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旅と猫と某少女  作者: Awaa @ 6月20日第三巻(下)発売
行旅(旅へ)

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3/18

馬腹の川


 ()(こく)に3つの太陽が天に昇った。


 3羽の金烏(きんう)其々(それぞれ)が気楽だと思う力で輝きを放っている。


 こうした日は三烏(さんう)凡輝(ぼんき)と言って、空は(あい)のような、暗く深い青に色づくものだった。遥か宇宙の表情に近づき、太陽は鋭く明るい。また、空気は()てつく。


 三烏共に凡輝なれども、元より数日前から金烏が弱っていたことを考えれば、(すなわ)ち他の二烏(にう)が気弱になったに過ぎない。しかし金烏は少しずつ力を取り戻していっているらしく、明日明後日には暖かくなるだろう──、と街角に立っていた辻方士(つじほうし)は言っていた。


(さむ)……」


 雲一つない乾いた空の下、夏は碼頭(ふとう)で釣りをしながら船を待った。


「船で2日ほど南に行けば()に着く。そこからは東に向かって歩こう」


 夏の言う府は安河府(あんこうふ)のことで、大陸の都市の中でも、取り分けて堅牢な大城があることで天下に佳名を(とどろ)かせている。(かく)の中に入れば(ほとん)ど迷宮であるらしい。また、水運拠点としても有名だから、普通に生きていれば安河府を知らぬ者はいなかった。


「釣れた」


 小狸(シャオリー)が釣れたばかりの鯉魚(こい)に噛みついた時、すうーっと船が通りかかった。()のついた、屋根ありの客船(ふね)だった。


 乗っているのは驢馬(ろば)が7頭と商人らしき男が1人、それから船の艄公(おやじ)が1人。艄公は長い長い竿を川底に刺して船を停めると、それに少しばかりもたれながら言った。


「乗るか?」


「南に行くでしょう?」


「支流には行かねえぜ」


「いいよ。府に出たい」


「なら乗りな。二百(もん)だ」


 日雇い労働2日分の、間々(まま)ある金額である。艄公は現実的な賃金を要求した。


 乳河(にゅうこう)陵青県(りょうせいけん)を含む黄狼平野(こうろうへいや)を南北に走る河川であり、南方母海(ぼかい)にまで繋がる。支流を含めば長さは四千四百里(2400Km)となり、大陸では四番目に長い川となった。


 乳河沿いには河川舟運によって栄えた街がうんとあるので、船さえ手配できれば旅路に苦労はない。川沿いを陸路を行くよりも遥かに楽ができる。


 船には火鉢が置かれていて、夏はありがたくそれにあたった。先客の商人が火鉢の側で茶餅(だんちゃ)──つまり茶葉の固めたものを茶臼(ちゃうす)で挽いていた。


「茶はいかがか、お嬢さん」


 粉を茶碗に入れて、湯を注ぐ。湯気と共に豊かな香りが立ち昇った。


「いいのかい?」


「売り物だが、まあ商人たるもの売り物の味を知っておかなきゃな。アンタは幸運だったのさ」


 折角なので茶をもらった。まるい味の茶だった。遅れてキリリとした苦味が広がり、鼻から抜ける香りは濃厚だ。


「イケてるね」


「役人が競い合うための名茶だ」


 役人間ではもてなす茶が如何(いか)に高級で如何に美味であるかを競い合う文化があった。これを闘茶(とうちゃ)と言い、士大夫(したいふ)たる者、名茶を知っていて当然という考えの下にある。


「いくらで売れると思う?」


「さあ。50文かな」


「馬鹿言え。仕入れで600文だぞ。1(かん)は貰わねばやってられん」


 1000文が1貫、つまり佃戸(こさくにん)が農具一式を買い改めるのに必要な程度の値段だった。


 猫は夏の飲みかけの茶をちゃぷちゃぷと舐めた。風雅な猫であるから気に入ったらしく、飽きることなく舐め続けている。


 そうしている内に川霧が出て、辺りが白く(けぶ)った。本日三烏(さんう)凡輝(ぼんき)、夜明けから更に気温が下がり、川の水温が追いついていないらしい。霧が出ると同時に水と泥の臭いも立ち、()せかえりそうな程だった。


「ひどい霧だな。オヤジ、無事に府に着けるんだろうか」


「俺を信じろ。この道25年だ」


 一炷香(いっちゅうこう)が経つ内に、霧はますます濃くなって、ついに周りが殆ど見えなくなった。


「ん……?」


 商人が眉を(ひそ)めた。


「1、2、3……。驢馬が一頭足りないぞ」


「そんなわけあるか。数え間違えたんじゃねえか」


「いいや、確かだ。そうだろ、お嬢さん」


 問われて夏も指折り数えてみたが、確かに7頭いた驢馬が6頭になっているようだった。


「ああ? もう一頭減ったぞ」


「この霧で見えてねえ驢馬でもいるんだろう」


「船の中くらいはばっちり見えてらぁ」


 再び夏も数えてみたが、やはり商人の言う通りもう一頭減っている。


馬腹(ばふく)かな」


 ぼそりと呟くと、商人も艄公もぎょっと顔を引き()らせた。


 馬腹とは川辺に生息する獣である。人面の(たぐい)で、体は虎だと言われた。鳴き声は赤ん坊が泣き叫ぶのにそっくりで、家畜を襲って食う。しかし一番の好物は人間の尻肉と膵臓(すいぞう)であるから、2人とも焦った。


 商人が小声で言う。


「お、おい、ビビらせるんじゃない。こんな霧の中で馬腹なんかに出会(でくわ)したら、只事じゃねえぞ」


 僅かの沈黙があって、霧の(とばり)の中から、ほんぎゃあ、ほんぎゃあと赤ん坊の鳴き声が聞こえ始めた。


 そして艄公が声を荒げる。


「船の中央に寄れっ!」


 しかし商人は、驢馬(ろば)の手綱を(まと)めようとして、甲板に出た。


「これ以上驢馬を食われてたまるかっ! これも大事な財産だ!」


「驢馬なんてどうにでもなるだろう! 惜しけりゃ原っぱで野驢(やろ)でも捕まえて来やがれっ!」


 夏は(おもむろ)に立ち上がり、辺りを見回した。見回したと言っても霧ばかりで何も見えないので、ただしくは耳だけで馬腹がどこに潜んでいるかを探ろうとした。


「お嬢ちゃん、座れ、座れ! 危ねぇぞ!」


「まあでも、どこに隠れているか、大体の見当はついたよ」


 そして夏は腰に下げた単刀(たんとう)を抜いた。美しい紋様の彫られた青白い刃の単刀だった。


「まさか戦う気かっ!」


「馬腹は狙った獲物を逃がさない。もちろん話が通じる相手でもないから、撃退する他ないのさ。誰でも彼でも気持ちが通じ合えば良いのだけれどね」


 瓢箪(ひょうたん)を取り出し、刃に酒を(そそ)ぐと、不思議なことにその刀は白光を放った。それで商人も艄公も彼女の持つ単刀が、いわゆる妖刀の類であると理解した。


 次いでその場でヒュンと刀を振るうと、まるで豆腐でも切るかのように川の先まで霧が真っ二つ、文字通り霧散した。視界が開けた。


 夏は船舷(へり)に片足を乗っけて水面を眺めた。翡翠(ひすい)色の川の水、深い所で影が動いている。馬腹がじわりじわりと船に迫る──。


 刹那(せつな)、馬腹はざばりと川から跳ね上がった。しなやかな虎の体で空を掻きながら夏に襲いかかる。爪は極端に長く、一本一本が匕首(あいくち)のようになっている。


 顔部は人面というよりかは、どちらかと言うと猿、たとえば金絲猴(キンシコウ)のようで、歯茎と歯を剥き出しにして大口を開けて迫った。


「正面から来た。(いさぎよ)い」


 そして猫がその大口に釣られて大欠伸(おおあくび)をした時、夏は単刀を馬腹の頭に振り下ろした。


 カツンと硬く鋭い音がして頭蓋(ずがい)が割れて、そのまま夏ごと船の上を転がった。驢馬たちが驚いて暴れる。商人も艄公も青ざめて、尻を擦って後ずさる。


 夏は立ち上がると、念のため馬腹の首に刀を差し込んだ。真っ黒な血が船床(ふなどこ)に広がる。


 商人が呆然として呟いた。


「で、でけぇー……。本当に人面虎だ……」


 目算およそ八(しゃく)(2.5メートル)、人喰い虎のような大きさであった。獣臭もきつい。(どぶ)のような臭いがしている。


「馬腹の肉を食べると()()()になるらしい。口が達者なら、肉一切れで失った驢馬代くらいは回収できると思うよ」


 戦避けとは(すなわ)ち、戦乱に巻き込まれずに済む──ということである。しかし商人は放心してしまって、何も答えることが出来なかった。


 夏はひゅんと曲芸のように刀を振るって血を払う。見事な装飾の入った鞘にそれを押し込むと、しゃきんと小気味良い音が鳴った。


 その剣捌きを見て、艄公は言った。


「アンタ、武人なのか? まだ幼いように見えるが……、何度か戦争に出ているのか?」


「どうかな。戦はたくさん見たけれど、人に向かって剣を振るったことは無いよ」


「いいや、そんなわけがねぇ。俺も若い頃は軍にいたが、バケモノ相手に落ち着き払っているような人間は、見たことがねえ。それに、人殺しの目をしていた」


 夏は猫を見る。


「戦いで言うと君の方がよっぽど人を殺しているよね」


 猫は二度目の大欠伸。


「さあ馬腹を解体しようか。このままだと血が臭って他の獣を呼び寄せる」


 天を見上げる。怖いくらいに群青に色づく空に、太陽が高くへばりついている。時間は十分にありそうだった。暗くなるまでに解体を終わらせたい。


「小狸、肉を食うといい。戦避けになるよ」


 猫はぷいと顔を背けた。戦は人生──いや、猫生の華だと思っているので。


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