樹虎と三葉とある雨の日
竹書房さんよりコミック単行本第一巻、発売しました!
コミカライズならではのオリジナルシーンも満載です(樹虎の従兄のお兄さんの、名前とビジュアルが初解禁……!)
詳細は本文下or活動報告に!
飴色みそ先生の描かれる三葉たちも、どうぞよろしくお願いいたします☘
「あー……やっちゃったなあ」
学校の昇降口で靴を履き替え外に出て、屋根の下で空を見上げ、私はうーんと唸った。
空からは絶え間なく、透明な雫が落ちてきている。
朝見た限りでは微妙な空模様だったのだが、大丈夫だろうとたかをくくって、傘を持たずに来てしまった。あの灰色の雲が憎らしい。
「心実なら持ってそうだったのに、今日は風邪でお休み……むしろ風邪は大丈夫かな」
お風呂上がりに、夜更かしして本を読んでいたことが原因らしい。
たぶん、また例の本だろう。
寮に帰ったら、スポーツドリンクでも買ってお見舞いに行こうかと考える。「うつるので来ちゃダメなのです、お姉さま!」とスマホに連絡が来ていたが、やっぱり心配だ。
まあ、その前に、この雨の中をどう帰るかなのだが。
ザアザアと降りしきる雨音は、一向に止む気配がない。地面を叩いて跳ね返った水滴が、私の靴先を濡らす。
雨を凌げるような、なんか良さげな魔法でも使えたらなーと考えてみるが、私にはあっても使えなさそうだし、理由が『濡れたくないので』だったら、そもそも魔法使用許可が下りなさそうだ。
いっそ都合良くポチ太郎が現れて、寮の部屋まで転移してくれないかな。たまにはあの高い魔法能力を有効活用して欲しいと、切実に思ってしまう。
そこらで私は現実逃避を止めて、体よく誰か知り合いが現れないかと、キョロキョロ周囲を窺ってみる。
「やだ、雨降ってる! 傘忘れてきたよー」
「あ、俺持ってるぜ、折り畳み。入る?」
「いいの? ありがとう!」
横からそんな弾んだ話し声が聞こえてきたかと思えば、相合い傘で雨の中を、仲良く帰っていくカップルが一組。
カップル未満かもしれないが、なんというか当てられた気分である。
もう濡れて帰ろうかななんて、ちょっと自棄になるよね。
それに、と私は落ちる雨粒を、少し憂鬱な気分で目で追う。
……雨は嫌いだ。
どうしても、死んだあの日の情景を思い出すから。
「……ダメだな」
嫌な気持ちを払うように頭を振って、沈みかけた気分をむりやり持ち上げる。なんとか私は思考を切り替えた。
いい加減、本格的に帰る方法を考えなきゃ。待っていても雨はやみそうにないし、このままだと夜になってしまう。
職員室に行けば傘くらい貸してくれるかな? でもけっこう遠い。なかったら無駄足だよね。
「よし」
私は意を決して、頭の上にスクールバッグを両手で乗せた。ささやかな雨避けだ。こうなったら取る手段はひとつ。
自慢じゃないが、私はひどい風邪などひいたことのない元気っ子。
このくらいの雨、駆け抜けて帰ってやる。
そして思いきって、屋根の影から一歩踏み出しかけたときだった――――雨のカーテンの向こうから、見慣れたシルエットが歩いてきたのは。
彼は不機嫌そうに、燃えるような赤い髪を黒い傘の下で揺らしている。いつものように終礼と共にさっさと教室を出て行ったから、とっくに寮へ着いていると思っていたのに。どうして彼がこんなところに現れるのか。
私のところまでやってきた相棒に、驚きで目をパチパチと瞬かせる。
「樹虎……? どうし」
「チッ!」
「いきなり舌打ち!?」
相変わらずの態度である。人の顔を見るなり、お得意の舌打ちをかますとは。
だが文句を言う前に、私はふと、彼の黒い傘を持つ手とは反対側の腕に目を留める。そこには、透明なビニール傘がもう一本。
「樹虎、そっちの傘は? というか、なんでまた学校に……?」
「……寮監の爺に頼まれた、つーか、縦ロールの変な女に押し付けられた」
「梅太郎さんと……えーと」
縦ロールの変な女って、まさか理事長?
まったく状況が読めない私に、樹虎はものすごく苦々しい顔で、わかりやすく何が起こったのかを説明してくれた。
まず、普通に樹虎が自分の黒い傘をさして、雨の中を歩いて寮へと帰ったと。だけどちょうど寮の入り口前で、出掛けるところだった梅太郎さんと遭遇。
なんと彼は「朝、登校する時に三葉ちゃん、傘を持たずに行ったみたいでねぇ。今頃困っているんじゃないかと思って」と、わざわざ私に傘を届けようとしてくれるところだったらしい。
これを聞いて、私が梅太郎さんのイケ紳士っぷりに震えたことは言うまでもない。
しかしそこで、まさかの梅太郎さんの後ろから、理事長さんがワインレッドのスーツ姿で登場。
樹虎は会うのは初で、彼女が姿を現す全校集会とかもサボリ率が高く、それが理事長さんだとは分かっていないみたいだが。
おそらくまた、理事長さんは梅太郎さんのところに愚痴でも零しに行っていたのだろう。
私は内心で「樹虎、それけっこうレアな出会いだよ」と告げておいた。
まあ、そこは置いといて。
「ちょっとそこの赤い髪の貴方! 貴方は確か、野花三葉さんのペアの、二木樹虎くんでしょう? それなら貴方が、梅の代わりに傘を彼女に届けて差し上げなさい! ペアの義務よ、さあ早く!」……と、強引に樹虎は、理事長さんに、梅太郎さんの持っていたビニール傘を押し付けられたそうだ。
さすがの樹虎も、あの理事長さんの迫力には勝てなかったようで。申し訳なさそうな梅太郎さんに見送られ今に至る、と。
そ、そりゃ不機嫌にもなりますよね……!
「な、なんかごめんね、樹虎。まさかそんな展開になったとは……」
経緯はどうあれ、樹虎はこの雨の中を、私に傘を届けるために学校までリターンして来たのだ。寮と校舎の距離はさほどないとはいえ、だいぶ面倒だろう。ただでさえ面倒くさがりな樹虎さんなのに。
そもそも私が傘を忘れなければ……と低姿勢で謝る私に、樹虎はもういいと言わんばかりに深い溜息を吐いた。そして押し付けられたのは黒い方の傘。
「本当にテメェは手がかかる……いいから帰るぞ」
「マジですいません。というかあの、こっちの傘は樹虎のじゃ……?」
樹虎は私の質問には答えず、ビニール傘の方をさして無言で先を行く。
ビニールの方が傘は小さいし、体格のいい樹虎は濡れてしまうのでは。迎えに来てもらっておいて、私の方が明らかに大きくてしっかりとした、良い方の黒い傘を使っていいの……?
だけど樹虎は口を開かない。
おずおずと、私は黒い傘の方をさして彼の横に並んで歩く。傘の面積が大きいおかげで、まったく濡れない。反して樹虎は、透明な傘の下で窮屈そうだ。
……さっきのカップルみたいに、相合傘なんてお互い柄じゃないけど。
こういう分かりにくい気遣いというか、優しさの示し方が不器用なのが、私の相棒なんだよなあ。
「あのですね、実はこのあと、風邪でお休みしてる心実のお見舞いに行く予定でございまして。そのときに、スポーツドリンクとか寮の自販機で買って、持っていこうと思っていて。そこであの、なにかお礼に奢らせてください」
「……コーラ一本」
「了解しました」
そんな会話をしながら、二人で並んで雨の中を歩く。
たまには傘を忘れるのも悪くないかもなんて思ったことを、隣の彼に知られたら、たぶん頭をはっ叩かれるだろうな。
ありがとうねと呟いた声は、雨音に紛れずちゃんと響いてくれた。