17 前途多難です
先生に喧嘩を売った次の日の朝、私はいつもより一時間早く訓練棟に来て、一人で魔法特訓を開始していた。
ぶっちゃけ言うとめちゃくちゃ眠かったが、落ちこぼれの私が本気でランキング入りを目指すなら、今から死にもの狂いでの特訓が必要なのだから仕方ない。
魔法模擬試合まで残り約三週間。
大切なのは一に特訓、二に特訓、三にも四にも特訓だ。
昨日の草下先生との話の後、そのまま魔法使用許可を職員室に取りに行ったとき、適当に頼んだ現国担当の千種先生は、「こんな早朝から!?」とかなりびっくりしてたっけ。
心実は「私も付き合います!」と言ってくれたが、彼女までが私に合わせて早起きする必要はないので、そこは丁重にお断りさせてもらった。だからなのか、いつも通りの時間に後から来た心実は、「早起きして作ったのです!」と、私にレモンのはちみつ漬けの差し入れを持ってきてくれた。……マネージャーみたいだ。というか、結局早起きしてるのね、心実。
異常に美味しいレモンを食べ、朝の特訓が終わったら、次は昼休みだ。
昼は、右手に箸。左手に教科書。
忘れてはいけないことに、魔法模擬試合の前には、学期末テストなるものも存在するのである。
ご飯を食べながら、サインコサインタンジェント。スイヘイリーベにあさきゆめみし。
これにはランチを共にする心実にも付き合ってもらったが、本来なら中学生の彼女は、普通に私の勉強について来ていた。というか、下手したら私より頭がいい。「幼少から家庭教師がついていたので……」と語った彼女は、魔法以外もハイスペックだった。
神様はもう少し、ステータスの振り分けを平等にすべきだと思う。
もちろん、通常の授業も気を抜いてはならない。
こっそり寝れそうな授業の居眠りくらいはご愛嬌だが、授業態度を下げられるような失態は犯してはいけない。
特に……草下先生の授業では。
やつは地味に私を当てる回数が多かったりと、分かりにくい絶妙な攻撃をしてくるのだ。あいつのせいで、私の嫌いな科目はダントツ一位で化学になった。
今日も化学の授業が存在し、昨日の事件のこともあって、私は大変気まずい思いをしながら授業を乗り切った。先生は特に私と目立つ接触をしてこなかったが、一度だけ目が合ったとき、「まぁ頑張れば?」みたいな小馬鹿にした目で見てきた気がする。
被害妄想かもしれないが、私がますます闘志を燃やすことになったのは言うまでもない。
――――――そんなふうに、怒涛の勢いで時間は過ぎていき、気づけばあっという間に放課後だ。
「本当に申し訳ありませんです、お姉さま!」
心実は金の髪を振り乱し、勢いよく頭を下げてきた。
「委員会の仕事なら仕方ないよ」
「いえ! さっさとお仕事を終わらせて、必ず行きますです! 必ずです!」
「い、いや無理しないでいいからね……」
図書委員会に所属している心実は、今日は月一の放課後の本棚整理の当番らしい。もちろん私の特訓より委員会が優先なので、通常なら一緒に訓練棟へ向かうところを、今日は教室の前で一旦お別れになった。
心実は絶対に行きますと言い張るが、本棚整理は結構な重労働と聞くので、今日は心実は特訓の方はお休みでいいと思う。まぁ、もし魔法の使用許可が出ているなら、彼女なら本当に一瞬で本棚整理くらい終わらせそうだが。
「じゃあ、委員会がんばってね。私も訓練がんばるし」
心実に手を振って、私は訓練棟の方へ歩き出そうとした。けれど心実はまだ言いたいことがあったようで、「あ、あとあの、お姉さま!」と私を呼び止める。
「? まだ何かあった?」
「あ、いえ、その……ふ、二木さんのことなのですが……」
言い辛そうに、心実は彼の名前を出した。
二木君は昨日、化学室から出た後は、気づいたら姿を消していた。巻き込んだことなど何もお詫び出来ないまま、もちろん今日の約束も取り付けてはいない。それからまだ一度も彼を見ていないので、心実は彼が、今日も私の特訓に来てくれるのか気になっているのだと思う。
昨日だってお犬様騒動のせいで、ペアで魔法練習が出来たわけではないし……。せっかく来てくれたのに、大きなチャンスを逃してしまったかもしれない。
本当に昨日のは気まぐれで、今日も彼が来てくれる保証はないのだ。むしろ、あんな厄介そうな話を聞いた後だと、余計私に関わりたくないかもしれない。
けれど私は心実の手前、そんな不安は出さずに「大丈夫、大丈夫」と笑った。
「手紙見てわざわざ来てくれたんだから、今日もきっと来てくれるって」
「そ、そうでしょうか……」
「そうそう。それに二木君ってちゃんと会話したら、思ってたより話の分かる人みたいだったし。もし今日来なくても、明日は来てくれるかもしれないしさ。三日以上来なかったら、今度こそ学校中走り回って、彼を見つけて協力してくれるように頼むから大丈夫!」
「お姉さまがそう言うなら……」
心配性の心実も、私の「大丈夫」の連呼に、ようやく安心してくれたようだ。
教室の窓から見える時計を確認すれば、委員会の始まる時間に差し掛かっていたので、私は心実に早く行くように促す。心実はさすがに慌てて、廊下の向こうに速足で去って行った。
去り際に、「無理はしないでくださいね!」と、言い残していくところが彼女らしい。
オーバーワークで体を壊したら元も子もないので、私はその言葉を胸に留めて、自分も訓練棟の方へ急いだ。
♣♣♣
「うーごーけー!」
私は思わず、みっともなくそう叫んでいた。
訓練棟の昨日と同じトレーニングルーム。私一人しかいない広い空間のど真ん中には、無造作に転がったモップが置いてあった。まぁ、私が掃除用具入れから持ってきて置いたのだが。
『移動魔法』でモップを引き寄せたりなどは出来るが、私が今、習得しようと挑戦しているのは『物質操作魔法』だ。
これはその名の通り、移動魔法よりワンランク上で、物質を自分の思う通りに操作する魔法だ。移動魔法はただ動かすだけだが、この魔法は物質に複雑な動きをさせることが出来る。習得すれば、モップに自動で掃除させることが可能になるわけである。
なお、初級のこの魔法も極めればなかなか汎用性が高く、より細かな動きをさせられるくらいの魔法操作が出来るようになれば、試合でも十分な武器になる。そう考えて、とにかく基本を身につけようと奮闘しているわけだが……。
カタカタッと微かにモップの柄が揺れたくらいで、一向に掃除を始めてくれる様子がない。
「なんでかな……授業で習った通りにしてるのに……」
さすがに疲れてきて、私はガクリと項垂れた。やっぱり私の魔力が低いせいだろうか、ここ最近では少しは向上したと思ったのに、新魔法の習得の壁はまだまだぶ厚いようだった。
はぁと溜息をついて、私は少し休憩することにした。そこら辺に転がしてあったスポーツドリンクを、移動魔法で手元に引き寄せて、壁に身を預けてしゃがむ。
本当、この魔法だけは得意なんだけどな……。
やはり一人だと、アドバイスも貰えないし、心実のように励ましてくれる存在もいないので、段々と自信も無くなっていく。本当に私は一勝できるのか、ましてやランキング入りなんて可能なのかと、つい弱気なことを考えてしまう。
ほんの少し前までは一人ぼっちが当たり前だったのに、今では側に誰もいないのが、酷く寂しくて仕方がないような気さえする。
私はチラッと、部屋の入り口のドアを見た。
孤独に訓練を始めて、もう一時間とちょっと。今日の魔法使用許可は二時間だけなので、もう残り時間も少ない。
誰も来る気配がないドアを見て、私はもう一度溜息をつきそうになり…………今度はそれを飲み込んだ。
こんなとこで挫けていては、あの眼鏡の犬マニア教師に頭を下げさせるなんて、夢のまた夢だ。
それに、私は何としてでもランキング入りして、手に入れなければならない物もある。
「よし!」
私は頬っぺたを叩いて気合を入れ直し、勢いよく立ち上がった。貴重な訓練時間を、ヘタレて過ごすなんてもったいない。
そう思って、もう一度モップに向き合った時――――ガチャという音がして、ゆっくりとドアが開いた。