File:025 懲戒処分
今日3本目です。
モチベーションが上がりに上がっているのでぜひ。
「……前崎さんが懲戒処分!?さっき帰ってきたばっかりですよ!?」
東雲が絶句したまま、一ノ瀬を睨みつける。
その目は、「冗談でしょう」と言いたげだった。
一方、山本は黙っていた。
だがその指は、キーボードの上を異様な速さで走り続けている。
今は解析が最優先——感情よりも情報だ。
「当面は僕がチームの指揮を執る。……前崎さんほど上手くやれるかはわからない。でも、力を貸してほしい」
そう告げた一ノ瀬は、東雲と山本に対し、前崎の処分に至った経緯を淡々と語った。
「――最低」
東雲の怒号とともに、鋭い音が室内に響く。
彼女の平手打ちが、一ノ瀬の頬を鋭く打った。
しかし、一ノ瀬は顔色一つ変えなかった。
「……当然の感情だね。申し訳ない」
冷静さだけが返ってきた。
その静けさが、かえって不気味だった。
「だが、これだけは伝えねばならない。
前崎さんは、完全に敵の管理下にある。
おそらく、生体デバイスを体内に埋め込まれている。
位置情報、監視、あるいは何らかの抑制装置の可能性もあるが、構造がわからず摘出もできないと思われる」
それに一ノ瀬は続ける。
先ほどの前崎との茶番のやり取りだ。
「しかも、居場所すら不明だ。
日本なのか、国外なのか、それすらわからない。
本人の証言によれば、“どこか”に連れていかれたが、詳細は意図的に遮断されている」
東雲を見る。少し不機嫌そうだ。
「そして、前崎さんには何か脅されている。
それは1人の人間を“消す”こと。
標的が誰かまでは教えられなかった。
だが、敵がそれほどの情報を前崎さんに託している時点で、ただの駒ではないと見ていい」
茶番のような前崎とのやり取りで掴んだことだ。
だが東雲にはまったく響かなかった。
東雲の怒りが、ついに臨界点を超えた。
「それで……それで何が“分かった”と言えるんですか!!」
その声には、怒りだけでなく、裏切られた感情と悲しみが混じっていた。
しかし、それを制したのは山本だった。
「東雲、落ち着け。まずはこのメモリを解析する」
キーボードを叩く手を止めずに、彼は続ける。
「パスワードの形式は素人レベルだ。
下手すれば、高校生でも破れる。
AIで暗号化された形跡はあるが、プロの仕業とは思えない。
……前崎さんの手口じゃない。
これは、おそらく敵から奪い取ったデータだ」
山本の声に、東雲は一瞬だけその怒気を引っ込め、山本の方へと振り返った。
「さて……再生するぞ。録画も同時に回しておく」
クリック音とともに、モニターが明転した。
そこに映し出されたのは総理の娘、真澄だった。
その内容は一ノ瀬たちを驚かせる内容としてはいささか過激すぎた。
「……懲戒処分、だとよ」
前崎はフードを深く被り、マスクで顔の下半分を覆ったまま、深夜の牛丼チェーンへと足を踏み入れた。
自分の身辺整理をしていたらこんな遅くまでなってしまった。
無人化が進んだ店舗には、他の客の姿はない。
ただ1席、目立たぬ隅にルシアンと呼ばれた少年のホログラム映像が浮かんでいた。
「お前ってどこでも現れることができるんだな」
彼は十代半ばほどの外見。
整った顔立ちに、不釣り合いなほど冷えた瞳を持っている。
『あんな三文芝居で、僕たちを欺けると思ったのかい?』
声には静かな怒気が滲んでいた。
無理もない。
前崎は“内部から情報を流す”と約束していたにもかかわらず、自ら停職処分を受けるよう仕向け、事実上、組織から外れたのだ。
「情報は渡すって言ったが、“現職のまま”とは言ってねえだろ」
前崎は椅子に座ると、タッチパネルで注文を確定させた。
牛丼並盛、ねぎ多め、味噌汁なし。
「それに――リストのうち一人始末すりゃ終わりだ。話は最初からそうだったろ?」
ボスのホログラムが小さく瞬いた。
『なるほど。
では、その1名の排除が完了すれば……
君はアダルトレジスタンスに正式に合流、という解釈でいいのだね?』
「そうなるな。望むなら、体の使い方も教えてやるよ。
戦いの“リアル”を知らねぇ奴ばかりに見えた。合格点はケンだけだな」
わざと挑発気味に言う前崎の声に、ボスの目が細くなる。
『忘れないで。君は今、私が“管理”している。
裏切りや逃亡は成立しない。
……もし君がまた茶番を演じるなら、君の過去も未来も、全てを奪う。
もちろん君の身内も同様だ』
「本当に“子どもの革命”を掲げてる組織かよ。やり口が、血と硝煙の古典派すぎる」
『……それは、今の君の行動が“信頼に値しない”からだ。
そうでなければ、私もこんな警告はしない』
前崎は一瞬だけ目を伏せた。
そして、言葉を絞るように呟いた。
「わかったよ。もう、警視庁には戻れねぇしな。
だが身内を盾にするっていう脅しは無駄だ」
『無駄? それはどういう――』
「全員、もう殺されてる」
ホログラムのボスが沈黙した。
数秒のノイズのあと、次の言葉は、静かすぎて怖いほどだった。
『……そうか』
そのタイミングで、カウンター奥から全自動搬送レーンが起動し、注文された牛丼がトレイに乗って前崎の前に滑ってきた。
湯気を立てる牛肉には、過剰とも思えるほど大量のネギが乗っている。
前崎は、ほんの少しだけ鼻を鳴らし、笑った。
「……変わらねぇな、この味。安いけど、妙に沁みる」
そして、ガツガツと牛丼をかき込む。
まるで、世界の何もかもがどうでもいいというように。
あるいは、食うことだけが“生きてる証拠”であるかのように。
ホログラムの少年は、黙ってその姿を見つめ続けていた。
――意識が、前崎から離れる。
ホログラム接続の焦点が切り替わり、空間情報が再構成される。
次に現れたのは、冷たい無機質な部屋だった。
SGの中枢にあたる意思決定領域。
そこに立つルシアンと金色の猿の仮面を被った少年、ケン。
「ケン君。……彼をどう思う?」
マスターが静かに尋ねる。声には期待も恐れもない。
ただ、“戦術的観察”としての冷たさがあった。
ケンは即答した。
「破滅するつもりでしょう。自分の意思で」
その言葉には、判断というよりも“断定”が込められていた。
「ふむ……それは、もったいないね」
マスターはほんのわずかに肩を落としたが、笑いもしない。
共感ではなく、人的資源の損失としての“惜しさ”だった。
ケンは続けた。
「公安やSPといった職種に就く者たちは、“命を使い切る”ことに抵抗がありません。
訓練によって、“死ぬことは失敗ではない”と叩き込まれています。
私の記憶にも、そのようなパターンがいくつか登録されています」
それは、体験談なのか、データなのか。
ケン自身も、その区別をもう意識していないようだった。
「本当に、厄介な人種だ……」
ルシアンは嘆息するように呟いた。
「で? 信用できるのかい、あの男」
ケンは仮面の奥で何かを計算するように、間を取った後、答えた。
「当面は問題ありません。
彼は“裏切られたとしてもこちらが損をすることがない”状態を選びました。
わかっていても対応できない……その無力さこそが、今の彼の武器です」
「つまり、“信じても痛くない程度には信じていい”ということか」
「ええ。彼は自分の命と引き換えに、信頼を買いにきている。
それを途中で投げ出すような人間ではないでしょう。
……少なくとも、“終わるまでは”」
ルシアンは満足げに一度だけ頷き、指を鳴らした。
すると、空間が揺れるようにして再び転送が始まる。
「では、実行はしてもらおう。
利用するとは、最後までやらせるということだ」
意識のフォーカスが切り替わる。
世界が揺らぎ、再び“牛丼チェーン店の深夜”が現れる。
そこには、もうほとんど食べ終えた前崎の姿。
器の底を、箸で軽くすくっている。
――牛丼を平らげたあと、前崎は無言のまま通りへ出た。
ネオンサインが消えかけ、街が眠りから覚める“空気の薄い時間”。
自販機の補充トラックと、濡れたアスファルトの匂い。
それが、深夜と早朝の境界線だった。
目的地は秋葉原。
空が仄かに白んできていたが、彼は一度も空を見上げなかった。
前崎は秋葉原の裏路地にいた。
そこにある、一見して廃ビルとしか思えないボロの建物。
その奥――錆びついたシャッターの向こうに、誰も知らない“地下”がある。
彼は慣れた手つきで、剥がれかけたパネルの裏に隠されたタッチ式端末を起動。
特定の順番で押さなければ開かない“死にキー”の組み合わせと、古びた鍵を使って、封印されたエレベーターに乗り込んだ。
『ここは?』
通信越しにルシアンが問う。
埋め込まれた機械のせいなのか脳に響く。
「前に摘発したことがあるアングラ店舗だ。
条件付きで、黙認されている。経営の継続を“特別に認めた”形にな」
エレベーターが静かに降下し、数十秒後に“カチッ”という重いロック音とともに停止した。
ドアが開く。
そこには、まるで古びた高級ホテルのようなフロアが広がっていた。
木目の壁、真鍮のシャンデリア、虚飾のエントランス。
だが、すべては演出――“入り口”にすぎない。
エントランスには一人の老人がいた。
深く椅子に腰をかけ、本を読んでいる。装丁は革。
タイトルのない無地の本だ。
「……Mr.オスカーはいるか」
前崎が問うと、老人は顔を上げ、眼鏡越しにじっと彼を見た。
そして、ゆっくりと頷く。
「……こちらへ」
老人の背後にあった大きな古時計が、静かに時を刻む。
その文字盤が反転し、内側に隠された階段が姿を現す。
油の匂いが、かすかに漏れ出ていた。
前崎はポケットから小さなチップを取り出し、老人の本の間に挟んだ。
何も言わず、階段を降りていく。
『……こんな場所、本当にあるんだね』
「俺だって最初は驚いたさ。
いつか何かに使えると思って潰さずに残してた。
……正解だったな」
階段を降りきった先は、まるで異世界だった。
壁一面に銃器の分解部品と改造ツール。
床には耐衝撃マット、照明は点滅気味の工業用ライト。
天井には吊るされた神経外骨格、壁には冷却中の弾薬コンテナ。
RPGに出てくるような武器屋。だが、すべてが現実の殺傷力を持っている。
「……やあ。珍しい顔だ。ついに“摘発”かと思ったぜ?」
工房の奥から声がした。
前崎が視線を向けると、片手に銃を構えた男が立っていた。
その顔――片目は義眼、眼帯ではなく、戦場で失った“記憶の蓋”。
全身は枯れ木のように痩せ、体に走るムカデのタトゥーだけが不気味に生命力を持っている。
「いや……公安はクビだ。懲戒処分。
いまはただの無職さ」
その一言で、男は銃を下げた。
「……つまり、客ってことか。なら歓迎しよう。オスカーの工房へようこそ」
イラク訛りの日本語。懐かしいようで、戦火の匂いが残る発音。
「お前さんの活躍はニュースで見たぜ。
国会議事堂ではヒーローじゃないか。
で……今度は何をしでかすつもりだ?」
前崎はわずかに口元を緩め、こう答えた。
「総理の暗殺だよ」
その言葉は、あまりに自然で、まるで昼飯の予定を語るかのようだった。
新章突入?新章というのだろうか?




