9 ボロボロになったけど
涙なのか汗なのか、もうわからない液体を拭いながら疾走し続け、結局、私は校舎の入り口にたどり着く前にエネルギー切れとなった。
木陰でぐったりして数分後。
息を切らしてやってきた木葉さんは、私が大怪我でもして動けないのかと思ったらしく、ボロボロと涙を溢しながら、自らの手で治癒魔法をかけまくってくれた。
なんでも木葉さんは、朝から訓練棟の一室を貸し切り、魔法の自習練習と愛読書に更けるのが日課らしい。すでに一週間分の魔法使用許可は取っていて、あとは訓練棟に設置されている魔法道具(見た目はバーコードリーダーっぽい)に、自身の生徒証明書を通せば、一時間だけ許可が下りるようになっていたそうだ。
―――――つまり彼女は私を助けるため、急いで訓練棟まで行き、魔法を使える状態で戻ってきてくれたということだ。
もし彼女の戻りがもう少し早ければ、あの不良Aはおそらく、再び木葉さんに吹っ飛ばされることとなっていただろう。それを思えば、まだ二木君にやられておいて良かったのかもしれない。メンタル的に。
「ごめんなさいです、ありがとうです」とひたすら繰り返しつつも、彼女のかけた治癒魔法は素晴らしく、膝や足首の痛みはみるみる内に引いていった。治癒魔法なんて上級の、おまけにセンスが必要な難易度Sの魔法をここまで使いこなすのは、さすがとしか言いようがない。
彼女の治療が終わるころには、何処からか聞きつけたのか先生が二人きて、私は念のために保健室に行くことになった。怪我が癒えても疲労は消えないので、ここは甘えてベッドを遠慮なく占領させていただいた。まさか短期間で、二回も保健室の白い天井を拝むことになるとは。
制服も顔も土まみれのままで寝転がったので、保健の土田先生には大そう嫌な顔をされたが、私は死んだように爆睡し続けた。
…………そんなこんなで、起きたらまさかの昼休み。
午前中の授業を丸々サボってしまった。
寮監室に置いてあったバッグは、事情を知った梅太郎さんが、保健室に寝てる間に届けてくれたので、私は完全に登校スタイルで教室に復帰した。
遅れて登場したからって、心配して声をかけてくれる友人は此処にはいないので、私はさっさと席につく。
「あ、野花さんだぁ」
……声をかけてくるのは、せいぜい団子三姉妹くらいなものである。もちろん、マイナスな方で。
「どうしたの? こんな遅くに登校してきて。まぁ、寝坊か何かだろうけど」
「ずっと寝てたなら元気だよね? 実は私達は今日、日直なんだけど」
「野花さんみたいに暇じゃないから。日直変わってくれないかな?」
練習したのか?というくらいの見事な連携プレーで、いつものように仕事を押し付けてくる。私が断るはずがないという自信が透けて見え、溜息をつきたくなった。
確かに普段なら、不興を恐れて曖昧な笑みで承諾していたことだろう。
だがついさっきまで、凶悪な不良共(二木君含む)に立ち向かっていた私としては、もう彼女たちにビビる必要性はない気がしていた。
みたらし団子だか花見団子だか知らないが、今日こそはハッキリ断ってやろうと、私が口を開きかけた時だ。
「――――違うよな、野花さん」
「え?」
やけに爽やかな声が、私たちの間に割って入ってきた。俯いていた顔を上げれば、いつの間にか私の席の側には、このクラスの委員長である山鳥君が、ニカッと笑って立っていた。
「野花さんは保健室に行ってたんだよ。朝から具合が悪くて、休養してたんだよな」
「う、うん」
「だから、寝坊じゃないし、むしろ彼女は病人なんだよな」
なっ、と同意を求めてくる彼に、私は頷くしかできない。
清潔感のある栗色の短髪に、優しげな翠の双眸。決して華やかな顔立ちではないが、人好きのする笑顔と面倒見の良い性格で、山鳥君はクラスの人気者だ。
私も彼には、クラス内で何度か助け船を出してもらったことがある。だが、さすがに今のように、団子三姉妹との間に首を突っ込んできたことはなかった。
それに、病人うんぬんは置いといて、何で私が保健室に居たことを知ってるのだろう。
「病人に仕事を頼むってのは、ちょっとどうかな。それに日直は、どんなに忙しくても、自分でした方が良いと思うよ」
諭すように、周囲からの支持も熱い山鳥君に言われて、団子三姉妹もさすがに退かざるおえなくなったようだ。
「そ、それならね」「し、仕方ないよね」「う、うん。いこっ!」と、あわただしく撤退していった。去り際に私を睨むのを忘れないところは、いじめっ子の鏡である。
「ハハッ、彼女たちにも困ったものだよね。なっ、野花さん」
「あ、うん。てか、なんで山鳥君が……」
「ああ、俺、野花さんが木葉さんを助けるとこ、たまたま見ちゃったから」
え……と、私は意外な言葉に驚く。
「部活の朝練を訓練棟でしていてね。メンバー数人と歩いてるとき、訓練棟の二階の窓から、木葉さんが絡まれているのを目撃したんだ。先生を呼びに行こうかって話してる間に、君が助けに入ってきて。その後、急いで先生を二人ほど捕まえて事情を伝えたんだけど……」
なるほど、だから先生が来てくれたのかと、私は納得がいった。
山鳥君が所属しているのは、確か『魔法スポーツ研究部』だ。魔法とスポーツを融合させて、新しい競技を見出だそうという、活気的な部である。私も中学までは運動部だったし、入学当時は気になっていたので覚えている。まぁ、あの眼鏡教師に「お前の成績で部活なんてやれるのか?」と言われ、入部は断念したが。
大きな部なので、このクラスにも何人か部員がいる。先ほどから視線をいくつか感じるのは、恐らく山鳥君と一緒に、私と木葉さんの様子を見ていた人たちだろう。
「でも、正直言うと意外だったな」
「……何が?」
「野花さんが、あんな勇気のある人だったなんて。凄くカッコよかったよ。……見ていたのに、俺は何も出来なくてごめんな」
申し訳なさそうに、山鳥君は眉を下げて謝ってきた。なんだか言外に、今までの他のことに対する謝罪も含まれているような気がして、私は勢いよく首を横に振る。
クラスメイトの輪から外されたことなど、辛くないといえば嘘になるが、それは誰が悪いというわけではないということくらい、私だってわかっている。
……いつか見返してやりたいと思っていたのは、本音だけど。
でも私のことで彼が謝る必要なんて、きっとないはずだ。
「あの、野花さん、これ……」
ずっと私たちに視線をやっていた一人、赤い眼鏡がチャームポイントの森戸さんが、そっと近づいて何かを差し出してきた。
手に乗る軽い感触。
「――絆創膏?」
「右のほっぺ、怪我してるから……」
指を差された箇所に触れてみれば、ピリッと痛みが走った。髪に隠れるところだったので、木葉さんも見逃したのかもしれない。
私は「ありがとう」とお礼を言って受け取る。森戸さんはそっと私の耳に顔を寄せ、囁くように告げた。
「あの、私も何も出来なくてごめんなさい。……それに、今までのことも。私、その、野花さんのこと、魔法が全然できないからって、無意識に見下してた。落ちこぼれだし、いつも水村さんたちの言いなりで、弱い人なんだって。でも、違ったんだよね。本当の野花さんはもっと―――強くて、凄い人だったんだね」
ぺこりと最後に頭を下げて、森戸さんや山鳥君は自分の席へと戻っていった。他の同部活のメンバーらしき人たちも、私に向かって少しだけ気まずそうに、でもしっかりと私を見て、同じように一礼して戻っていく。
私は、胸の奥をじわじわと侵食する暖かなモノを持て余して、赤くなった頬を隠すように手元へと視線を落とした。
――――手の平にちょこんとある絆創膏には、白猫のキャラクターの絵が印刷されていて。何処かでシラタマが、「良かったね、三葉」と、尻尾を揺らして笑った気がした。
♣♣♣
勢いよくベッドに転がれば、体が布団へ沈んでいく。
実家ほどではないが、寮の自室はやはり落ち着く場所だ。この高校に入って珍しく幸運なことに、私は一人部屋なので、誰かに気を使う必要もない。普通なら同室者が居るはずだが、急な入学だったために、空いている一人部屋に入れられたのだ。
なので私は、半袖のシャツにハーフパンツという気の抜けた格好で、ごろごろと自由な時間を満喫していた。時刻は夕方の六時を回ったところ。この寮部屋は実家の私の部屋より広く、シャワー室やキッチンも完備しているので、もう外に出る必要もない。
――今日あったことを思い返しながら、私は天井を仰いだ。
本当に、波瀾万丈でボロボロな一日だったと思う。しかしよく考えれば、私の人生なんてわりとボロ雑巾みたいなものだったし、最大の荒波はすでに一回死んだときに来ているので、このくらいのハプニングなんて大したことないのかもしれない。
……それに、悪いことばかりでもなかったし。
すっと、頬っぺたに張られた絆創膏を指先でなぞりながら、そんなことを考えていたら、不意にチャイムの音が私を呼んだ。
「……誰だろ」
部屋を訪ねてくる人なんか、悲しいことに心辺りが居なさすぎて、私は訝しく思いながらも体を起こした。そして重い体を引きずって、扉へと向かう。
「こんばんは、です」
ゆっくりとドアを開ければ、やけにフリルがいっぱいの可愛らしい私服を来た、木葉さんがそこに居た。