表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
63/85

ここからは誰かの時間の中で

 柔らかな日差しが降り注ぐ、雲一つない晴天の日。

 陽光を受けて輝く白い毛並みを靡かせて、その猫は走っていた。


 塀の上、アスファルトの上、足場の不安定な屋根の上だろうと、軽快な足取りに迷いはない。


 一軒家の庭に立ち寄って、「猫だぁ!」とはしゃぐ、まだ幼い男の子と女の子の間をスルリと抜けて。

 スマホを耳に当て、「次はクローバーヌお姉さまの外伝を書こうかと……」等の会話をしている、女子高生の横を通り過ぎ。



 猫はまるで羽でも生えているかのように、自由に次の場所を目指して駆けていく。



♣♣♣



 山奥に建つ、私立桜ノ宮魔法高等学校。

 その学生たちが生活する、通称『梅桜寮うめざくらりょう』の寮監室。


 そこの畳のスペースで、白い顎鬚の柔和な顔立ちの男性は、慣れた手つきで急須でお茶を注いでいた。

 古めかしいちゃぶ台には、湯呑みが二つ置かれている。


 向かいに座る女性は、金の縦ロールが特徴的な美人であり、男性より30歳ほど若い。どうもチグハグな組み合わせだった。

 だが、向かい合う二人の間には、お互いが居ることが当然のような、熟年夫婦に似た雰囲気がある。


「相変わらず、梅のつくる甘味は美味しいわね。この白玉ぜんざいは、貴方の店の看板商品になるのかしら?」


 女性の前には、丸い器に盛られた白玉ぜんざいがあり、彼女はそれをゆっくり咀嚼したあと、真っ赤な唇を綻ばせてそう問うた。

 『梅』と呼ばれた男性の方は、にっこりと頷く。


「でも、少し意外だったわ。梅が急に、『文化祭で店を個人的に出したい』と言い出すなんて。確かに貴方の甘味は素晴らしいけど、そういう形で生徒に提供しようだなんて、何というか、梅らしくない発想ね」

「おや、やはり寮監がそんな店を出すのは、控えた方がよろしいですかねぇ」

「いえ別に? 変わった趣向で良いんじゃなくて? 私は面白ければ何でも構わないわ」


 この学校のトップとしては、些か自由過ぎる女性の発言に、しかし男性は慣れた様子で「ありがとうございます」と返した。


「……と、ところで、梅。その、店の名前はもう決めているのかしら? まだなら、私が考えてあげても良いのよ?」


 チラチラと、女性は期待を見え隠れさせて男性の顔を窺う。


「それが、もう決まっているんですよねぇ」

「………………何よ、どんな名前よ」

「『梅屋』です」


 剣呑な眼差しに早変わりした彼女に、男性は気にすることなくニコニコと言った。声は穏やかだが、瞳からは「これは絶対変えない」という強い意志が窺える。


「少し安直じゃなくて?」

「僕にはこのくらいの名前が落ち着くんですよねぇ。お嬢様の素晴らしいネーミングセンスには、僕はまだまだ追い付けません。どうかその輝くセンスは、他で発揮してください」


 その発言を良いように捉え、女性は頬を紅潮させて「そ、それなら仕方ないわね!」と顔を背けた。それに男性がしれっと返事をしたところで、彼女は「あら?」と声を上げる。


 赤い瞳は窓の方を向いていて、どうも外に何か魅かれるものが見えた様子だ。


「どうしたんですか?」

「今、猫がそこを通ったのよ。真っ白な毛並みで、とても綺麗な猫だったわ」

「おや、それはまた……」


 男性は立ち上がって窓を開けた。差し込む陽に眩しそうに目を細めながら、その猫の姿を探すが、すでに去ってしまったあとだった。


「何処となく、梅が以前作っていた猫の人形に似ていたわよ」


 女性は一瞬だけ見た記憶を辿り、のんびりとお茶を啜りながら付け加える。男性はその猫の姿を想像して、「なるほど」と笑い声を立てた。


「彼はただの猫じゃないらしいですからねぇ。……天気も良かったから、あの子の代わりに、僕たちの様子でも見に来たのかもしれません」

「? なに、その意味あり気な発言。説明を要求するわ」

「魔法と同じで、理屈じゃないんですよ、お嬢様」


 理解出来ず口を尖らせ、「なんとなく生意気よ、梅」とぼやく彼女に、男性は朗らかに微笑んだ。



♣♣♣

 


 生徒会室では、愛らしい容姿の黄色髪の少女が、繋げて置かれたデスクの一つを占拠し、テキパキと山積みの書類を片付けていた。


 といっても、これは本来は彼女の仕事ではない。書類を溜め過ぎて追い詰められた、彼女の双子の弟に泣きつかれ、仕方なく手伝ってやっているのだ。


「どうして私がアホアキトの分まで……本当、卒業したバカ会長といい、生徒会の男は頼り無さすぎ!」


 ブツブツと愚痴りながらも、少女の手は止まらない。忙しなく動くペン先に合わせて、右サイドに結んだ髪がぴょんぴょんと跳ねている。


 他の生徒会メンバーはおらず、デスク以外には白いボードと書類棚、小さなガラス窓しかない簡素な室内には、彼女一人だった。肝心の弟も、顧問に説教を食らっていて不在だ。

 暫く孤独に書類と格闘を続けていたが、彼女は疲れたのかペンを転がして「んー」と伸びをする。


 そしてふと、制服のポケットから折り畳んだ紙を取り出し、椅子に凭れながらそれを開いた。


 差出人の名前がない手紙。

 そこには、ミミズが這ったような汚い字で


 『あの頃は気付けなかったけど、私をずっと気にかけてくれてありがとう。

 私は、すべきことがあって何とか足掻いて生きてる。

 貴方もどうかお元気で』


 と、それだけ書かれている。

 読み解くのも困難なほどの悪筆だが、それを眺める少女はやけに嬉しそうだった。


「よし、残りもパっとやっちゃうかー!」


 大事そうに手紙をしまって、少女は勢いよく身体を起こす。

 その際、窓越しに駆ける白猫が視界を過った気もするが、ここは三階だったと思い直し、見間違いだということにしておいた。


「でもアキトはあとで、ここみん会長にシバいてもらおう」


 ボソッと不穏な呟きを溢し、少女はペンを取って作業を再開した。



♣♣♣



 特別棟一階の化学室。

 居並ぶ薬品棚に、等間隔で長机が置かれた室内には、窓から暖かな日差しが入り込んでいる。


 パイプ椅子に腰かける男性は、白衣の裾を揺らしながら、膝上に座る犬に赤い首輪を取り付けようと奮闘していた。


「いいか? ポチ太郎。これはお前のためなんだぞ? いくら研究所の基盤が崩れ始めているとはいえ、まだ安心は出来ない。あの組織そのものが潰れるまで、お前にも危険が及ぶ可能性は十分あるんだ。むしろそんな現状だからこそ、こちらも警戒を怠るべきではない。賢いお前なら分かるだろう?」

「わふ?」


 眼鏡の奥を光らせ真剣に語る男性の言葉を、果たして犬の方は理解しているのか。犬は薄いピンクの毛に琥珀の瞳と、奇妙な配色と同じ奇妙な鳴き声を返すだけだ。

 だが、男性はその返事に納得し、「よし、流石はポチ太郎だ」と頷いた。


「何より私は、どうもお前を甘やかし過ぎていたきらいがあるようだ。……彼女にも以前、注意されたことだしな」


 作業を中断し、男性は寂しげな笑みを口元に浮かべた。そんな彼の手を、犬は舌先で優しく舐める。

 気遣うようなその行動に、男性は穏やかに礼を言い、また首輪の取り付けを始めた。犬はそれを、耳を伏せて大人しく受け入れている…………今のところは。


「いい機会だから、これはお前の躾もしようと購入した、より強力な『魔力制御首輪』だ。前のとは違い、簡単には外せまい。可哀想だが、自由な行動は少し控えてくれよ、ポチ太郎」


 カチッと音がして、首輪がようやく留まった。

 それに男性が満足気に息をついたところで、犬が窓の方に向って、急に「わふわふ!」と激しく訴えるように鳴き出す。


「な、なんだ、どうしたっ?」


 「敵襲か!?」と、男性が慌てて犬を床に下ろし、窓の方へと駆け寄った隙に。


 犬は鮮やかな手並みで首輪を外し、転移魔法を発動させてさっさとトンズラした。「何だ、ただの猫じゃないか……」と男性が戻ってくる頃には、首輪だけが虚しく転がっているのであった。



♣♣♣



 普通棟の数ある教室の一つ。

 昼休みに入り、人も疎らなその教室内では、一組の男女が鋭い眼光で睨み合っていた。 


「前にも出しゃばんなって言っただろうが、チビ。お前が余計な行動をしたせいで、俺の魔法の発動が遅れた。お前は隅でサポートにでも務めてろ」

「お言葉ですが、二木さん。あれは私に問題はなく、むしろ最善の行動だったかと。そもそも二木さんの風の属性魔法こそ、サポート向けなのですから、私の後ろに控えていて欲しいのです」


 どうも二人は、午前中にチームで行った魔法演習での、お互いの行動に不満があるらしい。

 両者一歩も引かず、険悪な顔付きで舌戦を繰り広げている。


 強面だが整った相貌の赤髪の少年は、眦を釣り上げて舌打ちをかまし。それに相対する小柄な金髪美少女は、紫電の瞳を尖らせている。


 この二人は魔法の実力は折り紙つきだが、仲の悪さもまた有名であった。


「大体二木さんがそんな感じだから、前の魔法模擬試合でランキング入りを逃したのです! なんですか、個人評価は高いのに、連携の点で大幅なマイナスって! そんなの前代未聞なのです!」

「あ!? あれもお前が勝手な事したせいだろうが!」 

「違うのです! チームワークを乱したのは二木さんなのです!」

「乱すも何も、まず俺たちの間にチームワークなんて存在しねぇだろうが!」


 ヒートアップしていく言い争いに、周囲の生徒たちのハラハラも加速していく中、ガラッと扉が開き、「見つけた、木葉さん!」と、朗々とした声が教室内に響き渡る。


「いや、探したよ。はいこれ、文化祭でのステージ申請。バンドやりたいんだけど、これ会長の君の許可がいるんだろ?」


 現れた茶髪の少年は、荒む場にも臆せず近付き、プリントを手渡した。少女はそれを反射的に受け取り、赤髪の少年も口を噤んだため、争いも一旦終息をみせる。


「あ、はい。了解なのです。バンドですね」

「うん。良かったら二木くんもどう? もう一人ギターでさ」

「誰がやるか」


 茶髪の少年の気安げな誘いに、赤髪の少年は素っ気なく返す。だが以前とは違い、これでも彼の態度は随分丸くなったと言えるだろう。

 茶髪の少年は気にした風もなく、「でもなぁ」と苦笑を浮かべる。


「二人ともペアなんだから仲良くしなよ。クラスの奴ら怖がってるし」

「……おい、山鳥。俺たちは『ペア』じゃねぇ」

「そうです、山鳥さん。私たちはあくまで『チーム』なのです」


 揃って言い切った二人に、茶髪の少年は目を丸くした。次いで、微かに眉を下げ、何処か遠い過去を懐かしむような瞳で、「そうだな。『三人』でチームだったよな」と、切なげに呟いた。


「それにさ、二木くんのペアはずっと『彼女』だけ! とか、そういうことだろ?」

「…………否定はしねぇ」

「妬けるなぁ、本当」


 からかうような言葉に、場の空気が和むかと思いきや。

 どうも少女の方は、赤髪の少年の物言いが気に喰わなかったようだ。「お姉さまを自分のものみたいに扱うその態度、やはり二木さんは私の永遠の敵です……!」と、仮にも自分の相方に対して、熱い闘志を燃やしている。


 さらに茶髪の少年は、「あ!」と思い出したように声を上げた。


「そういえば、水村さんたちから伝言。『公開魔法バトルには、あんたらも出なさいよね! そして私たちが勝つんだから!』だって」


 『公開魔法バトル』とは、魔法模擬試合より気軽なトーナメント方式で、客を楽しませる要素が強い、文化祭の新たな催しだ。今年からは、非魔法適性者の人に魔法をもっと知ってもらおうと、魔法に親しみやすい工夫が色々と加えられつつある。


 しかし、考案者である少女は首を傾げた。


「あの、失礼ですが水村さんって……」

「三人セットの一人だろ。確かあいつが『団子三姉妹』とか呼んでた」


 ブッと吹き出したのは茶髪の少年だ。そのあだ名がツボに入ったらしい。


「い、いいな、その呼び方っ。彼女たちが知ったら怒りそうだけど……っ」


 お腹を押さえて笑いを噛み殺しながら、少年は「じゃ、じゃあまたな」とそそくさと去って行った。茶髪の少年は、爽やかに見えてわりとイイ性格をしているようだ。


 残された二人は、横目でお互いの様子を窺う。


「で、出んのかよ、そのバトル。お前は主催者側なんだろ」

「別に出場は可能です。元々、私は出る気でした。……今回の文化祭は、古い友人が遊びに来るので、私も盛り上げたいのです」


 聞いた癖に、「あっそ」と赤髪の少年は興味無さそうに頭を掻いた。それに少女が文句を言いかけたところで、彼女は傍の窓ガラスに目を止める。


 一瞬、揺れる白い尻尾と耳が見えた気がしたのだ。此処は二階のはずなのに。


「? どうした」

「あ、いえ。見間違えかもなのですが、お姉さまが大事にされていた人形に、よく似た猫が通ったような気がして。もしかしたら今のが……」

「……人形っていうと、あいつが魔法模擬試合で使ってたやつか。そういえばあいつ、何でか物質操作魔法は、あの人形にしか碌に使えなかったな。俺があれだけ練習に付き合ってやったってのに」


 ったくと悪態を付きながらも、少年の金の双眼は酷く優しい色を帯びていて。

 その瞳に込められた、諸々の感情を知る少女はやはり……彼のことが改めて気に喰わなかった。


「……いいですか? 二木さん。お姉さまと最初に仲良しになったのは私です。二木さんはポッと出なのですから、それをお忘れなく」

「はっ、それでもあいつに頼りにされてたのは、どう考えても俺の方だっただろうが」


 バチっと視線が火花を上げて交錯し、二人は再び不毛な言い合いを開始した。



♣♣♣



 方々を駆け回って、流石に少し疲れが見え出した頃。

 白い猫は最後に、今は空き部屋となっている、女子寮の一室に訪れた。


 器用にも、僅かに開いた窓の隙間から侵入し、布団の敷かれていないパイプベッドへと着地する。

 前にここで生活していた少女が居なくなってから、空室のまま月日は経過したが、まだ部屋中には、その少女の気配が残っているようだった。


 それに浸りながら、猫は「にゃあ」と鳴き声を一つ。



 ――――――大丈夫。君の大切な人たちは、君の面影を何処かに残して、今日も生きているよ。



 ふわりと、柔らかな風が室内へと入り込む。

 白い猫はもう一鳴きしてから、その風に溶けるように姿を消した。




 彼の鳴き声に答えるように、「ありがとう」と笑う声が、風に乗って何処までも響いていった。









 

これにて、『余命六ヶ月延長してもらったから、ここからは私の時間です』は終了となります。

最後までお付き合い頂いた読者様には、心よりお礼申し上げます。


本当に本当にありがとうございました!


追記:登場人物まとめを追加しました。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【お知らせ】
書籍版、新紀元社様から全3巻発売中です☘
コミカライズ単行本も全3巻、竹書房様より発売中☘

描き下ろしもいっぱい作って頂きました☘️
なにとぞよろしくお願い致します!
― 新着の感想 ―
[一言] ツイッターでコミカライズの話を知って読みに来ましたが、大変良かったです。 悲しくも暖かくなるストーリーにほろりとしました。
[良い点] 三葉の残り少ない六ヶ月と言う物語がとても明るく輝いていてとても良かったです。 三葉が居なくなって、残りの人生を樹虎達がどう過ごすのか、想像してニヤニヤしてしまいます。 最後に、こんな素晴ら…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ