49 空気に溶けた告白
朝起きて、真っ先に手の甲の数字を確認することは、もう身についた日課だ。
私は早朝独特の刺すような寒さに耐えるため、毛布にしっかりと包まりながら、寝ぼけ眼で手に浮かび上がったカウントダウンを見咎める。
『残り7日』――――早いもので、いつの間にか私の余命は一週間になっていた。
すでにテスト週間も中日に入り、今日は一日丸々、一般科目のテストがある。それが終われば放課後は、明日の魔法の実技試験に備えて、樹虎と練習をする予定だ。
といっても明日の試験は、魔法模擬試合ほどガチで魔法の実力を見るものではなく、チームごとに先生の前で、基礎の魔法を披露するだけの簡単なものだ。
11月に行われた模擬試合でランキング入りしている私と樹虎は、実はこれの結果なんて然程、成績に影響しない。模擬試合での評点だけで、魔法分野の成績は十分高評価を獲っている。大方の生徒も、明日の試験はそこまで力は入れていないだろう。軽いテストのおまけみたいなものだ。
……それでも私は、ここでも手を抜かず、全力で良い結果を残したかった。
今は頑張れることは、どんな小さなことでも一生懸命にやっておきたいのだ。
それに練習を口実に、ちょっとでも相棒と一緒に居れる時間が欲しいのもある。
あいつ、お昼とか誘ってもなかなか来ないし。稀に来たら来たで、心実と睨み合いになってランチタイムどころじゃなくなるんだけど。
今日の練習は、心実は委員会で不在のため、最近苛烈さを増している最強魔法少女VS凶悪魔法不良の戦いもお休みだ。樹虎と二人きりで過ごす時間というのも、案外レアだったり。
だからそんな彼との時間も含めて、今日も私は笑顔で楽しく日常を満喫しよう。
「起きるか!」
――――布団を跳ねのけ伸びをして、私の残り少ない貴重な一日が始まった。
♣♣♣
「みーつけた! やっぱり此処にいたんだね。寒いのに何してんのー。早く降りて訓練棟いくよ!」
テストも終了し、さぁ樹虎を捕まえようとしたら、奴は約束を取りつけたにも関わらず、私が森戸さんたちと軽くお喋りしている間に、さっさと教室から姿を消していた。
先に魔法使用許可を取りに行ったのかな? とも思ったが、面倒になって逃げた可能性も無きにしも非ず。こういうときは大抵、私が彼の居場所を突き止めて、強引に引っ張って行くのがお約束の流れだ。
私はひとまず、クラスメイトに別れを告げ、草下先生のもとへ急いで魔法の使用許可を取りに行った。そこで手早く許可を貰って、樹虎捜索に乗り出すはずだったのだが。
ポチ太郎がまた懲りずに失踪したみたいで、先生はちょうど行方を探しに行くところだった。授業を終え戻ってきたら忽然と姿を消していたらしく、彼は必死な形相で「見つけたら教えてくれ」と言い残し、競歩並みの早歩きで廊下の向こうにフェードアウト。あくまで廊下は走らないところは、流石は教師だ。
でも先生もそろそろ、ポチ太郎の脱走対策を考え直すかもね。
そんな感じで、草下先生から許可を取り損ねたので、仕方なく私は別の教師に頼み、ようやく樹虎探しに取り掛かった。
さて本日は、連日の雪続きから久しぶりの晴天。気温も心なしか暖かい。
ここ六ヶ月近く、樹虎の生態を観察してきた相棒としては、こんなちょっとでも天気の好い日は、彼はいつもの大きな木の処に居る可能性が高いと踏んだ。
冬だろうと、お気に入りの木の上で過ごすのが、樹虎のこだわりだ。あるいは、私が呼びに来るのを待ってたり? ……なんてね。
ご丁寧に、おそらく風の属性魔法で、木に積もっていた雪をすべて払い除けたのだろう。訓練棟付近のゴミ置き場周辺。立ち並ぶ木々の中で一本だけ、まったく白い雪を被っていない見慣れた大木があった。
ばっちり魔法の使用許可を取ってるじゃん。
「……よく考えたら、楽な試験のために練習なんて必要ねぇだろ、めんどくせぇ。此処で暫く時間を潰したら、俺は寮に帰る。お前も諦めて一人で練習するか、先に帰っとけ」
木の根元に立って声を掛ければ、上から降ってきたのはそんな返答だった。
それで「そっかぁ」と引き下がるほど、私の聞き分けは良くない。それにピンッ! とあることを思いつき(数日前に心実とした指切りといい、この表現も些か古いかな)私は魔法を発動させた。
移動魔法と、シラタマ人形限定で物質操作魔法しか使えなかったのは、もう昔の話だ。
一ヶ月程前に会得した『浮遊魔法』を使って、私は樹虎の居る太い枝のところまで、葉を掻き分けて一気に浮かび上がった。
そして、長い足を伸ばして枝の上で絶妙なバランスを取り、幹に背を預けくつろぎ中な彼に、浮かんだままで「やっほー」と声を掛ける。下から急に現れた私を見て、彼は面食らったように金の瞳を見開いた。
「……何してんだ、お前」
「いや、たまには樹虎のお気に入りスポットにお邪魔して、お喋りするのも粋かなと思って。あ、訓練棟にはあとで連れて行くからね! とりあえず、座りたいから足退けて!」
ぺしぺしと足を叩いて催促すれば、私の浮遊魔法が短時間しか持たないことを知っている樹虎は、舌打ちしつつも、すぐに足を曲げて座れる場所を開けてくれた。
彼と同じ枝に腰かけたところで、私はようやく魔法を解く。
上昇する際に、葉に残っていた粉雪が、幾分か髪にかかってしまったようだ。それを、軽く首を振って払い落とす。
宙に投げ出した足をぶらつかせ、普段とは違う高い視点に、「おおー」と感嘆の声を漏らせば、横の樹虎が呆れたように嘆息したのが分かった。
「お前は本当、いつも俺の予想外の行動を取ってきやがるな……」
「そうかな? 私は逆に、樹虎の行動は大体読めるけどね。意外と樹虎は単純なとこあるし」
「蹴り落とすぞ」
低い声で凄まれても、ちっとも怖くない。だって、そんなこと絶対しないって知ってるし。
しかし、これは良い機会かもしれないな。
私は視線を遠くの空に向けたまま、何てことはない口調で、つい最近、梅太郎さんから聞いたばかりの『例の話題』を口にした。
「ねぇ、樹虎はさ、『チーム替え申請』って知ってる?」
「あ? チーム替え?」
「うん。ほら、この学校のチーム制度って、一年単位で同じ人と組むことになってるじゃん。進級に際して、相手の変更も可能なんだって。そろそろ申請受付を開始するのかなぁって」
「……それは、何か俺らに関係あんのか」
「いや別に? ただ例えばね、本当に例えばだよ? 樹虎が私以外とペアになるとしたら、誰がいいかなーって、暇潰しに想像してみたの。個人的には、心実となんて面白いかなって。向かうところ敵なしって感じじゃない?」
なるべく軽く、他愛のない『もしも』の話に聞こえるように提案すれば、彼は本気で嫌そうに「冗談じゃねぇ」とぼやいた。
「あのチビとペアになるなんて、俺も願い下げだが、あっちも心底嫌がるだろ。特にあのチビは、お前絡みで俺を敵視してるじゃねぇか」
「樹虎さん、樹虎さん。日本には『喧嘩するほど仲が良い』という、素敵なことわざが……」
「続きを喋ったらマジで蹴り落とすぞ」
うん、心実推しはこの辺で止めておこうか。
樹虎の脅しは怖くないが、あまり機嫌を損ねられても大変だ。
それでも、私はまだこの話題をもう少しだけ振っておきたくて、「じゃあ、別の人なら樹虎は誰がいい?」と尋ねてみた。
枝に添えた掌に、木の表面のザラつきを感じながら、彼の返答を待つ。
すると樹虎は一拍置いてから、何処か神妙そうに口を開いた。
「……何でそんなことを答える必要がある。お前、今日は何か様子が可笑しくねぇか?」
「そう? ……本人的にはいつも通りなんだけどな。どこも変なとこなんてないよ」
「どことは言えねぇが、確実に可笑しいだろ。能天気バカの癖に、何か悩みでもあんのか。あるんだったら、聞いてやらねぇ……こともねぇ」
「どっち!?」
相変わらず素直じゃない彼の申し出に、つい声を出して笑ってしまう。
枝葉に笑い声を木霊させていたら、ギロリと樹虎が強い眼光を飛ばしてきた。
「つうかお前こそ、そんな質問してきたんだ。誰か他に、俺以外にペアになりたい奴でもいるのかよ?」
「え……」
そう問う彼の声が、やけに鋭く真剣みを帯びていて、私は言葉を詰まらせてしまう。
――――私こそ、樹虎以外にそんな相手が居るはずがない。
梅太郎さんの前でも宣言した通り、『私の』ペアは一生、樹虎だけなんだから。
でも……彼の方には、私が居なくなった後に、新たなペアが必要で。
この場合、私はどう答えればいいんだろう。
「おい、俺とペアを止めたいのかって聞いてんだ」
「! そんなわけないじゃん! わ、私の相棒は樹虎だけだし!」
彼の謎の威圧感に押され、つい勢いで思うがままに答えてしまった。ハッとなって我に返り、どんな感情より先に、自分の発言に対する猛烈な羞恥に襲われる。
けどそんな私に反して樹虎の方は、ささくれ立ち始めた雰囲気を弛緩させ、チラッと横目で見れば、珍しく満足気に口の端をつり上げていた。
「なら、別の誰かなんて話をする必要はねぇだろ。……俺も今さらペア替えなんて面倒なこと、する気はねぇよ。仕方ないからこの先も、お前で我慢しといてやる」
「な、何その言いぐさ……」
――――ああ、ダメだ。
本来なら、樹虎に『他に気になるペア候補』がいた方が、今後のことを考えれば良いのに。
彼も私と同じで、ペア替えなんてする気はないと言ってくれて、そんな考えなんて押し退けるほど、ただただ嬉しくて仕方がない。
本当に樹虎は、普段はつれない癖に、不意打ちでデレてくるから困る。
いざという時は心から頼りになって。いつでも私を何だかんだと助けてくれて。素直じゃないけど実はカッコイイ良い奴で。
そんな樹虎だからこそ、私は彼のことが――――――あれ?
「? どうした?」
急に胸元を押さえて黙り込んだ私に、樹虎が訝しげに声を掛けてきたが、私はそれにまともな返事をする余裕がない。
え、嘘でしょ。待って待って。
そんな、え、マジで?
だって、彼は大切な相棒で……だけど、でも。
これはもう、間違いなく。
「っ!」
以前から心の片隅で、静かに燻っていた彼への感情の正体に…………どうやら私は、ぴったりな名前を見つけてしまったらしい。
「……おい、本気で様子が可笑しいが、大丈夫かお前?」
幹から背を離し、心配してくれた樹虎が、私の方に身体を寄せてくる。今はひたすらに頬が熱く、俯けた顔を見られたくなくて(恐らく誤魔化しきれないほど、真っ赤な可能性が高い)、私は過剰に肩を跳ねさせた。
そんな私の反応に、眉を寄せた樹虎がさらに近づこうとしてくるので、私は咄嗟に再び浮遊魔法を発動し、慌てて地面へと逃げた。
頭上から「おい!?」と樹虎が困惑している声が聞こえてくるが、ごめん、困惑度は私の方が高いみたい。
薄らと積もった雪の上で、私は鳴る心拍を落ち着けるため、ゆっくりと息を吐き出しながら頭を整理する。
――――『いつから』、なんて考えるのは野暮だろう。
自分の気持ちに気付くきっかけなんてのは、あの時とかその時とか、いくらでもあったと思う。
「ははっ、凄いじゃん、私。…………延長してもらった六ヶ月の間で、本気の『恋』までしちゃうとか」
虫が鳴くような小さな声で、そう呟きを漏らす。
乾いた笑いは、白い地へと人知れず落ちて消えた。
私の余命はもう一週間――――せっかく悟った気持ちだけど、どうも彼には告げられそうもない。
このタイミングで言うのは、いくらなんでも難しいよ。彼の方はきっと、私のことはあくまで『ペアとして』、大事にしてくれているのだろうし。告げることで、残り少ない時間を下手に気まずくなるのも嫌だ。
それなら私は最後まで、変わらず彼の『相棒』でいる方を選ぶ。
気づくのが遅すぎた? ……違うな。
むしろ死が身近に迫ってきた今だからこそ、私は大切な気持ちの答えを見つけられたのかもしれない。
いいよ、それでいい。
私は、死ぬ前にこの気持ちに気付けただけで十分だ。
……ああでも、遺書に書くことくらいは、やっぱりしておこうかな。
言い逃げになっちゃうけど、すでに書いた諸々の彼へのメッセージの中に、この想いもこっそりと混ぜておこう。
失踪したポチ太郎が帰ってきたら、明日辺りにでも急いで遺書に追記しとかなきゃ。
それが……きっと最良だ。
「――――ったく、本当に何なんだお前は」
真っ赤な髪を靡かせて、悪態をつきながら樹虎が飛び降りてきた。私とは違い魔法なんて使わず、慣れた身のこなしで着地する。
その光景を見て私は不意に、心実を不良たちから救出した、遠い日の出来事を思い出した。
あのときは、樹虎の後頭部に小枝をぶつけて「このクソ不良っ!」なんて罵ったんだっけ。思えば、好感度はマイナスか氷点下からの始まりだったのに、こんな想いを彼に抱くことになるとは。
自分の変化が妙に面白く、懐かしさと相まって、私は無意識に頬を緩めていた。
それに樹虎は「なに笑ってんだ……もう付き合いきれねぇ」と、呆れがマックスに至ったようで、深々と息を吐き、くるりと背を向けて歩み出してしまう。
慌てて行く先を尋ねれば、「これ以上お前が奇行に走る前に、とっとと練習を終わらせて俺は帰る。訓練棟に行くんだろ? 早く来い」と、そう言った。
そんな彼の後姿に今度は、例の屋上事件後に、泣く私の傍に無言で居てくれた時の背中を重ねる。
そして、改めて自分の気持ちを再確認して。
足を進める樹虎の背に向けて、私は唇をゆっくりと動かした。
「ねぇ、樹虎」
「あ? 何だよ」
――――――好きだよ。
「――――――練習に付き合ってくれるのは嬉しいけどさ、やっぱもうちょい、素直になってくれると私は有難いかな。いや、その不器用な態度が樹虎の魅力でもあるんだけどね? 今後は二年になって付き合いも広がるだろうし、樹虎にはもっと円満な人間関係を築いて欲しいと、相棒として切実に願うよ」
普段通りにそうからかえば、ブチッと血管が切れるような幻聴がして、樹虎は大股で私を置いて行ってしまった。
まぁ、どうせ行先は同じだし、私はのんびりと歩いて行こう。
……頬を撫でる風が冬なのに何処か暖かくて、無性に私は少しだけ泣きたくなった。
少しだけ、ね。
次の一話をあげたら、残りは最終話とエピローグまで一気投稿の予定です。
残りわずか、よろしければお付き合い頂けると幸いです。





