サクラ
「アリ=マイアはいいとして、帝国にまで普及させるなら、サクラがいるなぁ……」
アリ=マイアには、既にアリスの名前が知れ渡っている。
悪名であれど、名声であれど、どちらにせよアリスはよく知られている人物だ。
だから装置を普及させるには、何の心配もない。
それに、最近は王国も手に入れた。アリ=マイアと王国をつなぐ点に関しては、問題ないだろう。
しかし、今回の計画で手を出したい先は――リトヴェッタ帝国だった。
随分と前に送り込んだリーレイは、定期的な連絡以外に音沙汰がない。
オリヴァーの件が落ち着いた以上、そろそろ手を出してもいい頃合いなのだ。
「サクラ? サクラって、ト・ナモミに咲いてるっていうお花ですか?」
「え!?」
アリスの独り言に反応したのは、同室にいたサキュバスのガブリエラだった。
ガブリエラは、アリスが世界に来たばかりの頃に、救ったサキュバスの一人。サキュバスの中では弱い部類に入り、仲間に守られていたほどだ。
偶然にもアリスに救われ、種族全てを助けることとなったのは、懐かしい思い出である。
現在、アリスはリーベの寝室にて、三人で遊んでいるのだ。
三人で――というよりかは、リーベとガブリエラが遊んでいるところを、眺めているだけなのだが。
アリスもリーベと遊ぶことは多いが、ガブリエラよりは上手く対応できない。
人間に取り繕うのが得意なサキュバスだけあって、子供をあやすのもうまかったのだ。
「桜があるんだ」
「知ってらっしゃるんですか?」
「う、うん。ちょっとね」
ガブリエラには、アリスが転生者であることを伝えていない。
そもそも、幹部以外はそれを知らないのだ。
それを忘れかけていたアリスは、適当に誤魔化している。
伝えたところで、強い隷属契約を結んでいる以上、あまり意味は無いのだが――そもそも、言っている意味が伝わらないだろう。
「母上、さくらってなんですか?」
「桜ってのはねぇ、花が咲く木なんだ。ピンク色の花が、木いっぱいに咲くんだよ」
「へぇー! きれいですか?」
「うん。凄く綺麗」
「ぼく、みてみたいです!」
「そーかそーか」
アリスはリーベの頭に手をやると、わしわしと撫でた。
あんな可哀想なことをしてしまった以上、これからは可愛がると決めているのだ。
リーベも拒否などせず、嬉しそうに委ねている。
「でもどうして知ってるの? ガブリエラは、アベスカから出たこともないでしょ」
「えへっ、あたしの髪と同じ色できれい、ってお客さんに言われたことがあるんですっ」
「あー」
ガブリエラの頭髪は、ウェーブのかかったピンク色。桜と全く同じと言えるわけじゃないが、それでも連想させることはできる。
ピロートークでもなんでもいいが、ガブリエラと夜を共にした誰かが、彼女に異国のことを語ってくれたのだろう。
彼女は弱いサキュバスだが、愛嬌はばっちりだ。聞くのも上手であるがゆえに、なんでも話してしまうのだろう。
「でもその人いわく、ト・ナモミって結構行くの大変みたいですよ」
「へ~」
「あのへんって、海なんですよ」
「おぉ」
海。この世界にも存在したのかと、アリスは感動する。
アリ=マイアやパルドウィンの間にも、海のようなものはある。
だがこの世界の人間が言うには、あれは巨大な河川なのだという。本物の〝海〟は、ト・ナモミの周辺に存在する水を言うのだと。
「海の神様がいるみたいで。勝手に行こうとすると、生きて帰れないとか」
「ふーん」
アリスはト・ナモミに興味が湧いてきた。
もともと興味はあったが、更にそれは大きくなった。
ト・ナモミ。日本のような文化を持つ国。海と海神に守られた、島国。
この世界を作った神のお遊び的な要素も含んでいたが、それだとしても行ってみたい気はある。
とはいえ、まだまだアリスにはやりたいことがもっとある。
ト・ナモミには行きたいが、勇者や強者の情報がまったくないのだ。優先順位としては、まだ低い方である。
それに、アリスのものとなったアベスカ。その国王であるライニール・ニークヴィスト六世は、ト・ナモミの衣装を着ていたこともある。
日本の着物や浴衣に似たような服だった。
彼はもともと、個性的なことや異文化が好きで、わざわざ大金を叩いてまで入手したのだ。つまり交流があるということ。
いざ行こうと思えば、コンタクトを取ってくれるだろう。
「帝国が片付いたら、かな。まだまだ先だぁ」
「もし行くなら、あたしも行きたいです!」
「うん。連れて行こう。一度行けば、〈転移門〉を開けるしね」
「たのしみです!」
ガブリエラは、昔、一緒に旅行をしたことがあった。その際は結局、弱いがゆえに最後まで同行は出来なかった。
その時は雪山に登った。しかし、平地で過ごしていたガブリエラは、極寒に対する耐性がなかった。いちいち魔術を付与して、無理矢理登山していたのだが、途中で諦めたのだ。
戦闘時の足手まといだったことも、決め手の一つだった。
もし今後、アリスがガブリエラをどこかに連れて行くとしたら。
アリスがきちんと偵察などを終えて、戦闘や環境の変化などが必要ないと判断したときだろう。
「あっ、そうだそうだ、サクラの話だった」
「え、違うんですか?」
「うん。偽物のお客さん、って感じかな」
「にせもの……?」
「知らないものには手を付けないでしょ。だから噂を流したり、よかったよ~って言ってくれる仕込みの客を作る」
「なるほど!」
パルドウィン王国でも、アリスの知名度は高いが、それでも〝悪い方〟で――だ。
これも同じく仕込みがいるだろうが、アリスに対する知名度すら無い帝国よりも、難航するのは見えている。
こちらに関しては、長い目で見ることにした。
暫くの間は、政府や騎士団、貴族達との連絡方法とだけ考えても悪くはないだろう。
「お金で雇って、アベスカの人間を送り込もうかな」
「アベスカの〝たみ〟のようすですと、お金を払わずとも〝りょうしょう〟しそうですけどね」
「……そういうことは言わないの、リーベ」
「ごめんなさい」
アベスカの人間は、アリスのことを狂信者のように崇拝している。
いや、〝ように〟と言うべきではないのかもしれない。アベスカの人間は、アリスの狂信者なのだ。
とはいえ、リーベの言う通りにするつもりはない。労働の対価は支払うべきだ。
「ちょっとアベスカに行ってみるよ」
「いってらっしゃいませ~!」
「いってらっしゃいませ、母上」
「やぁ、ライニール」
「どうも、魔王陛下」
突然、目の前に〈転移門〉が開いても、ライニールは驚くことはなかった。
日常も日常。もう慣れてしまっていた。
ライニールは書類の山越しに、ちらりと目線を寄越してから、簡単に挨拶をする。
アリスに供回りがいれば、また態度は変わってくるだろう。
「最近はどう?」
「特に変わりはありませんけど……他国に大臣達を取られましたので、仕事量が増えたように感じます」
「あはは。アベスカは人口が少ないんだから、そんなに忙しくないでしょ。そもそも君はもとから遊びがちだったし、ちょうどいいでしょーが」
「……返す言葉もありません」
以前のライニールは、邪智暴虐な国王。
国民からも嫌われている挙げ句、旅行に行ったり豪遊したり遊び放題だ。大臣や右腕に国を任せ、戦争が終わっても豪遊をやめなかった。
そしてもっと酷いことに、アベスカに巣食っていた闇金融との繋がりもあった。それらは全て排除した上に、国民への謝罪も述べさせた。
様々なことがあったが、今となってはアリスの従順な部下の一人だ。
「ところで、何か用があるんですよね?」
「あぁ、そうだった。長期的に他国へ行ける人間をピックアップして欲しい。多いほうが良いかな」
「何をなさるんですか」
「ほら、街に最近導入されたでしょ。手紙と通信の」
「あぁ……」
一応、国の長であるライニールは、新たな技術についても触れた。
魔術の乏しいアベスカでは、他国とのやり取りは人を遣わせて手紙や言伝を頼むしかなかった。
アリスに襲撃された際にも、他国への通信が出来なかったせいで、良いように国を狙われてしまったのだ。
そして通信不可の環境は、アベスカが陥った危機についてを、他者へ発信することすら出来なかった。
通信技術や魔術の弱さは、ライニールが魔王に傅くことになった理由の一つでもあった。
そんなアベスカに、他国とすぐにやり取りが出来る技術が導入されたのだ。
皮肉にも、魔王の手から。
「あれを広めたくて」
「なるほど……」
ライニールはそう相槌を打つと、手元にあった書類をパラパラとめくる。
どれだけ目を通しても、山が消えることはない。次から次へと積まれていくのだ。
そして今も、目の前でひとつ、仕事が増えた。
「……すぐに通達を出します」
「パラケルススに頼む?」
「いえ。一応これでも王ですから」
「あらそう。ある程度集まったら呼んでよ。きちんと使い方を伝えるし」
「承知しました」
「……」
ライニールの返事を聞くと、アリスは少しだけムッとした。
腹立たしいというよりかは、違和感を覚えたという方が近かった。以前のライニールを知っていれば、誰もが変に思う。
今までも力によって支配してきたが、それとは違う。
妙に従順で、素直なのだ。
「なにか?」
「ライニール、変なものでも食べた?」
「なっ……」
「妙に冷静で素直だなって」
ライニールは取り繕うこともなく、大きなため息を吐いた。
これを幹部達が聞いていれば、下手すればライニールの首が――文字通り彼の頭と胴を繋いでいる首が飛んでいるかもしれない。
彼が仕事に追われて疲れているのも、大胆にさせた一因でもある。
そのことを分かっていたのか、それとも純粋にライニールのことはどうでもいいのか。そんな態度を取られたところで、アリスは苛立つことなどなかった。
どちらかといえば、あまりにもいつもと違うライニールを、疑問に思う気持ちのほうが強かった。
「あの勇者をも殺したあなたに、逆らう気がしなくなっただけですよ。魔族こそ混ざり始めましたが、アベスカは遥かに良くなっていますし。俺も改めようと思っただけです」
「へぇ~」
「な、なんですか」
「いいや、べっつに~。選定の話、よろしくねぇ」
「かしこまりました」




