32 禁書庫にて
「少々お待ちくださいです、お姉さま」
「う、うん」
図書室を閉め切り、私たち以外に誰も居なくなった静かな薄暗い空間で、自分の声はやけに大きく響いた。
私たちが今居るのは、図書室の二階に続く階段を昇り、一番奥まで進んだところにある、壁に掛けられた巨大な絵の前。本を読む女性が描かれた、何の変哲もない絵に近づいて、心実は何やら呪文のような言葉を唱えている。
……私はただ、その様子をドキドキしながら見守っていた。
今日から三日前。『禁書庫』なる存在を初めて知り、心実がそこに私をこっそり案内すると言ったとき、最初は全力で断った。
そこまでして貰う必要はなかったし、何よりバレたら心実がお咎めを喰らってしまう。「気持ちだけで十分だよ」と首を横に振る私に、しかし、心実は一歩も引かなかった。「お姉さまのお役に立ちたいのです。大丈夫です、バレなきゃいいのです!」と優等生な彼女にしては、珍しく悪童な発言をして、強引に押し切られたのだ。
そして、色々と準備や根回しも必要だったらしく、次に心実が図書当番をする三日後に、もう一度放課後に図書室に来ることを約束させられた。
私も申し訳ないと思いつつも、有難い気持ちも強く(少しだけ『禁書庫』という存在に好奇心が擽られたのもある)、こうして今ここに居るというわけである。
「……よし。これで『扉』は開いたはずです」
「え? これでもういいの?」
「はい。お姉さま、絵の女の人が持っている本の部分に、手を当ててみてください」
特に変わったところのない絵に、私は恐る恐る近づいて、言われたままに手を伸ばした。
すると――――手を合わせたところがぐにゃりと曲がり、腕が絵の中に吸い込まれていってしまった。
「え!? 何これ何これ!? 魔法!? あ、魔法だった!」
「そこが繋がれば、後は足を踏み出したら、絵の向こう側の禁書庫に入れるです」
これ、どれだけ高度な魔法がかかっているのだろう。私なんかでは分からない、上級魔法の複合で作られた仕掛けに興奮を隠せない。
心実の方は至って冷静で、私にペコリと頭を下げ、そっと絵から離れていった。
「では、私は念のため、一階で誰か来ないか見張っておきます。お探しのものが見つかるよう、お祈りしてるです、お姉さま!」
「本当にありがとうね、心実。なるべくすぐに戻ってくるよ。あと、今度なんか奢る!」
そう言い残し、私は一気に絵の中へ飛び込んでいった。
「これが禁書庫……」
絵を通り抜けた向こうは、予想していたよりは質素で、書庫というよりは誰かの書斎に近い空間が広がっていた。
こじんまりとした室内の中央に、真白な机と椅子が置いてあり、それを囲むようにして、周りの壁一面が天井まである本棚になっている。アンティークな照明は、人を認識して自動点灯するらしく、淡いオレンジの光を周囲に放っていた。
後ろをチラッと振り向けば、私が通ってきたところには、本を読む男性の絵が飾られていた。たぶん、今度はこの絵の本のところに手を当てれば、元の図書室に帰れる仕組みなのだろう。
私は早速、本や資料がぎっしり詰まった本棚を、端から順番に素早く目を走らせていった。
心実に迷惑をかけないためにも、早く目的の物を探し、メモだけ取って出なくては。さすがに持ち出すことは憚られたので、簡単なメモを取り、あとは脳に叩きこむことにしたのだ。
本の種類は、『魔法の歴史の裏と闇』という如何にもなのもあれば、『世界一おいしいパンケーキの作り方』なんて意味の分からないものもあった。なぜパンケーキ。
そうして、隅にあった脚立も使い、幾つかの本棚を見ていってようやく――――私は一冊の本に行き当たった。
それは、酷くボロボロな状態で、本というよりは製本された文集といった体を成していた。タイトルは、『禁断魔法の種類と使用法一覧』。
くすんだ緑色の表紙にはそれだけ書かれており、発行元などは印字されていなかった。怪しさ満点のそれに、「私はこれだ!」と閃き、急いで机の上に広げる。
「『心に関する禁断魔法』……、『治癒に関する禁断魔法』……」
中身は、「~に関する禁断魔法」と大きく項目分けされ、さらにその中で、細かい個々の魔法名が載っていた。一つ一つの魔法の概要には軽く目を通し、使用法や手順などの詳細は読み飛ばしていく。
魔法名の横には、ドクロマークが5段階で記されており、どうやらその魔法の危険度や難易度を、ひっくるめて評価しているようだ。
私は少しでも、例の部屋で見た資料に関係がありそうな魔法はないか、次々とページを捲っていった。
「あ……」
その中で、私はつい、調べ事とはまったく関係のない項目で手を止めてしまった。
そこに書かれていたのは――――
「『命に関する禁断魔法』……」
思わず自分の手の甲に視線をやり、次いで書かれている魔法を、隅から隅まで目で追おうとしそうになるのを、私は頭を振って押し留めた。
――――――これは、乗ってはいけない誘惑だ。考えることさえ、きっと私はしてはいけない。
少し見ただけだが、これに関する魔法は、どれも文句なしのドクロマーク五つだった。
大きな代償や危険が伴う――――――禁断中の禁断魔法。
私は微かに震える手で、その項目だけは丸ごと飛ばして読み進めた。
これは、研究所の資料には関係ない。だから……私が余計なことを知る必要もないのだ。
そして、目的の魔法を探すことだけに集中して、私はなんとか三分の二まで目を通したが、コレといったものはまだ見つからなかった。
一応、どの魔法が例の資料と繋がるか分からなかったので、それっぽいものはメモしておいたのだが。
「なんか、ピンとこないんだよね……」
有益な情報になかなか行き当たらず、さすがに疲れてきて、私は一旦ページから手を離した。
しかし、心実を待たせていることを思い出し、伸びをして身体を解したら、すぐに作業に復帰する。
この部屋は時計がないので、どのくらい時間が経ったかは分からないが、彼女にこれ以上迷惑はかけられない。とにかくこの本だけでも調べ尽くして、速く戻らなくては。
私は途切れかけていた集中力を振り絞って、あと少しになったページを捲る。
そしてその途中で、またしてもピタリと手を止めた。
「あれ?」
気になることが書いてあったから、ではない。
開いたところに乱暴に破られた跡があり――――あるべきはずのページが、そこになかったからだ。
両手で持ち上げて確認し、三、四ページがまとめて破られているのだと分かった。急いで残りのページもチェックしてみると、同じようにもう一ヶ所無くなっている。
この様子だと恐らく……ある項目の全てを、ごっそり破いて誰かが持っていったのだろう。
それも二項目分を、である。
「……引っ掛かるな」
眉間に皺を寄せ、そう独り言を零した。
何故か、この失われたページが気になって仕方がない。それは私の第六感が、そこにこそ求める情報があったのではないかと、謎の確信を持って告げているからだ。
――――しかし、無いものはどうしようもないわけで。
はぁと溜息をついて、私は一応残りのページに軽く目を通した後、静かに本を閉じた。せっかく良いところまで迫れた気がしたのに、またしても寸止めである。
残念な気持ちがどうしても拭えず、一度閉じたものの、私は未練がましく無造作に本をパラパラと捲った。そういえば、巻末にある奥付までは見ていなかったな……と思いつき、最後の悪あがきとしてそこを開く。
開かれた巻末には、ちゃんとした奥付のようなものは載ってはいなかった。ただ、著者名らしき名前が、五、六名分書かれていた。しかも、寄せ書きのような形式で、直筆サインで、だ。
それをぼんやりと眺め――――次いで、視界が捉えた、ある一人の名前に目を見開く。
「桜ノ宮…………梅太郎?」
――――――梅太郎って、梅太郎さん?
私は驚いて、マジマジとその名前を見つめた。
少し右上がりの流麗な字は、間違いなく私の知る梅太郎さんのものだ。
でも名字が桜ノ宮って……理事長さんと一緒?
そこで私は今さらだが、梅太郎さんの名字を知らなかったという事実に気づく。
先生方も生徒も、みんな「梅太郎さん」呼びだし、寮監室のネームプレートも、確か下の名前しか記されていなかった。
当たり前のように、誰もが梅太郎さんと呼ぶので気にも止めなかったが……梅太郎さんの名字は、桜ノ宮なの?
でも、なんでこの本の著者に名が挙がっているのか。梅太郎さんは非魔法適性者のはずなのに……。
「お姉さま、探し物は見つかりましたか?」
「わっ!?」
思考の渦に呑まれかけていたら、絵の向こうから突然心実の声が聞こえ、思わず大きなリアクションを取ってしまった。
「お、驚かせてスミマセン! そろそろ私たちも出ないと、危ない時間帯になってきましたので……」と続いた言葉に、私は慌てて本を閉じ、元のあった場所に戻した。
心実に返事を返しながら、私は一つの決心をする。
明日の放課後は……一番に、梅太郎さんに会いに行こうと。
「――――――桜ノ宮、梅太郎」
私はもう一度、大好きな人の明かされたフルネームを呟いて、禁書庫から抜け出した。
……どうか彼が、私を突き落とした犯人と、何も関係がありませんようにと祈りながら。