16 疑いと宣戦布告
意外な事実に、室内の空気が揺れた気がした。
私は机の向こうの先生に、手探りで疑問を投げかける。
「先生も、その薬の開発に携わっていた、ということですか?」
「ああ。とは言っても、私は末端の研究員で、薬の開発方法などは一切知らされていない。本部ではなく支部にいたしな。研究所に居たのも一年も満たない期間だ。私は動物実験を担当していて、ずっとこのポチ太郎の観察記録をつけていた」
「なぜここの教師に……?」
「……研究所に嫌気が差して、ポチ太郎を連れて逃げ出したんだ。一緒に居るうちに愛着が湧いてな。これ以上、非道なあの機関に置いておきたくなかったんだ。私は、あの研究所のすべても、金で薬を手に入れようとするバカも……浅い考えで薬に手を出すやつらも、吐き気がするほど嫌いだったからな」
そこで、またしても先生は、チラリと私に見定めるような眼差しを送ってきた。私にはやはり、その視線の意味が理解できない。
「だから、父が理事長の知り合いだった、この山奥の学校に教師として赴任したんだ」
先生の繊細な指先が、ポチ太郎を慈しむように撫でる。彼のポチ太郎君への愛は、本当に深いようだった。まぁ、あの部屋の中を見れば、彼の愛が本物なくらい痛いほどわかるが。
恐らく先生が準備室に彼を匿っていたのは、教師寮の部屋だと一斉清掃などが入るからだろう。完全に先生しか立ち入らない、そんな場所が必要だったのだと思う。
「私の話は以上だ。……君たちを巻き込んだのは、すまなかったとは思っている。魔力制御首輪を自力で外し逃げ出すなど、今までなかったから油断した。もし、ポチ太郎の存在が広まれば、研究所側が取り戻しに来る可能性も低くはない。そうなったら、コイツが無事でいられる保証はないんだ。…………どうか今日の話を含め、君たちの胸に留めておいてほしい」
――――静かに青い瞳を伏せた先生に、しかし、私はすぐに「はい」と頷けなかった。
いや、別に守秘の約束をしないというわけではない。確かに私はこの先生には辛酸を舐めさせられてきたが、生き物の命が関わっているかもしれない問題で、変な仕返しをしようなどとは考えるつもりはないのだ。
…………私は、命の儚さについては多少、人より理解しているつもりだから。
そうではなく、私にはまだ解決してない問題があった。
「誰かにバラす気はありません。でも、私はあなたにまだ、この機会だから聞きたいことがあるんです。それに答えてくれるなら、このことは秘密にすると誓います」
「……なんだ」
「――――――先生は何故、私を嫌うのですか?」
私の直球な問いかけに、先生がノンフレームの眼鏡の奥の瞳を微かに見開いた。
「先生は、初対面から私にだけ態度が違いましたよね? 何かをしたとかならわかりますが……本当に初めて会ったときから、明らかに私を嫌悪していたと思います。その理由を、教えていただけませんか」
真っ向勝負に出た私に、先生は暫し考える素振りを見せた。
心実は心配そうに様子を見守り、二木君は傍観の姿勢に徹している。
そして、先生が私の目を見てまっすぐに告げた。
「それは―――――君が、魔力覚醒薬の使用者の疑いがあるからだ」
「え……」
「現在、確認されているデータでは薬の使用者は皆、髪色は薄いピンク、瞳は琥珀色に変色した。ポチ太郎と……そして君と同じ配色だ」
私は無意識に自分の髪に触れた。先生の眼鏡には、私の琥珀色の瞳が映っている。初めて訓練棟でポチ太郎に出会った時、私と心実が感じた「まったく同じ」という感覚は、間違っていなかった、ということか?
でも、私が薬の使用者だなんて――――――そんなバカな。
「そんなハズがありません!」
私の代わりに、我慢できないと言わんばかりに叫んでくれたのは心実だった。
「お姉さまは、研究所の存在も今知ったのですよっ? 使用者であるハズがありませんです!」
「だが、普通なら中学一年生の頃に出る魔法適性が、野花は遅れて出た。自分に魔法適性がないと分かり、浅い考えで後から薬の存在を知って、手を出した可能性が高い。魔法への憧れを抱く者は多いからな。それに、その髪色と瞳が証明している」
「魔力適性が遅れて出る人は、少数派ですがいないわけではないです! 授業でも習いました! 髪色と瞳の色だって、偶然の一致の可能性だってあるはずです!」
「それは私も考えた。確かにそれだけなら、薬の使用者じゃない可能性もある。しかし、一向に向上しない魔力はどう説明する? 薬で魔力を手に入れた場合、最初から薬との相性が悪ければ、魔力が低い者はずっとそのままだ。通常なら魔力量は鍛錬次第で向上し、適性が出てから一ヶ月もあれば、最低限の基本魔法は使えているはずだ。しかし野花は、『物質操作魔法』すら未だに使えない。それは、薬に頼った魔力だからじゃないのか?」
私はいつぞやの、彼に反抗した日に言われた嫌味を思い返していた。確か先生は、私の魔力が低いのは鍛錬不足だとか罵ってきたが……あれは、私の反応を確かめるための言葉だったのかもしれない。
「わざと研究所のことを知らないふりをして、自分が薬の使用者であることを今でも隠している、と……はっきりと言うが、私は現在進行形で疑っている」
「そんな……! お姉さまはそんな人じゃっ――――」
泣きそうな顔で先生に食い付いてくれた心実を、私は片手で制した。
なるほど、先生の言い分を聞けば、私は完全にクロだ。薬の使用者と判断される材料は揃っている。
もし、私が本当に使用者であったなら、研究所に関わるすべてを嫌悪している先生に、冷たくされるのも仕方ないことかもしれない。
…………だが、他でもない私自身が、自分は薬などを使っていないことを知っている。
ここ数年、元気だけが取り柄で風邪薬も口にした記憶もない私が、そんな薬を飲んだはずがない。
だいたい私は……魔法なんて、憧れたことなどないのだ。普通の高校で、普通の学生生活を送れたら、私はそれで良かったのだから。
「私はそんな薬使ってません……と、言ったところで、先生は信じませんよね?」
「ああ。悪いが信じられない」
「…………先生の私を疑う一番の根拠は、私の魔力が向上しないこと、ですよね? だったら、私が自分の魔力を自力で上げ、『私自身の魔法の力』を示せば、疑いは晴れますか?」
机に身を乗り出し、私は先生を睨み据える。
「君に、そんなことが可能ならな」
先生はフンッと鼻を鳴らし、侮蔑の意をこちらへ向けてきた。
……だんだん、いつも通りの対私用の態度に戻ってきてるな。
だがこっちも、濡れ衣を着せられたまま、黙っているわけにはいかない。
私はちゃんと無実を証明して、彼に今までの私への行いすべてを、きっちりと謝って貰う必要がある。
――――――――だから、私は賭けに出た。
「いいですよ。私はこれから魔力を自分の力で向上させ、自分自身の力を先生に示してみせます。――――これから約三週間後の、魔法模擬試合で」
私の急な提案に、心実が「お、お姉さまっ?」と動揺している。
確かに落ちこぼれの私には、そんな短期期間で魔力を向上させられるのか、という不安はある。
だが魔法の力を示すには、試合はおあつらえ向きの舞台だ。
何より最近の私は、心実との特訓のおかげで、本当に少しだが、魔法力がアップしている。薬に頼った魔力じゃないことを、証明出来る自信はあった。
「……いいだろう。君が自分の力を私に示し、試合で一勝でもすることが出来たなら、私も考えを改めよう。頭を下げて謝罪してもいい」
「はい、先生には謝罪してもらいます。それと、私が万が一ランキング入りでもした場合には、今までのお詫びとして一つ、お願いを聞いていただきます」
「ランキング入り? 君が?」
先生が、あからさまに小馬鹿にした嘲笑を浮かべた。
魔法模擬試合で高ポイントを取ったチームは、得点順にランキングとして発表される。ランキングに入るのは、上位10チームまで。入ったチームの者は漏れなく、成績で高評価をつけられるので、みんなこのランキングに入ることを目指している。今までの私なら、まず目指そうともしない領域だ。
私はそっと、二木君の方に視線をやる。彼はただ黙って、私と先生のやり取りを静観していた。
……さすがにランキング入りを狙うなら、ペアである彼の協力は不可欠だ。だけど彼は、訓練棟まで手紙を読んで来てくれた。一緒に出場してくれる気が、ゼロではないと信じたい。
「どうでしょう、先生?」
多少強引かもしれないが、こういった交渉は主導権を握った方が勝ちだ……と、親友のかえちゃんが言っていた。
先生は銀の髪を掻き上げて、変わらず私を観察するような目を向けて言う。
「……一応聞いておくが、君の願いとは?」
「――――先月分の、『魔法使用許可者一覧表』を私に見せてください」
「許可者一覧表……?」
彼は訝しげに形の良い眉毛を寄せた。
「なぜそんなものを見たがる?」
「……ちょっと、確かめたいことがありまして」
「フン、よく分からんが、まぁいいだろう。必ず生徒に見せてはいけないものでもない。それに、どうせランキング入りなど不可能だろうしな」
完全にいつも通りの態度に戻った先生は、大事そうにポチ太郎を抱え、話は終わりだと立ち上がった。私もオロオロしている心実や、何かを考え込んでいる二木君に声をかけ、化学室のドアに手をかける。
部屋を出る前に、振り返って先生に一言。
「――――――覚悟しておいてくださいね、先生」
余命六ヶ月の雑草の意地、見せてやる。
いつもお読みいただきありがとうございます。
次回はお知らせした、二木君サイドの閑話です。