10 『悪魔』
「そもそも『悪魔』って何をする存在なんですか」
廃村の傍にあった森を抜けると、その先に雰囲気のある石碑が現れた。
無数にあるそれは遺跡にように見えるし、墓標のようにも見えた。
そんな不気味すぎる場所で、傍にいた騎士に話しかけた。
ちなみに、マクシミリアン様は熱心に石碑を読んでいて話しかけられる雰囲気じゃない。
「ああ、『悪魔』は何かを奪うと言われている」
「何か?」
「それが判明していないんだ」
困ったように笑う彼は、さっき私の頭を撫でてくれた騎士だ。
こんな良い人を困らせるのは本意ではない。
「じゃあ、『悪魔』はどんな姿をしているんですか?」
子どものように次々質問してくる私に、騎士はまた困ったように笑った。
父性を感じる笑みに、不安でざわついていた心が少し落ち着いた。
「それもわかってないんだ」
「何もわかってないんですね……」
一気に不安になってきた。
こんなにも不確かな『悪魔』という存在を、なぜこうも確信しているのだろう。
「本当に『悪魔』はいるんですか……?」
「いる」
はっきりとした返答に、目を見開く。
「確かに何かを奪われた人々がいる。だが、その奪われたものがわからない。そんな不気味な存在を俺たちは『悪魔』と名付けたんだ」
「確かに何かを奪われた……」
『悪魔』は人の記憶をいじれるらしい。
本当にそんなものが存在するなら一大事だ。
「『悪魔』に何かを奪われた人たちはどうしているんですか?」
「国の特殊機関が保護している。落ち着いた人から、普通の生活に戻ってもらっているんだ」
落ち着けば、普通の生活に戻れる。
……それで問題は起きないのだろうか。
「ん?ああ、奪われた人々は次第に奪われたという事実すら忘れてしまうんだ」
「そうなんですね……」
本人たちにとっては、救いかもしれない。
奪われたものが何なのか悩み続けるより、忘れてしまった方が楽だ。
「主君も、『悪魔』の被害者なんだ」
「マクシミリアン様も?」
まさか身近に『悪魔』の被害者がいたとは思わなかった。
だから、あそこまで熱心に石碑を調べているのか。
「あの方は特別で、数年経った今でも『悪魔』に奪われたことを覚えているんだ」
「普通はすぐに忘れてしまうんですか?」
「ああ、通常はもって数か月だ。数年以上も覚えているのは主君だけだ」
マクシミリアン様にとって、奪われた何かは本当に大切なものだったのだろう。
嫌な人だと思っていた彼の、脆い部分に触れたような気がした。
居心地の悪い感覚に、目を彷徨わせる。
「だから、主君をあまり嫌わないでやってくれ」
「………!やだな、私が高貴な方を嫌うわけ———」
「その割には、対応が辛辣だな」
「主君!」「マクシミリアン様?!」
いつの間に横にいたのか。
心臓が口から出てきそうだ。
バクバクと血管が脈打っている。
「何を話していた」
彼は騎士に冷たい一瞥をした。
騎士は礼儀正しく腰を折り、胸に片手を当てて報告する。
「はっ、『悪魔』に関する情報と主君のことを少し」
「…………そうか、下がっていい」
「失礼します」
私の横を通り過ぎる際、騎士は目でエールを送ってきた。
そんなことされても困るんだが。
「俺の話を聞いたのか」
「はい、まあ、『悪魔』の被害者だということを……」
なんだか気まずくなり、視線を地面へ向ける。
彼の顔を正面から見る自信はなかった。
「その、『悪魔』を恨んでますか……?」
思わず口から出た言葉に、慌てて口を塞ぐ。
しかし、出てしまった言葉は取り消せない。
「さあ、どうだろうな」
「…………」
「奪われたものが何だったのかを思い出さない限り、その判断はできない」
その答えに、安堵の息を吐く。
もし「恨んでいる」という答えだったら、私はどうしたのだろうか。
「相変わらず、冷静ですね」
「お前と比べられてもな」
「あ、喧嘩なら言い値で買いますよ」
「お前に払えるのか?」
軽快な会話に、私は笑った。
締め付けられた胸が、どうしようもなく苦しかった。
帰り際、私は一つの石碑と向き合っていた。
「そっか…………そうだったんだ」
石碑に額を預け、そっと目を閉じた。
このまま、自分が世界に溶けそうな感覚がする。
「おい!出発するぞ」
「!」
マクシミリアン様の声に、意識が戻ってくる。
今のは少し、危なかった。
「はい!今行きます!」
今は、今はまだその時ではない。
私は振り返ることなく、彼らのもとへ走る。
石碑は霧を纏い、静かに佇んでいた。




