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52 夢

 気付いたら私は、クリーム色の壁紙に包まれた室内で、ドアを背にして立っていた。


 まずは自分の身体を見回してみる。普段通りの制服姿で、手が透けているとかもなく違和感は見当たらない。

 けどこれは、私の魔力源を元に再現された姿といったとこかな。そこに魂が宿ってるとか、そんなとこだろう。ほとんど魔法で実体化している幽霊みたいなものだ。あくまで今の私は、柊雪乃さんの魔法によって、一時的にこの場に存在出来ているにすぎない。

 

 次いで辺りに視線をやれば、木製の勉強机やクローゼットが目につき、此処が女子寮の寝室であると分かった。所々に飾られている小物は、やけにメルヘンなものが多い。

 特に目立つのは、壁にでかでかと貼られた『白百合女学園下剋上物語~金の乙女と桃色の乙女~』のポスター。

 電気がついていても何処か薄暗い室内で、それだけ異様に綺羅びやかなのが少し面白かった。


 そして私は――――窓際に置かれたベッドに顔を埋め、力なく床に座り込んですすり泣いている、この部屋の主を見咎める。


 窓の外は真っ暗で、星一つない夜。降りしきっていた雪は収まり、今は静かな闇が広がっている。私が階段から落ちてから、いつの間にか大分時間は経過しているようだ。

 それならもう……私が死んだことを、心実が知っていてもおかしくない。


 学校内でのことだし発見が早ければ、帰省せずまだ寮にいた心実に、私の死がすでに伝わっている可能性は高いと思う。

 だからきっと、今まさに彼女を泣かせている原因は…………私だ。


「心実」


 水面に一滴の雫を落としたように、その呼び声は室内に波紋の如く広がって響いた。

 バッと勢いよく、彼女の顔が此方に向けられる。


 紫水晶の瞳が溢れんばかりに見開かれ、そこに確と自分が映り込んでいることに、私は密かに安堵した。

 良かった。私の姿は今、ちゃんと彼女に見えている。


「おねえ、さま……?」


 たどたどしい口調と足取りで、心実は私の前にきて、その場で崩れるように膝を折った。

 頬に涙の跡を残したまま、「お姉さまなんですよね……?」と、私に向って恐る恐る手を伸ばす。


「良かった、やっぱりあれは悪い夢だったんですね……」

「夢?」

「はい。わ、私ったら、不吉な悪い夢を見たんです。寮に居た私の耳に、急にこんな話が舞い込んでくるんです。学校の階段から誰かが転落して……発見される頃には、打ち所が悪くて手遅れで……。それがお姉さまだったなんて、そんなバカな夢を」

「心実……」

「わ、笑ってください、お姉さま。こんな在りもしない夢を見て、私ったら大泣きして……は、恥ずかしいです。ただの夢なんかでこんな……ちゃんとお姉さまは」


 ちゃんとお姉さまは此処に居るのに。


 そう続け、泣き笑いのような表情を浮かべる彼女の手を、私はしゃがんでやんわりと取った。

 しっかりと触れることも出来るなんて、本当に凄い魔法だ。まるで、今だけ時計の針を戻したように、私がまだ生きているみたいに錯覚してしまう。


 だけどこんな時間は、それこそ心実の言うように、一時の夢みたいなものだ。

 ――――この魔法が解けたら、私は。


「ごめんね、心実。その話は現実だよ。私はもう……死んじゃってるんだ」


 心が軋む音を聞きながら、それでも私は、彼女に事実を誤魔化さずに告げる。


「う、嘘です。だって、お姉さまは此処に居て、私と話して、こうして手だって……」

「これはそういう魔法なの。この身体は、私の魔力で出来てるだけの偽物だよ。本当の私はもう、階段から落ちて死んでいる」

「う、嘘です、嘘です! そんなわけ……っ」

「信じ難いと思うけど、嘘じゃないよ。……私はね、心実に最後のお別れを言いにきたの」


 はっきりと言葉にしても、心実は首を振って「嫌、嫌です!」と必死に否定を重ねる。

 触れ合う指先は、痛ましい程に震えていた。


 私はそんな、彼女の脆く今にも壊れそうな身体を、正面からぎゅっと抱き締める。


 最初は、余命のことから順に話そうと思っていたけど……止めた。そこまで詳しく話す時間は無さそうだ。

 今の私は最後の想いを伝えるためだけに、此処に居るのだから。

 細かい説明はいいや。どうせ遺書にも拙いけど大体は記してある。それは後々、今度こそポチ太郎がみんなに届けてくれるだろう。


 残された僅かな時間で、私が言うべきことは。


「心実、私ね。心実と友達になれて――――――本当に本当に嬉しかった!」


 浮かんだことを何の捻りも無く、私は素直に口から吐き出した。

 腕の中でビクッと薄い肩が跳ねたのにも構わず、シラタマが言ってくれた通り、『難しいことは考えず好きなように』言葉を紡いでいく。


「心実と友達になった日のことは、よく覚えてる! お姉さま発言にはビビったけど、あの日の夜は嬉しくて、にやけっ放しでなかなか寝れなくてさ。心実からお礼に貰ったクッキーを食べながら、『私の友達、凄いハイスペック』って夜中に一人で呟いてたの」


 今思えばその光景って不気味じゃない? と、柔らかな髪に頬を埋めて笑みを溢す。

 心実との思い出は、六ヶ月しか一緒に居なかったのに、数えきれないほどいっぱいあった。


 落ちこぼれの私が、ランキング入りなんて快挙成し遂げたのは、彼女が協力してくれたおかげだ。 

 夏休みは別荘にお邪魔したり、樹虎と三人で料理したり、沢山一緒に満喫した。けど、サイン会はさすがにお供出来なくてごめん。

 それと、禁書庫の件は本気で助かった。あれは無理させちゃったな。

 あ、でも、文化祭の魔女服写真は、今後も誰にも見せないでください。女子高生らしく、いつか二人でプリクラとかも撮ってみたかったね。

 サクラサバイバルでの樹虎VS心実はマジ過ぎて焦ったけど、結構二人の小競り合いを見守るのは好きだったよ。でも出来れば、私が居なくなったら喧嘩は控えて、仲良くしてくれると安心かも?


「心実が友達になってくれて、私の寂しい高校生活は変わったよ。魔法の特訓もテスト勉強も、休み時間も文化祭も、心実が一緒に居てくれたから楽しかった。何度、心実には感謝してもし切れない。本っ当にありがとう!」


 これが最後だと分かっているから、懐かしさに浸って気恥ずかしいことも言いたい放題だ。こうして想いを会って伝えられて、別れの辛さとは裏腹に今、私の気分は決して悪くない。


 それからと、さらに言い募ろうとすれば。

 「止めてください、お姉さま! そんな、そんなの全部……っ」と、心実は耐え兼ねたように頭を上げ、整った相貌をくしゃりと歪めた。


「――――全部、私の言うべき言葉ばかりじゃないですか……っ!」

 

 唇を震わせ透明な涙を散らし、彼女は私に縋りつく。


「唯一の親友を失くして、学校には馴染めなくて、孤独だった私の高校生活を変えてくれたのは、お姉さまの方じゃないですかっ! ずっと一人で寂しかったのは……私の方です。友達になれて嬉しかったのも、そのおかげで楽しかったのも、全部全部、私の方なんです! だ、だから、お姉さまに感謝を言うべきなのも、私で……っ」

「心実……」

「この先もお姉さまの隣で、その恩返しをしていくつもりでした。学年が上がっても、卒業してもずっと。なのに、何で居なくなろうとするんですか! 何で死ぬなんて……い、嫌です、ダメです。私、お姉さまが生きるためなら何でもします。し、死なないでください、生きてください。お願いです、お姉さま……っ」


 駄々をこねる子供みたく、心実は嗚咽交じりで懇願を繰り返す。

 場違いにも私は、そんな彼女の涙を溜めた紫の瞳が、朝露を乗せた大輪の紫陽花のようで、とても鮮やかで綺麗だと思った。

 私の本当の命日は六月で、心実と友達になったのは梅雨の時期だったから、つい連想したのかもしれない。


 私はたおやかな花に触れるように、優しく心実の頭を撫でる。


「心実、ごめん、ごめんね……」


 でも、ありがとう。

 こんなにも、私のために泣いてくれて。

 こんなにも、私に生きて欲しいと願ってくれて。


 悲しいのか嬉しいのか、判別のつかないごちゃ混ぜな感情がこみ上げて、自分が今どんな表情を浮かべているかも分からなかった。

 

 けど此処まで望まれても。

 それでも私は…………心実を置いて逝かなくてはいけない。


 彼女を宥めるようにゆっくりと手を動かしながら、「聞いて、心実」と穏やかな声で囁いた。

 どうもそろそろ、この夢のような、魔法の時間も終わりみたいだから。


 今から言うのは、私とは違ってこれからも生きる心実への、ちょっとしたお節介だ。

 

「さっきも触れた、心実の仲違いした親友さんのことなんだけど。その話を聞いてからずっと私は、心実は本心ではまだ、その子と友達に戻りたいんじゃないかって思ってた」

「え……」

「本音を見落としたままだと、いつか後悔しちゃうよ。余計なお世話かもしれないけど、大事な友達の心実には、あんまり後悔して欲しくないんだ。……私はこの先も、心実にはいっぱい幸せに生きて欲しい」

「おねえ、さま」

「だから何とか一回、その子と話してみたらどうかな? それで無理なら、諦めるのもアリだし。ただ何もせずこのままより、何かした方が後に悔いはないかな、と」


 少し私の経験談も入ってるなこれはと、内心で苦笑いを漏らす。


 この事は上手く表現出来ず、遺書に書くのは断念したんだけど。それが今、直接ならスラスラと言えた。

 返答に困っているのか、俯いて口を閉ざした心実に、私は一方的だが「約束ね」と微笑む。私の方の指切りでした約束は、こじ付けに近いけど、まぁ概ね果たせたということで。

 今度は逆に心実が私との約束を守って、どうか私が居なくなった後……立ち直って、前向きに生きてくれるといいな。


 力の抜けた彼女の腕を解いて、私はそっと立ち上がり身体を離した。伝えるべきはことは伝えらえたし、もう次の人の元へ行かなくちゃ。

 名残惜しいけど、彼女との時間はここまでだ。


 私の身体は、足先から徐々に光の粒子へと変わっていく。何処までもファンタジーで、それが妙に可笑しい。あんなに魔法のせいで散々な目にあってきた私が、今は魔法があって良かったなぁと思うなんて、単純だよね。


 でもどんな形であれ、最後の最後にもう一度、心実に会えて嬉しかった。


「あ……ま、待ってください、お姉さま! 待って……っ」


 慌てて身体を起こそうとした心実が、足を縺れさせ床へと這い蹲る。必死に伸ばしてくる手を、今度は私は……取ることは出来なかった。


 その代わり、「バイバイ、心実。ずっと大好きだよ!」と、いつものように笑い掛ける。


 それを見て、心実は静かに息を呑んだ。

 そして一瞬の間のあと、伸ばした手をもう一方の手で無理やり押さえつけ、彼女は不格好で歪な、だけど精一杯の笑顔を浮かべてみせる。


「わ、私も、お姉さまのことが、ずっとずっと大好きですっ」


 ――――それは確かに。最後に彼女が私のために、泣くのを耐えて贈ってくれた言葉と笑顔だった。


 それに、満足気に「知ってる!」と返す。

 きっと彼女は私との約束を守ってくれる。そう思うとやっぱり、不思議と気分は悪くないな。




 心実の前から姿を完全に消す間際、「指切った!」と笑い合う、いつかの声が聞こえた気がした。


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