24 勝ち取ったものは
「さて、先生。それでは―――――謝罪して頂いてもよろしいでしょうか?」
証拠である試合記録を先生の眼前に突きつけて、私はにっこり微笑んでそう言った。
閉会式が終了すると同時に、私は心実と渋る樹虎を連れて、化学室に特攻をしかけた。
閉会式で姿を見かけなかったので、すでに自分のテリトリーに戻っていると踏んだが、予想はドンピシャで、草下先生は化学室に居た。ポチ太郎と戯れ中だったため、部屋には鍵がかかっていたが、私が名乗ると意外にすんなりと室内に入れてくれたので、私は出し抜けに本題を切り出したというわけである。
座っている先生を見下ろす形で、私は次にくる先生の反応を、息を詰めて待ち構えていた。
なお、私の予想だと、彼の次の反応は3パターンに分けられる。
1は、素直に自分の誤解を認め、宣言通りに誠心誠意、頭を下げてくれるベストなパターン。
2は、また別の理論を展開し、私への疑いは継続させたまま、うやむやにして謝罪しない、一番「ふざけんな!」というパターン。
そして3は、謝るには謝るが、めっちゃ渋々で、これからも機会があったら何か吹っかけてきそうな、面倒極まりないパターンだ。
彼がどの反応で来るかによって、私も対応を変えていかなくてはいけない。
有力候補としては、2か3だと私は当たりを付けている。いつもの冷遇に慣れてしまったせいか、彼が私に素直に謝罪をするとは、どうしても思えないからだ。
特に2の場合は、最悪、ランキング入りした際の取引さえ無しにされかねない。それはさすがに、こちらとしても徹底抗戦を強いていくつもりなので、その時のことも考えて、とりあえず約束の証人として心実と樹虎を連れてきた次第である。
無理やり連れてきたことで不機嫌な樹虎は、離れた壁に寄りかかって様子を傍観中だ。それでも勝手に帰らないところ、彼の態度も軟化したものだと思う。
心実は私の後ろで、応援姿勢で控えてくれている。
ちなみに余談だが、彼女は大方の予想通り、ランキングはぶっちぎりの一位であった。私が「凄いね心実!」と褒めると、真っ赤な顔で慌てていたのが可愛らしかった。……が、年上の男を一人で三人同時に吹っ飛ばすところを見た時は、ちょっとだけ薄ら寒いものを感じたのは内緒だ。彼女だけは怒らせてはいけない。
「……」
沈黙が続き、私が要らぬことまでツラツラと考え出していた頃、先生はようやく、無言のままだが俯いていた顔を上げた。
そして、急にガタッと立ち上がったと思うと――――
「ああ。私は全面的に自分の非を認め、君に心から謝罪しよう。…………すまなかった」
――――頭を深々と下げて、そう述べたのだ。
「へっ?」
まさかのパターン1に、私は明らさまに動揺してしまった。後ろの心実でさえ予想外だったようで、驚いて息を飲んだ気配を感じる。
彼は構わず、私に銀の頭部を見せたまま、言葉を紡いでいく。
「君の試合は、初戦からすべて見せてもらった。ちょうど審判役も上手く被らなかったからな。君が試合で善戦する姿は、どれも見事だった。特に……」
少しだけ顔を上げた彼は、私の手からそっと試合記録を抜き取った。その動作も丁寧で、私はいよいよ普段との違いに混乱していく。
「試合で見せた、物質操作魔法。私はあれほど、あの魔法を使いこなす生徒を見たことがなかった。あの猫の人形の動きには、君の意思がしっかり宿っているのを感じた。短期間で魔力を向上させ、あそこまで生き生きと魔法を使う様子を見せられたら…………薬で得た偽りの魔力だなんて、言えるわけがない」
先生は試合記録に目を通しながら、どこか自嘲気味に喉を鳴らした。
「月並みな表現だが、私は君の試合を見て、純粋に心動かされたようだ。本来なら私から君の元に出向き、謝るのが筋なのだろうが……情けないことに、どう切り出していいかわからなくてな。ここで君が来るのを、ポチ太郎と待たせてもらった。…………君に有らぬ疑いをかけたこと、それに伴い、君に酷い態度を取ったこと。決して許されることではないが、改めて謝らせてもらいたい。――――――本当に、すまなかった」
そう言って再び先生は、私に対して先ほどよりも深く頭を垂れた。その様子は、疑いようもない真剣そのもので。さすがにこれは演技ではないと誰でもわかる、まっすぐな謝罪だった。
そして、謝られている当の本人の私としては……拍子抜けというか、あっさり謝罪を得られたことに虚を突かれて、どう返せばいいか正直、戸惑っていた。
身に覚えのない疑いで、今まで彼から受けた理不尽な仕打ちの数々。それらのことを考えると、これで済ませていいものかと、少しは思わなくもない。またとないこの機会、「謝り方がぬるいんだよ! もっと誠意を見せて謝らんかい! 主に土下座とかな!」と、あとちょっと責めてやってもアリな気がしなくも……うん、なくはない。いや、さすがに土下座までは要求する気はないが、気持ち的な問題だ。
しかし、動揺が収まるにつれ、目の前で頭を下げる先生の姿を見れただけでもう、私の気持ちが十分スッとしてしまったのも事実で。
もう許すべきか、ここでは許さざるべきか、相反する二つの感情が私の中でせめぎ合う。
奇妙な沈黙が続き、樹虎や心実が私の動向を見守る中、私は悩んだ末――――ハァと息を吐き出し、口を開いた。
「頭を上げてください、先生。もういいですから」
「……しかし、私は君に許されないことを」
「誤解が解けて謝って頂けたので、もういいです。あとは約束を守ってくれさえすれば、私はそれで構いません。その上で先生が今後、私への態度を改めて下さるというなら……こちらも、もう何も言いませんから」
だから早く頭を上げてくださいと、私がもう一度促せば、彼はようやく、ずり落ちた眼鏡姿で、顔を私に向けてくれた。常に整えられていた銀の髪は乱れ、澄ました顔は情けなく歪められている。
こんな顔を拝めたなら、私はそれで満足だ。それに――――
「ポチ太郎も、もういいから」
「わふ……」
実はずっと先生の足元に居たポチ太郎が、ご主人様と一緒に、その丸い頭を私に対して伏せていたのだ。寝てるだけかな? とも思ったが、どうやら先生に倣って頭を下げ、謝罪しているのだと気付いた私は、なんかもう……いろいろ気が抜けてしまった。
ここは、ポチ太郎に免じて許してやることにしたのだ。
「……ありがとう、野花。私は君に対して、かなり間違った誤解をしていたようだ。遅いかもしれないが、私はこれからは担任として、ちゃんと君と向き合っていきたいと思う。…………これは、約束の一覧表だ」
先生は机の上にあった資料を私に差し出し、初めて『生徒』を見る『先生』の目で、私に微笑みを見せた。
なるほど、これは女子が騒ぐのもわかる、とても綺麗な笑みだった。
私は受け取った資料を大事に胸に抱え、一気に押し寄せてくる達成感に暫し浸る。
この一ヶ月間、死に物狂いで頑張ったかいがある成果ばかりだ。今度絶対、心実と樹虎も入れて、ランキング入り記念パーティーを開こうと思う。そのときは、先生に差し入れの一つや二つ持ってきてもらおう。そのくらいなら、今の彼なら快くやってくれそうだ。
そんなふうに、私があらゆる面での勝利を噛み締めていたら、穏やかな顔をしていた先生がふと、言い辛そうに口を開いた。
「それと……これは君に伝えるべきかわからない、完全な私の憶測なのだが、どうか忠告として聞いて欲しい」
「忠告……?」
「君が魔力覚醒薬の使用者ではないことは、もう証明された事実だ。それに関しては、私はもう、少しも疑いを持っていない。となると、君と魔法総合研究所は、まったくの無関係だったと……そうなるだろう」
実際に、私はそんな研究所と関わりを持ったことがないので、先生の言葉に頷く。だが先生は、やはり神妙な顔をしたままだ。
「君の目の色も髪色も、魔力適性が遅れたことも、薬とは一切関係のない偶然の一致だった。それで話はすべて片付くはずなのだが……なぜだろうな。どうしても私には――――君がもっと大きな何かに、巻き込まれている気がしてならないんだ」
「ど、どういうことですか……?」
「これは本当に、ただの勘に近いものだ。何故そんなことを思うのか、自分でもわからない。ただやはりどうしても、私が考えているよりも深い闇が、君の周りで渦巻いているように思えて……。化学教師の私が非科学的なことを言うのも何だが、嫌な予感が拭えないんだ」
先生は喋りながらも、本当に自分の発言に自信がないのだろう。いつもハキハキと話す彼にしては珍しく、言葉に迷っている様子だった。
先生の話をまとめると、私が薬の使用者ではないと理解した上で、先生も想像できない他の何かに、私が巻き込まれている可能性がある、ということだろうか。
また、薬の使用とは別の件で、研究所と私が知らぬ間に関わっている可能性も、先生は考慮しているように思える。
そこまであえて私に言わないのは、彼も確証がないからだろう。もしくは、新たな疑惑を向けるような発言は、さすがに気まずいものがあるからかもしれない。
そして私はそんな彼の言葉を聞きながら……なぜか無意識に、閉会式で走った悪寒のことを思い出していた。
先生が危惧している悪い予感と、私を射抜いたあの視線。そして、私を突き落とした犯人の存在。
――――――それらすべては、繋がっているとでも言うのだろうか?
だんだんと頭がこんがらがってきて、つられて私も難しい顔をしていたようだ。それに気付いた先生が、表情を緩いものに切り替える。
「不安にさせるようなことを言ってすまない。ただ私が言いたいことは、もし君に何かあった場合は、私は君の手助けをするのに労力を惜しまないということだ。そんなことが無ければ一番だが、もしもの時は、私はお詫びも兼ねて必ず君の力になると約束しよう」
「先生……」
なんとも誠意あふれるマトモな発言に、私は不覚にも感動してしまった。
だってあの、私を道端の草か石ころとしか見ず、隙あらば嫌味を飛ばし、理不尽な押し付けをしてきた彼が、ここまで改心するとは。……思い出したら苛立ってきたので、パーティー時には絶対何か差し入れて貰おう。
彼はまるで別人のように(恐らくこれが、私以外の生徒に見せていた顔なのだろうが)、ポチ太郎を抱いて優しい表情を浮かべた。
「それに、三日後にはもう夏休みだ。余計なことは考えず、学生らしく思い切り遊んできた方がいい」
その発言に、私は「ん?」と首を傾げた。確かに夏休み目前だけど……。
「そ、その、補習がその……ありますよね? 私の場合……」
「? 先ほど見た君の試合記録と、今回のテスト結果を合わせて考えれば、君に補習は必要ないと思うが……」
え!? と、私は目を見開いた。
魔法勉強合宿への強制参加くらいは免除かなーと思っていたが、補習が一日たりとも課せられないとは。
離れたところで樹虎がボソッと、「ランキング入りしたやつに、補習なんてあるわけねぇだろ」と呟いたのが聞こえた。ずっと黙っていた心実も、「おめでとうございます、お姉さま!」と我が事のように喜んでくれている。
私も、先ほどまでの鬱々とした問題を忘れ、勝ち取った自由な夏休みに、思わず小声で「よっしゃ!」と溢し拳を握った。
手元にある資料を使って夏休み前に調べることはあるが、それさえ終われば、私は人生最後の夏を満喫することが出来るのだ。
―――――――テンションを上げるなという方が、無理だろう。
「お姉さま、私の別荘への滞在期間をぜひ延ばして欲しいです! 一緒に避暑地で夏を過ごすです!」
「お金持ちっぽくて素敵だね、心実! あ、でも夏休みに入る前に、みんなでランキング入り記念パーティーしない? 私か心実、もしくは樹虎の部屋で!」
「……おい、何で俺の名前が出てくるんだ」
「あ、梅太郎さんも入れて、寮監室を借りるのもありかも! 樹虎はどう思う?」
「お前、だんだん俺の話聞かなくなってねぇか……?」
場所も忘れて盛り上がる私たちに、先生は特に注意することもなく、ただ静かに様子を見守ってくれていた。ポチ太郎も、どこか楽しそうに「わふっ!」と鳴く。
もうすぐそこまで、夏の足音は近づいていた。
ここまでお読み頂きありがとうございます!これにて、二章は終了となります。
次の三章は起承転結の転に当たり、物語の謎が明かされていく予定です。
それに伴い、三葉に大きな試練がやってきますが、どうか彼女の物語にもう少しお付き合い頂けると幸いです。……あ、でも、かつてない恋愛イベントも予定してますよ!
なお、その前に番外編を二話ほど挟ませてもらいます。
それでは、またよろしくお願いします!