12.王都への道すがら
馬車の車輪が乾いた土を踏みしめて進んでいく。
春の風はまだ肌寒く、馬車の中には厚手の毛布が一枚だけ置かれていた。
王都への道のりは長く、馬車に揺られる時間は数時間に及ぶ。
馬車の内装は簡素で、向かい合う形でジュードと座っている状況は、どう考えても落ち着かない。
ふと、思い返す。
この遠い辺境の町まで、ジュードは何度も足を運んできてくれたのだ。
それも、私に――調香師エマに会うためだけに。
往復で数時間かかる道のりを、こんなふうに通ってくれていたなんて。
そんなことを考えれば考えるほど、落ち着かなくなってくる。
目を合わせないようにと窓の外を見てみるが、風に揺れる草木の緑も、空の青さも、なぜか心をざわつかせるばかりだった。
そして、何よりも、向かいの席から感じる視線が熱い。
(ああもう。距離が近すぎる!)
ジュードは、いつものように品のある微笑みを浮かべてこちらを見ていた。
至近距離で見ると、その整った顔立ちが改めてよくわかる。
(きれいな瞳だわ。……って、何を考えてるのよ私は)
逸らしたつもりの視線が、つい彼の目に戻ってしまう。
なんだかむず痒くなって、私は口を開いた。
「殿下って、きっとおモテになるんでしょうね」
軽口のつもりだったのに、自分でも思った以上に皮肉っぽく聞こえた。
けれどジュードは驚いたように目を見開いたあと、ほんの少し口元をゆるめた。
「そう思うかい?」
「ええ、どう考えても」
私は苦笑を浮かべたまま、目線を合わせないように答えた。
「そんなことないさ。むかし、恋をしていたんだ。けど失恋した」
「……まさか」
思わず返した声が、少し高くなった。
「本当だよ。誰にも言ってないけどね」
ジュードは、かすかに笑った。
それはどこか、少しだけ寂しさを含んだ笑みだった。
「僕が想いを寄せていた人は、姉と同時期にいなくなってしまった。もう、どこにもいないんだ」
一瞬、胸がぎゅっとなった。
姉と同時にいなくなった、という言葉が頭にひっかかる。
それって、まさか――
私の内心に、ジュードは気づいていない様子だった。
どこか遠くを見るようにして、話を続ける。
「初めて会ったのは、子どものころだった。風に揺れる煉瓦色の髪がうつくしい人だった」
言葉にされた彼の想い人の印象に、思わず心がざわつく。
煉瓦色の髪。
この国では珍しい髪色だった。ジュードの中に生き続けるその想い人の姿は、かつての自分の姿と重なる気がした。
「名前も、身分も、最初は知らなかった。でも、知ってからは、どうしようもなかった。想ってはいけないとわかっていたけど、どうしても忘れられなかったんだ」
私は何も言えずに、ただ彼の言葉に耳を傾けていた。
想ってはいけないだなんて、どうしてだろう。
それは、私が第一王子の許嫁だったからではないのか。
疑惑が確信へと変わってゆく。
「彼女がいなくなったあと、僕はずっと探していた。もう一度会えたら、ちゃんと話したいと思っていた」
彼の想い人は、今ここにいる私のことなのかもしれない。
けれど彼は、私がその相手だとは知らずに、目の前の“調香師エマ”と話している。
胸の奥がざわざわと波立っていく。
私は息をのみ、「殿下の想い人って、公爵令嬢のエメリナ様ですか」と言いかけた唇を、そっと噛みしめた。
「殿下は、その方を愛していらっしゃったんですね」
「むかしの話だよ。今は――」
沈黙が、ふたりの間に落ちた。
でもそれは、気まずさではなかった。
むしろ、言葉にできない何かが満ちていくような、静かであたたかな沈黙だった。
私は思わず、彼の瞳を見つめた。
揺れる馬車の中で、ジュードもまた、まっすぐにこちらを見ている。
気づけば、距離が縮まっていた。
肩と肩がかすかに触れるくらいの、近い距離。
彼の視線が、私の目元から頬へ、そして唇へと移る。
息をするのも忘れて、私はその場に固まってしまう。
頭が沸騰するように熱い。心臓が高鳴る。
もしこのまま目を閉じたら。
彼は、きっと……。
「王都の門が見えましたよ!」
そのとき。
御者の明るい声が、馬車の外から響いた。
「……っ!」
私は驚いて、ばっと目を逸らした。
ジュードもわずかに肩を揺らして、苦笑いを浮かべた。
「なんだか、タイミングが悪いな」
そんな冗談めかした言葉に、私は慌ててうつむいたまま、首を横に振る。
「な、なにも、ありませんでしたから!」
「うん。わかってるよ」
彼の声はどこか楽しげで、でもやさしかった。
馬車は王都の門へと近づいていく。
見慣れた街並みが、視界に広がっていく。
だけど、心はまったく落ち着かなかった。
(ジュード。私は――)
胸の奥に芽生えた感情をどうすることもできずに、私はただ、窓の外に視線を投げて、深く息を吐いた。




