解けた呪い
草世は丹野風呂屋に到着した。入ろうとしたが、玄関が開かない。
「鍵がかかっている? ……おはようございます!!」
大声で挨拶をしても、玄関の扉を叩いても、反応がない。家の中はシンと静まり返ったまま。
草世は諦めて、家の周りを歩く。
一階の窓に手をかけたが、どの窓も開かない。裏木戸も開かない。
「どうなっているんだ?」
真珠がかけた結界術によって入れないのだが、そのことを草世は知らない。
途方に暮れて、石に座る。
太陽の日差しは春めいており、風は冷たいものの震えるほどではない。
庭に植わっている紅梅が、花をつけている。
「別名、春告草。寒さが残っていても、梅は春を感じ取って咲く。偉いものだ」
青空に映える、紅い梅の花。見ているうちに、直志を殺すしかないと思い詰めていた気持ちが緩む。
「直志は死ぬ。だが殺されるのと、寿命を迎えて死ぬのとでは全然違う。直志の死が安らかなものであるよう、命が尽きるそのときまで、僕は最善を尽くしたい」
気持ちが定まった。心を覆っていた黒い靄が晴れて清々しい気分でいると、突如、雄叫びが響いた。
「ぎゃあぁぁぁぁぁーーーーっ!!!」
草世は立ち上がると、丹野風呂屋の建物を凝視した。
「家の中から聞こえたような……直志!?」
直志の身に、よからぬことが起こったのだ。こうなれば、なにがなんでも家に入らなければならない。
草世は手頃な石を持った。窓ガラスを割るべく、狙いを定める。
すると──……。
ギィっ……。
必死になっている草世を嘲笑うかのように、裏木戸が開いた。
風に吹かれて、ギィギィと音を立てている。まるで手招きしているかのように、竹で出来た裏木戸が前に後ろにギィギィと揺れる。
草世は、ゴクリと唾を飲み込んだ。
「押しても引いても、開かなかったのに……」
お化けに呼ばれているような不気味さに、怖気付く。だが、行くしかない。
「怖がるな。お化けなんていない。……白狐はいるが」
真珠に会いたい。
そう思った自分に、草世は失笑した。
「突き放したのは僕なのに、会いたいだなんて滑稽だ。……直志のことが落ち着いたら、白裂に会いに行こう」
人間と白狐が一緒にいるためには、どうしたらいいのか。その方法を知りたい。
白裂に意見をもらおうと、草世は考えた。
裏木戸を抜け、勝手口から家の中に入る。
「おかしい。いつもと違う」
恐怖を感じない。視界が明るい。吸った空気が胸の奥まで入ってくる。
今までなら足裏が氷の上を歩いているかのように凍えるのだが、今日は冷たさを感じない。
「春が近づいているからか? だったら、恐怖を感じないというのはどう説明したらいい? まるで、お客で賑わっていた頃に戻ったようだ」
直志を閉じ込めている物置部屋に近づく。
草世はギョッとした。物置の扉が開いている。
「まさかっ!!」
直志が逃げ出したのだろうか。
斧を持った直志が村人を襲っている想像をし、身の毛がよだつ。
「直志っ!!」
「……誰?」
懐かしい、友人の声。
草世が物置部屋に飛び込むと、あぐらをかいている直志と目が合った。
ボサボサに伸びた髪。一ヶ月近く風呂に入らず、顔も洗っていないために汚れた顔。はだけた着物から見えるのは、くたびれた肌着。
直志は垢がこびりついた手で、頭を掻いた。フケが飛ぶ。
「頭が痒い」
「ハッ! 第一声がそれか」
直志はとろんとした目をしていたが、友人の登場に意識が鮮明になる。
直志は一重瞼の目を、懐かしそうに細めた。
「先生じゃないか。俺……悪いものに取り憑かれていた」
「わかっていたのか?」
「あぁ。何度も、やめろって叫んだ。抵抗した。だが、黒いものが体に巻き付いて、そのうち心にも入ってきた。黒いものが囁くんだ。人間は、欲の塊。自分勝手でわがままで、他者を傷つけ、嘲笑い、裏切り、自然を破壊する。人間は、悪。そんなことを朝から晩まで聞かされるものだから、気が変になってしまった。人間を殺さなければいけないと、そう思ったんだ。……縛ってくれて、ありがとう。人殺しにならずに済んだ」
「そういうわけだったのか……」
「それにしても、臭い。風呂は沸いているのか?」
「いや……君の両親、具合が良くないんだ」
直志は目を丸くすると、手を床について立ち上がろうとした。だが眉を顰めて唸ると、腰を落とした。
「体の節々が痛い」
「無理するな。僕が、二人の様子を見てくる」
「すまない。しばらく、動けそうにない」
直志はため息をついた。それから、入口近くにいる真珠を見つめた。
草世も振り返る。真珠がいることに、気がついてはいた。だが、どう声をかけたらいいのか迷っていた。
二人に見つめられ、真珠は気まずそうに指をもじもじさせた。
「ごめんなさい。家で待っていられなかった。草世の役に立ちたかった。友達を助けたかった」
「そうか。……その、悪かった。いろんな出来事が積み重なって、混乱していた。意地悪なことを言って、悪かった」
「ううん」
「ありがとう。助かったよ」
真珠は、草世に叱られると覚悟していた。それなのに、感謝された。
はにかんだ草世の目が、優しい。
真珠は嬉しそうに「うん」と頷くと、草世の胸に飛び込んだ。
「白狐の掟を破っても、問題ない。追放されたら、嬉しいもん。草世と、堂々と暮らせる!」
「だが……。僕のために、真珠は力を貸してくれた。それなのに、知らんぷりはできない。一緒に謝ることができたらいいのだが……」
「ゴホンっ!」
わざとらしい咳払いをしたのは、直志。
草世は慌てて真珠の肩を優しく押しやると、言い訳をする。
「ち、違うんだ、これは! その、わけがあって……」
「その子は、先生の恋人か?」
「押しかけ女房の、真珠です」
「こらっ!」
草世に叱られても、真珠はご機嫌。
二人の仲の良さが伝わってきて、直志は「俺も、嫁さんが欲しい!」と叫んだ。




