び上がる。
『冥界猫と迷回病』は中空で身体をしならせ力を溜め、その力をコート目掛けて放つ。
ボールの異常な高速回転と威力が地面にぶつかり、僕は吹っ飛ばされそうになる。それでもせめて眼前の少女たちの事象を見届ける。それが僕の勝ち筋にもなるから。
「希望なんて打ち砕いてやるにゃ!!」
「ふっ!」
特別少女『地名美南』はスーパーボール以上に高く跳ね上がるはずだったボールにピンポイントでラケットに当てた。
しかしながらボールはギャリギャリと暴れ狂い、すべてを破壊尽くさんとばかりに、超高速スピンがかかり続けている。
「ぶっ潰れろにゃ!!」
『冥界猫と迷回病』の気迫の声とともに美南のラケットは吹っ飛ぶ。
暴れ狂ったボールは勢いを殺されず天高く飛びあがっていた。
「30ー0にゃ」
僕はあまりの出来事にその場で立ち尽くしてしまった。
「未南が……負けた……?」
「希望を与えるといったことを取り消すにゃ。取り消さないなら、このサーブを続けてミミナミの腕をぶっ壊して戦闘不能にするにゃ」
『冥界猫と迷回病』がラケットを相手コートに向けて警告したが、特別少女『地名美南』は不敵に笑う。
「腕を壊すのは勘弁してほしいけど、貴方たちに希望は与えるわ。貴方にこの勝負勝って、それを証明して見せるわ!」
『地名美南』は意気揚々と宣言し、審判の『冥界猫と迷回病』に近づく。
「ボクになんのようにゃ?」
「何をするんだ美南……」
僕は訝し気な表情で問い、美南はぽつりぽつりと語る。
「幻ちゃん、教えたよね。『冥界猫と迷回病』は貴方に勝つために、どれだけ痛い思いをしても、ゲームに勝つ覚悟を示したって」
『冥界猫と迷回病』の身体をまさぐるように、とあるものを探すように目線を動かしつつ訊く。
「今も持っているんだよね、『冥界猫と迷回病』」
「君ぃ、何を考えてるにゃ?」
「まさか……。やめろ美南!!」
僕はすぐさま走り出すが、それよりも先に美南の行動が速かった。
審判の『冥界猫と迷回病』の視線先に、ソレがあったことを見出した美南は太もも内のガーターベルトに仕舞われていたナイフを奪う。
そして決意を表明する。
「私の覚悟を示して『冥界猫と迷回病』たちに希望を与える。貴方たちが本気で遊戯をするなら、私も本気で遊戯をするわ!」
特別少女『地名美南』はナイフで耳を切り落とした。




