番外編 とある少年とお嬢様の幕間
こちらの話は、以前お知らせした梅太郎さんと理事長の番外編です。なお、この話は三人称でお送りします。
スピンオフみたいなものなので、興味のある方だけどうぞ!
「お嬢様。そろそろ家庭教師の先生が来る時間ですよ。お部屋に戻らないと、また怒られてしまいます」
黒いかっちりとした服装に身を包んだ、まだあどけない顔の少年が、大きな桜の木に向かって、そう穏やかな声で語りかけた。
季節柄、その愛らしい花を披露することはないが、雄大に広がる緑の枝葉は立派なものだ。その桜の木の頂上付近から、葉と共に高い声が降ってくる。
「あら、随分つまらないことを言うようになったものね、梅。私は今、ここから景色を見渡す作業に忙しいの。退屈な授業なんて、受ける気にもならないわ」
何とも勝気な態度と声音に、『梅』と呼ばれた少年は、人知れず溜息をついた。
この攻防、今までも何度、繰り返したか分からない。
そして、この後に続くやり取りは決まっていた。
「それより、梅もこちらに来なさいよ。浮遊魔法を使えばあっという間でしょう。一緒に景色を楽しんでくれるなら、そのあとに授業を受けることも考えて差し上げるわ」
「……約束ですよ? またお嬢様にサボられたら、僕が怒られちゃいますからねぇ」
「いいわよ、約束する。だから早く、こちらに来て頂戴」
少年は「仕方ないですねぇ」と呟きつつも、何とも『お嬢様らしい』態度に、頬を緩ませて微笑んだ。
彼女が理屈っぽく少年に我が儘を言うのも、それに必ず一度は少年の方が折れてしまうのも、何てことはない、二人の変わり映えのしない日常の一環だった。
ここは、魔法の名門一族・桜ノ宮家の敷地内。
白い西洋風の大きな御屋敷には、手入れの行き届いた広い庭があり、そこに植えられた一番大きな桜の木の上が、桜ノ宮家の長女……桜ノ宮桜子のお気に入りスポットだ。
彼女は嫌なことがあると、ここに逃げてくる癖がある。
今だって、彼女は折り合いの悪い家庭教師との勉強から逃走し、質の良い臙脂のワンピースを捲し上げ、淑女とは思えぬ格好で、太い木の枝に座り足を宙に投げ出していた。
その横に腰かける少年は、そんな桜子の「あの教師の授業はユーモアに欠けるわ」という文句を、苦笑しながらも柔らかな雰囲気で耳を傾けている。
ふわりと吹いた、夏と秋の狭間に吹く心地の良い風が、相槌を打つ少年の髪を掬い上げた。
高い魔力適性を持つわりに、少年の髪は、覚醒前と変わらぬ艶やかな黒のままだ。稀なことだが、魔力覚醒に伴い、髪や瞳が大きく変色しないケースもあり、少年の場合は髪に変化は訪れず、瞳だけが甘やかな蜂蜜色に変わった。
強い魔力を持ったせいで、過去に陰惨な傷を負った少年は、以前まではその瞳が抉りたいほど大嫌いであったのだが――――
「ちょっと、真面目に話を聞いているの、梅?」
「はい、聞いていますよ、お嬢様」
――――自分を救ってくれた彼女が、「その優しい瞳の色、根が温厚な貴方にぴったりね」と、褒めて笑ってくれたから。
少年は、自分の瞳が嫌いではなくなった。
劣悪な状況から助け出し、養子に迎え暖かな生活を送らせてくれている桜ノ宮家に、少年はもちろん心から感謝している。
それ故、その恩に少しでも報いるため、桜ノ宮家がやっていた『禁断魔法』の研究にも、惜しみなく力を貸した。
だが桜ノ宮家全体への恩義とはまた別に、少年は桜子お嬢様個人に、何より深い感謝と親愛の情を抱いている。
いつまでも過去に囚われ、空虚な目をしていた自分を、その絶望ごと文字通り蹴散らしたのが、桜子なのだ。
今日、こうして明るい日差しと澄んだ空気の中、屈託なく笑えているのは、少年は彼女のおかげだと思っている。
だから、そんな大切なお嬢様の話を、例え耳タコが出来るほど聞かされた愚痴だとしても、少年は聞き逃したりはしない。
「特に、あの教師の方の些かお堅い教育スタイルが、お嬢様はあまりお好きではないのですよねぇ」
「そうよ。ちゃんと聞いているじゃない」
ふん、と桜子は特徴的な金の縦ロールを揺らしながら鼻を鳴らした。
現在、桜ノ宮家に雇われ、家庭教師を務めている男は、真面目だが神経質で、堅物過ぎるところがある。
国語や数学といった一般科目に加え、経営学やマナーなどの専門知識と教養、実技も含めた魔法の授業など、分野ごとに桜子には数人の家庭教師がついているが、魔法学を専任しているその男は、少年の目から見ても、桜子との相性は悪かった。
基本的に、このお嬢様は、破天荒で型破りなのだ。男の性格とは、水と油といってもいいだろう。
「座って話を聞くのが大半の、あんな面白味のない授業で、生徒の勉強意欲を煽れるとは思えないわ。特に魔法の勉強なんて、もっと楽しくやらないと! 私が将来、目指す『生徒みんなが誇れる、世界一の魔法学校』では、もっと実践的で、工夫を凝らした魔法授業を取り入れてみせるわ」
「工夫ですか。難しいですねぇ」
「あら? 私はもういくつかアイディアがあるのよ」
桜子は自慢気に、歳のわりには発達した胸を張った。
「生徒たちで、魔法の試合をさせるのよ。チーム制度なんかも創って、対抗戦を行うの。こういった方が、魔法の使い方や危険さが身を持って分かるし、競うことで向上心も高め、協調性なども磨かれるわ。何よりこっちの方が、生徒も楽しく勉強できるでしょ?」
「なるほど。とてもお嬢様らしい、攻撃的な、いえ、好戦的な……心躍る考えですねぇ」
「本当に、言うようになったわね、梅」
ギロリとルビーの如き紅い瞳に睨まれても、しれっと「でもそれなら、色々とルールなんかも練らないといけませんねぇ」と話を続ける辺り、少年もお嬢様の扱いには手慣れたものである。
「……それはこれから、追々考えるのよ。でもこの試合の名称だけは、もう決めてあるわ」
「おや、どんな名前ですか?」
「『サクラサバイバル』よ! この試合はまさに食うか食われるか、生徒たちが勝ち残るために戦う、激しいものになるに違いないわ。その様子をサバイバルと称し、それに桜を合わせてみたの! カッコいいでしょうっ?」
「サクラサバイバル、ですか……」
少年はなんとか笑顔をキープしつつも、内心で「うわぁ」となっていた。
そういえば、お嬢様は斜め上にかっ飛ぶセンスの持ち主であったことを、少年は失念していた。
いくらなんでも、学校の魔法授業の一貫でやる試合が、そんな名称で良いはずがない。
ただでさえ内容的に、下手すれば魔法教育委員会とかに反発を喰らいかねないのに、そんな悪ふざけ丸出しの名前では、余計に悪評を叩かれる怖れがある。
ここは僕が何とかしておきますかねぇ……と、少年はやんわりと口を挟んだ。
「その名称は心より素晴らしいと思いますが、もっとハジけた場面の方が、よりぴったりじゃないですかねぇ」
「もっとハジけた場面?」
「確か前に、文化祭でこういうのもやりたい! とおっしゃっていた、イベントがあったじゃないですか。色々とミックスした、とても楽しそうなのが。あっちの方が、この名前は相応しいかと」
「……それも一理あるわね」
「こちらの試合の名称は、無難に『魔法模擬試合』とかで良いと思いますよ」
お堅くした方が適切な場合もありますしねぇと、少年は葉の隙間から注ぐ真昼の日光を受け、蜂蜜色の瞳を細めた。
文化祭でのイベントなら、まだこの名称でも許されるだろう……という打開案だ。何年後に実行されるか分からない、そもそも実現するかも怪しいアイディアの数々だが、予防線は張っておいて悪いことはない。
「それもそうかもしれないわね。分かったわ、『魔法模擬試合』の名称で、私のアイディアノートにメモしといてあげる。貴方の意見を採用したのよ、嬉しいでしょ? 梅」
「はい、光栄です。……さて、ではお嬢様」
パンと少年は手を軽く叩いた。
いつもとは異なる高い視点で、鳥にでもなった気分で解放感を楽しむのも、お嬢様との会話にのんびりと興じるのも、いい加減お開きの時間だ。
「そろそろお部屋に戻りましょうか。もう十分、景色は楽しんだことでしょうし。約束ですからねぇ」
「……やっぱり気が進まないわ」
「そう言わずに。お嬢様が嫌う彼の授業も、ちゃんと聞いてみれば、新しい発見があるかもしれません。どんなことでも毛嫌いせず取り組む精神は、理想の学校創りにも役立つかと。それに、彼は彼で色々と悩んで、お嬢様に歩み寄ろうとしているようですよ?」
「悩む? 歩み寄る? どういうことか説明して頂戴」
「僕はこの前、『桜子さんの好きなことや趣味は何か』と彼に尋ねられました。そういうところから、もっと興味を引くような授業にしたら、彼女も私との勉強にやる気を出してくれるだろうか、とおっしゃていましたね」
「……それで、梅は何て答えたのよ」
「お嬢様は意外と甘党で可愛い物好きです。ぬいぐるみ集めが趣味です、と答えましたねぇ」
包み隠さず恥ずかしい趣味までバラされたことに、絶句する桜子を置いて、柔和な顔立ちをニコニコと緩めながら、少年はさらに付け加える。
「そう言ったら、彼は『甘いものにぬいぐるみか……なるほど』とぶつぶつ呟いておりました。今日の魔法の授業はいつもと違う、お嬢様の好まれる『面白い』ものになるかもしれませんよ?」
――――――これが決め手で、軍配は少年の方に上がった。
不覚にも、どんな授業になるのか興味が掻き立てられてしまった桜子は、魔法を発動させて一気に木から地面へと降り立った。
そのまま、縦ロールに葉を張り付けた状態で、下からキッと少年を睨む。
その表情には、「梅の思うツボになったのが悔しい」と、心の声がありありと浮かび上がっていた。
「…………梅。貴方、よほど教師に向いているわ。人をその気にさせるのも、言い包めるのも上手ね」
「そうですか? なら将来は、お嬢様の運営する学校で、魔法を教える先生でもやりましょうか。ああでも、やっぱり僕は先生なんて柄じゃないので、しがない用務員か、寮の管理人でもやりたいですねぇ。そういう方が、気楽で性分に合ってます」
それまで、あなたが僕を側に置いてくれるならですけど、とまだ枝に腰かけたまま嘯く少年に、調子を立て直した桜子は、赤く濡れた唇を不敵に吊り上げた。
「何を当たり前のことを言っているの。私の側に貴方がいるのは常識でしょう。桜と梅は、いつだって一緒に咲くものよ」
「お嬢様……ですが正確には、梅の方が先に咲くことが多いかと。確かに地方によっては、まったく同時に咲くこともありますが……」
「もういい! 私はさっさと授業に行くわ!」
その瞳や唇と同じくらい顔を真っ赤に染めた桜子は、ワンピースの裾を翻し、一目散にその場から去って行った。
そんな彼女を見送ってから、少年は「今日は僕の完全勝利ですねぇ」と、含み笑いを溢した。
そして、そっとザラついた木の幹を撫で、お嬢様の先ほどの言葉を反芻して、少年は思う。
本当に、時が許す限りずっと、どんな形であれ一緒に居られたら幸せだなぁと。
――――――なお、この日から三日後。
桜ノ宮家に何者かが侵入する事件が起こる。
そのことを契機に二人は一度離れ、次に再開するとき少年は、好きになった瞳の色も失い、まったく異なる姿へと変わってしまうことになるのだが。
それでもこの日交わした会話の内容は、確かにまだ先の未来で、ほとんどが実現されることを、このとき二人はまだ知らない。
こちらまでお読み頂き、ありがとうございました。
需要があると言ってくれる方が、お一人でもいればそれで(^^;
※補足ですが、梅太郎さんは現在、魔力がないので瞳は元の黒です。
次はほぼオールスター?気味(懐かしいあのキャラとかも出ます)のサクラサバイバルの様子を、はっちゃけた感じでお送りしたいと思います!