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54 好きになれて

 

 一瞬、何が起こったのか分からなかった。

 

 強く引き寄せられたかと思えば、気づいたら私は彼の腕の中に居て――――――真正面から抱き締められていた。


「樹虎……?」


 戸惑いながら声を掛けても、返事は帰ってこない。代わりに、ギリッと奥歯を噛む音が、私の鼓膜を揺らした。

 真っ赤な髪は雪を被ったのか、首に張り付きしっとりと濡れている。


 ……一体どのくらい、彼は此処に居たのだろう。


「あの、ね、樹虎。私ね、もう知っているかもしれないけど、階段から落ちて死んじゃったんだ。それで、えっと、この身体は魔力で出来ていて、魔法で樹虎にお別れを……」

「……うるせぇ」


 やっと口を開いたかと思えば、樹虎は私の拙い説明を遮り、「黙ってろ」と唸るように言った。

 その態度だけなら、いつもの不遜な彼らしさを感じる。だけど俯けた表情は覗けず、耳元で聞こえるその声だけでは、彼の思考は読めなかった。

 ただ私を捕える腕は微かに震えていて、私には樹虎が、渦巻く激情を押し殺しているようにも思えた。


 けど、此処で黙るわけにもいかない。

 私にはあまり時間がないんだ。


「聞いて、樹虎。もう最後だからぶっちゃけるけど、私は最初、樹虎とちゃんとしたペアになれる自信なんて、これぽっちも無かったの。目付き悪いし乱暴だし不良だし、怖くてやだなって思ってた」

「……黙れって言ってるだろ」

「いいから言わせてよ。……そんな感じだったから、私は機嫌損ねないようにしようって、委縮しまくりでさ。おまけに樹虎ってば、人の名前は憶えないし、すぐに『グズ』とか暴言吐くし」


 そりゃビビるよ、と私は愚痴る。

 まぁ、口の悪いところは今でも大して改善されてはいないが。


 でも、でもさ。


「でも今は、樹虎がわりかしイイ奴だって知ってるから。私は樹虎とペアになれて良かったよ」


 ゆるやかに吹いた夜風に髪を梳かれながら、私は口元を綻ばせた。

 そうだ、樹虎は私の自慢の相棒で、カッコよくてイイ奴だ。


 何だかんだで、魔法の特訓もイベント事も、文句を言いながら付き合ってくれた。

 私が倒れたのかと心配して、校内中を走り回ってくれたことだってある。

 魔法も勉強も、悪態付きだが実は教えるのが心実より上手いから、そういう方面でも頼りになった。

 ……ペア替えなんてする気はないって、言ってくれて嬉しかった。


「素直じゃないし愛想も無いけど、いざという時は頼りになるし。案外、からかい甲斐があるとこもいいね。いつも私を助けてくれて、あんまり言ったことなかったけど、本当はすっごく感謝してる。……それから、えっと、その」


 このまま流れと勢いで、いっそ想いを打ち明けようかと躊躇する。あんな急いで遺書の隅に書いたツンデレ発言で、果たして私の気持ちがちゃんと伝わるか不安だし。

 もうこれっきりなんだから、樹虎への感情を好きにぶちまけるのも、結構アリな気がしてきた。

 

 チラチラと彼の様子を窺いながら、最後に玉砕覚悟で告げようと決めたところで。

 樹虎が短く舌打ちし、私の後頭部に手を回した。彼の乱れた制服に強く顔を押し付けられ、私は物理的に喋れなくなってしまった。


 驚く間もなく、樹虎が低い声で話出す。


「お前が、階段から落ちて死んだって聞いたとき…………息が止まる感じがした」

「っ!」

「最初は何かの間違いだろって、欠片も信じれねぇでいて……でも現実だって分かっちまって。それから、自分がどんな行動を取ったのかはよく覚えてねぇ。気付いたら、俺は此処に居た」


 ――――――此処に来たらいつもみたいに、お前が能天気な顔をして来ると思ったから。


 周囲の闇に呑まれたその呟きは、似つかわしくないほど弱々しくて。私は思わず、彼のシャツをぎゅっと掴んだ。

 よく考えたら、寒空の下でシャツに上着一枚を羽織っただけで、樹虎は随分と薄着だ。冬の日にこんな格好で、彼はたぶん半分無意識に、ずっとこんな場所で私を待っていてくれた。


 そう思うと余計、私の手には力が篭る。

 頭を押さえていた手が外れ、ようやく動かせるようになった唇で、「ごめんね、樹虎」と吐息のような声を漏らした。


 今はそれしか、紡げる言葉が見つからなかった。


「謝んな。マジでふざけんなよ、お前。……いきなり死んだとか、魔法でお別れを言いに来たとか、意味が分からねぇ。何なんだよ、本当に……っ」


 赤い髪からポタリと一滴の雫が落ちて、それがまるで私には、彼が泣いているように見えた。


 時間だってない、何か言わなくちゃと思うのに。

 おずおずと彼の背に手を添えて、やっぱり私は何も喋れない。


 このまま悪戯に時が過ぎるかというとこで、口火を切ったのは樹虎だった。


「……に……くな」

「え?」

「……何処にもいくな、三葉」

「!」

「死ぬな。いくな。このままずっと此処に居ろ。このまま、俺の傍に居ろ。俺は、俺はお前のことがっ」



 ――――――好きだ。


  

 その想いを噛み砕くように、吐き出された一言は。

 ざわめいた木々の音に掻き消されそうな、掠れたものだったが、私の耳には確かな余韻を残して響いた。


 樹虎が、私を好き?


「ね、ねぇ樹虎、それ本当? いつもの仕返しで、私をからかって、冗談を言ってるんじゃないよね? ほ、本当に本当なんだよね? …………私も、好きなんだよ。樹虎のことが、私も好き」


 彼の胸元に一寸の隙間もなく身を寄せて、私も告白をする。

 いつかは空気に溶けてしまった、届かなかった告白だ。


 ていうか、私たち両思いじゃんと、私は咽び泣くように笑った。


「これって凄くない? どっちも同じ気持ちだなんて、凄いことだよ。私は今、馬鹿みたいに嬉しい。テンションが上がり過ぎて、歓喜で震えそうなくらい。最後にこんな……嬉しくて嬉しくてっ……でも」


 ……でも、寂しいなぁ。


「っ! 最後なんて言うんじゃねぇよっ! それならもう、何処にも行くな! ……俺を、置いて逝くんじゃねぇ」

「樹虎……」


 吠えるような叫びも、ボソッと落とされた悲哀を滲ませた呟きも。

 すべてが私の心に爪痕を立てる。

 

 私だってこのままずっと、樹虎の傍にいたいよ。

 せっかく両思いになったんだから、今度はペアとしてじゃなく恋人として……彼の隣で生きてみたかった。


 でも、ごめんね。


「私は、樹虎を置いて逝くよ」


 もうすぐ、私にかけられた魔法は解ける。

 さよならを言うために此処に居ることを、私は忘れちゃいけない。


 例え樹虎が私の言葉に、肩を大きく揺らして、抱く腕の力を強めようと。

 それは、変えられない現実だった。


 でもあと僅かでも時間が残されているのなら、私はこの先も生きる愛しい彼に、何かを遺すようなことを言えるだろうか。

 好きな人に『好きだ』と言われて、私も『好きだよ』と返せて。悲しくて寂しいけど、私はとても満たされた気持ちでいっぱいだ。


 微笑を浮かべ、私も精いっぱい彼を抱き返しながら、頭を過ったことをポツリと口にする。


「私の居ない世界でも、樹虎は樹虎らしく生きて行ってね。だけど前にも言ったみたいに、欲を言えばもうちょい素直になって、色んな人に樹虎の魅力を知ってもらいたいとは思う。樹虎はわりと面倒見もよくて良い奴なんだから、それをもっと周りに分かってもらうべきだよ」


 これは、半分が本音で半分が嘘だ。

 汚い本心を曝け出せば、私は樹虎の魅力なんて、自分だけが知っていればいいと思ってる。


 特に、私以外の女の子には知られたくない。

 樹虎はこの先も生きるから、きっとさらにカッコよくなるだろう。そうしたら、そのうち私ではない、可愛い彼女も、素敵な奥さんもいずれ出来てしまうんじゃないかな。


 ……それが、本当はすっごく嫌だ。マジで嫌で嫌で仕方ない。もうぶっちゃけ、樹虎の分かりにくい魅力が理解できる女の子なんて、この先も私だけでよくない? って思うけど。


 それでも――――彼の未来の幸せを願う自分の気持ちも、本心からのものだから、困ったもんだよね。

 だから、私は彼に「沢山の人に関わって、これから樹虎にとって大切な人を増やしてさ。私を安心させてよ」と、いつもみたく茶化すように笑った。

 樹虎は無言だったが、それは了承と捉えておくことにする。


 ただね。

 もう過去の人間になっていくとしても、私は確かに樹虎の相棒で恋人だった。


 ――――それだけは、この先も譲れないから。


 『私のことを忘れないで』と願うことくらいなら、きっと許されるはずだ。


「……そろそろ、お別れの時間なんだ。良かったら最後に、樹虎の顔をちゃんと見せて欲しいな」


 そう言えば珍しく素直に、樹虎は腕を緩めて、私としっかり向き合ってくれた。

 薄い月明かりしかない暗闇の中でも、明瞭な光を湛える金の瞳が、雫を垂らす髪の間からじっと見据えてくる。


 今なら樹虎は、私のどんなお願いでも聞いてくれる気がした。

 

 彼の瞳の中に、まだギリギリ私が存在出来ているうちに。

 ……私は樹虎の『彼女』として、最初で最後の『おねだり』をしてみる。


「私の名前を、もっと沢山呼んで。もっといっぱい、私が好きだって言ってよ」


 私が消えるその瞬間まで、どうか。


「…………三葉」

「うん」

「俺は、三葉が好きだ。たぶん、かなり前から好きだった」

「……うん」

「お前に言ってやりたいことは腐るほどある。お前は俺のことを不器用だ何だ言うが、俺から言わせたら、お前だって不器用だろ。ついでに要領もわりぃ。その癖に変なとこで頑固な馬鹿で、俺は何でお前なんかに惚れたのかわかんねぇ」

「酷くない? もうちょい良いとこも挙げてよ」

「お前の良いとこなんて、根性があるとこくらいだろ。……だけど間違いなく、そんなお前を、不本意だが俺は好きになった」

「そっか」

「いなくなって気付くなんて、ありきたりなセリフだが笑えねぇ。俺は、お前と居れる未来が欲しかった。……今でも欲しい。諦めきれねぇ。そのくらい好きだ、三葉」


 頼んだ癖にこっちが恥ずかしくなるくらい、樹虎は私の望みを叶えるために、馴染んでしまった不愛想な面で、何度も名前を呼んで『好き』という言葉を繰り返してくれた。


 素直さの欠片もない樹虎から、これだけ引き出せるなんてお手柄だよ、私。

 ……でも自分で言い出したことだけど、私だけが照れるのは納得いかないな。


 よしっと息巻いて、首を伸ばし爪先立ちになり、私は彼の口の端にそっと唇を寄せた。驚きで目を見開く彼に、してやったりのドヤ顔で、「私も、樹虎が大好きだよ」と告げる。


 そう言い終わる頃にはもう、私の身体は光の粒になり、真っ黒な闇に溶け始めていた。月光が降る中で、好きな人の腕の中で逝くなんて、実はかなりロマンチックなんじゃないだろうか。


「さよなら、樹虎」


 ――――私は、あなたを好きになれて良かった。


 消える間際まで、樹虎は私の望み通り、必死に私の名前を呼び続けてくれた。

 魔法で与えられたこの世での時間の最後に、私の耳に残ったのが『三葉』と呼ぶ彼の声で。




 ああ、私は今。

 とってもとっても――――――幸せだ。




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