なんでもない日
この話は、本編の空白の時間に起こった、樹虎と三葉の何気ない日常話です。
「樹虎のイヤーカフスってさ、なんか思い出の品とか、そんな感じだったりするの?」
11月の魔法模擬試合に向けての、放課後の訓練棟での特訓。
その休憩中に私はふと、樹虎の耳元で光る銀色に目を止めた。近くの窓から差し込む夕日を受け、それは眩く存在を主張してる。
心実は委員会で遅くなるらしいから、今は樹虎と二人きりだ。私は飲みかけのペットボトルを置き、いそいそと床を這って、足を投げ出して座る彼へにじり寄る。
「シンプルだけど彫りとか凝ってるし、結構高そうだよね。前にポチ太郎に取られたときも、必死に取り返そうとしてたし。大事なものなんでしょ、それ」
「……別に、ただデザインが気に入っているだけだ」
「えー、なんかないの、それに纏わる思い出話は。熱い友情を誓った友から貰ったとかさ」
「そんな気色悪い思い出ねぇよ……っつか、おい。手伸ばしてくんな」
もっとよく見たくて、無意識に樹虎の耳元へと指先を向けていたら、彼は私を避けるように軽く身を引いた。眉を寄せて、野性的なイケメン面に嫌そうな表情も浮かべている。
ちょっと傷つくぞ。
「いいじゃん、少し触らせてよ。樹虎のお気に入りのデザイン、ちゃんと見てみたい」
「めんどくせぇ、断る」
相変わらずのツレない態度に、私の好奇心と探究心に火がついた。何が何でも、じっくり見てやろうという気になってくる。
「よし、じゃあ交換しよ! 私のクローバーの飾りピンを樹虎に渡すから、樹虎は私にイヤーカフスを外して渡してよ」
「俺がお前のピンを受け取って、何か意味あんのか」
ないよ! と笑顔で言い切ったら、伸ばした手を叩き落とされた。
やっぱり等価交換は成立しなかったか……などと思いながら、ピンを留め直していると、樹虎がボソッと呟きを落とす。
「……お前こそ、そのいつもつけてるピンには、何か思い入れがあんのか」
「ん? 私のこれ? これはね、大事な人にもらったものだよ」
「大事な奴?」
ピクリと肩を揺らした樹虎に構わず、私はこれをプレゼントしてくれた、親友のかえちゃんのことを思い浮かべる。彼女とは付き合いが長いから、何かと贈り合う機会は多かったけど、その中でもこのピンは特別だ。半分、お守りみたいなものだし。
そういえば、樹虎とかえちゃんが会うようなことがあったら、どんな感じになるんだろう。なんとなく、心実とより相性が悪そうな気がするな。
睨み合う二人を想像して、ついニヤついた緩んだ顔をしていたら、小さく舌打ちする音が聞こえた。もちろん、隣に居るガラの悪い不良からだ。
そこで私はようやく、彼の機嫌が急下降していることに気付く。
「え、なんで樹虎、ちょっと不機嫌になってんの?」
「なってねぇ」
「なってるよ。なに、なんか気に入らないことでも、今の会話であった?」
「だから別に何もねぇ」
「いやいや、樹虎の感情のメーターって、案外分かりやすいからね。一体何が原因なわけ。そんな眉間に皺寄せて……伸ばしてあげるよ」
そんでドサクサに紛れて、イヤーカフスを引き千切ろう。
そんな思惑もあって私は、座る彼の上に乗っかる形で身を乗り出した。「おい!?」と珍しく樹虎が焦っている様子だったけど、夕陽の赤に映える銀に意識を集中していたから、今のこの密着している状況を、私は気にも留めなかった。
――――――だから、ガラッと扉が開き現れた心実が、見たこともない険しい顔つきで、「お姉さまに何してるんですか!?」と叫んだときは、もう何がなんだか分からなかった。
そして何が何だか分からないうちに、樹虎と心実の魔法バトルは開始される。
「私の居ない間に、遂にお姉さまに手を出すなんて……今日という今日は許しませんよ二木さん!」
「いつ俺が手を出した!? どう見ても、あいつから接触してきた状況だっただろ!」
「問答無用です! だいたい、それこそ引き剥がすなりすればいいのに、満更でもないご様子だったじゃないですか! 二木さんの隠れデレヤンキー!」
「なっ!?」
普段通り、よく分からないやり取りをしながらも、両者からは高度な魔法の数々が放たれている。これが何戦目なのか、私も数えるのを諦めた。
でも、今日は勢いのある心実が優勢かも? 樹虎は何だか調子が悪そうだ。
置いてきぼりを食らった私は、そんなふうに心の中で実況をしつつ、そっと掌を開いた。
その中に、コロンっと転がっているのは銀のイヤーカフス。心実が来ると同時に、彼の耳からさりげなく奪いとったものだ。
ゆっくりと観察して満足した頃に、私はそっとそれを握って立ち上がる。
「だいたい二木さんなんて、いまだにまともにお姉さまの名前も呼べない癖に! お姉さまの隣をいつも陣取って……今だって、私が来なければどうなっていたことか……やっぱり許せません!」
「別に呼ぶ必要がねぇから呼んでないだけだ! 隣に居るのも、ペアなんだから仕方ないだろって……っておい、人が話しているうちに、エグい魔法仕掛けんな!」
……さて、あとはどう二人を諌めるかが問題かな。どうやって、樹虎を怒らせずイヤーカフスを返すかも。いや怒るか怒らないかでいえば、たぶんもう手遅れだろうけど。
「でもやっぱり、これは樹虎の耳にあるのがしっくりくるよね」
小さく笑ってそんな呟きを漏らし、私は戦場と化している場へと足を進めるのだった。