31 理事長との邂逅
行く手を塞いでいる女性は、細身にワインレッドのスーツを着こなし、横顔でも分かる端正な顔立ちをしていた。鼻が高く、睫毛が長い。光を反射する金の髪は、クルクルの縦ロールだ。
大事なことなのでもう一度言おう、縦ロールである。
「あら、そこの貴女……」
リアルで縦ロールヘアーの人っているんだ……と、感慨深く思っていたら、私に気付いたその人がこちらを向いた。
正面からだと、もっとハッキリと分かる迫力美人。
何より印象に残るのは、そのルビーのような紅い瞳だ。樹虎の髪色とはまた違う、深い情熱を秘めたその紅は、ジッと見つめられると妙な気分になる。
こう……無条件に跪きたい、女王様的なオーラを感じるというか。
しかし、そんなオーラを醸し出しているのも、当然のことなのかもしれない。だってこの人は――――
「ちょうど良いところを通ったわ。ねぇ、この肖像画、前々から思っていたのだけど、私とあまり似てないと思いません? 私は学校の顔なのだから、もっと私の美しさを精密に再現して頂かないと」
――――この桜ノ宮魔法高等学校の頂点に立つ理事長様・桜ノ宮桜子さん御本人なのだから。
魔法の名門一族・桜ノ宮家の長女であり、まだ30代前半という若さで、学校経営に加え、兄妹たちの会社等も手伝っているという敏腕女性。
もちろん魔法の腕も一流で、彼女が考案したらしい『魔法模擬試合制度』や『チーム制度』は、他の学校の先生方からも、魔法教育の面でとても評価が高いらしい。
ちなみに生徒の間では、滅多に姿を見せない彼女と、在学中に出会えたら奇跡とまで言われている。
私も何かの集会で遠目で見たきりだったが、まさかこんな処で遭遇するとは。
「ほら、そんな離れたとこに居らず、こっちに来て一緒に見て頂戴」
「あ、は、はい!」
…………また噂に違わず、なかなかに強烈なキャラクターのようだ。
私は慌てて側に寄り、横に並んで、廊下の壁に掛けられた肖像画を眺めた。
壁一面を覆う大きさのそれは、かなり腕の良い絵師が描いたのだろう、隣に居る理事長さんの美貌を、どこから見ても正確に表現しきっていた。
「どうかしら?」
「えっと、特に問題はないかと……」
「そう、やっぱり書き直した方がいいと貴方も思うのね。文化祭で一般の賓客にも見られるんですもの。早急に書き直しを依頼しましょう。ありがとう、もういいわ」
えぇー……と、私は頬を引き攣らせた。
ダメだこの人。人の話を聞かない人種だ。
「ところで、貴方は一年生? お名前は何というのかしら」
くるっと私の方を振り向いて、理事長さんは急にそんなことを訪ねてきた。本当に自由な性格をしている。
振り向いた瞬間に、ふわっと漂った大人の女性の香りに、少しドギマギしながら私は口を開く。
「えっと、一年生で、名前は野花三葉って言います」
「! 野花……三葉?」
私が名乗ると、何故か理事長さんは驚いたように、その紅い瞳を微かに開いた。
「そう、あなたが彼の言っていた……」
そして顔を近づけて、まるで品定めするようにジロジロと見つめられる。
彼……? と疑問に感じたが、至近距離にある綺麗な顔に緊張が増し、私の脳は正常に機能しなくなっていた。樹虎や先生、心実で美男美女には慣れたと思っていたが、理事長さんの綺麗さはまた別だ。育ちの良い気品や高貴さが伝わり、庶民の私は落ち着かない気分になる。
「……なるほど。確かに彼が言うように、なかなか可愛らしい方だわ。それじゃあ、もう一つ質問してもよろしいかしら、野花三葉さん」
「は、はい!」
「貴方はこの学校に入学して――――今心から、良かったと思っている?」
とても真剣味を帯びた瞳で、真っ直ぐにそう尋ねられ、私は暫し言葉を失った。
どう答えるべきか、脳がゆっくりと回転していく。
以前までの…………余命が六ヶ月になる前の私だったら、悩む間もなく答えは「NO」だった。嘘でもこの学校に入学して良かったとは言えなくて、きっと理事長さんに気を遣い、曖昧な笑いで誤魔化していたに違いない。
でも、今の私はあの頃とは違う。
確かに言ってしまえば、この学校に入ったせいで厄介な事態に巻き込まれ、命を落とすことになったのだとも考えられる。
――――けれど今の私が掴んだモノは、どれもそんな考えを塗り替えるほど、尊くて。
心実という、頼りになる可愛い友達が出来た。素直じゃないけど実は結構イイやつな、樹虎と胸を張って本当のペアになれた。嫌いだった先生は、誤解が解けたらわりと生徒思いな悪い先生じゃなくて。クラスメイトは一部を除いて、打ち解けたら素敵な人ばかりだ。ポチ太郎も、何だかんだで懐いてくれているのは嬉しい。大好きな梅太郎さんという癒しと、シラタマにも出会えた。
樹虎と心実とした魔法特訓も、今となっては良い思い出だ。模擬試合のランキング五位は、本当に感動した。記念パーティーも楽しかったし、今の文化祭準備だって充実している。
それらのことを思い浮かべると……なんだこの学校に入学したことも、そう悪くないじゃんと思えて。
だから私は、理事長さんの質問に対して、笑顔でこう答えた。「この学校に入学して良かったです。私はこの学校、好きですよ」と。
すると理事長さんは、真っ赤な唇を綻ばせて微笑んだ。
「――――それは重畳」
そう言って浮かべた表情は、自分の創った作品を親に褒められ喜ぶ、子供のように無邪気なもので。
……ああこの人は、本当にこの学校を愛しているのだと、そう思った。
「貴方とこうして話せて好かったわ。引き留めてごめんなさいね。……それじゃあ」
理事長さんはもう肖像画に用は無くなったのだろう。迷いのない足取りで、私が歩いて来た方向に、ヒールの音を鳴らしながら去って行ってしまった。
すべてが急な、まるで台風のような存在の彼女に、私は暫し唖然としながらも、小さくなるその後ろ姿に静かに頭を下げた。
♣♣♣
「お姉さま、理事長さんとお会いしたのですか!? 凄いです……さすがお姉さまです!」
「いや、私はただ歩いていたら会っただけなんだけどね……」
だだっ広い図書室の、扉のすぐ側に設置されているカウンター。その向こうにいる心実に、ちょっとした話のネタとして理事長さんとのことを喋れば、彼女は予想以上に大きな反応を返してくれた。
つい先ほどまで、心実は次々に来たお客さんの対応に追われていて、今はやっと空き時間が出来たというところだ。二階建てで本棚が所狭しと並んでいる図書室内は、ラッシュが終わって人もまばらで、声のトーンを落としつつも、気兼ねなく話に花を咲かせられる。
「でも、理事長さんのレア度はツチノコ並みと聞きました。そんな方とお会いして、しかもお話までするなんて……やっぱり凄いですよ、お姉さま」
「うーん、話したっていっても質問に答えただけで、本当に大したことじゃないけどね。あ、それよりちょっと心実に聞きたいんだけど……」
ちょいちょいとカウンター越しに心実を呼べば、彼女は素直に身を乗り出してくれた。彼女の小さな耳に口を近づけ、なんとなく声を潜めて用件を切り出す。
「図書室内の本って……ここと二階にあるので全部だよね?」
「は、はい。貸し出し中のも、もちろんありますが……。それも、自由に使える検索システムで分かるです。お姉さま、先ほども真剣に検索システムを使っていましたし、何かお探しなのですか?」
――――実は心実のお仕事中に、私は私の方で、目的の一つである『禁断魔法』に関する本を探そうと試みていた。
まずは、カウンターから少し離れたところにある、タッチパネルの検索システムでキーワードを入れ検索したが、該当はなし。魔法関連の棚を順番にすべて見漁ってもみたが、『禁断魔法』の文字はなかった。
一冊や二冊くらいなら、関連書籍が置いてあるかと思ったのに、その考えは甘かったようだ。教育からも完全に消されたものが、簡単に閲覧できるところにあるはずがなかった。
あとは土日に外出許可を取って、街の図書館か本屋に行くか。でも、普通に置いてあるものなのかも、ちょっと不安になってきた。インターネットは情報が胡散臭いのが多すぎて、よく分からなかったし……もともと、私はアナログ人間なのだ。
悪あがきとして、図書委員の心実に尋ねてみた次第だが、やっぱりこの図書室には無いようである。
「うん。ちょっと、あんまり普及されてない本というか、資料というかを探していて。でも、無いならいいんだ。変なこと聞いてごめんね」
「い、いいえ! それはまったく構わないのですが……えっと、それはお姉さまにとって、重要な調べ事だったりするですか?」
「重要……そうだね。実は心実も知ってる『魔力覚醒薬』に関することで、ちょっと気になることがあって、そっち関連で調べ物をしてるんだ。内容や経緯は、その、色々あって説明がし辛いんだけど……」
「! あの薬の、ですか……」
ポチ太郎と例の部屋に飛ばされたことなど、一から伝えても良かったのだが、ここで話すには長くなりそうだったので、少し言葉を濁してしまった。
しかし察しの良い心実は、事の大きさを汲み取ってくれたようで、思案気に瞳を伏せる。
次いで、いきなり頭を勢いよく下げてきたので、私はびっくりしてしまった。
「な、なに、どうしたの心実……!?」
「すみませんです、お姉さま! 実は図書室内の本が、ここと二階にあるので全部というのは、正確には違うのです。その、これは図書委員の中でも、極一部の者しか知らないことで、他言無用の内容なのですが……」
今度は心実が、周囲に細心の注意を払い、私に小さく耳打ちする。
「実はこの図書室の二階にある、壁に掛けられている大きな絵の奥には、魔法で閉じられている隠し部屋――――『禁書庫』があるのです」
「禁書庫……!?」
思わず声を漏らせば、心実に「しーっです、お姉さま!」と言われ、慌てて私は口を押えた。
まさかうちの学校に、そんな漫画みたいな『隠し部屋』なるものがあるなんて。……いや、でもあの理事長さんなら、図書室にそんな仕掛けを施していても可笑しくはないかも。
なんとなく好きそうだ、そういうの。
「閲覧に規制のかかりそうな本や資料などは、全てそこに揃っています。おそらく、お姉さまがお探しのものは、そこにあるかと」
「で、でも、そこって簡単に入れる場所じゃないよね? 許可とか色々いるんじゃ……」
「はい。まず存在自体が、ほとんどの生徒には認知されていないです。一部の先生方と司書さん、掃除や整理のために、信頼のおける選ばれた図書委員だけが、禁書庫に出入りする方法を知っているです。ですから――――」
心実は一度言葉を切り、ハッキリとした力強い声で、とんでもないことを言い出した。
「――――その方法を知っている私が、お姉さまをこっそり禁書庫にご案内致します」