第2話「インフル完治で復活! マブダチ寧々がお見舞いに来たんだけど……はぁ!? 犬千代、あんた寧々のこと見すぎじゃね!?」
弘治三年(西暦1557年)一月十二日〈旧暦〉 冬
尾張国愛知郡荒子村(現在の愛知県名古屋市中川区付近)
「ふっかぁぁぁぁつ!!」
朝っぱらから、あたしの元気な声が屋敷中に響き渡った。
前原まつり、二十五歳!
元美容師、副店長!
そして現在――。
戦国時代の前田まつ、数え十一歳でございます!
……いや、意味わかんないんですけど!?
黒猫を助けようとしてバスにはねられ、気がつけば西暦一五五七年。
しかも、転生先の前田まつは、インフルエンザらしき病気で三日も高熱を出して寝込んでいた。
あたしが目覚めたときには、熱も下がり始めていたけれど、身体はまだフラフラ。
それから数日。
ようやく元気になったのだ!
「まつ! 何を騒いどる!」
母上が飛んできた。
「お母さん! 完全復活だし!」
「かんぜん……何じゃ?」
「もう元気ってこと!」
「そうかそうか。ほんに、よう助かったのう……」
母上は目に涙を浮かべた。
……あ。
ちょっと待って。
そんな顔されたら、あたしまで泣きそうじゃん。
「……心配かけてごめんね」
「何を申す。おぬしが元気になってくれれば、それでええ」
母上は、あたしの頭を優しく撫でてくれた。
その手が、すごく温かかった。
前世の母親の顔が浮かぶ。
……お母さん。
あたし、死んじゃったんだよね。
もう会えないんだよね。
胸が、きゅっと痛んだ。
だけど。
今のあたしにも、こうして心配してくれる家族がいる。
だったら。
ちゃんと生きなきゃ。
二度目の人生、無駄にしたくない。
「よーし! 今日から頑張るし!」
「じゃが、まだ無理はするでないぞ」
「はーい!」
「返事だけは立派じゃのう」
「えへへ!」
……あれ?
今、ちょっと呆れられた?
まあ、いっか!
◆◇◆◇◆
「……でさ」
あたしは、桶に張った水を見つめていた。
「……これで顔洗うの?」
「そうじゃが?」
母上が不思議そうに首を傾げる。
「……冷たくない?」
「冬じゃからのう」
「いやいやいや! 冬だからこそ、お湯でしょ!?」
「湯を沸かすには薪が要るじゃろ」
「……ですよねぇ」
戦国時代。
それは、現代人にとって想像以上に厳しい世界だった。
蛇口をひねってもお湯は出ない。
そもそも蛇口がない。
シャワーもない。
ドライヤーもない。
シャンプーもトリートメントもない。
美容師として、これは死活問題である!
「……あたしのサラサラヘアがぁぁぁ!」
「まつ?」
「お母さん! 櫛ある!?」
「櫛ならあるが……」
差し出されたのは、木製の櫛。
おおっ!
意外とちゃんとしてる!
「これ、いいじゃん!」
「何がじゃ?」
「歯の間隔も悪くないし、髪を整えるには十分!」
「……まつ、おぬし、いつから櫛に詳しくなった?」
「えっ!?」
やばっ!
美容師の職業病が出た!
「え、えっと……夢で習った!」
「夢?」
「そう! 夢に髪結いの仙人が出てきて!」
「髪結いの仙人!?」
「うん! めっちゃすごい人!」
母上は、しばらく黙っていた。
そして。
「……まだ熱があるのではないか?」
「ないし!!」
信用ゼロだった。
◆◇◆◇◆
昼前。
「まつちゃーん!」
屋敷の外から、可愛らしい声が聞こえた。
「ん?」
母上が顔を上げる。
「おお、寧々殿が来てくださったようじゃ」
「……寧々?」
その名前を聞いた瞬間。
あたしの頭の中で、何かが引っかかった。
(……寧々?)
(ねね……?)
(まさか……)
「まつちゃーん! お加減はいかが?」
障子の向こうから、一人の少女が顔を覗かせた。
「……え?」
あたしは、思わず固まった。
そこにいたのは――。
めっちゃ可愛い女の子だった。
艶やかな黒髪。
ぱっちりした瞳。
小さな鼻。
ほんのり桜色の頬。
そして、上品な笑顔。
「まつちゃん!」
「……」
「まつちゃん?」
「……」
「どうしたの?」
「……か」
「か?」
「可愛すぎるんですけどぉぉぉ!!」
「きゃっ!?」
あたしは思わず飛びついた。
「ちょっと待って! なにこの美少女!? お人形さん!? マジ天使じゃん!!」
「ま、まつちゃん!?」
「髪もツヤツヤ! 肌もきれい! 目も大きい! 最高じゃん!」
「まつちゃん、くすぐったいよぉ!」
「ごめん! 職業病!」
「しょくぎょうびょう?」
「あっ! なんでもない!」
危ない危ない。
また現代語が出ちゃった。
母上は、呆れたように笑った。
「まったく。寧々殿が来てくださって、よほど嬉しいのじゃな」
「そりゃ嬉しいし!」
……いや、待って。
寧々。
ねね。
豊臣秀吉の正室。
北政所。
高台院。
(……え?)
(この子が……)
(あの寧々!?)
あたしは少女を見つめた。
寧々は、にっこり笑った。
「まつちゃん、元気になってよかった!」
……うわ。
笑顔まで可愛い。
これは反則。
「……寧々」
「なあに?」
「あんた、マジで可愛いね」
「ええっ!? どうしたの、急に!」
寧々の頬が真っ赤になった。
(……なるほど)
(そりゃ秀吉も惚れるわ)
……って!
あれ?
そういえば。
史実では、この寧々が豊臣秀吉の奥さんになるんだよね?
で、あたしは前田利家の奥さん。
つまり。
あたしたち、将来は夫同士も仲良しの、戦国奥様コンビになるわけじゃん!
「寧々!」
「な、なあに?」
「あたしたち、ずっとマブダチでいようね!」
「まぶだち?」
「親友ってこと!」
寧々は嬉しそうに笑った。
「うん! もちろんだがね!」
「約束だよ!」
「うん!」
あたしたちは、小指を絡めた。
……このときのあたしは、本気でそう思っていた。
寧々とは、一生の親友になれる。
絶対に。
そう信じていた。
◆◇◆◇◆
「それでね、まつちゃん!」
寧々は、小さな包みを差し出した。
「これ、お見舞いなの」
「えっ!? なになに!?」
「干し柿だよ」
「干し柿!?」
包みを開くと、きれいに干された柿が入っていた。
「うわぁ! ありがと!」
「甘いものを食べれば、元気が出ると思って」
……優しい。
この子、めっちゃ優しいじゃん。
「寧々、好き!」
「ええっ!?」
「大好き!」
「もう、まつちゃんったら!」
二人で笑い合った。
現代なら、コンビニでスイーツを買えば済む。
でも、戦国時代では砂糖は貴重品。
干し柿は、身近な甘味として大切にされていた。
「いただきまーす!」
ぱくっ。
「……んんっ!」
甘い!
めっちゃ甘い!
「おいしぃぃぃ!」
「よかった!」
「これ、名古屋の高級スイーツじゃん!」
「なごや?」
「あっ……尾張の!」
そうだった。
まだ名古屋城もない。
徳川家康が名古屋城を築くのは、ずっと先。
今の尾張で有名なのは、清洲や熱田、津島などの町だ。
(……名古屋めしもないのか)
(味噌カツ……)
(手羽先……)
(ひつまぶし……)
(小倉トースト……)
(あああ! 食べたい!!)
「まつちゃん?」
「……寧々」
「なあに?」
「いつか、めっちゃおいしいもの作ってあげる!」
「ほんと?」
「うん! あたし、料理もそこそこできるし!」
「楽しみ!」
よーし!
戦国時代でも、おいしいもの食べてやる!
◆◇◆◇◆
そのときだった。
「まつー!」
聞き覚えのある声。
「おおい! まつはおるか!」
障子が勢いよく開いた。
「犬千代!?」
現れたのは、前田犬千代。
後の前田利家。
あたしの幼なじみで、将来の旦那候補である。
……ちなみに。
こいつ、めちゃくちゃ派手だった。
色鮮やかな小袖。
妙に目立つ帯。
腰には刀。
髪も、なんだか気合いの入った結い方。
「……ちょっと」
「何じゃ?」
「あんた、その格好どうしたの!?」
「どうじゃ! 似合うじゃろ!」
犬千代は得意げに胸を張った。
「いや、派手すぎじゃね!?」
「何を言う! これが傾奇者の粋じゃ!」
そう。
前田利家は、若い頃、派手な服装や振る舞いで知られた傾奇者だった。
傾奇者とは、普通とは違う派手な格好や、型破りな行動を好む者のこと。
現代風に言えば――。
(……戦国ヤンキーじゃん)
しかも。
(……ちょっと待って)
(あたし、ギャル)
(犬千代、ヤンキー)
(……相性よくね!?)
思わず笑ってしまった。
「ぷっ!」
「何がおかしい!」
「いや、あんた、マジで傾いてるじゃん!」
「おう! わしは尾張一の傾奇者になるんじゃ!」
「じゃあ、あたしは尾張一のギャルになるし!」
「ぎゃる?」
「派手で可愛い女の子!」
「……よう分からんが、おみゃあらしいのう」
「でしょ!」
二人で笑った。
……ところが。
犬千代の視線が、ふと横へ動いた。
「……ん?」
あたしは、その視線を追った。
そこには。
寧々がいた。
「……あ」
犬千代が、小さく声を漏らした。
寧々も、少し驚いたように目を丸くする。
「犬千代様……?」
「……お、おう」
……ん?
あれ?
なんか変じゃね?
犬千代が、寧々をじーっと見ている。
本当に、じーっと。
(……ちょっと)
(何見てんの?)
寧々は恥ずかしそうに微笑んだ。
「お久しゅうございます」
「……お、おう」
(……おう?)
(いつもの威勢はどこ行った!?)
犬千代は、なぜか頬を赤くしていた。
「……寧々殿、今日は何用で?」
「まつちゃんのお見舞いに参りました」
「そ、そうか」
「はい」
「……」
「……」
沈黙。
……いやいやいや!
何この空気!?
さっきまで、あたしとギャーギャー騒いでたじゃん!
「……犬千代?」
「……」
「犬千代!」
「……」
「犬千代ぉぉぉ!!」
「うおっ!?」
犬千代が飛び上がった。
「何じゃ! 急に大声を出すな!」
「いや、あんたが返事しないからでしょ!」
「聞こえとったわ!」
「じゃあ返事しなさいよ!」
「おみゃあは、ほんに騒がしい娘じゃのう!」
「はぁ!? あんたに言われたくないし!」
寧々が、くすくす笑った。
「ふふっ。お二人は、本当に仲がよろしいのですね」
「そうじゃろ!」
犬千代が胸を張る。
「あたしら幼なじみだし!」
そう言いながら、あたしは犬千代の腕を軽く叩いた。
「ねっ!」
「お、おう!」
……ん?
犬千代、また寧々を見た?
しかも、さっきより長く。
(……何?)
(この感じ……)
胸の奥に、小さな棘が刺さったような気がした。
でも。
すぐに首を振った。
(いやいや!)
(考えすぎっしょ!)
だって。
寧々は、あたしのマブダチ。
犬千代は、あたしの将来の旦那になるはずの男。
史実では、そうなってるんだから!
……そう。
史実では。
◆◇◆◇◆
しばらくして、寧々が帰ることになった。
「まつちゃん、また来るね!」
「うん! 絶対だよ!」
「無理しちゃ駄目だがね」
「分かってるって!」
寧々は、にっこり笑った。
「犬千代様も、ごきげんよう」
「お、おう! 気をつけて帰られよ!」
……ん?
また声が優しくなった?
寧々が帰ると、犬千代はしばらく門の方を見つめていた。
「……」
「……犬千代?」
「……」
「……おーい」
「……」
「犬千代!!」
「うわっ!? 何じゃ!」
あたしは腕を組んだ。
「ねえ」
「何じゃ?」
「寧々のこと、めっちゃ見てたよね?」
「……は?」
「いや、見てたじゃん!」
「見とらん!」
「見てたし!」
「見とらんわ!」
「じゃあ、なんで顔赤いの?」
「寒いからじゃ!」
「はぁ!? さっきまで平気だったじゃん!」
「う、うるさい!」
犬千代は顔を背けた。
……怪しい。
めちゃくちゃ怪しい。
あたしは、じーっと睨んだ。
「……犬千代」
「何じゃ」
「寧々、可愛いと思った?」
「……」
「……」
「……まあ」
「……まあ?」
「……別嬪じゃのう」
……は?
今。
何て?
別嬪?
寧々が?
……いや。
確かに可愛いよ?
めっちゃ可愛い。
あたしだって、さっきから可愛いって言いまくってたし。
でもさ。
なんで、あんたがそんな顔して言うわけ!?
「……ふーん」
「何じゃ、その顔は」
「別にぃ?」
「何じゃ、気持ち悪いのう」
「はぁ!? 気持ち悪いって何!?」
「いつものおみゃあと違うでな!」
「うっさい!」
犬千代は、わけが分からないという顔をしていた。
……男って、ほんと鈍感。
あたしは、ぷいっと顔を背けた。
(……まあ、いっか)
(寧々は可愛いし)
(犬千代が見とれるのも、仕方ないっしょ)
そう自分に言い聞かせた。
でも。
胸の奥の小さな棘は、消えなかった。
◆◇◆◇◆
その夜。
布団に入りながら、あたしは考えていた。
(……寧々、可愛かったなぁ)
(あの黒髪、ちゃんと手入れしたら、もっとツヤツヤになるのに)
(髪飾りも似合いそうだし)
(今度、可愛い髪型にしてあげよっかな)
美容師としての血が騒ぐ。
寧々は、素材がいい。
本当にいい。
あの子を可愛くするの、絶対楽しい!
(……でも)
ふと、犬千代の顔が浮かんだ。
寧々を見つめていた目。
赤くなった頬。
「……別嬪じゃのう」
……。
「……何なの、あいつ」
あたしは布団を頭までかぶった。
「……別に、いいけど」
……よくない。
なんか、モヤモヤする。
だって。
犬千代は、あたしの幼なじみ。
将来の旦那になるはずの男。
寧々は、あたしのマブダチ。
二人とも、大切な人。
だから。
(……変なこと、起きないよね?)
あたしは、そう願った。
けれど。
戦国時代の歴史は、すでに少しずつ変わり始めていた。
本来なら、前田利家とまつ。
そして、木下藤吉郎と寧々。
この二組が夫婦となるはずだった。
しかし。
この世界では――。
一人の傾奇者が、親友の少女に心を奪われ始めていた。
そして、まだ出会っていない一人の青年もまた、同じ少女に恋心を抱いていた。
その青年の名は、木下藤吉郎。
後の豊臣秀吉。
(……まあ、明日は寧々の髪、可愛くしてあげよ!)
そんな未来など知るはずもないあたしは、呑気に笑った。
「……おやすみ、寧々」
親友の幸せを、心から願いながら。




