序章 もうチャンスはないわよ
「なによ、あんたなんか!」
猫耳族のミーニャンが、金切り声とともに、手近なものを片っぱしから投げつけてきた。
皿。フォーク。鍋。燭台。魔法の杖。氷結薬の小瓶。椅子。机。魔王の角。海賊船のマスト。ドラゴンの等身大の剥製。巨人族の棍棒。
後半は、どう考えても屋内にあっていい大きさではない。
「【グレート・シールド】」
防御魔法の障壁に弾かれた棍棒が、床にめり込んだ。王国から下賜されたこの豪邸の床は、今月だけでこれが四か所目の陥没だ。
「避けないでよ!」
「避けるだろ、普通」
「このっ、このっ、どっか行っちゃえ!」
ミーニャンの猫耳はぺたんと伏せられ、尻尾の毛が逆立っている。本気で怒っているときの顔だった。
理由は分かっている。
魔王を倒して、ちょうど一か月。王都では毎晩のように祝いの祭りが開かれていて、ミーニャンはずっと、夜店を一緒に回りたがっていた。俺はその約束を、三回すっぽかした。
一回目は寝坊した。二回目は、単純に忘れていた。三回目は――
「ソーマ。ねえ、聞いてる?」
今この瞬間も、俺はほかのことを考えていた。
次に転生する世界のことだ。剣と魔法には、もう飽きた。蒸気機関が走るスチームパンクもいい。いっそ宇宙船で銀河を旅するのもいい。どこに行っても、倒すべき敵はいるだろう。敵さえいれば、俺はいくらでも英雄になれる。
「……悪い。考え事してた」
「いつもそう」
投げる物が尽きたのか、ミーニャンは両腕をだらりと下げた。さっきまでの金切り声が嘘のように、小さな声だった。
「魔王がいなくなったら、あたしのことも見えなくなったの?」
答えられなかった。
ミーニャンは、この世界で最初にできた仲間だった。駆け出しのころ、腹を空かせていた俺に、串焼きの魚を半分くれた。それから一緒に旅をして、ウォッタが、ネルが、ヴァネッサが、マーリが加わった。死線を何度もくぐり抜けた。背中を預けあった。
その四人は、この一か月で、ひとりずつ屋敷を出ていった。最後に残ったのが、ミーニャンだった。
魔王を倒すまでは、いつだって上手くいくのだ。倒したあとが、上手くいかない。
「……そろそろ、この世界ともおさらばだな」
口に出してから、しまったと思った。
ミーニャンの猫耳が、ぴくりと震えた。
俺は目をそらして、使い慣れた呪文を唱えた。
大型トラック召喚。最初の転生のとき、女神さまから授かった魔法だ。
「どうしても転生先が嫌になったら、使いなさい」と言われた。要するに、この世界からの非常口である。
まばゆい光とともに、十トン積みの車体が現れた。エンジンが咆哮し、トラックはあっという間に時速百キロを超えて、まっすぐ俺に突っこんでくる。
迫ってくるフロントガラスを眺めながら、いつものように、どうでもいいことを考える。
このトラック、運転席はいつも空っぽだ。昔観た『激突!』という映画でも、トラックの運転手の顔は最後まで映らなかった。こっちは、顔どころか運転手そのものがいない。
「ソーマ!」
衝撃。
体が宙を舞い、地面が迫り、視界が暗転する。
遠ざかっていく意識の中で、ミーニャンが俺の名前を叫んでいた。泣いているように聞こえたのは、たぶん気のせいだ。
そういうことにしておいた。
◇
「はぁ……。まーた、なのね」
盛大なため息が聞こえた。
この声も、ずいぶん久しぶりだ。目を開けるのは、もう少しあとでいいか。どうせこれから、いつもの小言が始まるのだ。
「ソーマさん。起きてるでしょう。寝たふりをしても、無駄よ」
お見通しらしい。しぶしぶ瞼を開ける。
果てのない白い空間に、幼女がひとり、ふわふわと浮かんでいた。翡翠色の深衣に、薄桃色の羽衣。見た目は七つか八つ。だが中身は、たぶん俺と同じくらいか、少し上だ。実年齢は知らない。知りたくもない。
転生女神ロル。俺の担当女神だ。
「ホントにもう。毎回毎回お世話する、こっちの身にもなってくれないかしら」
「そっちの紹介する世界が悪いんじゃねえの?」
「な・ん・で・す・っ・て?」
ロルのこめかみに、青筋が浮かんだ。
何十回と繰り返してきた、いつものやりとりだ。そしてここで、俺はいつものように膝をつく。額を、床らしきものにこすりつける。
「ロルさま。なにとぞ、お怒りをお鎮めください。今度こそ心を入れ替えます。腰を落ち着けます。なにとぞ、もう一度だけチャンスを」
異世界転生者。不幸にして命を落とした人間が、女神の計らいで、特別な力つきで異世界に生まれ変わる。たいていの転生者は、転生先で幸せに暮らしましたとさ、で終わる。
だが、ごく一部に、どうしても馴染めない者がいる。そういう連中は、自分で自分の人生に幕を引き、女神のもとへ舞い戻ってくる。そして次の世界へ。また次の世界へ。
いつしか俺たちは、〈異世界転生師〉と呼ばれるようになった。
要するに、転生の常連客だ。
俺の力は、レベル無限。どんな魔王も、剣一本で倒せる。倒したあとのことは、どうにもならないけれど。
「さてと。次はどんな世界にしようかな。魔王は強めで、ヒロインは――」
「もうチャンスはないわよ」
……ん?
聞き間違いだろうか。いつもならここで「仕方ないわねえ。で、次はどんな世界がお望み?」と、打ち合わせが始まるはずなのだが。
ロルは、幼子に言い聞かせるように、一語ずつ区切った。
「もう、チャンスは、ないの。あなたの異世界転生は、さっきの世界でおしまいです」
たっぷり五秒、俺の思考は停止した。
「えええええっ!?」
「うるさい」
ロルが、両手で耳をふさいだ。
「な、なんでだよ! いつもは転生させてくれるじゃねえか!」
「いつもそうだったから、今回もそうだと思ったわけ?」
ロルは、心底あきれた目で俺を見た。
「あのね。あなたたちに異世界を一つ紹介するのに、どれだけの予算と人員がかかってると思ってるの。世界の選定、能力の調整、転生後のアフターケア。それを、クリアしたらポイ。クリアしたらポイ。とうとう上層部から、正式な通達が出たのよ」
ロルが、どこからともなく一枚の紙を取り出した。金色の印章が、やたらと偉そうに光っている。
「ついでに、あなたの記録も読み上げてあげましょうか。転生、四十七回。魔王討伐、四十七回。討伐から次の転生までの平均、一か月と三日」
「……やけに細かいな」
「上層部の資料だもの。あなたはね、魔王を倒して一か月たつと、必ず次の世界にいるの。四十七回連続で」
数えたことはなかった。言われてみれば、そうかもしれない。
「〈異世界転生師更生プログラム〉。転生を繰り返す常連には、全員これを受けてもらいます。期限内に更生できなかったら――」
「できなかったら?」
「成仏よ」
さらりと言われた。
「成仏って……あの成仏か?」
「記憶も自我も、きれいさっぱり。魂は輪廻の大海に還って、次に何に生まれるかは分からない。ミジンコかもね」
「ミジンコ……」
「あ、それから」
ロルは、ついでのように付け足した。
「あなたの最初の担当だった、メル先輩。覚えてる?」
「ああ、あの優しかった女神さまか。元気か?」
「あなたの担当で心が折れて異動しました。いまは天界の総務部よ」
「……マジか」
「マジよ。それで私が引き継いだの。貧乏くじをね」
罪悪感が、ほんの少しだけ胸を刺した。ほんの少しだけだが。
「それと、今回のプログラムは、あなた一人じゃないから。同じような常連が、ほかに六人いるの」
「六人も?」
「六人も、よ。まったく、どうなってるのかしらね」
ロルは、なぜか少しだけ目をそらした。
「で、その更生なんとかってのは、何をするんだよ」
「行けば分かるわ。場所を移します」
ロルが懐から取り出したのは――おもちゃのピコピコハンマーだった。
朱色のヘッドに、黄色い握り手。この荘厳な白い空間に、恐ろしいほど似合っていない。
「……なんで、ピコピコハンマー?」
「天界の開発部の新作よ。〈瞬間転移装置・ハンマー型〉。叩いた相手を、目的地まで一瞬で送れるの。威圧感を与えないように、見た目はかわいくしてあるんですって」
「いや、ちょっと待て」
「待ちません」
ロルが、ハンマーを振りかぶった。
ピコッ。
軽やかで、かわいらしい音がした。
意識が遠のいていく。その片隅で、俺はぼんやり思った。
……まあ、どうせまた何とかなるだろ。
今までだって、ずっとそうだったのだから。




