第31話 近づく終末
夜明け前の空は、灰色だった。
首都の外れの広場に、白い塔がそびえていた。高層の建物よりも、さらに高い。先端は、低い雲の中に溶けていた。
塔の足元を、黒い服の人々が埋め尽くしていた。何万人どころではなかった。白い円の旗が、地平線まで波打っている。塔の前の舞台には、クレイの言ったとおり、映像を撮る機械が並んでいた。街じゅうの壁の画面に、この光景が映し出されているのだろう。
「嫌になったら、リセットすりゃいい!」
声が、地鳴りのように響いていた。
クゥーが、塔の裏手の小さな門の前で足を止めた。門番が二人、槍を持って立っていた。クゥーは、巫女の衣の裾をさばいて、胸を張った。前髪は、いつのまにか、白いヴェールの下に隠れていた。
「……通して。式典の前に、核の前で祈るようにと、巫女さまのお言いつけです」
よく通る、澄んだ声だった。前髪の奥でくぐもっていた、あの声とは思えなかった。
門番たちは、顔を見合わせて、深く頭を下げた。
塔の中は、螺旋階段だった。下へ、下へ。壁を這う管の中で、白い光が脈打っていた。降りるにつれて、空気がびりびりと震えはじめた。耳の奥で、低いうなりが響いている。
最後の扉を開けると、そこにあった。
核だった。
一戸建てどころではない。緑の世界の校舎が、まるごと入ってしまいそうな、白い球体。表面を、光の筋が血管のように走っている。脈打つたびに、地下の空間ぜんたいが、うっすらと白くなった。白くなった壁の一部が、元の色に戻らなかった。
白紙だ。装置は、起動する前から、周りを少しずつ白紙に戻しはじめていた。
「……本物だ。模型より、ずっと」
フルーリアが、かすれた声で言った。
クレイは、もう自由帳を開いていた。鉛筆が、迷いなく走っていく。核の形。管のつながり方。光の流れ。消しゴムは、一度も使わなかった。
「……お待ちしておりました、神々」
頭の上から、声が降ってきた。
核を見下ろす高い渡り廊下に、少女が一人、立っていた。
白い衣に、銀の髪飾り。八千年前に神殿の前で会った巫女と、よく似た姿だった。ただ、その胸には、白い円の印が刺繍されていた。
「再誕派の巫女、アーシェと申します」
アーシェは、渡り廊下の手すりに両手を添えて、俺たちを見下ろしていた。
年は、クゥーとそう変わらないように見えた。八千年前のアーシェより、少しだけ幼い。それでも、背筋の伸ばし方は、あの夜の巫女とそっくりだった。書物を抱えるかわりに、胸の白い円に、そっと片手を当てている。
その横に、映像を撮る機械が一台、据えつけられていた。レンズの上で、小さな赤い灯がともっている。
「この部屋のありさまは、いま、世界じゅうの画面に映っております」
アーシェは、静かに言った。
「再誕の瞬間を、すべての人が見届けられるように。……わたくしが、そう望みました」
フルーリアが、小さく舌打ちをした。
アーシェの目が、クゥーの上で止まった。
「……やはり、あなたさまでしたか」
クゥーの肩が、ぴくりと跳ねた。
「二十日のあいだ、わたくしの隣で祈っていた、見習いの巫女。……あなたさまは、祈りの言葉を、一度も間違えませんでした。それどころか、わたくしたちの誰よりも古い発音で、祈っておられた。『七柱記』の、最初の日の言葉で」
アーシェは、ほんの少しだけ微笑んだ。
「神殿の古い書物にしか残っていない発音です。あたりまえのように口にできる者は、この世に一人もおりません。……神々を、のぞいては」
クゥーは、白いヴェールを、ゆっくりと外した。前髪が、はらりと額に落ちた。
「……ごめんね、アーシェちゃん。だましてて」
「いいえ」
アーシェは、首を横に振った。
「うれしかったのです。夜ごと、隣で一緒に祈ってくださる方がいて。……わたくしは、ずっと、神々にお会いしたかった。それが、叶いました」
核が、脈打った。
地下の空間が、白く明滅した。壁の一部が、また一つ、白いまま戻らなくなった。
「わたくしたちは、そう教わってまいりました。神々は、世界のはじまりにしかおいでにならない、と。最初の日と、四千年目の夜。……けれど、違ったのですね」
アーシェの声が、かすかに震えた。怖くて震えているのではなかった。うれしくて震えているのだと、分かった。
「神々は、世界の終わりにも、おいでくださる。再誕の朝に、こうして立ち会ってくださる。……八千年、待った甲斐がございました」
「違うの」
クゥーが、一歩前に出た。
「あたしたち、止めに来たの。アーシェちゃん、お願い。この機械、止めて」
アーシェは、きょとんとした顔をした。何を言われたのか、本当に分からない、という顔だった。
「止める、のですか?」
それから、アーシェは、俺を見た。
まっすぐに。八千年前、神殿の前で俺を見上げた巫女と、同じ目だった。
「神ソーマ。あなたさまが、おっしゃったのです。嫌になったら、リセットすりゃいい、と」
言い返せなかった。
「わたくしは、この世界が嫌いなのではございません」
アーシェは、手すりから身を乗り出すようにして、言葉を継いだ。
「飢えも、争いも、もうほとんどございません。人は学校へ行き、働き、家へ帰って眠ります。明日も、明後日も、千年先も、きっと同じように。……けれど、この世界がなぜあるのか、もう誰も知りません。神々のお言葉は、子どもの冗談になりました。『ムリゲー』は試験の愚痴に。『仲良くしてね』は、別れ際の挨拶に。神殿の石像は顔がすり減って、どれがどなたの像なのか、もう、わたくしにしか分かりません」
すり減った、真ん中の像の顔を思い出した。コップを持った、誰とも分からない神さまの顔を。
「このまま百年、千年と続いても、何も起こりません。神々はおいでにならず、人は神々を忘れ、石像は、ただの石になる。わたくしは、それを見たくないのです」
アーシェは、胸の白い円を、ぎゅっと握りしめた。
「意味のない平和より、美しい終わりのほうが正しい。……わたくしは、そう信じております」
核が、また脈打った。さっきより、少しだけ間隔が短かった。
美しい終わり。
その言葉に、隣で誰かが息を詰めたのが分かった。
フルーリアだった。
「……分かるよ」
フルーリアが、言った。
アーシェが、フルーリアを見た。フルーリアは、見上げなかった。核を見ていた。脈打つたびに白くなる、巨大な球体を。
「分かるよ、それ。すっげえ分かる。平和ってさ、退屈なんだよな。何も起きないし、誰も、こっち見てないし。このまま置物になって錆びていくくらいならさ、いちばん派手なうちに、いちばんきれいに終わらせたほうがいい。……そうだろ」
「神フルーリア……」
アーシェの目が、輝いた。分かってくださるのですね、と、その目が言っていた。
フルーリアは、ツインテールの先を指に巻きつけた。
「うちは、百回それをやった」
アーシェの顔から、表情が消えた。
「百回。いちばんきれいなうちに、自分で終わらせてきた。最後の敵を倒して、空に上がって、ドカン。みんな空を見上げてさ、泣いてくれんの。毎回、すっげえきれいだったよ」
フルーリアは、ようやく顔を上げた。
「でさ。次の世界に行くと、うち、また同じことしてんだよ。戦争して、勝って、平和になって、怖くなって、ドカン。百回、ずっとそれ。……一回も、その先に行けなかった」
核の光が、フルーリアの横顔を白く照らした。
「次の世界なんて、来たって同じことするだけだよ。あんたらも、そうなる。白紙に戻して、神さまが来て、また四千年たって、八千年たって、神さまに会いたくなって、また装置を作んの。ぐるぐる回ってるだけじゃん。……美しい終わりなんて、そんなもんだよ。終わってねえんだ。一回も」
アーシェの唇が、震えた。
「では……」
声が、かすれていた。
「では、どうすればよいのですか。待っても、神々はおいでにならない。終わらせても、同じことをくり返す。……わたくしたちは、どうすればよかったのですか」
フルーリアは、答えなかった。
かわりに、俺を見た。
フルーリアだけではなかった。クゥーも、クレイも、雪葉も、マックスも。
この世界に、リセットという言葉を置いていったのは、俺だった。その続きを言えるのも、たぶん、俺だけだった。




