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41.香りが暴く真実

 王宮での再捜査の要請が正式に受理されてから、数日が経った。

 その間にも、王都はざわついていた。

 王女クレア毒殺事件の真相が再び問われる。

 そんな噂が、貴族街から市井の人々にまで広がり始めている。

 私の名前もその噂のその中心にあった。


 そして今日。

 ついに聖女ヴァネッサに対する聴取が、公開の場で行われることとなった。


 場所は、王宮の政庁棟にある王室議会の審問室。

 天井の高い石造りのその部屋には、豪奢な彫刻が並び、厚く磨かれた赤絨毯が中央を走る。

 壁には歴代の王たちの肖像画が睨みをきかせ、空気はひどく冷たく張りつめていた。


 王国でも屈指の重臣たちが集うこの場に、私とジュードは並んで立っていた。


 息をするだけで肺が軋むような緊張感。

 けれど、私はこの場を逃げないと決めていた。

 真実を語るために、そして、すべてを終わらせるために。


 席には、第一王子ダナヒューを筆頭に、宰相、枢密院議長、法務卿といった高位貴族たちが厳然と並び、それぞれが冷ややかな視線を前に向けていた。

 その視線の先、議場中央のわずかに低くなった席に、ひとりの女が座っていた。


 絹の聖衣に包まれ、金糸の刺繍が光を受けて淡く揺れる。

 肩まで届く銀髪はきちんと整えられ、長い睫毛は伏せられている。

 陶器のように白い肌は一片の曇りもなく、まるでこの場に不釣り合いなほどに完璧だった。


 ヴァネッサ。

 民から聖女と呼ばれ、崇敬の対象として祀られる存在。

 その姿はまるで絵画から抜け出した聖母のように完璧だった。


 けれど私は知っている。

 その薄く笑んだ口元が、どれほど冷たく、残酷であるかを。

 目を閉じて俯いているというのに、そこににじむ気配は、聖なるものではなかった。

 まるで、己の計算と演技に酔う、女優のような静けさ。


 かつてのやさしさは、もうどこにもない。

 いや、それすら、最初から幻だったのかもしれない。


「第二王子ジュード殿下、ならびに……エメリナ・エクルンド女史」


 議長の重々しい声が、審問室の高天井に反響する。

 その名を呼ばれた瞬間、私の心臓がひとつ、強く打った。


 私は静かに一歩前へ出る。

 “エマ”ではない。

 王都を追放された元公爵令嬢――エメリナ・エクルンドとして、私は今日この場に立っている。

 過去を、すべて引き受けた者として。


 空気が張りつめていた。

 貴族たちの視線が、剣のように突き刺さる。

 あからさまな不信、あざけり、あるいは面白がるような冷たい興味。

 それでも私は目を伏せない。

 逃げてはならないのだ。真実を語るためにここへ来たのだから。


 隣に立つジュードが、一歩進み出る。

 迷いのない手つきで、封筒を議長席の台に差し出した。


 厚手の封筒は、王室の紋章入りの蝋で封がされている。

 中には、教会保管物資の記録簿と、クレアの香水から検出された成分の調査報告書。

 どちらも、ヴァネッサの関与を裏づける重要な証拠だった。


 ジュードの手は微かに震えていた。

 けれど、彼の背筋はまっすぐで、視線も揺るがない。

 私はその横顔に、ひとつ深く息を吸ってから、視線を前に戻した。


 さあ、ここからが始まりだ。

 真実と、罪と、そして私たちの未来を賭けた、審問の幕が上がる。

 ジュードが、一歩前に進み出た。


「こちらに提出する分析結果は、かつて王女クレア・アルムシュテットが使用していた香水の成分に関するものです」


 ジュードの声は低く落ち着いていたが、議場の隅々にまで澄んだように響き渡った。

 彼の手元にある報告書から、1枚の書類が取り出され、議長席の前へと丁寧に差し出される。


「香水には、本来は教会の聖域で厳重に保管されるべき、特殊な毒物が含まれていました」


 議場にざわめきが走る。

 誰かがわずかに息をのむ音、椅子が軋む音が混じる。

 だがジュードは、それに構わず言葉を重ねる。


「調査の結果。その毒物は、クレアの死のおよそ1ヶ月前に、教会の倉庫から“儀礼品”として持ち出されていたことが記録されていました」


 彼の声はあくまで冷静だったが、その奥にある怒りと哀しみを私は知っていた。


「命令者として記されていたのは、聖女ヴァネッサ――あなたです」


 議場の誰かが息を飲む。

 ヴァネッサは微動だにせず、伏せ目がちに沈黙している。

 けれどその沈黙が、何よりも不気味だった。


 ジュードは一瞬、言葉を切ってから続けた。


「“儀礼品”としての使用記録はどこにもありません。帳簿上、その毒は持ち出されたまま行方不明となっています」


 ジュードは一歩も引かず、まっすぐ前を見据える。


「これは、儀礼品の名を借りて毒を外部へ運び出すための偽装であり、意図的な持ち出しであると断定せざるを得ません」


 静まり返る議場。

 その中央で、ジュードの言葉だけが重く落ちていく。

 これは告発ではない――事実の提示だ。

 誰の感情にも寄りかからず、ただ冷徹に積み重ねられた証拠に基づく真実の糾明。


 私は、胸の奥で震えるものを押さえ込むように、静かに拳を握った。


 沈黙。

 聖女は、何も言わない。ただ、伏せていた睫毛が、わずかに震えた。


 やがて――


「……まさか。私がクレア様を殺したと、おっしゃるのですか……?」


 静まり返った議場に、震えるような細い声が落ちた。

 聖女ヴァネッサは、伏せていた顔をゆっくりと上げる。

 睫毛の先には雫が光り、その瞳は涙に濡れて潤んでいた。


 聖女の瞳は、まるで聖母像のような痛ましさと儚さをたたえていた。

 そして、抑えきれなかったかのように、ぽろりと大粒の涙が頬を伝う。


「私は、あの方を……クレア様を、慕っておりました」


 彼女は胸元に手を当て、震える唇で続ける。


「憧れていたのです。あの凛とした姿も、やさしさも。なのに、どうして……そんなふうに疑われなければならないのでしょうか……」


 細い肩がかすかに揺れる。

 まるで崩れそうな少女を見守るかのように、数人の貴族が視線を交わし、沈痛な面持ちで彼女を見つめた。

 なかには、眉をひそめ、同情をにじませたような眼差しを向ける者もいる。


 議場がざわついた。

 木製の椅子がわずかにきしむ音、押し殺したような囁き声。

 そのすべてが、まるでヴァネッサの涙に心を動かされたかのような空気をまとっていた。


 ――けれど。

 私はその美しい姿を、どこか冷めた気持ちで見ていた。

 あまりにも巧みで、完璧すぎる。

 まるで、自分が“疑われる立場”になることを、初めから予期していたかのような芝居がかった反応。


 私は、ひるまなかった。

 誰かが同情し、誰かが迷い始めても、私の中にはもう、揺らぎはなかった。


「――もう、その演技はやめてください」


 言葉は自然と口をついて出た。

 それは怒りに駆られたものではなかった。

 恨みでも、激情でもない。

 ただ、積み重ねてきた確信――それだけが私の声を支えていた。


 ぴたり、と。

 ヴァネッサの涙が止まった。

 先ほどまで震えていた肩も静まり、その表情からは、あの儚げな憂いさえも消えていた。

 それはまるで、舞台の幕が唐突に降り、照明が切られたあとの静寂。

 観客だけが取り残されるような、冷えた静けさがそこにあった。


 私は、その沈黙にのまれることなく、ゆっくりと彼女の正面へ歩を進めた。

 視線を逸らさず、背筋を伸ばし、まっすぐに立つ。


「あなたは、クレアになりたかったんでしょう?」


 私の声は落ち着いていた。

 その冷静さがかえって鋭く議場の空気を一変させた。

 ヴァネッサの肩がぴくりと震える。わずか一瞬の反応。

 それでも、聖女の仮面に走ったひびは、確かに私の目に映った。


「だから、あなたはクレアの香りを盗んだ。あの香水は、クレアの象徴でしたから」


 私は一歩、聖女に近づく。


「誰よりもクレアに近づきたかった。彼女のように愛され、崇められたかった。そうでしょう?」


 言い終える前に、議場に波紋のようなざわめきが広がった。


「確かに……聖女の香りは、亡き王女のものとよく似ている」

「聖女が、そんなことを……信じられん」

「模倣なんてもんじゃない。調香のレシピそのものを盗んで、再現したってことか……?」


 言葉が交わされるたび、驚きと疑いの声が議場に広がっていった。

 あちこちで身を乗り出す貴族、顔を見合わせる老臣たち、青ざめる若手の議員。

 誰かが怒鳴る。


「静粛に!」


 高位貴族のひとりが立ち上がり、声を張る。

 だが、その声すら怒号と囁きにかき消されていく。

 審問室は、もはや一糸乱れぬ秩序を保つ場所ではなく、感情が露わになる劇場と化していた。


 この国において、香りは単なる装飾ではない。

 香りはその人の地位や品格、存在そのものを示す“権威”である。

 確かに、他者の香りを参考にすることはあっても、王族や高位聖職者が持つ香りの調香レシピを盗み、自身の香りとして身にまとうことは決して許されない。


 私は、ざわつく議場を静かに見渡した。

 波紋は確実に広がっている。

 嘘を塗り重ねた聖女の姿は、もう疑いのない光にさらされつつあった。


 ――真実は、香りとともに、浮かび上がる。

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