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51 さよならの魔法

 

 階段から落下していく最中さなか

 何かを私に囁いたあの声は――――『どうか貴方の最後の願いだけは、私に叶えさせて』と、そう言ったあれは。


 誰の声、だったかな。



♣♣♣



 瞼を持ち上げれば、一面が白に塗りたくられた空間に居た。


 上下左右の区別がつかない、何もない白紙の世界で浮いている。身体は痛みも痣もなく、ただただ軽い。

 この感じを、私は知っている。六ヶ月前に死んだ時と同じだ。

 それなら恐らく此処には――――


「やぁ、久しぶりだね、三葉」

「シラタマ……」


 光が弾けて現れたのは予想通り、真白な毛並みの綺麗な猫、シラタマだった。天使だと分かった今では、背中の羽にも驚かない。会うのは随分久しぶりだ。


 そして再び此処へ来て、彼と会えたということは。


「私がシラタマに貰った六ヶ月は……終わっちゃったんだね」


 手の甲には0という数字すらなく、カウントそのものが消えている。ついに私は、六ヶ月を終えて死を迎えたらしい。

 自分への確認のために呟いた言葉に、シラタマはこくりと頷いた。


「そうだよ。僕が強化した君の体と魂のつながりは切れてしまった。此処は言うなら『生と死の狭間の世界』といったところだね」

「……それで、シラタマは此処からあの世? って処へ私を連れて行くために、迎えに来てくれたの?」


 『死』の実感が、じわじわと胸に迫る。今はまだこうして、狭間の世界とやらでシラタマと会話が出来ているが、それも時期に終わるのだろう。

 迎えに来るとか、天使というより死神みたいな役割だけど、最後に彼とこうして話せたのは嬉しい。


 何てたってシラタマは、私が高校で最初に出来た友達だ。


「迎えというか単純に、僕は友人である君の最後に会いに来たんだよ。……ただ君にはあと僅か、時間は残されているようだけど」

「え……」


 意味を計り兼ねている間に、またしてもシラタマの傍で眩い閃光が溢れた。光は人型の輪郭を描いていき、現れた人物に私は目を見開く。


「――――――柊、雪乃、さん?」

「……久しぶりね、野花三葉さん」


 ガラス細工のようなグレーの瞳。華奢で儚げな雰囲気。白銀の長い髪を靡かせ出現したその人は……私の命を奪った本人である、行方を暗ませていたはずの柊雪乃さんだった。


 あまりの衝撃に、私は二の句が告げずにいる。


 どうして、彼女が此処に?


「……こうして貴方と話せているということは、私の発動させた魔法は成功したのね。あの遺書の通りなら、そこの猫が天使なのかしら」


 魔法? 遺書?

 ただでさえ状況についていけていない頭に、そんな言葉の羅列が入り、私はさらに混乱する。


「時間もないから、短く順を追って話すわ。まず私は学校から姿を消したあと、研究所を潰すための活動を行なっていた」

「え……っ」

「母の元助手と他にも数名、研究所の崩壊を目論む人たちと協力して……貴方が私に言ってくれたように、『生きて』研究所に復讐するために」


 遠い彼方の記憶だが、屋上での出来事や、薬の真相を明かされた際に聞いた、草下先生の元上司さんの話を思い出す。

 そうか、柊雪乃さんは……あれから生きて、戦うことを選んだんだ。


「けど行動を起こしながらも、貴方のことが気掛かりだった。ずっと奇妙な引っ掛かりを覚えていたの。……でも一週間ほど前。薬の資料を回収しに寮部屋へ訪れていたとき、現れた犬に手渡された遺書を読んで、ようやく私はすべてを理解した」

「犬って、遺書ってまさか……」


 そういえば樹虎への想いを自覚した日に、ポチ太郎が失踪した軽い事件があった。またかと気にも留めなかったが、あれも確か一週間前だ。


 ポチ太郎は私の遺書を――――――柊雪乃さんに届けたのか。


「あの犬のことは多少知っていた。様々な実験によって、高い知能と魔力を有した研究所の実験動物。逃げ出したその犬が、なぜ私の前に現れたのかも、遺書を読めば大方察しはついた。彼は貴方に託された遺書を、ちょうど学校へ戻って来ていた私に、己の判断で届けに来たようね」


 今さら私は、一旦回収した遺書が、よれて封用のシールが剥がれ掛けていた事の、本当の理由を知った。てっきりポチ太郎が雑に扱ったせいだと思っていたが……あれは、柊雪乃さんが一度開封したからだったとは。


「遺書を読んで、私は貴方を死に追いやったのだと真実を知った。『天使から余命を』という話も、すんなりと納得したわ。遺書が届かなければ、私は自分の真の罪を一生知らずにいた。だから、私はあの犬には感謝している」

「雪乃、さん」

「私は貴方に生かされた。貴方の叫びが、私に生きることを選ばせた。私は罪を抱えて生きると決めたの……それなら自分の罪は、正しく知っておくべきだわ」


 そう語る柊雪乃さんの眼差しは強い。

 いつか夕焼けの中で見た、記憶の中の彼女とはまるで別人のようだ。


 しかしまだ、どうやって生きている彼女が此処へ現れ、何をしに……死に行く私に会いに来たのか分からない。


「遺書を読んですべてを知った私は最初、何より先に――――貴方の命を長らえさせる方法を探した」

「っ!」

「だけど」


 柊雪乃さんは言葉を切り、沈痛な影を顔に揺らめかせた。そして押し殺すような声で、だけど一点の曇りもなくはっきりと。



 ――――――そんな方法は存在しなかった、と。



 そう言った。

 静かに、彼女は言い切った。


「禁断魔法の知識があるなら、『命に関する禁断魔法』のことも知っている?」


 その問い掛けに、私はゆっくりと首肯する。

 禁書庫で見た、『禁断魔法の種類と使用法一覧』。あの本には、詳しくは見ていないがそんな項目が確かにあった。


「禁断魔法なら、貴方を生かせる魔法もあるはず。そう考えた私は情報を集め、何とか禁書庫に辿り着き一冊の本を手にしたわ。償いとして、貴方を死なさずに済むのなら、私は何を代償にしても構わないつもりでいた。……でもあの項目は、どれも未完成だったの」

「未完成?」

「そう。魔法は色々と載っていたけど、文は途中で途切れていた。特に私が求めた貴方を生かせるような魔法はすべて、ほぼ白紙に近かった」


 それは、あたかも――――どんな魔法であろうと、奪った命を取り戻して償うなど不可能だと。

 そう本に諭されているようだったと、彼女は話す。


 懺悔の響きに似たそんな言葉を耳に、私は自分なりにぼんやりと、未完成の理由を考えてみた。


 もしかしたら、『命に関する禁断魔法』を創ろうとした人たちは、ただ道半ばで諦めただけなのかもしれない。どうしても成功しなかったから、途中まで記しておいて、のちの人たちに魔法の完成を託したとか。


 また、あるいは。

 梅太郎さんが理事長さんの大怪我を治すために、魔力と肉体の若さを喪ったように。柊雪乃さんが母のためにと、他人の魔力を奪い記憶を操作したが故に、自我と身体を奪われつつあるように。

 禁断魔法には、その魔法の行使につり合う『代償』が必要だ。


 けれど、一度失くした人間の『生の時間』につり合う代償は、そもそも『無い』のだと、そういうことなのかも……これはあくまで、私の考えだけど。


 ――――――でもだからこそ、私の延長してもらった六ヶ月は、尊い奇跡のような時間だったのかな。


 私はそっと、黙って話を聞いていたシラタマの方に視線をやる。

 そして実は、死が迫るにつれ幾度も抱いた覚えのある、頭を過る度に振り払ってきた淡い期待を、この際だから彼に尋ねてみた。


「ねぇ、シラタマ。『人』の力ではさ、どうも魔法を使っても、誰かを生き返らせることは難しいみたい。じゃあ例えば、シラタマはもう一度…………私に生きる時間をくれることは可能?」


 答えは初めから知っている。

 だからこれは、ちょっとした確認だ。


 シラタマはその白い羽をパタパタと動かしながら、首を緩く横に振った。


「それは無理だよ、三葉。天使が力を使って干渉できるのは、同じ人間に一度きり。まして命に関わることで、二度目は許されない。……それが、僕たちのルールだから」


 申し訳なさそうに耳を丸め、そう相変わらずの美声で答えてくれた彼に、私は小さく「そっか」と返す。

 天使には天使の、守るべき人間との境界線があるのだろう。何もシラタマが、済まなそうな顔をする必要はない。


 そんな私とシラタマのやり取りを、複雑な色合いの瞳で見守っていた柊雪乃さんは、「貴方に『生の時間』を取り戻すことは出来ない……でも」と、か細い声を溢した。


 そして続けられた言葉に、私は驚きと共にやっと、幻聴だと思っていた『あの声』の正体に気付く。


「私なら……貴方の最後の願いを叶えることは出来る」

「私の、最後の願い?」

「ええ。貴方の遺書には、確かこうあった。余命の秘密は誰にも明かさないと誓ったから、生きている間にお別れを言えずにごめん。本当はみんなに会って、『ありがとう』も『さよなら』も伝えたかったと。――――――私なら今からその、貴方が大切な人に『最後のお別れを言う時間』をつくれるわ」

「!」


 予想もしていなかった発言に、私は息を呑む。

 それはつまり、死んでしまった私を、生きている彼らと最後にもう一度会わせる、ということだろうか。


 でもまさか、そんなこと。


「一体どうやって……」

「…………『命に関する禁断魔法』は、どれも未完成。その中には、死んだ人に会えるといった類の魔法もあったけど、これも文章が抜けて完成されてはいなかった。だけど、途中までの手順を他の魔法と組み合わせ、私は一つの魔法を生み出した。それが――――『伝魂でんこん魔法』。貴方が最後のお別れを言うためだけに、私が創った魔法」

「伝魂魔法……」

「これは、私の中に『貴方の魔力源』が残っていたから出来た魔法なの。簡単に言えば、私はこの魔法を発動させて、貴方の体の代わりにその魔力源と、貴方の魂を暫定的につないだ。要は私が行ったのは、そこの天使の真似事よ」


 荒唐無稽な話だが、何となく理屈は分かった。どうも私は禁断魔法によって、まだ辛うじてこの世に魂をつなぎ止められている状態らしい。

 多分あの声も、彼女が『私の魔力源』を通して、意識とかに語りかけたのかな。


 私が死に至った要因でもある、柊雪乃さんが奪った『私の魔力源』。それは徐々に、手元へ戻ってきていたのだろうけど、まだ彼女の体内に潜んでいたようだ。

 それが、私のために創った魔法の『鍵』になるなんて……少し皮肉にも思える。彼女もそう感じたのか、「こうして貴方と話せているのも魔法の効果よ」と付け加えつつも、自嘲染みた表情を覗かせた。


「今から貴方はただ、会いたい人を思い浮かべるだけでいい。そうすればその人の前に、貴方は生前と同じ姿で現れることが出来るわ。魔法の効果は長くは持たないから、会えるのも数人で、話せる時間も限られているけれど――――――」


 ―――――この魔法なら貴方は最後に、自由に会いたい人に会いに行ける。何のしがらみもなく、伝えたいことを伝えられる。


 それに、と彼女は長い睫毛を伏せる。


「貴方が居なくなると分かれば、遺される彼らにもきっと、貴方に伝えたいことがあるはず。こんなこと私が言うのは可笑しいけれど、どうかそれも聞いてあげて欲しい。……私は死に行く母に、何も言えなかったから」


 空虚な彼女のその呟きは、私の胸の隙間にストンと落ちた。


 脳裏に巡るのは、大切な人たちの姿だ。

 生きていた時は置かれた状況から、直接言うのは無理だと諦めた。だから私は誰にも何も言わず、最後は一人で死ぬことを選んだけど。


 それでも、今になってもやっぱり、私は自分の口から伝えたい。

 あと一つ我が儘が許されるなら、どんな形でもいい、私は最後に彼らともう一度会いたかった。


 そして彼女の言うように、私は置いていってしまう、彼らの言葉も一緒に聞きに行こう。


 『伝魂魔法』……魂を伝える、自由にさよならを言うための魔法。

 それはどの魔法よりも、私にとって一番――――やさしい魔法に思えた。


「……こんな、こんなことしか私には出来なくて、本当にごめんなさい。貴方から生きる時間を奪い、なのに貴方に生かしてもらった、そんな私が出来ることは、これだけでっ!」


 突然、今まで淡々と話していた柊雪乃さんは、耐え切れなくなったように口許を覆い、顔をバッと俯かせた。

 白銀の髪が、細い肩と共に小刻みに震えている。


「私のせいで貴方は……っ! 謝る資格すら私にはないって、分かって押さえていたけど……ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさい! 貴方にはこの先の、確かな未来があったはずなのに……それを私は! 私の、私のせいで……!」


 ごめんなさい――――張り裂けそうな声でそう繰り返す彼女を前に、私は無言で瞳を閉じた。


 私は柊雪乃さんの悲しい背景も、痛ましい後悔の念も知っている。彼女が本当は、研究所の被害者だということも。

 それでも、憎しみを抱いていないと言えば、それは嘘になる。それこそ私は、『死んでも』彼女を許せない。

 きっと彼女も、許されることなんて望んではいないだろう。


「柊雪乃さん」


 静かに名を呼べば、彼女は悲痛に歪ませた顔を上げた。

 

 伝言魔法を創ったのは、私への償いの一つ。

 柊雪乃さんの贖罪はこれからだ。


 意識を奪う『声』の問題は、恐らくまだ彼女を苛んでいる。またあえて口にしていないが、後に伝言魔法の代償も何かしら払うことになるだろう。それらの負荷と抗いながら、彼女は研究所に復讐することを選んだ。

 ――――私がいつか屋上で言ったように、『罪を背負って生き抜く』ために。


 それなら、私が彼女に掛ける言葉は。


「あなたは、がんばって生きてください。……何があっても、研究所はぶっ潰してくださいね」

「! ええ、必ず」

「それと」


 これは柊雪乃さんのためというより、私が色々とお世話になった、『ゆきちゃん』をずっと気にかけていた彼女のために。


「亡くなった母親以外にも、あなたを心配する人はいます。少なくとも、私は一人知っています。その人の気持ちには、出来れば何らかの答えを返してあげて欲しいです」

「私を心配する人……」


 心当たりがあったのか、彼女は「分かったわ……あなたは本当に、どこまでも優しい人ね」と、切なく私に微笑みかけた。


 そして淡い光と共に、彼女は瞬く間にこの空間から消えた。

 もう私との対話は終了したということだろう。これ以上、彼女と交わす言葉は無かったからそれでいい。



 そして、ここからは――――――さよならを言うためだけの、最後の私の時間だ。



「三葉、これも忘れずに」


 いつの間にか傍にきていたシラタマは、いつかのように短い手を差し出した。

 肉球の上では、私のクローバーの飾りピンがキラキラと光っている。


「あの六ヶ月は、僕が君に与えた時間だった。だけど彼女がくれたここからは、君がその間で自分で手に入れた時間とも言える。だから難しいことは考えず好きなように――――最後まで君らしく、みんなに会いに行っておいで」


 くるんっと尻尾を揺らして、シラタマは「いってらっしゃい、三葉。僕は此処で待っているから」と、優しく猫目を細めた。

 私はピンを受取って、元気よく返事をする。


「うん! じゃあ、ちょっとだけ行ってきます!」


 誰から会いに行くかは、もう決まっている。


 ……指切りで、約束したからね。

 

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