あなたの名前(樹虎視点)
リクエスト頂いた樹虎視点です。時系列的には、本編の魔法模擬試合の練習期間あたり。
いよいよ来週の金曜日(5/28)から、Webコミックサイト『ストーリーアダッシュ』でコミカライズ連載スタートです!
「今度から二木君のことを――き、樹虎って呼んでもいいですかっ!?」
「黙れ」
そんな会話をしたのは、幾日前のことだっただろうか。
あれからあの女は調子に乗って、どんどん俺に対する遠慮が無くなってきている気がする。
……たぶん、それは気のせいじゃねぇ。
「ね、ねぇ、樹虎! 見た? 今の見た? さっきこのモップ、かなり動いていたよねっ? もうこれ、そろそろ『物質操作魔法』を習得したってことになるんじゃないかなっ?」
「見てねぇ。もう一回やれ」
「見ていてよ! あれ一回きりの奇跡だったらどうするの!」
「それは習得したとは言わねぇだろ」
つい呆れを滲ませて息をつけば、モップ相手に真剣に唸っていた女は、「じゃあ、今度こそちゃんと見ていてね!」と返してきた。
出会った頃はうじうじビクビクと、俺に対して委縮していた姿が、そこには見る影も無い。
コイツは今、『物質操作魔法』でモップを自在に動かす特訓をしている。何でもまともに使えるのが初級の『移動魔法』だけらしく、せめてその一つ上のランクの物質操作魔法を、試合までに会得しておきたいそうだ。
あの教師に「ランキング入りしてみせる!」と啖呵を切ったのだから、勝算はあるのかと思えばそんなものも無く。根性論だけで何とかしようとする馬鹿だった。
今度は失敗して「もう一回!」と吠える様子を眺めながら、俺は再度溜息を吐き出す。
何故俺は、こんな放課後の時間に訓練棟のトレーニングルームに来て、鬱陶しいとだけとしか思わなかった、己のペアの魔法練習に付き合っているのか。
最初はほんの気紛れだったはずだ。
だが、その気紛れも一週間続けば軽視は出来ない。
本当になんで俺は、毎日夕暮れの時間帯になると、コイツのいる此処へ来てしまっているのだろうか。
「やっぱり上手くいかない……さっきは成功したのに。ねぇ、樹虎! なんかコツとか他にないのかな? 前に聞いた心実の説明は難解過ぎて……。出来れば横でお手本として、樹虎が一緒にやってくれると有難いのですが!」
……以前までのビクつく様子よりはマシだが、ここまで無遠慮になるのも腹立たしいな。
そう思っても俺は、悪態を溢しつつも、気付けばコイツの言う通りに魔法を実践してみている。「モップめっちゃ掃除してる! さすが樹虎!」とはしゃぐ、頭一つは低い位置にある揺れるピンク髪を視界に入れたら、無性にむず痒いような不愉快な感覚が湧いて、思わず舌打ちを落としていた。
大体コイツは、「樹虎」と気安く人の名前を連呼し過ぎだ。
昔はそんなふうに俺の名を親しみを込めて呼ぶ奴なんて、従兄の兄貴くらいしか居なかった。その兄貴とも仲違いして随分と経つ。
だから最初は、コイツの口から飛び出すようになった俺の名前は、自分の名なのに耳馴染みが薄くて、何処となく違和感を覚えていた。
……まぁ、それもコイツが会う度に「樹虎、樹虎」と煩いから、すぐに慣れたが。
やめろと言っても聞きやがらねぇし、もう好きに呼ばせている。
「うん、樹虎のおかげでちょっとコツが分かってきたよ! ありがとうね、樹虎」
「…………試合で使えねぇ奴のままだったら、俺が迷惑だからな」
「分かってるって、まだまだ頑張るからさ。試合といえば、樹虎もそろそろ、私の名前を呼んでくれていいんだよ? 前は『ふざけんな』って返されたけど、ほら、連携ポイントのためにも仲良しアピールで」
「お前の名前なんて知らねぇよ。忘れた」
「それはもう流石に嘘でしょ!」
「名前なんて呼ぶ必要はねぇし、呼んだら呼んだで、あのチビが喚きそうだろ。なんか知らねぇが最近はあのチビ、『私、負けませんから! お姉さまは渡しませんです!』とか意味不明な宣言して、俺を敵視してきやがるぞ。うぜぇから何とかしろ」
「心実さん……」
今は飲み物を買いに席を外しているが(じゃんけんに負けて渋々行った。俺とコイツを二人きりにするのが嫌らしい)、コイツに懐いているチビは、やたらと俺を威嚇してくる。前々から思っていたが、『お姉さま』ってなんなんだ。
「よし、じゃあ樹虎のを参考に、もう一度やってみるね!」
「まだやんのかよ?」
意気込んでモップの前に立つコイツに、俺は眉を寄せる。
小窓から差し込む陽はもう大分傾き、部活のある奴等もいい加減帰り支度をする時間帯だ。魔力も消費して疲労も蓄積されているだろうに、まだ特訓を続けるつもりか。
「だって試合まであんまり時間ないし。心実が戻ってきたら、もうお開きにするからさ。あとちょっとだけ!」
そう言って、遠回しな俺の制止など聞かずに、また魔法を発動させる。
グズでアホで考え無しで、いっそ無様なくらいにいつだって、コイツは必死だ。
確かあの時もそうだった。
コイツが不良と相対して、あのチビを助けた時。俺は偶然その場に居合わせた。そしていつものように、ビクつく様子のコイツに苛立って、冷ややかな視線と暴言を浴びせた。
それだけで終わりだと思っていたのに、コイツは去ろうとする俺の後頭部に木の枝をぶつけて。そこから捲し立てるように、琥珀色の瞳に激情を渦巻かせたまま、俺への鬱憤をぶつけ、最後に名乗りを挙げて去って行った。
顔は土で汚れ、髪もぐちゃぐちゃな酷い有様で。
……今から思えばあの様子は、コイツの名前でもある雑草そのものだ。
「『三葉』って、肝心の葉っぱ一枚足りてねぇところも、お前にぴったりだよな」
「? ごめん、聞こえなかった。何か魔法のアドバイスなら、もう一回言って!」
「この下手くそが、って言っただけだ。アドバイスなんてねぇよ」
「相変わらず口悪いよね、樹虎!」
――――コイツの口から自然と俺の名前が出る度に、実は少し悪い気がしなくなっている自分が居て。
そんな己がまた気に喰わず、俺の方は意地でもコイツの名前を呼んでやるかと思ってしまう。呼んだら、何故か負けた気がするからだ。
結局その日は、あのチビが戻って来てからも、なんだかんだと下校時間ギリギリまで、俺はコイツの特訓に付き合うこととなった。
……そんな考えを持っていたから。
特訓の末に、魔法模擬試合でランキング五位に入り、我を忘れて喜ぶアイツの勢いに押され、『~っ! 人の話を聞け! いい加減にしやがれ三葉!』とつい口を滑らせてしまったのは。
それでさらにアイツを……三葉を喜ばせてしまったのは。
俺の中で、大きな失態だ。