14 飛ばされた先は
「……なんだこれ」
現れた彼――――二木君は、暴れる犬モドキを持ち上げて、訝しげに私に問うてきた。
相変わらず、制服は派手に着崩しているし、耳のイヤーカフスも健在で、不良オーラが凄まじい。
それでも、何故か以前までの押し潰すような威圧感がなくて、私は「ん?」と首を傾げた。そして恐る恐る、彼の問いに答える前に、こちらの疑問を口にする。
「あの、二木君はどうしてここに?」
「あ? お前が呼んだんじゃねぇのかよ」
「え……」
そこで私は、彼のズボンのポケットからハミ出している、見覚えのある紙切れの存在に気付いた。あれはたぶん、私が飛ばした紙飛行機で間違いない。
と、いうことは。
「二木君は……私が呼んだから、来てくれたの?」
手紙を出しておきながら、信じられないという目を、私は彼に向ける。心実には悪いが、本当にダメ元で、読んでも捨てられて無視されるのがオチだと思っていた。
私の言葉に、彼はその端正な顔を歪め、酷く不機嫌そうに呟く。
「…………それで来たら悪いのかよ」
――――――二木君がデレた。
一体彼の内心にどんな変化があったのかは分からないが、以前までの彼なら考えられない反応だった。私と彼の会話がまともに成立していることすら、今が初めてなのに。
そもそもよく考えると、いつも私のことをグズと呼んで、ペアの名前すら覚えてなかった彼が、手紙に書いた名前を見て私だと理解したのだ。
そして、あんな残念な内容の手紙を読んで、彼はこうして来てくれた。
そんなの。そんなの――――
「おい、何笑ってやがる」
「べ、別に何でもないよ!」
――――嬉しくないはずがないじゃないか。
状況も忘れニヤける頬が押さえられない私に、彼はますます機嫌悪く眉を釣り上げる。
けれどもう、怖いとは少しも感じなかった。
「……んなことより、何だこの生き物は」
「うん、それは私にも分からなくて。大事なピンを咥えて逃げたから、追いかけてただけなんだけど……」
「ピンってこれか?」
二木君が犬モドキの口から素早くピンを抜き取り、私の手の上に転がしてくれた。よだれでベタベタのそれを、私はティッシュで包み、大事に体操服のポケットにしまう。後で綺麗に洗おう。
「本当助かったよ。それに、わざわざ手紙を読んで来てくれて。ありがとうね、二木君」
嬉しさの余韻が残っていて、満面の笑みでお礼を言った私に対して、二木君は何とも形容しがたい微妙な表情を浮かべた。彼がお得意の舌打ちを零したところで、後ろからパタパタと足音が聞こえ、胸を上下させた心実が現れる。
「お、お姉さまっ……な、なんとか追い付いてよかったっ、ですっ。あれ、この方はっ?」
「心実落ち着いて。深呼吸、深呼吸」
魔法は天才的だが、心実の運動神経はお世辞にも良いとは言えないようだ。二木君とは初対面なのか、恐らく「この人は?」と聞きたいのだろうが、息を荒げて言葉を紡げないらしい。
「わふっ!」
しばらく二木君に捕まって大人しくしていた犬モドキが、場の空気が緩んだ隙を逃さず、するりとその手から抜け浮かび上がった。
「あ」と私が声を漏らす間もなく、やつは腕を万歳の姿で上げ、「わふっわふっ」と鳴いた。すると急に、私たち三人の体が青い光に包まれる。
「な、なに!? また浮遊魔法!?」
「いえ、これは違うです! これは――――」
シュンッと軽い音を立て、一瞬だけ体から重力がなくなった。次いで視界がぐにゃりと歪み、軽い眩暈が私を襲う。
「うっ」
思わず閉じた瞼を開けば、いつの間にか景色が一変していた。
いくつも等間隔で並んでいる実験用の長机に、よくわからない薬品の並んだ棚。私はここを不本意ながらよく知っている。ここは…………化学室だ。
「どういうことだ? あの犬が何かしやがったのか」
「はいです。あれはたぶん、『転移魔法』なのです。分かりやすく言えばテレポートですね。難易度はAランクの魔法で、極めて高い魔力が必要なはずです。しかも訓練棟から、この特別棟の化学室まで……並大抵の魔法じゃありません」
一緒に転移した二木君と心実が、冷静に状況を分析している。張本人(犬)である犬モドキは、少し離れた場所でまだ浮遊を続けてこちらを眺めていた。
しかし、化学室といえばやつの根城のはずだが、草下先生の姿は見えない。何処かに出かけているのか、チラッとドアを見れば、外側から鍵をかけてあるようだった。
高度な二人の会話に入れず(二木君は不良なのに成績はわりと良いのだ。神様は不平等だった)、私は私なりに周囲を観察した。そして、ふと気づく。
――――――いつもは厳重に閉じられている化学準備室の扉が、僅かに開いていることを。
「わふっ、わふっ!」
側まで飛んできた犬モドキが、私の背を体当たりでぐいぐいと押してきた。押される先は……あの禁断の部屋だ。
ごくり、と私は息を呑んで、その扉の取っ手に手をかけた。
この犬は、理由は不明だが、私にこの部屋の中身を見せたいようだ。私だって、気にならないといえば嘘になる。
あの鬼畜教師が、必死になって守り通そうとする部屋の中には、一体何があるのか。
これは一種の勘だが、なぜか私には、この部屋にあるかもしれない何かは、自分とも関係があるのではないかとも感じていた。
例えばなぜ彼は、私だけをあそこまで嫌うのか、など。その理由のヒントが、この扉の向こうにある気がしたのだ。
握ったドアノブに汗が滲んで、私の心拍数は最高潮に達していた。
そして、思い切ってドアを開けようとしたところで、その声は鋭く室内を切りつけた。
「お前たち、そこで何をしている!?」
ここまで読んで頂きありがとうございます。
二木君についての話(手紙を受け取ったときのことなど)は、後に閑話としてアップする予定です。彼の心情の変化などは、そちらの方で補足を入れたいと思うので、そちらもまたよろしくお願いします。