寮監室の麗らかな午後
魔法模擬試合の少し前くらい、梅太郎さんと理事長のお話です。コミカライズ版のふたりのキャラデザも素敵ですよ!
暖かい日差しが小窓から差し込む、麗らかな午後。
私立桜ノ宮魔法高等学校の寮監室にて。
そこの畳のスペースに座り、白い顎鬚の柔和な顔立ちの男性は、黙々と手先を動かしていた。彼の前にある古めかしいちゃぶ台には、真白な布や裁縫セットが広げられている。
一針一針。
綿を詰めた生地を縫い合わせていく様子は、丁寧かつ手慣れたものだ。
「それで、梅は結局、何を作っているのかしら? 犬? 豚?」
「猫ですよ、お嬢様」
ちゃぶ台を挟んで向かいに座る女性は、赤いネイルの施された爪で、針山の待ち針をツンと突く。金の縦ロールヘアーが特徴的な迫力美人である彼女は、梅と呼ばれた男性の大切な『お嬢様』にして、この学園の頂点に立つ存在だ。
立場のわりに自由人な彼女は、「何だ、猫のぬいぐるみなのね。豚の方が可愛いわよ。今から白豚にしてはどう?」と無茶を言い出す始末。
それに男性は困ったように苦笑しながらも、緩く首を横に振る。
「ダメですよ、これは『あの子』にあげる、お守り代わりのぬいぐるなんですから。あの子の友達であるシラタマという名前の、綺麗な白猫をモデルにしているんです」
「あの子って、梅の話によく出てくる?」
「はい、よく此処に遊びに来てくれる子です。最近は魔法模擬試合に向けて、ペアの子と頑張っているみたいですからねぇ。ちょっとした激励で、贈り物をあげたくて」
「ふーん……会ってみたいわね、その子。シラタマという名も、なかなかセンスが良いわ」
このトンデモセンスのお嬢様に褒められて、果たして喜ばしいのだろうか。
そう男性は思ったが、ここは何もツッコまずにおいた。
むしろ自分の意見が却下されたことに、ちょっとだけ不満の残る彼女のご機嫌取りを、彼はさりげなく行う。
「白豚のぬいぐるみは、今度作りましょうかねぇ。そっちはお嬢様に差し上げますよ」
「も、もう卒業したわよ、ぬいぐるみなんて。幼い頃と一緒にしないで頂戴。……まぁ、貴方が趣味で作って、くれるというなら頂くわ」
「はいはい」
唇を尖らせつつも、爪や纏うスーツと同じ鮮やかな紅色の瞳に、確かな期待を滲ませるお嬢様。そんな彼女の態度に、男性も慣れた調子で返す。
何だかんだ言っても、喜んでくれることが分かっているのだ。
「……三葉ちゃんも、これを渡して喜んでくれるといいんですけどねぇ」
「三葉? ああ、その子の名前ね。喜ぶんじゃなくて? 梅とその子は、とても仲良しなのでしょう。親しい人からのサプライズの贈り物というのは、嬉しいものよ」
「そうですね……頑張っている三葉ちゃんに、少しでも元気をあげられたら、僕も嬉しいですねぇ」
均一に並んだ糸目を見つめながら、男性はふと思い返す。
まだ入学して間もない頃。
話題に上がっているその少女は、いつも泣くのを我慢した顔で、男性の待つ寮に帰って来ていた。小さな背中はどんな時も寂しそうで。彼女の学校生活が、様々な要因で順調とは言い難いものであることは、男性も知ってはいたが、彼にはその様子が酷く悲しく映った。
本当はもっときっと、明るく笑う少女であるのだろうに。
所詮しがない寮の管理人である男性には、彼女を気に掛けてあげることしか出来なかった。彼女の環境自体を変えることは、男性には不可能だったのだ。
――――だけど。
「今の三葉ちゃんには、僕のお守りなんて、必要ないかもしれませんねぇ。彼女には最近、とても素敵なお友達が出来たみたいですし。ペアの男の子とも、ちょっとずつ上手くいき始めているようで……本当に、よく笑うようになりました」
一旦、区切りのいいところで彼は糸を紡ぐ針を止め、窓の方に視線をやった。青く晴れ渡った空では、悠々と漂う雲が風に誘われ、何処かへと流れている。僅かに開いた隙間から、入り込む空気が心地よく、男性はそっと目を細めた。
耳を澄ませば、楽しそうに学校での日々を語って男性に聞かせる、少女の声が聞こえるようだ。
「やっぱり、女の子は笑顔が一番ですよねぇ」
「……何タラシみたいなことを言っているのよ。梅は昔から、そういうところがあるわよね。私の家で一緒に過ごしていた時も、使用人の女の子を誑かすようなこと言って、何人も勘違いさせていたでしょう」
「? そんなこと、した覚えはありませんよ?」
「そう言うと思ったわ」
ふんっと顔を背けて、女性は男性の淹れたお茶を啜る。せっかく右肩上がりになった機嫌も、また下がってしまったようだ。
何とも扱いに困る、難しいお嬢様である。
それでも男性は、こんな彼女と過ごす時間がとても貴重なものであることを、重々承知していた。
穏やかな微笑みを残し、男性は作りかけのぬいぐるみを置いて、静かに立ち上がる。
彼女の気分を再び浮上させる最終兵器……男性お手製のお茶請けが、まだ控えてあるのだ。
この甘味は、そのうち少女の方にも振る舞おう。
ぬいぐるみも手渡して、そしてまた、楽しそうな話を聞かせてくれたらいい。
「どうか三葉ちゃんの明日が、今日より少し楽しい日でありますように」
そう誰とも知れず呟いて、男性は手製の白玉ぜんざいを盛った器を持ち、お嬢様との穏やかな時間の中に戻っていった。
「ところで梅、ちょっと考えたんだけど、そのシラタマ人形の尻尾や首に、特大の鈴やリボンをつけたらどうかしら? より派手で可愛くなるし、それで贈った方が、その子もさらに喜ぶはずよ。鈴は純銀、リボンは赤に金ラメでいきましょう」
「お嬢様、余計なことはしないでください」
……無事に白猫の人形が、少女の手に渡ったかどうか。
それはまた別の話。