38 薬の真相
職員室を出たあと、私と祭先輩は、その場で軽い立ち話に興じた。傍から見れば、何てことはない女の子同士の華やかな談笑シーンだっただろうが、私の方は、話を合わせつつ自然な笑顔を保つのに必死だった。
――――――先輩から聞いた内容はこうだ。
気紛れで下校ルートを変え、立ち寄った隣の市の公園で、先輩は偶々、『体調が悪い』と学校を休んだはずの副会長さんを目撃した。しかもよく見れば、彼女はベンチで他校の子と話をしている。その副会長さんのレアな姿に、先輩は好奇心に負け、物陰からこっそり様子を窺っていたそうだ。
話し声までは聞こえなかったが、二人は会話中も何故かずっと手を繋いでいた。暫くすると、繋いだ両者の手は淡い赤の光を帯び、数秒ほど瞬いて光は消えた。そしてその後に、副会長さんは手を離し、貴重な満面の笑みをその相手……中学時代の私に向けたという。
なお、その瞬いて消えた光は、一部の魔法発動時に伴う、『魔法発光』によるものだったと、先輩は語った。
心実が、私の樹虎宛のラブレター(?)を魔法で送ったとき然り。ポチ太郎がテレポートを使うとき然り。すべてがそうとは言い切れないが、上級の魔法であるほど、魔法を使う際に発光を伴うものが多い。
――――――つまり副会長さんは、中学生だった私相手に、何かしらの上級魔法を発動させたのだ。
しかし、手を離した後に、私はえらくはしゃいでいたそうで、それを見た祭先輩は、『ゆきちゃんが非魔法適性者の子を相手に、何かの魔法を披露して喜ばせた』と判断したそうだ。
なお、中学時代に魔法と無縁だった私は知らなかったが、『魔封じ』を施されるのは、大半の人は高校に入ってかららしい。
理由としては、よほど強い魔力の持ち主でもない限り、魔力が芽生えたばかりの中学生の未成熟な体には、『魔封じ』は負担になるケースが多いのだとか。それに、中学時は魔力が覚醒しきっておらず、普通の人は使えて初級の魔法が精々なので、封じる必要性も低いとされている。
だから、中学生で魔封じを受ける人は、『魔法使用法』の規定に沿い、基準値より魔力量及び魔法能力が高い、一部の人のみなのだ。
…………ここで改めて思い知ったことは、本来なら中一の歳なのに、飛び級までしてばっちり魔封じを受けている心実さんは、マジで規格外ということである。あの子、末恐ろしすぎるよ。
と、まぁ、心実のことは置いといて。
副会長さんは魔法能力は高いが、魔力量は人並み。何より病弱ということが考慮され、中学時の魔封じはされていなかったそうだ。
話を戻すが、その後も副会長さんは、私にもう一つ魔法をご披露していた。彼女の手から産み出されるオレンジの光球を、私は食い入るように見つめていたらしい。
――――――そこまでが、祭先輩の見た、『私と副会長さんが会っていた』時の話だった。
♣♣♣
「必要な物を取ってくるから、そこに座って待っていてくれ」
「あ、はい」
場所は変わって、ここは化学室。
祭先輩にお礼を言って別れたあと、私は様々な考察を続けながらも、きちんと足はこの部屋へと向かった。
ノックをすれば先生は在室中で、今度こそ私は室内に招き入れてもらった。
化学準備室へと消えていく、先生のはためく白衣を見つめ、今から始まる話への緊張感に苛まれながらも、私の意識の一部はまだ、祭先輩の語った内容に向いている。
――――――ここからは、私なりに先輩の話を整理し、あらゆる可能性を繋げてみた推理だ。
最後まで先輩の話を聞き終わっても、私の頭のデータベースには、副会長さんと公園で会ったメモリーは該当しなかった。忘れているわけではない。本当に、『野花三葉』という人間の中に、彼女との記憶が存在していないのだ。
感覚的には、記憶が丸ごと抜け落ちている……もしくは、そのことが綺麗さっぱり消されている、そんな感じに近い。
ここで私はまず、ある仮説を立ててみた。
連鎖的に思い浮かんだのは、梅太郎さんから借りた原稿、それに載っていた――――――『記憶に関する禁断魔法』の項目内容だ。
あれに記されていた『忘却魔法』。難易度や危険度はドクロマーク三つ。それはその名の通り、人間の記憶を消す禁断魔法だ。
そして、禁断魔法はそれぞれに、特殊な発動条件や手順がある。私の暗記力が正しければ、あの魔法の発動手順には確か、『橙の忘却の光を、記憶を消したい対象者に見せること』とあった気がする。
しかも、あれは薬製造に関わる項目。副会長さんは研究所の関係者で、私も恐らく薬の件には否応なく巻き込まれている。
ここまで揃ったら…………私が副会長さんに『忘却魔法』をかけられ、彼女と会った記憶を消されたことは、確実と言っていいだろう。
何のために? と自問自答すれば、そうする必要があったから、としか、今は答えられない。
とにかく、原稿を読んでいる際に脳裏に過った、『私も記憶操作の魔法をかけられているんじゃ……』という、薄ら寒い仮定は、嬉しくないが大正解だったということだ。
――――――さらに踏み込んで、次の考察を。
残る気になる点は、『私と副会長さんが手を繋ぎ、その状態で発動された魔法』の件だ。これも、私は禁断魔法の原稿で目にした覚えがある。
本では破られていた二項目のもう一方。『魔力に関する禁断魔法』の中に、『対象者と手を一定時間触れ合わせ、赤い光が出れば~』みたいな一文が、確かにあったのだ。
ただ、あの項目は魔法の種類が豊富だったせいで、どの魔法の説明文だったかが思い出せない。
『増幅魔法』は違うし、『属性覚醒魔法』もたぶん違う……ああもう、自分の暗記力の無さが恨めしい。原稿はまだ梅太郎さんから借りたままなので、先生との話が終わったら、すぐに寮に帰って調べなくては。
ひとまず、確定事項としては…………私は二種類の禁断魔法を、副会長さんにかけられている。
彼女の魔力量的に、一度に二つも禁断魔法を発動出来るのか? とか、その魔法の代償は? といった疑問は尽きないが、この推理以外には考えられない。
彼女のかけた『忘却魔法』で、私は副会長さんとの邂逅の記憶を抹消されている。そしてあと一つ、何かしらの魔力に関わる禁断魔法が、私にはかかっていたとして。
そんなことを私に施した副会長さんの、延いては研究所の目的とは――――――――
「すまない、待たせてしまったな、野花」
「っ!? い、いえ大丈夫です!」
先生の声に思考を遮断され、私は化学室の椅子の上で、盛大に体を跳ねさせてしまった。
最近は考え事に耽り過ぎて、こういうことが多い。気をつけなきゃと思いながら、近くの椅子に座る先生の方に意識を向けると、そこでようやく、彼の足元にはポチ太郎も居ることに気付いた。「わふふ」と変な鳴き声をしていることから(通常時も変な鳴き声だけど)、また何か咥えているようだ。
「先生、ポチ太郎が何か……」
「ああ、これを取りに行ってたんだ。ポチ太郎、それをこちらに渡してくれ」
「わふふー!」と一鳴きして、先生が差し出した手の中に、ポチ太郎は小さな箱を転がした。大きさや見た目は、結婚指輪とかを入れるケースみたいだ。
先生はそれを開け、中から小瓶を取り出す。私の眼前に晒される小瓶には、薄ピンクの怪しげな液体が入っており、ゆらゆらと揺らめく桃色の中に、琥珀色の粒子がキラキラと光っている。眺めていると、体の奥が疼くような、そんな奇妙な気分になった。
「先生、これは?」
「これは…………魔力覚醒薬のサンプルだ」
「えっ!?」
急に目の前で揺れる液体が、危険極まりないものに感じ、私は慌てて体を引いた。
これがあの!?
「前にも言ったが、私には秘密裏に繋がりのある研究所時代の仲間がいる。そのうちの一人が、私の元上司にあたる人で、今も研究員を続けているんだ。その人と隠れて会い、色々な情報を聞いて、このサンプルも貸してもらった」
「まだ研究員を続けてるって、その人、そんなことして大丈夫なんですかっ? バレたら、研究所の裏切り者みたいになっちゃうんじゃ……」
「承知の上さ。大体あの人は、いつか研究所を裏切るために、今もあそこに居るんだからな」
言い回しの意味が分からず、私の頭上にハテナマークが飛ぶ。床に居るポチ太郎も、こてん、と一緒に小首を傾げた。
「彼は私より研究員歴が遥かに長く、かなり前から薬の研究に携わっていた。まだ若い頃は、偉大な研究だと陶酔し、色々とやってきたらしいが……。あることが切っ掛けで、『目が覚めた』んだ」
「目が覚めた……?」
「ああ。なんでも彼は昔、薬の開発に必要な資料を盗みに、上の命令でとある屋敷に侵入した。その際、屋敷の住人と対峙し、相手に大怪我を負わせて逃げたらしい。厳密には彼自身が負わせたわけではなく、後から相手も何とか無事だったと聞いたそうだが、彼はそのことを深く悔いてな。同時に、自分の今までしてきた数々の過ちにも気付いたそうだ」
あれ? なんか私、視点は違えど、最近もこんな話を聞いた覚えがあるぞ?
先生は青の瞳を細め、よく通る声で語りを続けているが、私の方は強烈なデジャブに襲われていた。
侵入したお屋敷は桜ノ宮家で、怪我をした人は理事長さん……だよね。
「彼はそれから、研究所をいつか内部から潰すために、ずっと研究員として、密かに工作活動をしているんだ。協力者も数人居る。……それが、彼なりの、己の犯した罪への償いだそうだ」
まさか梅太郎さんの話がここで繋がるとは……と、私が奇異な縁の輪に驚いていたら、先生はふと、自嘲染みた笑みを浮かべた。
「罪を償うというのは、口で言うほど簡単ではない。それにはまず、自分の過ち、後悔や自責の念と、逃げずに向き合わなくてはいけないからな。……私も、君に酷い態度を取ってきたことを、後悔している」
「先生……」
「……すまない、話が逸れたな。本題に入ろう」
トン、と、先生は長い指を動かして、机の上に小瓶を置いた。そして私に向き直り、表情を引き締める。真剣みを帯びると、その美貌に迫力が増した。
……そうだ、先生だって私に償いたいからと、リスクを冒して情報を手に入れてくれたんだ。私もこれから告げられる事実と共に、先生の謝罪の気持ちも受け取らないと。
「『私の生徒が薬の件に巻き込まれているかもしれない』と告げたら、彼はすぐに、持ち得る情報はすべて話そうと言ってくれたよ。私がポチ太郎を連れて逃げ出すとき、手を貸してくれたのも彼だ。私は彼のことは信頼しているし、くれた情報に嘘はないと思う。それは私が保証する。…………順を追って話すが、まずこの『魔力覚醒薬』が、今の完成形に近いものになったのは、ほんの二、三年前のことだ」
「比較的、最近……ですね」
「実験開始はそれよりかなり前だが、紆余曲折が多かったらしくてな。特に、製造方法が分かった後も、完成させるために『必要不可欠な材料』が長年手に入らず、滞っていたそうだ」
「その材料が、二、三年前に、やっと手に入ったってことですか……」
そういえば先生は、初めて薬の説明をした際に、『この薬はまだ広く出回っていない』と言っていた。完成したのが最近なら、そこまで広まっていなくても不思議じゃない。
「私が研究所に居たのも、この完成してすぐの時期の、短い期間だ。止めてすぐにここの教師になったから、実はこの学校の教師の中で、私は一番の新米なんだ」
これも蛇足だがな、と、先生は銀糸の髪を撫でつけながら付け加えた。
学校での幅の利かせっぷりから忘れがちだが、思えばこの人、新任教師なんだよね。前に現国の千種先生が、「何でこの学校に五年も居る俺より、あいつの方が教頭や校長から信頼され、生徒からも人気があるんだ……」って、愚痴っているのを聞いてしまったことがある。
「…………私は前に、魔力覚醒薬とは、『非魔法適性者に、魔力を無理やり覚醒させる薬』だと説明したな。その言葉に偽りはないが……語弊があった。そもそも、魔力源のない人間に、魔力をゼロから芽生えさせるなんて不可能なんだ。だけど、薬を飲んだやつは魔力を手に入れ、必ず魔法が使えるようになる。そこに、この薬の本当の仕組みがあるんだ」
「ど、どういうことですか?」
「野花、この薬を手に取ってよく見てくれ。光の粒が入っているだろう?」
私は言われるがままに、小瓶を持ち上げた。ポチ太郎も、「わふっ!」と私の膝に飛び乗り、一緒に液体を覗き込む。
先ほども感じたことだが、この小さく波打つ桃色と、瞬く琥珀色の光を見ていると、胸の奥が熱く疼く。私の目線のちょっと下に居るポチ太郎と、そして私の髪や目と、同じ色をした薬だからかな。
「その光の粒は、『魔力の結晶』だ。普通、魔力は人の目に見えるものではないが……研究所は、そんなふうに魔力を『形』にさせた。そして、その薬には他にも様々な成分が含まれており、それらが飲んだ者の体内で働くことで―――――――その結晶化した魔力を、その者の体に植え付けるんだ」
「なっ!?」
一気に押し寄せてきた、『魔力覚醒薬』の真実の情報に、私は喉の底から驚愕の声を上げた。ポチ太郎がビクッと尻尾を立てるのが分かったが、気遣ってあげられる余裕はない。
魔力覚醒薬は、本当は『魔力をゼロから芽生えさせる薬』なのではなく、『魔力を植え付ける薬』?
そしてこの粒が、その植え付ける用の魔力で……。
―――――――じゃあ、この『魔力の結晶』の元になっているのは、誰の魔力なの?
「ここから先は、君には酷な真実となる。私は正直、この真相を君に話すべきか、ずっと迷っていた。それでも……君に話さなくてはいけないことだとも、自分の気持ちとは矛盾しているが、思っている。君は、私の話をこれ以上聞きたいか?」
「はい、聞きたい……いや、聞かせてください」
唇が震える。小瓶を持つ手に汗が滲む。ポチ太郎が心配そうに、私の青褪めているであろう顔を見つめている。
もう私は何処かで、次にくる先生の言葉が分かっていた。
例の部屋で見た、私の名もあった『魔力提供者リスト』の意味。
副会長さんが過去の私に発動させた禁断魔法。
私の魔力覚醒が遅れた理由。
そして、ポチ太郎を含め、薬の使用者が私の髪色や目の色と同じに変色したのは。
「いいか、この薬に使われている『材料』は……」
そして先生は、たった一つの、吐き気を催すほど絶望的な真相を、その薄い唇に乗せた。
「この薬の材料に使われているのは――――――君の魔力だ」