ギルド2
アリスたちは男に連れられ、ギルドに併設されていた訓練場へとやって来ていた。
訓練場といえば聞こえはいいが、もっぱら賭けごとで戦うために使われている。
「なんだ、お前傭兵とかなのか?」
「そんなんじゃねぇ。俺はあの方の拳だ」
「ハッ。あの女、貴族かなにかか?」
「……」
フィリベルトは、男に哀れみの目を向けた。まるで、昔の自分を見ているようだった。
彼も最初の頃、アリスの実力をはかろうともせず、頭も悪く突っ込んでいった。
結果は考えるまでもなく惨敗。勇者なんてゴミ同然になるほどの恐ろしい存在に、フィリベルトは堂々と喧嘩を売ったのだ。
あのときのアリスに殺されなかったことを、毎日感謝している。
訓練場には既にギャラリーが大量に集まっていた。
野次馬たちのニヤニヤとした顔つきは、まるでフィリベルトの負けを望んでいるようだ。
それほどまでにこの男は、ギルド内でのカーストが高いのだろう。誰もがフィリベルトの負けに賭けていた。
「ルールは簡単だ。どちらかが倒れれば負け。もちろん降参するのもありだぜ」
「そうか」
それを聞いて、フィリベルトはアリスをチラリと一瞥した。
フィリベルトと目が合ったアリスは、肩をすくめて困ったように笑った。
「何でもかんでもコチラに投げるな」とでもいいたいようだ。この程度の戦いであれば、好きに動いていいということだった。
(多分、こういう時は……あんまり目立ってはダメ、だよな? 善戦して負けるか)
誰かが合図をしたことで、フィリベルトと冒険者との戦いが始まった。
「賭けてるって言ってたけど、いくら貰えるんだろ?」
観戦席から、アリスはぼんやりと言う。
アリスは別にどちらかに賭けたわけではないが、どれくらい盛り上がっているのか気になった。
「握りしめている札束を見るだけでも、相当な額なのではありませんか?」
「あの人、結構強いってこと?」
「そうかもしれません」
「まぁご主人様には劣るでしょうけ――」
「ふーん。じゃあ勝ったほうが良いよね。お金欲しいし」
アリスは近くに居た男を呼び止めると、その男に賭け金を差し出す。
もちろん、フィリベルトの勝利への賭けだ。
ちなみにこのポケットマネーは、ライニール国王から頂戴したお小遣いである。
ちょうどアリスが賭けたところで、フィリベルトが膝をついた。
戦い始めてから数分程度。
フィリベルトは何度か拳を打ち返したものの、その他のほとんどは打撃をもらっている。既に満身創痍とも言える状態で、ふらつきながら戦いに挑んでいる。
はたから見れば、まるで弱者をいじめているようだ。
圧勝をおさめられると喜んでいる周りに、冒険者の男。フィリベルトが加減をしている事も知らずに。
鋭いストレートを腹に受け、ガクリ、とフィリベルトは膝をついた。
(そろそろ降参を……)
「おーい、フィリベルト」
「!」
「やっちゃえー」
「!!!」
アリスからの言葉を受けて、フィリベルトは不気味に笑った。
そして彼は、何事もなく立ち上がった。
今の今まで相手に打ちのめされ、よろめいたはずなのに。まるで攻撃が全く通用していないようにも見えた。
事実、フィリベルトには男の攻撃は、一発も通っていない。冒険者程度の人間の攻撃は、魔人となって力を極めたフィリベルトにとっては、大した攻撃にもならないのだ。
アリスには惨敗したものの、それでも一度は魔族のトップに立っていた者である。
たかが冒険者レベルでは、彼を倒せるはずがないのだ。
「なんだぁ? 強がりかぁ?」
「ご許可が出た以上、もういいよな」
「何をブツブツと!」
男には、フィリベルトが主人の前でいいところを見せようと、強がっているようにしか見えなかった。
今度こそ完全に倒してやろうと、男は拳を強く握った。そしてそのまま、フィリベルトの方へと駆けていく。
会場は立ち上がったフィリベルトに対して「殺せ」「やっちまえ!」と叫び声で溢れている。
男はフィリベルトの顔面に向けて、素早いストレートを打ち込んだ。
しかしそれは、フィリベルトの鼻にすら到達しなかった。
パシリと乾いた音がして、拳は受け止められた。――フィリベルトの片手によって。
まぐれなどではなく、受け止めようと思って受け止めたものだ。
「は?」
「こいつは返すぜ」
フィリベルトは受け止めていた男の手を離す。
そして今度は、己の拳を握った。ギリギリとした音まで聞こえてきそうなほど、拳を握りしめている。
それを見た瞬間、男は一瞬だけ悟る。
本能とでも言うべきなのだろうか、相手にしている存在がなんなのか。それがなんとなく分かった。
自分程度が相手取っていい存在ではなかった。そう理解した。
そして、まるで爆発音のような音が、部屋中に響き渡る。
周囲の人間が、フィリベルトの起こした打撃音だと気付くには、時間がかかった。人間が為せる行為ではなかった。
攻撃を受けた男は、訓練場の宙を舞い、フィリベルトの立っている場所と反対側へと吹き飛んでいく。当たった壁を破壊する勢いだった。
場には静寂が訪れ、誰もがフィリベルトに対しての殺害コールをすることはなかった。
「……」
「あれ、いたんだ」
フィリベルトが圧勝を決める瞬間を、アリスの横に立っていた受付スタッフも見ていた。
知らないうちにそばに来ていたようで、彼は驚きながら観戦していた。
ここにいるということは――仕事を怠けていないのであれば――情報屋の準備が出来たということ。
ちょうど賭けも終わったことだし、アリスは受付へ話しかけた。
「情報屋は見つかりました?」
「…………い、いえっ、まだです!」
「? あらそう」
バタバタと急いで戻っていく受付を見ながら、アリスは「よくわからない人だなぁ」と見送っていた。
実際は情報屋が見つかっていたのだが、アリスたちを侮っていた――馬鹿にしていた受付は、適当な情報屋を選んでいた。
しかしこの状況を見てしまった今、そんな雑な情報では許されないと理解したのだ。
受付は急いできちんとした情報屋を用意するため、ギルドの方へと戻っていくのだった。
受付が消えたと同じタイミングで、フィリベルトもアリスのもとへ戻ってきていた。
ボロボロに見えるが、レベルの高い魔人であるフィリベルトには、大した傷でもない。
「アリス様。勝った、ます」
「ありがとー。これで旅費が稼げそうだ」
「うっす!」
アリスに褒められて、フィリベルトは嬉しそうに笑った。
畏怖の対象だったアリス・ヴェル・トレラントは、現在は尊敬の対象に変わっている。直属の上司であるハインツですら、憧れているアリスという存在。
そんなアリスと共に旅行が出来て、しかも褒められたことは、フィリベルトにとっていいことであった。
ヴァルデマルやヨナーシュと違って、何か秀でたことがない。怪力を上げればいいのだが、なにぶん頭が弱いことで、フィリベルトの利用価値は低かった。
それでもアリスは彼を殺さず、ハインツの部下にしてくれた。
アリスの慈悲が、フィリベルトを救ったのだ。だからアリスのため、ハインツのため。魔王軍のために、迷惑をかけず全力を尽くすと決めていた。
ゆえに、褒められたことがとても嬉しかったのである。
「ゲホッ、お、お前のせいで、俺の貴重な……防御アイテムが粉々だ……。どうしてくれんだ……!」
アリスたちが喋っていると、支えられてよろよろと歩く、冒険者の男が近付いてくる。
明らかに即死であろう攻撃だったが、彼はなけなしの資金で購入した〝お守りアイテム〟で一命をとりとめていた。
それでも冒険者として仕事をするには、数ヶ月かかるであろう重傷だ。
「相手の実力も分からないで、挑んだ君達が悪いよ。ねぇ、フィリベルト」
「やめてください、アリス様……」
ニッコリと微笑みながら、アリスはそうフィリベルトに言う。
まるで最初期のフィリベルトを見ているかのようだ。フィリベルトもアリスに会ったばかりの頃、己の力を過信して、相手の力を見下して戦いを挑んだ。
まぁ彼は最悪の事態の前に、アリスの力に気づいた。仕掛ける前に逃げ出したのだ。
フィリベルトにとっては、今では黒歴史も同然。愚かな自分を殴りに行きたいほど、恥ずかしい記憶だ。
「ところで、君達は勇者についての情報はあるかな?」
「勇者だぁ?」
「ケッ、あいつらのせいで仕事がなくなってんだよ」
「演習とかいって、ここらの魔物を全部狩り尽くしてんだ」
勇者の育成は国の最優先事項。
ギルドとしては痛手でも、優先せざるを得ない。このギルド自体が潰される可能性だってあるのだ。勝手に国のことを、否定など出来ない。
国が優先されるがゆえに、ギルドには滅多に仕事が回らなくなった。
冒険者にとっては、稼ぎがなくなったのだ。彼らを恨むには十分である。
「じゃあ死んだら嬉しい?」
「そ、そいつは極端ってもんだな……」
「人が死ぬのは嬉しかねぇだろ……」
恨むとはいえ、復讐を願うわけでもない。
いなくなれば嬉しいが、死んでまで消えてほしいわけではない。
彼らは善人というわけではないが、悪人でもないのだ。
「そろそろ行きましょう。傷が開きます」
「イテテ……そうだな。ったく、災難だぜ」
(喧嘩ふっかけたのは自分でしょーに……)
支えられながら去っていく男を見送っていると、バタバタと受付の男が駆け込んでくる。
新たに情報屋を見つけてきたのだ。
「ハァ、ハァ、腕利きの情報屋をお連れしました!」
「ありがとー」
「この方に知っていることを全部話せ、いいな」
「えぇ? いくらベルトランさんのお願いでも……」
「良いから! エヴラールを倒した方の雇い主だぞ」
「!」
連れてきた青年は、アリスを見て嫌そうにしていたものの、エヴラール――先程の冒険者の男を倒したと聞くと、目の色を変えた。
まるでアリスを見定めているようだ。
それもそのはず。腕利きの情報屋である彼の中に、アリスの情報がなかったから。
この町でも腕利きの冒険者を、いとも簡単に倒す部下を持っているものならば、青年も警戒対象として記憶している。
だがその情報はないのだ。故に青年は警戒をした。
「……それはそれは。僕はフルールと言います」
「どうも。アリスです」
「ここではなんですから。……ベルトランさん」
「あ、あぁ。奥の個室を使ってくれ」




