8 このクソ不良!
――――彼が登場してから、場は台風が通過したかのように荒れに荒れ、事は一瞬にして片付いた。
まず、彼も朝帰り組なのか、木の上で寝ていたらしい二木君は、現れた時から機嫌は最悪だった。
「ふ、二木……っ!?」と、先輩たちの動揺ぶりを見て取るに、彼は上級生の間でも要注意人物のようだ。それでも、いきなり後輩にクズ呼ばわりされて、不良さんたちが怒らないはずがない。特に、もともと私のせいで頭に血が昇っていた不良Aは、勢いのまま二木君に殴りかかった。
それを彼はいとも簡単にいなし、カウンターで鳩尾に蹴りを叩き込んだのだ。容赦なんてない、無慈悲な一撃だった。
不良Aは声も漏らせず踞り、それを見ていた不良Bは可哀想なくらいカタカタと震えていた。
そんな彼らに二木君は、「消えろ」とただ一言そう言った。
そして不良BはAをなんとか回収し、脱兎の如く逃げていったのである。
……そして現在。シンと静まりかえった現場に、へたり込んだままの私と二木君だけが取り残された。
「ふ、二木君、あの……」
私は気まずさに耐えられず、か細い声で彼の背に話しかけた。ダルそうに顔がこちらに向けられる。
本当に、本当に釈然としないが、結果的には助けられたのだから、お礼くらいは言わなくてはいけない。
「その、危ないところを助けてくれて、ありが――――」
「おい」
低い声に遮られ、私は条件反射でビクッと肩を震わせてしまった。
逆行で彼の顔はよく見えないが、きっとまた、あの無機物を見るような眼差しをしているに違いない。
「な、なに……?」
「俺がお前を助けたとか、気色の悪いことを考えるなよ」
「え……」
「いつもウジウジびくびくしやがって、うぜぇんだよ、お前。俺はお前みたいな女が一番目障りだ。お前もさっさと俺の前から消えろ。…………二度と顔見せんな、グズ」
そう吐き捨てて、彼が私の横を通り過ぎようとする。
その去ろうとする姿が。
その叩き付けられた暴言が。
その私を価値のないものとして映さないあの瞳が。
――――――そのすべてが、死んだあの日に見た光景と重なって。
私は考えるよりも先に、手が動いていた。
コンッ
「……あ?」
その辺に転がっていた木の枝を操作して、彼の後頭部に当てる。軽い音だったが、綺麗に当たったのでそれなりに痛いと思う。
現に彼は額に青筋を立て、動きを止めて振り返った。
…………前身を巡る血流が熱い。身体中がアドレナリンに満たされているせいか、足首の痛みなんて微塵も感じなくなっていて、私はぐっと立ち上がった。
手先や唇は先ほどから小刻みに震えている。だけどこれは恐怖や萎縮しているからじゃない。
彼と対峙して、私は喉が裂けんばかりのありったけの声で叫んだ。
「この、このっ――――クソ不良っ!!!」
木々に叫び声が反響する。
私の急な態度の変化に、微かにだが、彼が金の目を見開いたのがわかった。
もう、なりふりなんて構ってられない。
膝から血が滴ろうが、顔が土で汚れて酷いことになっていようが、知ったことか。
あの日吐き出せずに呑み込んだ、悔しさや虚しさ、今までの鬱憤や怒りなど、他にもぐちゃぐちゃになったすべてが、込み上げてきて止まらない。
私はあの日、死ぬ前に感じていたあの惨めな思いを、もう二度と抱えたくはなかった。
息を吸って、一気に思いをぶちまける。
「だいたいなんなのよ、あんた! いっつもグズ、グズって! もうペア組んで三ヶ月だよ!? 名前くらい覚えんかい! あと仕事サボんな、日直くらいやれ! ついでに魔法模擬試合もせめて出るくらいはしろ! とばっちりが全部私にくるんだ! それに目障りとか何!? あんた何様俺様二木様ですか!? そりゃ、私だってあんたにビビりまくって感じ悪かったかもしれないけど、先にビビらせたのはあんただから! 怖いのよその顔、あとオーラ! 嫌々でもペアなんだから、もっと歩み寄る努力をしろ! 私もするから! あと、最後にっ――――」
ゼーハーと息を乱しながら、ビシッと指を二木君に突きつける。
「私の名前は野花三葉! 二度とグズなんて呼ぶな!」
以上! っと締めくくり、私は体を反転させた。そして怪我をしていたことも忘れ、全力で地を蹴って逃亡する。
感情が高ぶりすぎたせいか、生理的に出てきた涙を拭って、移り行く景色の中をただただ走る。スカートが風を受けてはためいて、額から伝った汗は光の粒へと変わり、空気に散っていく。
体は重くても心は軽くて、私は力尽きて足の痛みを思い出すまで、地面を蹴って走り続けた。
――――――最後に見た二木君は、見たこともない唖然とした顔をしていて、その瞳の中には、小汚ない私の姿がしっかりと映っていた。