35 犯人は?
梅太郎さんがくれた元原稿を、私は寮部屋に帰って、その日のうちにチェックした。
もちろん、製本されたものより格段に読みにくいそれを、すべて目を通すなんてことはせず、『必要なページ』だけを、食い入る様に読み込んだ。
必要なページ……つまり、本では破られていた二項目分を。
項目タイトルは、『記憶に関する禁断魔法』と『魔力に関する禁断魔法』だった。
前者は、項目の中に書かれている魔法名も少なく、まだ内容も理解しやすかった。要は、魔法で人の記憶を操作する、これ以上説明できない。魔法名も、『誤認魔法』や『忘却魔法』など、名前だけで何をするかは想像できる。
…………非常にゾッとする、気分の悪い話だが、これから導き出せる答えは一つしかない。研究所は薬を創るために、人間の記憶を消すか上書きするか、とにかく操作する必要性があったということだ。
もしかして、私もこの魔法にかけられているんじゃ……と、薄ら寒い仮定も浮かびはした。
だけどあくまで仮定だし、これについては、あえて今は深く考えなかった。分からないことに一々怯えていては、先に進めないし。
そして後者。これが、『記憶に関する禁断魔法』よりも情報量が多く、魔法名の種類も豊富だった。
そもそも、『魔力に関する禁断魔法』って何だ? って感じだ。こっちは、魔法名を一つずつ追っていく方が分かりやすかった。
例えば、自身の魔力量を強引に上げる『増幅魔法』とか、他人から魔力を奪う『抽出魔法』とか。他にも、魔力の覚醒を無理やり早めたり、特定の属性魔法が使えるように魔力を変質させたりとか……。とにかく、魔力全般に関する禁断魔法がいっぱい載っていた。
これが問題で、沢山あり過ぎて、どれを研究所が薬製造に必要としたのか分からないのだ。
この辺は、あとは草下先生からの情報を待って、照らし合わせて考えた方がいいかな、と思ってる。いや、決して私だけじゃお手上げというわけではなく。……それもあるけど。
今日の朝、先生が私を呼び出して朗報を告げてくれたのだ。何でも、「今週中には、本部に居たこともある元仲間から情報が貰えそうだ」と。
例の部屋で見た資料の謎は、もうチェックメイトまでかなり近づいている。
――――と、まぁ。この謎の方は順調なのですが。
忘れちゃいけない、私を突き落とした『犯人候補三人の調査』の方で、新たな問題が浮上しているのです。
まず、『梅太郎さんマジイケメン事件』があったのが、土日を挟んだ四日前で、実は新たな問題が発生したのは、昨日の放課後だったりする。
私は昨日の放課後は、海鳴さんに連れられて、約束した演劇部にお邪魔していた。
ちょうどクラス練習も休みだったし、気分転換もしたかったので、まさに打って付けだと思って。
そこで、私は海鳴さんに、三人の演劇部の先輩を紹介してもらったのだが――その三人が、予想外すぎることに、『魔法使用許可者一覧表』で絞り込んだ、残る犯人候補三人だったのだ。
全員二年の先輩であることと、名前しか調べがついてなかったので、自己紹介された時は「えええ!?」と叫んだ。ギリギリ心の中で。
だけどこれだけなら、むしろ思いがけず接触出来てラッキーとも言えるだろう。調べる手間が省けたのだから。
問題なのは……その三人が三人とも、完璧なアリバイに基づく『シロ』であったことだ。
以前にも海鳴さんから聞いた話だが、演劇部の先輩たちは、月に何度か魔法使用許可をとり、学外の幼稚園などで魔法劇をする活動を行っているらしい。今回私が呼ばれたのも、その劇の一環でやる『人形劇』の参考に、シラタマ人形の操作を披露するためだ。
そして――――私が突き落とされたあの日あの時間、犯人候補の先輩は三人とも、劇活動をしに学外に出ていた。
その日に行った幼稚園で撮ったという、写真まで見せてもらい、日付や時間帯も確認した。生徒の外出状況なども調べればすぐ分かるし、これ以上、先輩方を疑うことはどう考えても不可能だった。
おまけに先輩方は三人ともめちゃくちゃ良い人で、私を手厚く歓迎し、お菓子やらジュースやらでもてなしてくれた。シラタマ人形の操作も、手放しで褒めてくれたし……。
帰る頃には、私はすっかりその三人への疑いを消し去り、九十度以上も頭を下げてきたものだ。海鳴さんには、「どうして土下座までしそうなの、野花っち!?」と驚かれた。
――――こうして、資料の件は謎が明かされる寸前だというのに、犯人探しの方は、まさかの振り出しに戻ったのだ。
「お姉さま、お箸を加えたままボーとされて、どうかされたのですか……?」
「ふぇ!?」
気遣うような可愛らしい声が聞こえて、私はハッと思考の海から引き上げられた。
こちらを心配そうに窺うのは、向かい側に座る心実だ。
今は昼休み。
本日は久しぶりの雨なので、屋上ではなく普通棟の空き教室で、心実とお弁当を食べているところだった。
教室には私たちしか居らず、窓際の席を借りているせいか、耳には常に雨音が満ちている。
「ご、ごめん、ちょっと考え事してた」
行儀悪くも口に入れた箸を離し、明るくそう言えば、「ならいいのですが」と心実はホッとしたように微笑んでくれた。
相変わらずの美少女っぷりだが、湿気のせいか彼女の艶やかな金髪は、いつもよりウェーブが大げさにかかっている気がする。
「雨の日に、ぼんやりしちゃうのは分かるです。私も朝から髪がまとまらず、髪のことばかり考えてたです……」
「ああ、私もそういう感じ。同じことについてずっと考えてるの」
お弁当に舌鼓を打ち、心実と他愛のない会話をしながらも、私の意識は半分、まだ犯人の謎の方にいっていた。
犯人が私を突き落とす際に、まったく気配がなかったことからも、魔法を使ったのは間違いないとして……。
考えられることは今のところ二つ。
一つ目は、『魔法使用許可者一覧表』の記入漏れ。
二つ目は、犯人は許可を取らなくても魔法が使える……という説だ。
自分で言っといて何だが、恐らく一つ目はありえない。
あの一覧表は魔法で管理されているし、先生がうっかりミスで、なんてことがないように出来ている。
それなら二つ目か、とも思うのだが。その線を前に考えて、常時魔法使用OKな『教師』という可能性を挙げたけど、これもすでに否定されている。
…………例えばもしかして、『教師』以外にも、許可がなくても魔法が使える、『魔法使用許可者一覧表』に載らないパターンがあるとか?
私はダメ元で、目の前で優雅にお茶を飲んでいる(水筒のお茶だが、飲む姿はティータイムを送る高貴なお嬢様にしか見えない)心実に、さりげなく聞いてみることにした。
「ね、ねぇ心美。何でもないことなんだけどさ、ちょっと質問してもいいかな?」
「はい! なんなりと、お姉さま!」
紫水晶の瞳を和らげて、心実は元気よく返事をしてくれた。
「あのさ、魔法使用許可者一覧表ってあるじゃん? あれってさ、絶対に記入漏れとかはないと思うんだけど、あれに載らないでも魔法が使える人って、この学校では教師以外にいないよね?」
「許可者一覧表ですか……そうですね。記入ミスなどは、まずないかと思います。生徒はみんな、許可を取ってあれに名前が載らないと、魔法が使えないはずですし。許可なしで魔法が使えるのは、お姉さまのおっしゃる通り、先生方くらいかと」
「だよねぇ……」
分かっていた答えとはいえ、少しがっかりしていると、心実は突然、「あ!」と声を上げた。
それにびっくりして、私は箸でつまんでいた卵焼きを、白ご飯の上に落としてしまう。
「お、驚かせてすみませんです、お姉さま! お姉さまの大事な卵焼きが……!」
「いや大丈夫! まだ食べられるから大丈夫! それより、大きな声を出してどうしたの?」
慌てて立ち上がりかけた心実を止め、私は続きを促した。
すると心実は、何でもないような声で、私に大きな衝撃を与えてくる。
「えっと、思い出したんです。教師以外でも、許可なしで魔法が使える方々を。――――『生徒会』の皆さんなら、放課後に限り、許可をわざわざ取らなくても、自動的に魔法の使用許可が下りる仕組みになっているです」
「え……」
――――彼女の言葉を聞いた瞬間、私の周囲の時は止まり、雨が窓を叩く音さえも、聴覚から消え失せた。
心臓が、ドクンッと打ち上げられた魚のように跳ねる。
そのくらいの、衝撃だった。
「生徒会……?」
「はい! これは私も最近聞いた話で、知らない生徒の方が多いかと思います。…………実は私、来年の生徒会入りを顧問の先生から打診されまして。その際に、その話を教えて頂きました。生徒会は、放課後は校内の見回りのお仕事もあるのですが、どうしても魔法許可を取る人が多い時間帯ですので、魔法関係のトラブルが多発するらしく……。それに対処するために、放課後は自動で魔法許可が下りるそうです。自動ですので、魔法使用許可者一覧表にも名前は載りません」
説明をしてくれている心実の声と、雨音が混ざり合った音を聞きながら、私の頭は高速回転をしていた。
思い浮かんだのは、ポチ太郎と飛ばされた例の部屋だ。
あそこは女子寮の一人部屋だった。
一人部屋を貰えるのは、本来なら心美のような特待生か、もしくは――――
「ね、ねぇ心実。生徒会ってさ、メンバーになったら、寮の部屋ってどうなるのかな?」
「選ばれた方は全員、成績優秀者ですからね。役職得点もあって、男子寮も女子寮も一人部屋ですよ」
――――これは、ビンゴかもしれない。
そうだ。私は一番最初に、犯人が使ったのは『透明化魔法』であろうと推測した。あれは気配も消せるAランク魔法。誰でも使えるレベルのものではない。
でも、魔法の実力者揃いの生徒会メンバーなら?
Aランクの魔法を使いこなせても不思議じゃない。
魔法使用許可者一覧表に名前が載らなくても、あの時間帯に魔法が使えて。例の部屋と同じ一人部屋で。
そして、あの部屋は女子寮だったから、生徒会の女子といえば……。
「あ、窓を見てください、お姉さま。ちょうど向かいの棟の廊下を、生徒会の皆さんが歩いていますよ」
心実が指をさした方を勢いよく振り向く。
距離がある上に、水滴が張り付く窓越しでは見づらかったが、人影くらいは確認できた。
向こう側の廊下を歩く姿は四つ。
珍しく生徒会は全員揃っているようで、前を行く二人は男子組だ。金髪を靡かせて歩く、生徒会長・春風芽吹と、双子の片割れで、ハネまくった黄色の髪が目立つ、書記・祭アキト。
そしてその後ろを、少し距離を開けてついていっているのが女子組。
弟と同じ髪色に低身長の、小学生のような外見の会計・祭ナツキ。
そして、こちらはあまり見覚えが無い、病弱で学校を休みがちな、腰まである白銀の髪が美しい副会長・柊雪乃。
―――――このどちらかが、私を突き落とした犯人なのか?
「生徒会…………」
私は雨音に紛れそうな微かな声で、もう一度ポツリとそうつぶやいた。
廊下の曲がり角に消えていく、四人の姿を目で追い続けながら。
肌に張り付くジメッとした感覚が、雨による湿気のせいなのか。それとも……迫りくる『求めていた答え』に対する、悪寒と恐怖によるものなのか。
その時の私には、分からなかった。