27 誰かの日記
「どうしてこうなった」事件から三日。結論から言って、山鳥君は犯人ではありませんでした。
改めて調べてわかったことだが、あの日の犯行時刻に、彼は魔法の使用許可を取るには取っていたが、用事を思い出して早々に寮に帰宅していたそうなのだ。
これは意外なことに梅太郎さんからの情報で、山鳥君はクラス委員に加え、男子寮の一年の寮長も務めているらしい。その日は『寮長会議』なるものがあり、彼を含め、女子寮・男子寮の各学年の寮長が集まって、放課後の時間に梅太郎さんの部屋で、寮生活についての話し合いをしていたのだとか。
つまり、彼のアリバイは完璧。真面目にお仕事をしていた山鳥君には、本当に「疑ってごめんなさい」と、脳内で頭を何度も下げるしかない。
……同時に、彼の容疑が晴れたことで、サクラサバイバルに私を誘ってくれたのは、純粋な好意だったということも確定した。
そちらの方はひとまず、私の中では保留ということにさせてもらい、貰ったサクラバッチはちゃんと部屋の机の中に保存してある。
ちゃんと順番に考えるよ、うん。ちょっと後回しにするだけだから! ……と、誰となく言い訳をしながら、机の引き出しの奥に仕舞ったことは誰にも秘密だ。見る度に思い出して赤面してしまうからなんて言えない。
クラスで次の日会っても、山鳥君はいつも通りだった。樹虎とは……あれから一度も顔を合わせていないけど、いざ会えばいつも通りに喋れるはずだと考えている。きっと、虫の居所が悪かったのだろう。あるよね、そういう日くらい。人間だもの。
だから、こっちの問題はこれで一旦置いといて。
考えるべきは、今のところ残っている犯人候補三人についてだ。こちらは、全員二年の先輩であることしか、まだ調べは進んでいない。
実は夏休み中にもう余命四ヶ月を切った私に、のんびりしているような余裕はないので、本来ならすぐにでも調査を開始しなくてはいけないのだが…………。
「えーと、ここでシラタマ人形を一回転させて、『さぁ、魔王退治のはじまりだにゃ、勇者様!』ってセリフか。……一回転、出来るかな」
――――――私は現在、放課後の訓練棟にて、一人で台本片手に、シラタマ人形の操作練習を行っていた。
最終的に、うちのクラスの出し物は『演劇』に決定し、魔法を演出にバリバリ取り入れた、本格派ファンタジー劇を行うことになった。
内容は、勇者が魔王を討伐しお姫様を救う……という、王道中の王道ストーリー。でもその中に、脚本担当の森戸さんが色々と捻りを加え、上手く完成すれば、なかなかに面白いモノが出来るのではないかと思う。
私はなんと、劇中でわりと重要な役である、勇者のサポートマスコットキャラ『使い魔の白猫』を演じることになったのだ。
……いや、正確には影でシラタマ人形を操作するだけで、セリフは現役演劇部の海鳴さんが声当てをするのだが。
魔法模擬試合での、私のシラタマ人形の動きにとても感動してくれたらしい森戸さんに、ぜひにと頼まれ引き受けた大事な役割だ。
例え舞台自体には一歩も立たなくても、責任は重大。
海鳴さんとの本格的な練習は来週からだから、その前に少しでも、台本通りにシラタマ人形を動かせるようになっておきたい。そう考え、台本を早めに借りて、一人でこうして操作練習をしているというわけである。
犯人探しを休憩するわけではないが、出来れば高校生活最後の文化祭を成功させたい私は、こちらも全力を尽くしたいのだ。
「そんで次は、勇者の肩に乗って……」
ぶつぶつ台本を読みながら、指先でシラタマ人形を動かす。
一人なのはちょっと寂しいが、こればっかりは敵クラスの心実に付き合ってもらえないしね。
ちなみに、彼女のクラスは『魔女っ娘喫茶』に決まったらしい。心実が魔女っ娘の恰好をするとか、絶対かわいいから、かなりの強敵になることは間違いない。
そうやって、孤独にシラタマ人形と時間を過ごしていたら―――――――例によって例のごとく、ガチャリとドアが開く音がした。
「またか……」
だけど私はもう驚かない。控えめなドアの開閉音に、誰が来たのかすぐに察したからだ。
「わふふ!」
二度あることは三度ある。
現れたのは予想通り――――素知らぬ顔で先生のところから脱走して来た、ポチ太郎であった。
「お前はいい加減にしとかないと、先生に言いつけちゃうからね」
「わふふ?」
私は台本を床に置いて、仕方なく部屋に入ってきたポチ太郎の傍に行き、しゃがんでその頭をポンポンと軽く叩いた。
毛色が私の髪色と同じなせいで、自分の頭に触れているような変な気分になる。
しかもこいつ、お約束のように、また何かを咥えてやがった。前の樹虎のイヤーカフスより格段に大きいそれは、文庫本サイズの薄い手帳のようなものだった。
「今度はこんな物、どこから拾ってきたの。落とし物なら、持ち主の人が困ってるんじゃ……」
私はポチ太郎からその茶色い手帳? を抜き取り、どこかに名前が書いてないか、表紙や一ページ目を開いたところだけを見てみる。特に個人情報はないようで、どうしたものかと思っていたら、ポチ太郎が「わふ、わふ!」と急に私に飛びついてきた。
「ちょ、こら!」
受け止めようとしたら、手から手帳が滑り落ちてしまった。バサッとページが開いた状態で床に落ち、ポチ太郎を抱えたまま、私は慌ててそれを拾い上げようとする。
本当にこのワンコだけは。先生が甘やかすから、こんなイタズラ好きになったんだ。後で絶対、ポチ郎の頬っぺたをびよーんと引っ張って躾けてやろう……と、そんなことを考えながら、手帳に手を伸ばしたとき。
―――――――なんとなく目に入ってしまった中身に、私は意識を取られてしまった。
「なに、これ……」
開いたページはそのままに、しゃがんだ姿勢で、良くないことだとは分かっていても、私は書いてある文字から目が離せなかった。
これは手帳ではなく、誰かの日記のようだった。
薄い線が引いてあるだけの簡素な白いページに、まるで書き殴る様に、乱雑に字が書かれている。
『また声が聞こえた。
怖くて怖くてたまらない。
今回は一瞬だけ、だけど確かに意識がまた飛んだ。
どんどん、自分が自分ではなくなっていく。
――――――私にはもう、時間がない』
短いけれど、意味ありげでどこか寒気すらする異様な内容に、私は瞬きもせず、何度も何度も同じ文字を目で追っていた。
内容は当然ながら、書いてある文字からも、まるでダイイングメッセージか何かのような、不気味な必死さを感じる。
そして次に私は、ページの上の隅に小さく書いてある、日付に目を止めた。
月は七月。確かこの日は……。
「魔法模擬試合の、開会式があった日……?」
――――瞬間、甦るのは、あの焼け付くような視線と、全身を這った悪寒。
私は得体の知れない恐怖に、勢いよく日記を閉じた。開会式のときと同じだ。煩く鳴る動悸と、総毛立つ鳥肌が治まらない。
小刻みに震えながら、思わず腕の中にいるポチ太郎を強く抱き締めれば、彼は安心させるためか、頬っぺたを湿った舌でペロペロと舐めてくれた。
「ははっ、ありがとう、ポチ太郎……」
擽ったくて笑えば、纏わり付いていた気持ちの悪いものが、少しだけ薄れていったような気がした。
もふもふの毛玉の暖かさに、ちょっぴり感謝する。
…………しかしそうやって、気を緩めてしまったのがいけなかったのだろう。
私は、いつものポチ太郎が次に起こす行動パターンを、すっかり失念していた。
「わふっ! わふわふ!」
「え……ま、またあんた、ちょっと待って……!」
私の制止なんて聞く耳を持たず。いつかのように、私の体はポチ太郎と共に、青い光に包まれた。
僅かな間の浮遊感に、不快な視界の歪み。
――――ポチ太郎お得意のテレポートに、私は再び巻き込まれてしまった。
手には、先ほどの日記を持ったまま。
そして辿り着いた先は、予想していた化学室などではない―――――――見知らぬ誰かの部屋だった。