11 夏休み消滅フラグですか
この学校で初の女の子友達が出来た、記念すべき日から一週間。カレンダーは六月から七月へと変わり、僅かに夏の足音が近づいてきた今日この頃。
私の生活にも、少しだけ変化がありました。
「あ、おはよう、野花さん」
「お、おはよう、山鳥君!」
「野花さんおはよー」
「おはよう、海鳴さん!」
「寝癖ついてるよ、野花さん」
「わっ、ありがとう、森戸さん!」
教室に入れば数人から声をかけられ、私はそれに一つずつ返事をしてから、ゆったりと自分の席に向かう。バッグを置いて椅子に座れば、後ろの席の林君からも挨拶されたので、私はそれに晴れやかな笑顔で「おはよう」と返した。
以前までだったら、誰とも喋らず終わっていった教室の朝。
だがあの木葉さん救出の一件以来、山鳥君が私に話しかけてくる頻度が増え、それをきっかけに一部のクラスメイトたちとも、徐々に会話する機会が増えた。今では少しでもクラスに受け入れられたようで、健全な学生らしく、挨拶から一日を始められるようになったのだ。
ずっと一人で食べていたお昼も、今は心実と二人でガールズトークに花を咲かせ、楽しいランチタイムを送れている。団子三姉妹もちょっかいをかけ辛くなったのか、遠巻きに睨んでくるだけだし、今の私はかなりストレスフリーな状態だ。
楽しみで仕方ない夏休みも近いし、天気は快晴続きだし、最近は早寝早起きのせいか体調も良好だしで、私のテンションは常時うなぎ昇りだった。
さて、今日はどんな素敵な一日になるのか――――そんな浮かれ気分のまま、私が授業の教科書を用意していると、後ろから林君がちょんちょんと肩を叩いてきた。
どうしたの、と振り向けば、彼はなんでもないような顔で、私の気分を常夏から真冬に変えるようなことを言ってきた。
「そういえば草下先生が、野花さんが来たら、すぐに職員室の私のところに来るようにって言ってたぜ」
…………本当に、心底素敵な一日が始まりそうである。
♣♣♣
「遅かったな、野花。私は登校してきたらすぐにと、伝言を頼んだはずだが。伝わっていないのか? 教師が待っているんだ、もっと早く来れるよう善処しなさい」
これでも走ってきたんですけどね。
草下先生は相も変わらず、椅子の背もたれに身を預け、冷ややかな視線を私に送ってくる。理不尽すぎる嫌味もご健在だ。
あの一矢報いた件から、私への無茶ぶりや不等な呼び出しは多少減ったものの、この態度には特に変化は見られない。強いて言えば、新しく私に対して『警戒心』のようなものを抱いたようで、化学室に呼びつけられることはなくなった。まぁ、その代りこうして職員室の方には呼び出されるので、何も改善されてはいないが。
そこまで隠したがる化学準備室の中には、一体何があるというのか。
もともとは興味など毛ほどもなかったが、さすがに少し気になってきた。また訳の分からないことを言い出したら、今度こそ無理にでも押し入ってやろうか等と思いながら、私は彼と相対する。
「お待たせしたことはすいません。……それで、ご用件はなんでしょうか」
「ふん。まぁいいだろう。単刀直入言うと、野花三葉――――――――君の夏休みは、このままだと無くなるぞ」
「へっ!?」
思わず飛び出た声が、職員室内に響き渡った。仕事をしていた数人の教師が、何事かと私の方に視線を寄越してきたが、そちらを気にかけている余裕は私にはない。
夏休みが、なくなる?
「ど、どういう意味なんでしょう、それは」
「君は自分の成績の酷さを理解しているのか? 特に魔法の実技に関しては、目も当てられない評価ばかりだ。前回の魔法模擬試合も評点は最下位だったし、普通の授業もギリギリ平均かそれ以下のレベルだろう。このままだと、夏休みの長期補習に加え、魔法勉強合宿への強制参加が決まるぞ」
「きょ、強制参加……」
私は突きつけられた現実に眩暈を感じた。
言い方はカンに触るが、今回ばかりは草下先生の言うことは意地悪でもなんでもなく、私自身が原因の問題だった。
私の魔法分野での成績が最底辺なことは周知の事実だし、普通の勉強の方も、成績が芳しくないのは本当だ。一応、魔法学校といえどちゃんとした高校である以上、普通の高校でやるような現代文や数学といった授業もある。私は元来要領が悪く、中学の時から、頑張って勉強して平均をとるのが精一杯だった。この学校に入ってからは、魔法分野についていくのが必死で、普通授業の方は疎かにしていた節は否めない。
それでも何とか赤点はとらずにきたつもりだったが、壊滅的な魔法実技の成績と合わさると、全体的にみれば確かに赤点だ。レッドポイントだ。
補習はもともと覚悟していたとはいえ、せいぜい一週間くらいだと思っていた。けれど、先生の口ぶりだと、普通と魔法の両方で二週間くらいは設けられそうな雰囲気だ。
おまけに魔法勉強合宿への強制参加。これは本来、希望者だけが参加する、魔法成績上位のやつらが行く用の魔法強化プログラムだ。プリントは軽く目を通しただけだが、これも一週間はあった気がする。
この学校の夏休みは、八月一日から九月一日のジャスト一ヶ月。
そのどちらにも参加することになれば…………私の夏休みはほぼ消滅する。
冷房の効いている快適な職員室内で、私の背中には汗が伝っていた。
なんてことはない、冷や汗である。
「二週間後にある学期末テストと、夏休み直前に行われる、君には二度目の魔法模擬試合。このどちらも好成績を出さない限り、君の夏休みはないと思いなさい」
…………私は先生のその言葉に、ろくな返事も返せず、フラフラと職員室を後にした。
背後に漆黒の影を背負いながら、教室に帰るためにとぼとぼ廊下を歩く。
すれ違った女子生徒たちが、夏服に変えた制服姿で、眩しい笑顔で夏休みの予定を話しているのが耳に入ってきた。
彼氏と海に行くそうだ。なんというリア充イベント。でも私だって、実家に帰省して、愛する弟と妹と近所の市民プールで遊ぶ予定があるのだ。
それだけじゃない。親友のかえちゃんと、地元の花火大会に行く予定だってある。久しぶりに他の友人たちと会う約束も取り付けているし、心実の別荘(わかりやすく彼女はお金持ちのお嬢様であった)にお邪魔する日程も組んでいるのだ。
―――――――何より、私にとっては、人生最後の夏休み。
この学校から解放され、自由に遊び倒したいと思うのは自然なことだ。これだけは、神様にだって奪われてなるものか。
「……よし」
私は廊下の真ん中で、小さく拳を握った。
やってやろうじゃないか。学期末テストも魔法模擬試合も、どちらもかつてない好成績を修めて、私は自由な夏休みを勝ち取ってやる。ついでに、草下先生の度肝も抜いて、今度こそ私への態度を改めさせてやろう。
そうと決まれば、今からやることは山ほどある。
私は新たな決意を胸に、窓から差し込む夏色に染まりだした日差しの中、早歩きで足を動かした。
……ひとまず、ホームルームには遅れないようにすることから。