天使とライトル三世
ライトル三世はその日、これ以上ないほどに苦虫を噛み潰した顔をしていた。
確かに天使様と話せる場を作れと命じたのだが、これでは話が違う。
それがライトル三世の率直な思いだった。
そもそも自分が、何でダナ教騎士団を激励しに赴かねばならないのか。激励してほしければ、奴らから王宮に来るべきなのだ。
大体、自分はこの聖戦騒ぎには反対なのだ。だというのに、それを歓迎するかのような行為をしなければならないとは……。
国王としての権威はどこに行ってしまったのだろうか。
贅を尽くした馬車の向かいには宰相が青白い顔で座っている。この聖戦騒ぎの一件では全くもって役に立たない宰相ではあったが、無能は無能なりにこの事態を重く受け止めているようだった。
この役立たずが!
心の中で宰相を罵ったライトル三世だったが、それで事態が好転するはずもないことは分かっていた。このまま座していれば、苦労して王位に辿り着いたというのに、破滅への坂道を転がり続けるだけなのだ。
あの狂った大司教と、そもそもの原因である降臨した天使を誅殺できればと何度も思ったのだが、どこを探してもその術はないようだった。
やがて馬車は、降臨した天使が滞在しているダナ教騎士団領内へと入った。そもそも王都内に騎士団ごときが、このような領地を持っていること自体がおかしいのだとライトル三世は思う。許可がなければ、国王ですら足を踏み入れることもできないのだ。
ダナ教の総本山としても知られるダナ教騎士団領内は、物々しい雰囲気で満ちていた。
降臨した天使を警護するという名目なのだろうが、あちらこちらにダナ教騎士団所属の騎士を目にする。さらにこれから魔族と戦争を始めることもあってか、殺伐とした雰囲気で満ちていた。
宗教の総本山なのに聖職者や信徒の姿はあまり見えず、武装した騎士だらけなのだ。
「狂信者どもが……」
ライトル三世が馬車内で呟く。向かいに座る宰相が素早く顔を上げ、青い顔で左右を見る。その小物じみた宰相の様子も、さらにライトル三世の苛立ちを増幅させていた。
「落ち着け。聞こえたりはせぬ」
叱責と言えないぐらいの語調であったにもかかわらず、宰相は首を竦めてしまう。
やがて馬車が止まり、扉が開かれる。馬車から降り立ったライトル三世を待ち受けていた者は大司教ではなく、小柄な老人であった。
王の出迎えにも来ないとは……。
すでに大司教の権勢は一国の王を超えたということか。
ライトル三世は自嘲気味にそう思う。
実際、ダナ教騎士団はエミリー王国内にしかさすがに存在しないが、ダナ教徒は大陸全土に存在している。彼らに信仰の高低はあるものの、それら一部の教徒が一斉に立ち上がれば、エミリー王国の運命など風前の灯火だろう。
それがかつては、大陸の盟主国と言われていたエミリー王国の悲しい現実だった。
「国王様、ベントス大司教が応接の間にて、天使様とともにお待ちです」
小柄な老人は慇懃に頭を下げて、ライトル三世にそう告げた。これでは自分が呼びつけられたに等しいと、内心では憤慨するライトル三世だったが、それを表に出すことはなく表面上は鷹揚に頷いてみせた。
王宮から連れて来た護衛の騎士が二人と、役に立たない宰相が一人。これがエミリー王国国王のお供だと思うと忸怩たる思いがある。
それら負の感情を全て飲み込んで、ライトル三世は足を踏み出したのだった。
宰相と護衛の騎士が応接の間へ入室することを断られたライトル三世は、最早どうにでもしてくれといった気分だった。中に入ると大司教の護衛と思しき兵が三名おり、ライトル三世に鋭い視線を向けてくる。
貴様らの王ではないのかと叱責したいところであったが、それを胸の奥にライトル三世は仕舞い込む。椅子に座る者が二人。王が入室したと言うのに立ち上がる気配もない。
一人は言わずと知れた大司教。となれば、もう一人は天使ということになるのだろう。実際、ライトル三世も上位眷属である天使を目にするのは初めてであったので、そういった意味では興味があった。
「ライトル三世陛下、ご足労いただきありがとうございます」
座ったままとはいえ、さすがにベントス大司教が謝辞を述べた。ライトル三世はそれに片手で応えて長椅子に腰を下ろした。正面にベントス大司教、その斜め正面に天使が座している。
天使は薄い灰色の髪に茶色の瞳を持つ、見た目は八歳程度の少女だった。ただその背中には白い翼があって、それが人族の上位眷属となる天使であることを示していた。
「何だ、私の顔がおかしいのか?」
天使が茶色の瞳をライトル三世に向けて、にこりともせずに言う。
「い、いえ、天使様、そのようなことは。ただ随分とお若いご様子なので……」
「ふん、見た目がどうなのかは知らないが、これでも貴様の十倍程度を生きている」
「は、はあ」
天使などの上位眷属は数百年を楽に生きるという話は本当らしかった。
「ここの大司教とやらが、魔族を滅ぼすための兵を挙げてくれると約束してくれた。そして、そのためには貴様の力が必要だと言う。もちろん、協力するのだろうな」
「お会いできまして光栄でございます……」
「ふん、余計な修辞ならいらないな。どうなのかと訊いている」
容赦ない天使の言葉にライトル三世は鼻白む。
なるほど……見た目はともかくとして、物言いは成人と何ら変わらないらしい。数百年を生きているというのは、やはり誇張ではないようだった。
「仰せのままに。今、国中の兵を集め、来たるべき聖戦に備えているところでございます」
「そうか。ならば急げ。眷属が魔族を滅ぼしたとなれば、神もお喜びになる」
天使がその少女然とした姿に似合わない表情で、にやりと笑う。
「ほ、本当でございましょうか、天使様。我ら眷属の最上位であられる至高の神々がお喜びになられると!」
大司教が口角に泡をつけながら、まさに喚き立てるように言う。
「もちろんだ。特に大司教、貴様の厚い信仰心、私からも間違いなく上申しておくぞ。ことが上手く運ぶのであれば、天界に転生ということもあり得る話だ」
「は、ははあ」
大司教はそう言って頭を垂れる。その顔は至福の極みで卒倒しそうな顔つきとなっていた。
ライトル三世はそれを冷ややかな目でみていた。
狂信者はある意味で分かりやすいが、この天使、中々の食わせ者で侮れない。
それがライトル三世の率直な感想だった。
「では陛下、騎士団が練兵場にて陛下をお待ちです。皆、聖戦に向けて、陛下のお言葉を待っていますゆえ……」
歓喜に打ち震える大司教はそのままで、騎士の一人がそうライトル三世を促したのだった。




