36 高校生活最後の
最近は常のことなのだが、私は教室の至る所からする賑やかな声を耳に、考え事をしながら廊下を歩いていた。
本来ならこの時間は、午後の最後の授業中。だけど今日は、授業は免除で文化祭準備に充てられている。暦はもう十月に入ろうというところで、いよいよ本格的に学校中がお祭りムードなのだ。
もちろん、私のクラスもせっかくの時間を有効に使おうと、教室で準備に励んでいる。……と、いっても、ステージ許可は放課後にしか取れず、今は小道具作りくらいしかやることがない。それも出来る分は終わり、私は放課後までフリーだった。
そんな私が自由時間に向かっている先は…………草下先生の居る化学室だ。
チラッと、微かに開いた窓に視線をやれば、一昨日の雨が嘘のように、今日は空に美しい秋晴れが広がっている。
一昨日―――――犯人候補として生徒会の女子二人が挙げられ、私は彼女たちの調査をどう進めていくべきか、小さな頭を悩ませていた。
決まらないまま本日の朝を迎えれば、先に先生の方が、薬に関する情報を手に入れてくれたようで。授業終了後に空き時間が出来た時にでも、化学室でゆっくり話そうと、朝礼の後にこっそりと約束をした。
ただ、明確な時間は決めていないので、今行っても先生は留守かもしれない。先に彼が在室中か確かめて、もし居なかった場合は、同じ特別棟内の生徒会室付近にでも、ちょっとだけ寄ってみようかとも考えている。
それで何か得られるかは分からないけど……軽い敵情視察にはなるかもだし。
行動プランが決まったところで。ふとした瞬間にひらひらと、開いた窓の隙間から、私の靴先に一枚の葉が落ちてきた。
赤く色づいたそれを拾い上げ、何気なく眺めていると、私はあることに思い至り、タッと一目散に駆け出した。
「きーとーらー。居るんでしょ? ちょっと私とお話しようよー」
私は玄関まで走り、急いで靴を履き変えたあと、いつか山鳥君に告白……じゃない、えっと、お誘いを受けたところまでやってきた。
案の定、こんな風が心地よい日は、樹虎は木の上でお昼寝するのがお気に入りのようだ。紅葉した葉の間からは、長い足と、葉よりも赤く燃える髪が覗いている。
私は下からそんな彼に向って、大きな声を張り上げた。
返事はない……が、舐めてもらっちゃ困る。樹虎の相棒として、それなりに彼と行動を共にした私には、これが寝たふりかどうかなんて、勘で分かるのだ。
ちなみにこれは寝たふりです。
「勝手に喋るからねー」
ざらついた木の幹に背を預け、一方的に話しかけることにする。
拾った葉を見て、何気なく私は、最近会えていなかった樹虎の顔が思い浮かんだ。次いで、海鳴さんに『樹虎を文化祭準備に参加させてみせる』と誓いを立てたことも思い出し、生徒会室や化学室に行く前に、時間もあるのでちょっとだけ彼に会いに来てみた。
風に吹かれて足先で踊る葉を観賞しながら、思い浮かんだ言葉を紡いでいく。
「あのね、樹虎は文化祭とか興味ないかもだけどさ。私はやっぱり、少しでも樹虎にも参加して欲しいなって思う。面倒くさくて、無駄に忙しくて、なんでこんなのに必死になってんだろーって、考える気持ちは分からないでもないんだけど。それでもこういうのって、後から『あの時は楽しかったな』って思うために、きっと全力で参加した方がいいんだよ」
喋りながら、私は自分の言葉にうんうんと頷いた。
そうだ。楽しい思い出は多いに越したことはない。……例えば死ぬ前に、巡る走馬灯が明るい方が、きっと眩しくて、後悔無く瞳を閉じることができる。
まぁ、余命を六ヶ月延長してもらう前の私なら、こんなことはきっと思わなかっただろうけど。
おそらく、この学校でやる文化祭なんて、『早く終われ』くらいにしか感じなかったはずだ。
「クラスメイトの子も、樹虎のことを気にかけてくれてたし。知ってる? 私たちのクラスは劇をやるんだよ。魔法を使ったファンタジー劇。それに樹虎の『風の属性魔法』が加われば、すっごい完成度上がるかもなんだって。クラスのヒーローになるチャンスだよ」
言っていて、樹虎にヒーローって似合わないなと、私は笑ってしまった。笑い声に合わせて、ガサッと僅かに枝が揺れる。
「何よりさ、その、えっと……私が樹虎と一緒に、文化祭を楽しみたいというか。ペアとして、君の青春の一ページを応援したいというか……うん。なんかそんな感じだよ。だから、ちょっとでもいいから、クラスの文化祭準備に来てみてよ」
途中、何を言いたのか支離滅裂になったが、いい加減、一人で恥ずかしいことを話すのにも限界がきたので、ここら辺で締めくくっておく。
木から体を離し、彼の方を見上げて、「今日の放課後、クラスのみんなで魔法の使用許可取って、訓練棟のステージのあるとこに居るから」とだけ付け加えておいた。
そして、くるっと木に背を向けて、ゆっくりと歩き出す。
――――――願わくは、私の一年生にして高校生活最後の文化祭に、彼も参加してくれますように。
♣♣♣
校舎内に戻った私は、次は迷わずに特別棟へと足を進めた。そして、一階の化学室に立ち寄り、先生が居るかどうかをチェック。タイミング悪く不在だったので、時間つぶしも兼ねて、生徒会室のある三階に向かった。
中には人がいるようで、何か理由をつけて入れないものかと、曲がり角の壁に隠れて様子を伺う。
するとラッキーなことに、ドアが開いて誰かが出てきた。
「よいしょ、うんしょ」
あれ? 出てきたの人だよね?
大量の書類を両手で抱えているその人は、紙のタワーで顔が見えない。
私には、書類の束に足が生えて歩いているように見える。
どう考えても、あれは一人じゃ無理だろう……。
ついハラハラしながら見守っていたら、危惧していた通り、その人はバランスを崩して、床に書類をぶちまけてしまった。
「わわっ! やっちゃった!」
その人が、焦ったような声を上げる。
廊下いっぱいに広がる紙たちを見て、私はもう放っておけなかった。
「だ、大丈夫ですか!?」
一緒に床にしゃがみ込み、一枚一枚紙を拾い集めていく。
その間、やっと露わになった素顔を確認すると、書類を運んでいたのは、会計の祭ナツキであることが分かった。
まさかの犯人候補との、予想外すぎる接触だ。
近くで見ると、本当にちっちゃくて可愛い。顔立ちも幼く、同じ高校の制服を着ていることに、違和感を抱くレベルだ。ショートカットにした黄色の髪を、一房だけ右サイドにちょこんと結んでいるのが、また小さい子特有の愛らしさを感じさせる。
これで私の一つ上の先輩なんだよね……と、紙を集める手は休めず、まじまじと観察していると、ようやく私に気付いた祭先輩が、こちらにオレンジがかった茶色の瞳を向けた。
「あー! き、君、野花さん!? 野花三葉さん!?」
「えっ、あ、はい!」
かと思えば、私を指さして大声で名前を呼んでくる。
その拍子に、彼女の手から集めた書類が再びばら撒かれたが、本人はそれを気にしている余裕はないようだ。
「君に私、改めてずっと謝りたかったの! あの時は、うちのバカ会長とアホ弟が、失礼なこと言って笑い者にして、本っ当にゴメンね!」
「え、いや、えっと」
一瞬、何のことを言っているのか分からなかったが、すぐにあることに思い至る。
祭先輩は、私が一回目の魔法模擬試合後に会長と遭遇し、あの笑い上戸に試合記録を見られて、彼女の弟である祭アキトと一緒に大笑いされた、例の件のことを言っているのだ。
あれは憤死ものの屈辱だった。
その時は確か、この祭先輩(姉)が止めてくれて、関係ないのに謝ってくれたっけ……。
まだ気にしていたのか。幼い見た目に反して、責任感が強く、とても律儀な人らしい。
「後であいつらにはキツく言っておいたんだけど、やつら本当にデリカシーなくて……! 傷ついたよねっ? 今からでも、代わりに私が何かお詫びするよ!」
「いやいや! 先輩は何も悪くないですから! もう気にしてないですし、それよりこの書類を拾って――――」
頭を振り子のように何度も下げる先輩を止めるため、散らかった書類の方に意識を向けようとすれば――――――私はある一点に、ピタリと視線を吸い寄せられた。
「これ……」
手を伸ばして、目が留まった書類を持ち上げる。
スピーチの原稿か何かだろうか。他のパソコンで打ち込まれた書類とは違い、これだけは手書きで書かれていた。
「ん? ああそれ、ひっどい字だよね。パソコンが調子悪い時に、作って貰ったやつなんだけど……まさに悪筆って感じ」
謝るのを中止してくれた先輩が、膝立ちで寄ってきて、私の手元の書類を覗き込んだ。
彼女の鈴を転がすような声を耳にしつつも、私の脳内では、バチバチと火花が散っている。震える声を抑え、私は務めて何でもないふうを装って、先輩に問い掛けた。
「これ、書いたのって誰なんですか?」
「ふふ。聞いたら驚いちゃうかもよ? これね、あのほぼ中身三歳児なアホアキトでも、存在がお笑いな会長でもなくて……あ、もちろん私でもないよ? 実はこの癖のある汚い字、ゆきちゃんの字なんだよ」
「ゆきちゃん……?」
「雪乃ちゃん。――――――副会長の、柊雪乃ちゃんだよ」
「意外でしょ?」と笑う先輩に、私も「そうですね」と笑顔で返した。
……この書類に綴られている、副会長が書いたという字には見覚えがある。
お世辞にも綺麗とはいえない、見間違えることのないほど、癖の強い字。
これは―――――――ポチ太郎が加えてきた日記、そして例の部屋で見た資料の字と、まったく同じだ。
「……先輩、先ほど、私にお詫びがしたいとおっしゃいましたよね?」
「うん、私が出来る範囲で、あいつらの分もお詫びするよ!」
「先輩に謝ってもらう必要は、これっぽっちもないんですが……お言葉に甘えて。一つだけ、お願いしてもいいですか?」
このチャンスを、活かさない手はない。
真ん丸な目で子犬のように見上げてくる先輩に、私はそっと口を開いて言った。
「このあとお時間があれば、少しだけ副会長さんについて――――――私に、色々教えてくれませんか?」